11期生 第5回 視点についての話

みなさん、こんにちは今回もブログを担当します。土田です。

最近は暑いのか寒いのかもよく分からない気候が続いていて、何月なのかもあやふやなのですが、もう春学期も折り返し地点らしいです!びっくり

溜まっていくブログたちに追い抜かされないよう、今回も書いていきたいと思います。

今回は井上さんの発表で、『小説と映画の修辞学』より「「視点」についての新しい視点」を扱いました。

文学作品や映画における「視点」を考えるにあたって、分析者が何をする必要があるのかを考えました。

「視点」を考える際には、視座、フィルター、中心、利害・関心=焦点、の四要素に細分化されています。

視座:語り手の違憲の心理的・社会学的・イデオロギー的な諸問題を捉えることができる。さらに、物語言説と物語内容の境界において、精神活動の限界を捉えることができる。

フィルター:登場人物の意識(知覚、認知、感情、夢想)を媒介する機能を捉えることができる。また、どの領域に焦点を当てたいのか、ぼんやりさせたいのかを選択するニュアンスを表すことができる。

中心:中心的登場人物の意識に接近できるかできないかは限定せずに、ある登場人物が門とも重要であるという風にストーリーを提示することができる。

利害・関心:ある登場人物の視覚的視点からものを見なかったり考えていることを知らなかったりするが、その人物にも同一化するし、いかに影響を及ぼしたかというように解釈することができる。

視点の中でもこれらの細かく区別した観点があれば、より正確にテクストを捉えることができます。

また、視点に関して、誤った見方を促すような手法があります。

「信頼できない語り」はある出来事についての語り手の話が、テクストが暗示することと食い違って見えることです。一方で「誤りやすいフィルター作用」とは、ある登場人物が知覚したり考えたりしていることが、語り手が語ったり示したりしていることと食い違って見えることです。

このように、様々な視点から描かれる物語は、観客に対して様々な見え方を提示し、意図的・故意的に真実をわかりにくくさせるのです。

以上のことを学んだ後、是枝裕和監督の『怪物』を分析しました。

『怪物』は1つの出来事に対して、3人の異なる登場人物の視点で展開される構成になっています。そのため観客は、視点が変わるごとに新事実に気が付き、何が本当なのか、何が嘘なのか分からない状況に陥ります。

今回は、どの視点が真実なのかではなく、焦点を当てられていない人物について考えました。

焦点を当てられていない人物とは麦野湊の同級生、星川依里です。彼は、学校でいじめられていたり、家でも父親に暴力を振るわれていたりする中で、彼視点の場面はありません。よって、星川依里が自分の言葉で語る場面は非常に限られているのです。

そこで私たちは、湊と依里が秘密基地の中で行う「怪物だーれだ」のゲームに着目しました。この時、ナマケモノのヒントとして依里は「すごい技を持っています」と一つ目のヒントを与えます。2つ目のヒントで「敵に襲われると、体中の力を全部抜いて諦めます」と言って湊は「それは星川依里くんですか?」と聞きます。

ここで観客は、依里は攻撃を受けた時に、無になって諦めているんだ、ということに気が付きます。しかし、それは湊のフィルターを通した依里の姿に過ぎず、観客は湊の視点に誘導されていると言えます。

このような描写や、依里の本心が一切語られないことから、観客は依里が「被害者」であるというフィルターのもと、この作品を見てしまっているのです。

では、依里は被害者じゃないとしたら?この作品も違ったように見えることでしょう。

『怪物』は、ラストシーンの解釈について議論が盛んに行われていますが、この「視点」の観点から見ることで、また新しい見え方が広がるかもしれません。

視点、捻ったタイトルにできそうで何も思いつかず、、、

では、本日のブログはここまで!また次回~

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