2年ゼミ第5回「体は布で出来ている。」

こんにちは、第5回のブログを担当させていただく白井翔大です。

アップロードが遅くなり申し訳ございません。第5回の授業を行ったのは5月17日、自分がこのブログを書き始めるのが遅かったこともあり、もうすぐ6月です。1年あっという間ですね。

授業内容

1.前座:市川快さん

2.今後の予定の確認

3.ゼミ活動振興費の使い道について

4.リアクションペーパーに対する応答

5.レポートの構想発表:烏田琴子さん・斎藤陽香さん

6.批評理論の学習3:ロラン・バルト「作者の死」

1.前座:市川快さん

前座トークを担当してくださったのは市川さんでした。市川さんが語ってくれたのは、君島大空です。3分で多くの魅力を語ってくれました。語り足らなそうな部分からも市川さんの君島大空への愛が見えました。君島大空は音楽家なのですが、シュールレアリスムの影響を受けているようです。なんとシュールレアリスムは今回のロラン・バルト「作者の死」とも関係があります。前座と授業を結びつけてくるとは驚きました。君島大空は中性的な声で歌います。なぜ中性的な声で歌うのか、それは性の匂いを消すためであるようです。そのような声で歌われる歌は耳にスーッと入ってくるようにとても心地のよいものです。

2.今後の予定の確認

6月7日(火)は休講です。

代わりに7月2日(土)が補講となります。

3.ゼミ活動振興費の使い道について

春学期で1人2,500円まで、ゼミの内容に関する美術展・映画の入場料、書籍購入代金として使うことができます。

注意事項 

・2022年7月末日まで(春学期分)

・領収書(領収書がないと、返金できません)

4.リアクションペーパーに対する応答

第3回課題「レポートサンプルの評価」について多く触れました。皆さんのリアクションペーパーを確認したところ、入学したての1年の頃に比べてレポートの質が上がっていることを実感できたようです。一方で、改善点も見つかったようです。普段することのない「レポートサンプル評価」を通して新たな発見があり、とても良かったと思います。

5.レポートの構想発表:烏田琴子さん・斎藤陽香さん

烏田さんは坂本祐二が脚本担当したドラマ、坂本祐二という脚本家に興味があるようです。そんな烏田さんが選んだ論点は「坂本祐二作品の名台詞の必須条件とは?」です。今回最初のレポート構想発表だったのですが、いきなり素晴らしい論点をあげてきました。正直、ビビっています。「夢は必ず叶うわけじゃないし諦めなければ叶うわけじゃない。だけど夢見て損することになったぁって1つもなかったんじゃないかと思います」このセリフ好きです。仮説としては言葉の定義を考えていくようです。今後どのようなレポートになっていくのか楽しみです。

今回斎藤さんも発表予定でしたが、今回ではなく次回以降となりました。

6.批評理論の学習3:ロラン・バルト「作者の死」

最初に要点をお借りすると

それまでの考え方(近代)       バルトの考え方

作者                 仲介者

文学                 エクリチュール

作品                 テクスト

✖                  読者

授業では「作者の死」についてグループで話し合いをしたのですが、難しいため意見がまとまりにくかったです。しかし、それぞれのグループの意見を出し合うことで何となく言いたいことが掴めてきました。

まず、作者についてです。ロラン・バルトは、「作者」を近代に成立した概念だと考えます。近代では「個人」という概念が成立したこともあり、作品を生み出す個人として「作者」が成立します。このとき、物語の創造主として「作者=神」が成り立つと考えられました。しかし、これでは「作者」の意図が創作物に結びついてしまいます。このような考え方を捉え直すべく、ロラン・バルトは「エクリチュール」という概念を登場させます。エクリチュールはフランス語で「書くこと」や「書かれたもの」を意味します。エクリチュールは作者に紐づけられるものではありません。つまり、あるエクリチュールが生み出されたとしても、「起源」を特定できません。近代では「作者=神」という考え方のもと、作者が作品に時間的に先行します。一方で、エクリチュールは生み出す書き手と同時に存在します。そして、このエクリチュールという概念を用いるとき、「テクスト」が成り立ちます。テクストとは過去や同時代、さらに未来を含んだ他のテクストからの影響を受けた引用の織物です。近代では作者が創作した「作品」でしたが、ロラン・バルトがエクリチュールを用いたことで「テクスト」という概念ができました。テクストはあらゆるエクリチュールが集まったものです。あらゆるエクリチュールが集まるということは、それだけ複雑でもあります。そのようなエクリチュールが集まる場所、それが「読者」です。作者が死を迎えたとき、つまり作品と作者が切り離されたとき読者が誕生します。「作者」は絶対的な存在ではなく、「読者」がテクストを読み解く存在として重要な役割を任されています。

ちなみにシュールレアリストたちもロラン・バルトのように作者の意図から逃れようとしたようです。市川さんはあっぱれです。

少し話を変えます。アニメ映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』をみたことがありますか?長くなってしまうので今回はあらすじを割愛させていただきます。

物語の中で「ヒビオル」というキーワードが登場します。ヒビオルとは「イオルフ」とよばれる10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族が織るのことです。イオルフにとってヒビオルは、記録の役割も担っています。織り手は自分の思いや日々の出来事などをヒビオルに織り込んでいきます。それを読むことができるのはイオルフの一族のみです。このことから、ヒビオルをイオルフだけが読める日記と考える人もいますが、様々な解釈がなされています。

物語の中でイオルフである主人公マキアが盗賊に襲われ家族を失った赤ん坊エリアルを育てるのですが、なんとマキアはエリアルのことを「私のヒビオル」とよびます。ヒビオルは布であるはずです。しかし、マキアは人間に対してヒビオルという言葉を使ったのです。映画をみた当時このマキアの発言は謎ではありましたが、エリアルに愛情を注ぐということだと解釈していました。しかし、今回のテクストという概念を知ることで答えが出たような気がします。まず先生も仰っていたのですが、人もテクスト(織物)であるということです。あらゆる影響、エクリチュールを受けて、1人の人間は成り立ちます。このことからエリアル=ヒビオルとしてもよいのですが、ヒビオルがただの布ではないことも重要なのではないかと思います。ヒビオルはイオルフ自身の思いや日々の出来事が織り込まれている布です。つまり、マキアは自分の思いや日々の出来事(エリアルとの生活)をエリアルに織り込むのです。マキアは記録としてだけではなく母親としての思いを込めてエリアルを編むように育て上げていきます。これらのことから、やっぱり人間の体は布でできているのかなと思うと同時に愛情を注いでいることも間違いではないなと思いました。テクストであるため、あらゆる思いが編まれていると考えてもいいのかもしれません。自分で納得してしまっただけでマキアの「ヒビオル」は違うのかもしれませんが。

ただ、少しでも『さよならの朝に約束の花をかざろう』に興味が湧いたのならば是非ご覧ください。

以上が第5回の内容となります。

ここまでご覧頂きありがとうございました。

僕は誰かと言いますと

こんにちは、第4回のブログを書かせていただきます、伊藤聡哉です。アップが遅くなってしまい申し訳ありません。第1回の授業を欠席してしまったので、自己紹介をさせてください。
まず、名前は「さとや」と読みます。初見の方には「そうや」と読まれがちです。枝松くんなんかサークルも同じなんですが、訂正した後も1ヶ月くらい勘違いしていました。
出身、在住はともに神奈川県横浜市です。横浜と聞くと、みなとみらいエリアが思い浮かぶでしょうか。他の県にルーツを持つ方からはしばしば憧れに近い眼差しを向けられますが、僕の家からみなとみらいまでは電車で40分ほどかかるので、「我が横浜」という感覚はありません。なのでそれを向けられても上手く期待に応えられず困ってしまいます。去年からの悩みです。
好きなものは、音楽を中心に芸術作品全般です。好きが高じて作詞作曲をしています。実は、坪沼くんは高校の同級生で、その時からアイデアを出し合って作っています。このゼミの研究対象に起因する現象なのでしょうが、音楽や文学、映画などが好きな方が多く集まっているようで、驚きました。嬉しいです。それに、一般的な大学生は放り出してしまうような難しい話題に対して興味を持ち、積極的に考えることができ、更にそうして考えられたことが僕の頭に無いものということが多々あり、桃太郎について問いを立てる最初の授業から、驚きの連続です。嬉しいです。
自己紹介はここまでにします。不束者ですがよければ仲良くしてください。よろしくお願いします。では、第4回ゼミの授業内容に移ろうと思います。

1.前座:神津優士さん

Creepy Nutsの紹介でした。授業中のリアクションでもみなさんに触れられていたことですが、3分丁度の楽曲を利用して、3分間という決められた枠組みに収めるというのは、魅力を時間たっぷり伝えることができるし、アーティストがプロモーションしていることも伝わるし、素敵なアイデアだと思いました。彼らを知らない人でも興味を抱ける発表だと思います。

2.リアクションペーパーに対する応答

子供に問いを立てさせない日本の学校教育には、民衆を支配する権力の意図という政治的、歴史的背景があるのではないか、という、素晴らしく腑に落ちる考察がありました。このような教育は、当時青年と呼ばれたような人達の志やそれに基づく行動を伴って、初めて良い方向に機能するものなのではないかと思います。今後も教育方針を変えないのであれば、彼らのようなエネルギッシュな指導者が必要なはずです。しかし、世界でも高い水準の技術やGDPを誇る現在の日本には、当時のように欧米化への高いモチベーションを持つ人々はなかなか現れないと考えます。実際に、景気は悪化したままで、諸問題は解決されず、次々に総理大臣が入れ替わってきました。「偉い人に任せっきりだと自分が損をする」時代を我々は生きているのだと思います。よって、現代の日本においては、一人ひとりが問いを立てる教育はやはり必要な状況にあると考えます。

「昔話の形態学」における「物語の31の機能」について、それが現在の物語にも適用されるのか、懐疑的な人が多いようですね。確かに、それにあまり当てはまらない名作は多く存在すると思います。それらが現代の人々に受け入れられているのは、「物語の31の機能」に当てはまる物語を、「ありきたり」と評価できるほどに、多くの物語を知る環境に我々が身を置いているからではないかと考えます。それはインターネットやサブスクリプションの普及など、つい最近の技術革新によるものでしょう。つまり、プロップが生きた時代に比べ、この理論を擬似的に知っている人が多いということです。教授が仰っていた「理論を知ってしまったら最後」とは、知ることで物事の感じ方が変わってしまい、純粋に楽しめなくなるという意味かと思います。普遍的で心地良いと感じられるはずの物語が、今を生きているせいで、典型的で退屈に感じられてしまうのです。現代の物語にこの理論が適用されづらいと感じてしまうのは、このような背景があると考えます。

3.論述文の書き方の学習1.論述文とは何か

レポートサンプルの添削で、全部の班が同じ順位をつけたことに感心しました。評価項目が思ったより多く、教授も厳しく採点するようなので震えました。この世には自分が書く論述文に対して、好意的な人、懐疑的な人、読んでくれない人という3種類がいて、読んでくれない人を読ませることができるような書き物が望ましいという話は興味深いと思いました。確かに、先輩方が書いた論文の見出しを見た時、「読んでみたい」と思わせられました。これから後輩にそう思わせないといけない立場になるんだなと思い、震えました。今までは主に文字数のある文章を綺麗に書くことに対して不安がありましたが、今回の授業を受け、それだけの文字を連ねられるようなユニークで興味深いテーマを考えることに不安が移り、帰り道でまた震えました。

梅雨が近づいてまた寒くなってきました。みなさんは震えてしまわないように、薄手の上着を持ち歩くようにしてください。ここまでご覧頂きありがとうございました。