12期生 第4回 物語はどのような順序と速度で語られるのか

皆様、こんにちは!

第4回のブログを担当する飯尾です。GWがあけ、いかがお過ごしですか?私はいまだ新学期に慣れず、余裕のない生活を過ごしています。

手短ですが、早速授業の内容にうつります!

前座

今回私は、『暁のヨナ』について紹介しました。花とゆめ連載の草凪みずほ先生による漫画作品で、アニメ化や舞台化もされています。『暁のヨナ』は、城を追われた王女ヨナの成長と冒険を描くファンタジー作品です。

高華国の王女ヨナは、幼なじみのハクや想いを寄せる従兄スウォンと平和に暮らしていました。しかし、スウォンの反乱によって父王を殺され、ヨナはハクとともに城から逃げ出します。

旅を通して国の現実や人々の苦しみを知ったヨナは、弱かった自分を変えようと決意。伝説の“四龍”の戦士たちを仲間にしながら成長し、自らの力で人々を守ろうとしていきます。旅の途中で仲間を増やしながら、ヨナは弓術や精神力を身につけ、ただ守られるだけの姫から、民を導く存在へと成長していきます。

守られるだけだったヨナが成長し、今度は仲間を守ろうと強くあろうとする姿がとてもかっこいいです。
また、ヨナと従者ハクの恋愛模様も見どころで、鈍感なヨナと片思いをこじらせたハクのやり取りは、もどかしくも切なく、思わず引き込まれます。

3限

古田さんの発表でした。

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』

5提示と叙述

第5章では提示と叙述について取り上げられています。提示とは語り手が介入したりせずに黙ってあるがままを示す方法、叙述とは語り手が物語の出来事やと往生人物の心理描写を読者に解説する方法です。『フランケンシュタイン』では、提示と叙述がうまく使い分けられており、特に読者からの共感が軽減する恐れのある場面や繰り返しとなる出来事の話などは叙述で語られています。

また三人称の物語は、一見あるがままを示す提示のように見えますが、極めて存在はわかりにくいものの誰かが語っていることに変わりはないため、叙述にあたることに注意が必要です。

6時間

第6章では時間の順序と速度について取り上げられています。

ストーリーにおける出来事の順序と、プロットにおける出来事の順序が一致しない場合を「アナクロニー」といいます。アナクロニーには、出来事を語る最中に過去の出来事に移行する「後説法」、まだ生じていない出来事を先取りして語る「先説法」、既に進行している物語の途中から語り始める「イン・メディア・レース」があります。

速度の形式は四つに分類できます。物語が中断され、光景や情報が描写される「休止法」、物語の内容の時間と文においての時間の速度が等しい「情景法」、何年、何か月と空いた期間を要約して数段落、数ページで描写する「要約法」、ある期間を省略し、一気に飛び越える「省略法」に分類されます。

先説法の理解に特に苦労しました。先説法は、「雨が降りしきる夜だった」のような情景法で先の未来を暗示することではなく、「まもなく」などの直接的な言葉で未来を言い表す文のことを言います。現在にいる語り手が後説法で語る際に、すでに知っていることを過去の語り手本人に語らせていると解釈しました。

4限 ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』Ⅱ持続

引き続き古田さんの発表でした。

今回のテクストでも時間の操作について語られています。省略法のより深い形式についても述べられており、省略法には省略された時間を明記する「明示的省略法」、テクストにおいて存在そのものが明示的でない「暗示的省略法」、その存在の位置、省略された期間がともに定めることができない「仮説的な省略法」があります。

また本テクストで取り上げられているプルーストの『失われた時を求めて』はかなり特殊な語りであるようです。事細かに情景が描写されているため、一見休止法で語られているようですが、語り手は決して止まらずに語っているということで、『失われた時を求めて』は非常に細かい情景法であると言えます。

以上が第4回の授業内容です。授業の中で真に理解することが多く、一人で読む段階でもより理解を深めていけるようになりたいと思いました。今後難解な文章を時間をかけてきちんと読み砕いて準備したいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

飯尾

12期生 第3回 物語はどう語られているのか

皆様、初めまして。
12期生第3回目の授業のブログを担当いたします、古田真夕と申します!


私のブログも飯尾さんや先輩にならって、簡単な自己紹介から始めさせてください。

私は小説やサブカルチャーが好きで、文章を読んだり、書いたりすることも好きなので内藤先生のゼミに入りました。また、文学だけでなく、心理学やジェンダー学にも興味があります。

小説だと特にはやみねかおる先生の作品が好きです!また、Vtuberの配信が好きで日々”推し活”に精を出しています。

これからどうぞよろしくお願いいたします!以上で自己紹介を切り上げ、授業内容についてお話していきます。

【前座】

本日の授業は残念ながら、飯尾さんがお休みだったため、私は先生に「Vtuber」について僭越ながらお話しさせていただきました。

VtuberはバーチャルYouTuberの略称です。主にゲーム配信や雑談配信を行い、リスナー(視聴者)との距離が近いのが魅力です。

しかし、Vtuberの中には小説、音楽などの創作活動や、モーションキャプチャーやAR技術などの最新技術を用いたライブ演出を行う方もいます。
アバターを用いた配信活動だけでは収まらない、日々進化し続けるVtuberたちの活動には目が離せません。

皆さんもぜひVtuberが作り出す世界をのぞいてみてください。

【3限】第3章:語り手  第4章:焦点化

前回に引き続き、「批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義」(廣野由美子 著)の分析を行いました。

第3章:語り手では、小説の内容を読者に向けて示す役割を果たす「語り手」について取り上げられています。

語り手は主に三つに分けられます。
一つ目は、物語内の登場人物が一人称の視点で語る場合は物語世界内的語り手
二つ目は、登場人物ではない存在が物語の内容、人物の心理を知り尽くした状態で語る場合は物語世界外的語り手
そして、稀ですが、三つ目として二人称の語り手が存在します。

「フランケンシュタイン」では一つ目の物語世界内的語り手によって語られ、語る登場人物は入れ替わっていきます。

しかし、その語り手というのは本当に信頼できるのでしょうか?語り手となる主人公フランケンシュタインは、個性的な性格によって偏った語りになっているところが見受けられます。他の語り手たちも同様です。
語り手になっているからといって読者は完全に信頼することはできないようです…。

また、「フランケンシュタイン」ではウォルトンの手紙>ウォルトンの手記>怪物の談話というように入れ子構造になっている点が挙げられていました。

皆さんは入れ子構造の作品と聞くと、何を思い浮かべますか?私は授業内で「進撃の巨人」を例に挙げました。ネタバレになるので何も言えませんが、すごく緻密に構成された素敵な作品なのでぜひご覧ください!

第4章では「フランケンシュタイン」の焦点化について取り上げられていました。

物語をどう「見る」のかを示す焦点化は、まず焦点人物の位置によって外的焦点化内的焦点化に分けられます。
さらに内的焦点化は焦点人物が変わるか否か、同じ出来事を語るかどうかで固定内的焦点化不定内的焦点化多元内的焦点化に分けられます。

「フランケンシュタイン」では、不定内的焦点化及び多元内的焦点化が部分的に用いられ、物語が展開していきます。

【4限】ジェラール・ジュネットの物語論

本来は、ジェラール・ジュネット「物語のディスクール」の焦点化についての分析だったのですが、私が読む課題文を間違えてしまい…この時間では物語論全体について、より理解を深めました。

特に興味深かったのは、やはり焦点化についてです。現在の小説では、一人称視点、三人称視点から描かれる作品がほとんどです。しかし、物語が人によって語られて伝わっていた時代、その当時の物語では、一人称視点となる物語の登場人物でもなく、自我のない物語の全てを知る三人称視点でもなく、また別の「語り手」が存在していたのです。

先生は「源氏物語」を例に解説を行ってくださいました。
「源氏物語」の語り手は、物語の登場人物ではないので、三人称視点のように思われるのですが、主人公である光源氏の描写は全て尊敬語で語っています。つまり、光源氏より低い身分である語り手なのだということが物語言説から読み取れてしまうのです。現代の、物語内容のどこにも位置しない三人称の語り手とは異なる存在、そんな語り手が平安時代には存在していたのです。

ジュネットの物語論は緻密ですが、古代から現代までのさまざまな作品を例に挙げて考えると、「これはどうなんだ?」と判断が難しい場面が数多く出てきてしまいます。

私は結構そういった話し合いや、例に当てはまるか考えてさらに考えを深めることが好きなので嬉しいのですが、どうしても時間が足りないのが残念です…

以上が今回の授業内容です。

拙い文章で読みにくかったかも知れません。これからのブログ更新で成長していけたらと思っていますので、よろしくお願いいたします!

11期生 第2回 同じ画面に映されているのは何だ!

みなさんこんにちは

久しぶりにブログを書きます!担当の土田です。

気が付いたらもう4年生になっていて、5月も中盤に差し掛かっていて、時の流れの速さに驚いています。

2コマ分あったゼミの時間も1コマになったため、ここでも時間の流れる速さを感じています。また、今年度からは映画の作品分析に入ったため、昨年度とはまた違った視点を養うことができそうで楽しみです。

しっかりと有意義なものにするぞ、ということで忘れないうちにブログを書くことを目標に、頑張りたいと思います。

「カメラワーク」

今回の担当は井上さんで、『Film Analysis』から、カメラワークについて学びました。

まず、映画においてカメラワークとは、対象物との距離によって変化するショット、アングル、カメラの動き方、レンズの焦点距離の組み合わせによって発生するものです。

例えば、表情や細部を強調するために被写体を画面いっぱいに映し出す「クローズアップショット」では親密性を、クローズアップショットよりも引いた胴体も映す「ミディアムショット」では人間関係を強調する意味を持ちます。そして、さらに被写体とその周囲の環境を広く捉えた「ロングショット」は、非人格性や客観性と相性がよく、周囲の環境と人間の環境に注目させる意味を持ちます。

他にも、アングルにおいて、上から映すハイアングルは支配的な印象を、下から映すローアングルは優越感や権威などを意味します。

また、カメラの動かし方にも手法別の効果があり、カメラを水平に左右に振って被写体を追う「パンショット」は、関係の意味付けのために用いられ、人間関係の樹立や社会集団の説明に意味を持ちます。

パンショットはカメラは固定されていますが、カメラ事態を動かすショットとしては、被写体に沿ってスムーズに移動させる「トラッキングショット」や、カメラを台車に載せて被写体に対して平行移動させながら撮る「ドリーショット」という手法が挙げられています。

特にドリーショットは、この後分析する映画『シャイニング』にも用いられており、ダニー(息子)がホテルの廊下を進む場面では、人間の生命の「循環」や「繰り返し」を表していて、これは映画全体のテーマでもあるようです。

最後にレンズについても説明します。

観念を伝える道具としても用いられるレンズでは、焦点を調整することで観客の目線を誘導できます。

また、ズームインすることである人や物に焦点を絞り、ズームアウトすることで事物から焦点物を遠ざけて、周囲の空間との対比の中で消してゆく効果があるのです。

以上が今回の論文の内容になります。

これを踏まえて後半は、映画『シャイニング』の分析を行いました。

私たちは特に、ジャック(ホテルの管理人・夫)とウェンディ(妻)が、大広間の階段とお風呂場で対峙するシーンについて考えました。

分析に入る前に、この物語の前提を振り返りました。ジャックらが滞在することになったホテルは、本来ネイティブアメリカンたちの土地で、彼らを追い出して建てたのが、オーバールックホテルなのです。

それらを示唆するように、ロビーにはネイティブ柄のラグが大きく広げられていました。

よってこの映画の背景にはネイティブアメリカン対白人の二項対立が存在していると考えられます。その視点で考えると、ネイティブアメリカンに憑かれたジャックは白人側であるウェンディを追い詰めます。階段で2人が対峙するシーンでは、ジャックとウェンディを視点を変えながら、1画面に2人の姿が映るようなカメラワークが採用されています。

この場面ではウェンディはバットを持っているものの、迫ってくるジャックにひどく怯えています。この時点では、2人が1画面に映るという点から、ウェンディもジャックも相互作用が可能な状態であると考えられます。よって、ウェンディは危害を加えられる可能性があり、ジャックもまた同じで、最終的にジャックはウェンディによってバットで殴られ転落します。

続いて、お風呂場に逃げたウェンディをジャックが追いかけるシーンで考えます。こちらのシーンでは、先ほどの階段の場面と比較すると、2人が1画面に映る瞬間がないことが分かります。ジャックは斧という武器を持ちウェンディに迫っているため、一見ジャックの方に優位性があるよう感じますが、2人が同じ画面に映ることができない、という点で、もはや2人は相互に作用することが不可能な状況になっているのです。

つまり、階段のシーンではまだ、ネイティブアメリカンの気を背負っている程度であったジャックは、お風呂場のシーンになると完全に憑りつかれてしまい、白人側のウェンディに危害を及ぼすことは不可能となるのです。

その後、家の外の迷路で息子のダニーをジャックが追いかけるシーンでも、2人は同じ画面に映ることはありません。

このことを踏まえるとカメラワークから、同じ場所にいる2人の相互関係についてを明らかにすることができるのです。

つまり、同じ画面上に映るか否かに注目すると、ウェンディとダニーの無事を予測することができた、ということです。

私は、お風呂場のシーンを見た時、ジャックの狂気と斧の強さにあぁもうダメか、とウェンディの命を案じてハラハラドキドキしてしまっていたので、このことを知ったらホラー映画も怖くないかも?と思いました。

これからも1画面に映る人物の関係に注目すると、新たな発見をすることができるかもしれません!

それでは今回はここで終わります。

ここまでお読みくださりありがとうございました~!次回へ続く

12期生 第二回 テクストとは何か

内藤ゼミ11期生初回のブログを担当いたします、飯尾月葉と申します。先輩方に倣って、初めに簡単に自己紹介をしたいと思います。

私は秋田県出身で、大学進学を機に上京してきました。アニメや漫画が好きで、最近は『WIND BREAKER』や『暁のヨナ』、『呪術廻戦』にはまっています。また、ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』も大好きで、特にミュージカル作品をよく観ています。東京ではこうしたイベントが数多く開催されるため、以前から「大学生になったら上京したい」と考えていました。内藤ゼミでは、特に『刀剣乱舞』をテーマに研究していきたいと思っています。

現在は居合道部白鷺会と早稲田大学のインカレサークルに入っています。中でもぜひ知っていただきたいのが居合道ですね。剣道でも合気道でもありません。模擬刀(竹刀ではなく金属製)で演武する武道です。刀をビュンビュン振るのはあこがれませんか?まだ知名度は高くありませんが、この機会に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

少し長くなりましたが、授業の内容にうつります!

前座

今回は、私が『刀剣乱舞ONLINE』について紹介しました。『刀剣乱舞ONLINE』には、キャラクター(刀剣男士)たちの魅力的なビジュアルや、実在する日本刀がモチーフになっていることなど、さまざまな魅力があります。その中でも特に面白いのは、「はっきりしたメインストーリーがない」という点だと思います。

刀剣男士たちは、プレイヤー(審神者)それぞれの本丸に顕現するという設定なので、同じ刀剣男士が複数存在していても問題ありません。歴史を改変しようとする敵と戦う、という基本設定はあるものの、実際にはそれぞれの本丸で起こる出来事が“本編”になっています。そのため、メディアミックス作品や二次創作でどんなストーリーが描かれても、違和感なく共存できるのが特徴です。さらに、「同担拒否」が起こりにくいのも面白いところだと思います。なぜなら、自分の本丸の刀剣男士と、他の人の本丸の刀剣男士は、それぞれ別の存在として考えられるからです。

こうした自由度の高さや、解釈の幅広さが、『刀剣乱舞ONLINE』ならではの魅力だと感じました。

3限

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』

1冒頭 

古田さんの発表でした。

第1章では『フランケンシュタイン』の冒頭について取り上げられています。小説の冒頭部は読者にとって、現実世界から虚構の世界に入るための敷居です。初版の『フランケンシュタイン』では、「11月のある陰鬱な夜のこと、、」という書き出しになっていましたが、この書き出しは読者に急激に情報を与え大きな疑問を残して今します。一方で、再編された『フランケンシュタイン』では、ある男の姉に宛てた手紙文から始まっています。現実的な手紙という形式に物語を収めて、読者に信憑性を与えることで小説の冒頭という敷居を跨がせやすくさせる技法がとられているのです。

しかし私は、手紙が一般的ではなくなっている現代では、手紙が読者にとって良い敷居であるとは言えないと考えました。物語の世界に入り込みやすいメディアは時代によって変化していくのかもしれません。

2ストーリーとプロット

第2章では小説におけるストーリーとプロットについて取り上げられています。ストーリーは出来事を起きた時間順に並べたもので、プロットは物語が語られる順に出来事を再編成したものです。つまり、ストーリーは時系列で、プロットは因果関係によって出来事を組み替えているのです。『フランケンシュタイン』では、物語がほとんど終わりに達した段階から始まり、過去に遡って語るという配列法がとられています。またプロットで語られることで、読み進めると生じる疑問がすぐには解消されず、真相の提示が先延ばされるため、謎やサスペンスが生み出されています。

4限

ロラン・バルト『作者の死』

引き続き古田さんの発表でした。

授業内容の前に言葉の整理をしたいと思います。テクストとは、作品そのものであり、作品となる内容のこと。エクリチュールとは、書くこと、言語活動全般のこと。

本テクストでは、テクストの中に作者(の意図や背景)を読み取ろうとするのではなく、むしろテクストと書き手は分離して考えなければならない、と主張しています。つまり、書き手は単に文字を書いたにすぎず、読者はテクスト自体を解釈しなければならないということです。テクストは、それまでに書き手が経験してきたあらゆる他者の文化やエクリチュールが反映されたものであるため、そこに書き手由来のものは含まれないとする考え方です。

このようにテクストと作者を分離して考えると、テクストには多様なエクリチュールが存在し、それぞれがそれぞれと様々な形で関係しあっています。そのため、テクストは、解読し一つの答えを見つけ出すことはできず、読者によって多種多様に解釈されるのです。

以上が第二回の授業内容です。語が難しく、読み内容を理解するのもまた難しかったですが、何がわからないのか、どう解釈したのかをきちんと整理し、引き続き授業に臨みたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

飯尾

11期生 第1回 映像作品における『構図』

皆さん、こんにちは!

久々の更新となりました。

11期生の井上紬です。

このたび4年生に進級するとともに、ゼミで学習する理論も、文学を対象にしたものから映像作品を対象にしたものに移りました。

今回はその第1回ということで、映像作品における『構図』について、本ブログにまとめたいと思います ^_^

本日の理論:『Film Analysis』第1章「構図」

分析対象:『第三の男』(キャロル・リード監督)

皆さんは、映画において「構図」とは、ストーリーにどのような意味をもたらすと考えますか?

今回扱った図書『Film Analysis』の著者(マイケル・ライアン、メリッサ・レノス)によれば、

「構図」、つまり、画面上の密集率・登場人物の位置や大きさ・演者の配置などは、登場人物同士の関係性を表したり場面の強調をしたりする意味をもたらすといいます。

これは具体的にどういうことなのでしょうか。

たとえば、画面上に登場人物が密集している様子(タイトなフレーム)からは「抑圧」や「強さ」のイメージが読み取れます。

一方で、広大な背景に対して登場人物がぽつんと佇んでいる様子(ルースなフレーム)からは「空虚さ」や「脆弱さ」のイメージが読み取れるというのです。

文章にするとわかりづらいかもしれませんが、実際にこのような映像を目にしたとき、確かに私たち視聴者はこういったイメージを抱いているような気がします。

密集率以外にも、【重要人物はフレームの中央か上半分に置かれている】のに対して【従属的な人物は下半分か端の方に置かれる】といった位置の問題や、【背景(の人物)の存在によって前景の人物の属性を際立たせる】といった大きさの問題もあり、次何か映画を観るときには「本当にそうなの?」と確かめたくなってきますね。

フレーム内にいる登場人物たちの秩序をみるという点では、シンメトリ/アシンメトリの概念も重要になってきます。

シンメトリといいますと、最もイメージしやすいのは軍事パレードの様子でしょうか。

一糸乱れぬさまから伝わってくるように、シンメトリの構図には統一や調和、規律の厳格さや融通の効かなさといった意味合いがあります。

また、シンメトリという語から「上下または左右が対照的な構図」だけを想像されるかもしれませんが、決してそれだけには限らないのもポイントです。

たとえば、映画『ミルドレッド・ピアース』において、4人の登場人物(女・彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)がフレーム内に収まるシーンがあるのですが、このとき(女)と(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)が1:3で対立しているかのような構図がとられています。

しかしよく見てみると(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)は背の順で横一列に並んでおり、ある意味で不自然なのです。

つまりこの構図は、よりを戻したい・戻してほしい(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)と、そうは思っていない(女)という対照。

このような場合もシンメトリと解釈されることから、私たちゼミ生は、

シンメトリという構図を「パワーが均衡している様子」と説明することにしました。

一方でアシンメトリは、不道徳や裏切り、嘘や殺人などを表現する場合に、光と影のコントラストを作る構図です。

以上を踏まえて、ゼミでは最後に、映画『第三の男』の分析を行いました。

今から70年以上前の作品とは思えないほど、光と影の表現が前衛的な名作。

ラストで女性が並木道を歩いてくる長回しは、それこそ「ルースなフレーム」として読み取れますね。

また、印象的なのは観覧車にて主人公・ホーリーと死んだはずの『第三の男』・ハリーが対話するシーン。

ハリーがホーリーのもとにやってくるとき、ハリーの背景にある遊園地の様子は閑散としていて「空虚さ」や「脆弱さ」を感じさせるのですが、ホーリーとの熱い問答を繰り広げたあと、ハリーが姿を消していく遊園地の様子は賑やかで、彼が物語において「強さ」を取り戻したことがこの一連の流れから読み取れます。

今回は第1回ということもあり手探りで進めてしまったため、物語全体の解釈にはおよびませんでしたが、「構図」に着目してみる映画は、それまでとは違った様相を見せてくれると感じました。

皆さんもぜひ次見る映画では「構図」を意識して観てみてくださいね!