春学期第7回 4年ゼミ

こんにちは!
今回は、第7回ゼミについての記事です。ブログ担当は提中です。
今回は、『Film Analysis』第10章・心理学的批評についての議論を行いました。
発表担当は室さんでした。
以下、今回のレジュメです。

第7回

さて、今回は、ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』(1990)を取り扱い議論を行いました。
実際に映画で気になったシーンを確認しながら、議論を行いました。
今回、教科書で扱ったのは、心理学批評でしたが、この映画は、「男」になることで成長した主人公・クラリスや、女になりたい猟奇殺人犯・ジェーミーが描かれているということもあり、ジェンダーに関する問題も議論に上がりました。クロフォードとレクターという二人の父親的な存在を得て、理性や意識で動くようになり、「男性」になったことで成功した主人公・クラリスの描写からは、社会の中で活躍することが出来るのは、女性ではなく、男性でなくてはならない、というようなジェンダーの問題が感じられます。また、女性になりたかったジェーミーが、最終的には殺される、という描写からも、「男性」は「男性らしく」いなければならず、そこから逸脱したものは排除されるべきだというジェンダーの問題が見て取れます。
議論では、以上のようなジェンダーに関する問題が上がりましたが、心理学的批評では、「父親」や「母親」という存在が人間の精神形成にとって重要であるという問題も扱っているため、ジェンダー批評との間に関連があるのではないか、ということも議論に上がりました。

4年のゼミ生は、去年の論文でジェンダーについて扱った人が多いため、どうしても議論がジェンダー寄りになってしまいがちです・・・(汗)

次回のゼミでは、ジョン・マクティアナン監督の『ダイ・ハード』(1988)を取り上げることになりました。

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春学期第3回 3年ゼミ

こんにちは。初めまして!4期生もう1人の方、増尾美来です。

遅ればせながら第3回のゼミブログをあげさせていただきます。忘れていたわけでは……すみません。

第3回では
3限は引き続き廣野由美子著『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義-』(中公新書)の「語り手」「焦点化」
4限ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』「焦点化」を用いて講義を進めていきました。

物語には語り手が不可欠です。小説をどの角度からみるかによって語り手は種類分けされます。
しかし、果たしてその語り手は「信頼できる」ものでしょうか?

例えば、ダニエル・キイス著「アルジャーノンに花束を」は知的障害をもつ主人公の目線で語られ、彼が脳手術を繰り返し知能があがるにつれ文体にも変化が起こります。知能の低い時に書いていた文にはどれほど正確性があるのだろう?知能があがったあとの記述も彼の主観によって事実とは異なるものになっているのでは?
など、「語り手における信頼」問題について議論を交わしました。

誰が語るのか、誰が見るか を区別して「見る」という行為を規定し、見ている主体によって捉えられた多面的現象を映し出す方法を「焦点化」といいます。
誰が見ているか、誰が見るか によって種類が分けられます。(外的、内的、固定内的、不定内的、多元内的)

一つ一つ例を考えながら、あーでもないこーでもないと話し合いました。
湊かなえ著『告白』は複数の登場人物の視点から物語が進んでいくから不定内的焦点化 なのではないか。など触れたことのあるもので考えることによって理解が一気に進みました。

4期生2人ということで2人して考え込んでしまうことも多々あるのですが、その度考え方のヒントを下さったり、私たちの取りこぼしをすくい上げてくださる3期生の方々。いつもありがとうございます…!!憧れの眼差しでみております。先輩方のように来年なりたい!!

図書館にこもって調べることも、毎週悩みながらレジュメを作成することも不思議とつらいとは感じてなくて。どんなことを知れるのだろうとわくわくしながら読み込む日々です!
理解するためにやるべき事はたくさんあると思いますが、このわくわくを忘れずにこのまま走っていきます!!

増尾

春学期第4回 4年ゼミ

こんにちは、4年の横野です。

今回は『Film Analysis 映画分析入門』の第4章「アートディレクション」・第5章「語り」について分析を行いました。

今回使用したレジュメはこちら↓

 

第4回_4年ゼミレジュメ

 

今回は映画「テルマ&ルイーズ」を挙げ、各々で気になる点をチェックし議論を行いました。

 

第4章「アートディレクション」では、作品中の音響・服装・台詞(口調)が議論に上がりました。

作品中では音響がほとんど入りません。音響が入るのはテルマとルイーズが車に乗っている時のラジオから流れる音楽だけです。「何でだろう・・・」とゼミ生で議論になりましたが、映画通の前田くん曰く現代の映画作品のようにBGMがたくさん入っている作品というのは近年になってかららしく、それまでは音響に頼らず作品の画にこだわっていたとのこと。うーん、映画って奥が深いです。

また、「テルマ&ルイーズ」ではテルマとルイーズの二人が逃走を続けている間にどんどん服装が変化していきます。冒頭では小綺麗で山に行くとは思えない格好をしていたテルマが終盤には腕や足を出し、顔も埃まみれになっています。また、控えめな発言をしていたにも関わらずどんどんと汚い口調になったり、思い切った発言をしたりするようになっています。このことから、開放的になっていく女性像・自由を追い求めて行動している女性像が表現されているのではないかという結論になりました。

ちなみに、アートディレクションには色彩についての項目もあったのですが、前田くんが「これは日常生活にも見られるんだ。『水族館にデートに行くと別れる』っていうジンクスがあるでしょ?あれって、水族館は青い照明だから顔が青白く見えて楽しくなさそうに見えるからなんだよ・・・。だから俺は気をつける。」といったことを発言し、ゼミがほっこりした空気になりました(笑)4年になってよりゼミ生が仲良くなったなと感じた瞬間でした。

第5章「語り」では、映画分析入門に書かれていたウラジーミル・プロップによる物語の「機能」リストに当てはめ、これまでの冒険物語とどう異なるのか、主人公が女性に変化したことによる相違などについて話し合いました。

プロップの物語リスト上では英雄が帰路につき、誰かにより救助されるというリストがあります。しかし、「テルマ&ルイーズ」では帰路に戻ることは無く最後まで逃走を続けます。また、救助しようと手を差し伸べる人物も現れますがそれを実現するには至りません。そして二人は崖から飛び降りてしまいます。

議論中、この「帰路に戻らないこと」「飛び降りる結末」は、悲しいことではなく本当の意味での「自由」を求めた結果なのではないか?という意見が出ました。

その意見を基に、普通であればテルマとルイーズが死んでしまったという結末ではあるが、これまで夫などの男性に抑圧された存在であった二人が自分達の意思で行動し、抑圧する存在から永遠に逃れられたという意味で自由になったという結論に至りました。

やっぱり映画って奥深いですね。これまであまり深く触れてこなかったジャンルなので少し苦労しています・・・。学生生活の年なので、思い出作りとして今年度中に100本映画を見ようと心に決めました。劇場にも足を運びたいです。では、また!

春学期第2回 3年ゼミ

初回投稿、緊張します。この春から4期生として内藤ゼミに所属することとなりました、大下由佳と申します。
4期のゼミ生は私含めて2人ということで、極めてアットホームに、仲良く頭を突き合わせて活動しています!
初回授業の際、ゼミ運用に必要な役割を2人で分担し、お互いにけっこうな負担があるのねと確認。また、例年との人数差は加味せず、先輩方のやってきたものと同じスピードと量で授業を進めていくことが決定。4限で先輩のお力をお借りしながら授業をすることを除いてはほぼノーハンデでこの内藤ゼミで活動することとなりました。今後のゼミ活動に多少の不安と期待を持ちつつ、協力プレイで頑張って参ります。

さて、第2回の授業では、3限に廣野由美子著『批評理論入門―「フランケンシュタイン」解剖講義ー』(中公新書)のⅠ-1,2を、4限にテリー・イーグルトン『文学とは何かー現代批評理論への招待ー』(岩波書店)の序論を読み解いていきました。

3限のレジュメはこちら→第2回 「冒頭」「ストーリーとプロット」

1「冒頭」については、主に〈手紙を利用した導入は本当に読者を引き込むことができるのか〉について議論しました。廣野氏は手紙という現実的なものを足掛かりにして読者は物語世界に入り込みやすくなると主張していますが、私たち2人の意見は「手紙って身内ネタじゃん。読み取りづらいですよ」で一致。本を読みなれている人は突然手紙から物語が始まったとしても、なんなく読みこなせるだろうが、あまり読んだことのない人はかえって混乱してしまう。この主張に行き着くにはある程度の読書量があることが前提ではないか、と考えました。
また、2「ストーリーとプロット」では、〈サスペンスとは何なのか〉の解釈に手こずりました。英訳すると単純に不安や緊張、未解決というような意ですが、構造的にサスペンスとは何なのか、を議論しました。そして、小説においてどのようにプロットを操作したらサスペンスになるのか、時間いっぱい考えて、『三匹のこぶた』の物語にサスペンスを加えてみることに挑戦。ほかに、〈「運命」とは何か〉という大命題も出ましたが、時間の関係で次回授業に持ち越しになりました。

4限の授業では練りに練った発表データをおうちに忘れてきた増尾さんが、記憶と戦いながら120分ほどで再構成した新しいレジュメを持ってやってきました。
議論した内容は、文中で繰り返し導き出される「文学とは何か」を考える二分法を徹底して読み解くこと。そして、文学を文学たらしめるのは、その文学自体の価値ではなく、時代によって変化する〈価値基準〉のなかで文学と決定づけられるのだということを理解しました。
横道に逸れたり、議論が止まった時、そっと手助けをしてくださった4年生に感謝です。

まだ文学について、批評理論について学び始めだったこともあり、議論中に何度も「後々勉強するから楽しみにね」と先生に言っていただくことが多かった今回。「視点」や「時間」などの物語構造における基本的要素を知った後、もっともっと私の見る世界は広がるのだろうな、と感じました。
知的好奇心を忘れず、次回以降も頑張ります!