春学期第5回ゼミ

 寒暖差が激しい日々か続きますね。初めまして、最近干し野菜を作ろうと思い大根を干してみたら思ったよりも細くなったことに驚いた浦上です。「野菜がみずみずしい」という表現を身にしみて感じました。ちなみに私は花は生けてあるものよりもドライフラワーの方が好きです。私の家にある植物は基本逆さまで吊されてます。どうでもいいですね、では本題に入りましょう。

 
 今回は廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)の 性格描写、アイロニーそしてウラジミール・プロップ『昔話の形態学』について議論をしました。
 まずは性格描写についてです。登場人物にはそれぞれ性格がありますが、人間の性質を描く上での豊かさと多様性、心理的動作の深さなどでは小説に勝るものはないとのことです。特にイギリスでは、近代小説が生まれる前から「性格」に対する関心が顕著でした。ヴィクトリア朝後期の小説家トロロープ(1815-82)が小説においてはプロットよりも登場人物を優先すべきと主張したほどです。性格を重視するのはイギリス的特徴だと言えるのですが、ここで小説における日本的特徴とは何かという議論になりました。これを議論するには私たちの知識があまりないため深くできませんでしたが、日本の小説に心情吐露シーンが多くなったのは近代以降だそうです。近代以前の小説を読まない私には驚きの事実でした。
 次はアイロニーについてです。アイロニー簡単に言うとズレのことです。アイロニーには①言葉のアイロニーと②状況のアイロニーがあります。
①言葉のアイロニー:表面上の意味と違う意味を読み取らせようとする修辞法。隠喩や直喩とは異なり解釈を通して初めて理解される。
②状況のアイロニー:意図・予想された展開実際の展開との間に相違があることを指す。特に、ある状況についての事実に登場人物の認識が一致しておらず、そのことに観客が気づく場合を「劇的アイロニー」という。
皆さん、どうですか、わかりますか??
①ここで隠喩と直喩の違いはすぐにわかりますが、隠喩と言葉のアイロニーの違いは理解するのに少し時間がかかりました。たとえば、とあるカップルの会話で「君は僕の太陽だ」という表現が使われたとします。「君は僕の太陽だ」は隠喩ですよね。しかし、この表現が使われる前に、君(彼女)が他の男の人と二人で出かけたという事実を僕が知ったとします。僕が「おまえ、もう俺のこと好きじゃないんだな」と煮えたぎる怒りをこらえながら、彼女に「君は僕の太陽だ」と言った場合、これは言葉のアイロニーになります。この場合、他の男の人と出かけたのを知っているのにもかかわらず「君は僕の太陽だ」と言っているところにズレが生じます。このズレに気づくには、文脈を解釈する必要があります。
②言葉のアイロニーは言葉や文節にアイロニー性が潜んでいるのに対して、状況のアイロニーは出来事にアイロニー性が潜んでいます。授業では主に劇的アイロニーについて議論しました。劇的アイロニーとは簡単に言うと、小説を読んでいる読者がその状況に対して「えっ、そうじゃないよ!ちがうのに!」と突っ込んでしまいたくなることです。先ほどカップルの例を出しました。彼女が他の男の人とお出かけしたことを知った僕が、「おまえ、もう俺のこと好きじゃなくなったんだな」と思いながらも「君は僕の太陽だ」と彼女に言いましたね。しかしそれは、もうすぐ誕生日の彼氏に買うプレゼントを買うために、一番信頼できる男の人を買い物につきあわせたという状況だったとします。彼女は彼氏のことが好きで真剣にプレゼントを選びました。しかし彼は彼女はもう自分のことを好きでないと思っています。この状況の真実を知っているのは読者だけですね。
どうですか?理解していただけましたか??

次はウラジミール・プロップの『昔話の形態学』についてです。魔法昔話には31の機能があります。31の機能の前に昔話の機能のテーゼが4つあります。
【昔話の機能のテーゼ】
①昔話の恒常的な不変の要素となっているのは登場人物たちの機能。これらの機能が、どのような人物によって、どのような仕方によって実現されるかは関与性を持たない。これらの機能が、昔話の根本的な構成部分となる。
②魔法昔話に認められる機能の数は限られている。
③機能の継起順列は常に同じである。
④あらゆる魔法昔話が、その構造の点では単一の類型に属する。
これらのテーゼを基軸に魔法昔話の様々な筋を比較し登場人物たちの機能を析出していくことになります。
31の機能については割愛させてください。ここでどうして31の機能がすべての魔法昔話に当てはまるのだろうという疑問に、メンバーのひとりが昔は口で伝えていたから語るのに覚えやすい展開が31の機能なのではないかという意見が出ました。また現代の魔法物語の機能とは違うのだろうかという意見も出ました。
 小説において構造はとても重要です。私は構造を意識して小説を読んだことはあまりなかったので31の機能を習得して、他の小説と比較したりしていろいろな角度から分析していきたいと思いました。

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春学期第4回3年ゼミ

ブログでは初めまして、5期生の川田美沙と申します。
3年ゼミ第4回では引き続き『批判理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』より「5. 提示と叙述」「6. 時間」と、ジェラール・ジュネット著『物語のディスクール』より時間に関する章「2 持続」を取り扱いました。

今回も批評理論や用語の確認を中心に議論を進めていきました。
まずは提示と叙述について、前者は語り手が介入せずあるがまま示すこと、後者は語り手が出てきて読者に対して解説する形であるという違いがあります。
また、作品ではストーリーとプロットで出来事の順序を変えるアナクロニー=錯時法が用いられます。これは2つにわけられます。ひとつは出来事を語っている途中で過去の場面へ移行する後説法、もうひとつはまだ生じていない出来事を予知的に示す先説法です。
そして、物語内容における時間的持続と物語言説のそれとの関係によって、物語言説の速度は大きく4つに分けられます。ひとつめは省略法で、物語言説(ページ数など実際の空間的な量)は停止し物語内容(物語で経過したと語られる時間)のみが加速する、いわゆる「話が飛ぶ」ところです。ふたつめは休止法といい、先ほどとは反対に物語内容が停止し物語言説が加速する、描写に代表される部分です。3つめは情景法で、二つの持続の関係が等しい、台詞の部分にあたります。4つめは要約法といい、物語内容が物語言説よりも速く、主に叙述と呼ばれるものはこれにあたります。
これらのうち省略法には、時間的観点からみて省略された時間が明示される限定的省略法と、明示されない非限定的省略法に分けられます。また、形式の観点からみたとき、明示的省略法と暗示的省略法に分けることもできます。前者では省略した過去の時間そのものを指示する、もしくは省略の後に経過した時間を指示することになります。後者は存在そのものが明示的でないため、読者が時間的順序の中に何らかの欠落があるとか語りが中断しているという事実から、これを推測する必要があります。
ジュネットはプルーストの作品『失われた時』を具体例として持続について語っています。プルースト以前は情景法は物語の劇的な展開において用いられ、非劇的なものは要約法によって大きく要約されていました。しかし『失われた時』では情景法を非劇的な展開で用い、要約法を物語の最高潮にもってきたという点で注目に値する作品であると述べています。

とりわけこれまでの私たちの議論の中で、とある顕著な傾向があると指摘がありました。
批評理論を適用するときにありがちなこととして、ある作品における著者の意図やある作品から読者が読み取るであろう解釈を想定したうえで語りがちであること、つまり無意識に著者や読者といった何かに依拠してテクストを語ってしまう場合が多いのです。
私たちはこれを自覚し意識した上で、どちらの立場でもない視点(社会情勢や文化的背景など)で作品と向き合わなければなりません。これから各々で作品を考察し調査していく際に重要になる部分ですので、今後のゼミの議論でも上記のような姿勢を習慣づけていく必要があると感じました。

また、今回扱った『物語のディスクール』内の文章がかなり抽象的であったため、読解するのに大変苦労しました。互いに意見をぶつけ合い、途中かなり混乱してしまいましたが、先生の助言をもとになんとか理解までには至ったと思います…。批評理論について理解を深めるよい機会になったので、「わからない」をはっきりさせてわかるようになるまで議論することはとても大切ですね。今のうちに「わからない」を積極的に解きほぐしていきましょう!

ちなみに先週分の課題が残っていたのですが、授業時間内でそこまでたどり着けませんでした。やはりやり残しは授業の初めのほうでやるべきでした…。そして今回は休憩のタイミングも逃してしまい2コマ連続でした…。個人的に反省点も多かったので次回からは改善していきたいです。

3年ゼミ 第3回 『焦点化と語り』

はじめまして!この春より5期生として活動させていただく、山口明日香と申します。3年ゼミ春学期第3回目の活動は、前回に引き続き『批判理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』から「3.語り手」と「4.焦点化」について、またジェラ―ル・ジュネット著『物語のディスクール』(1972)から、同じ焦点化について分析した章 「焦点化」(pp.222-227)を抜粋し扱いました。

今回中心になった議題は
1.焦点化の種類とその判別
2.「焦点化」と「語り」の違い
3.作者/含意された作者/語り手 とは何か、その違いはどんな点か
4.物語の「深み」と焦点化という表現
でした。

物語を語るとき、その物語言説(=テクスト)の視点はどこから・誰の視点なのか(=何を焦点としているのか)には色々な種類があり、それによってバラエティに富む文章表現が可能になることが分かりました。さらに、しばしば混同されやすい、ある物語言説がどんな焦点化を用いているのかという点と、誰が語っているのかという点の理解について話し合いました。また、以下のような疑問・意見が出されました。

・語りに偏りがない、神様のような「全知の語り手」は本当に存在できるのか
・ジュネットの文学理論は全体として近代以降の小説に焦点を当てて作られており、それ以前の小説や物語にはこの枠組みや区別は当てはまらないものがあるのではないか
・どの焦点化を選ぶことが、物語言説にどのような印象を持たせるのか
・外的語り手と焦点化ゼロは一致すると考えてよいのか

今回からぐっと批評理論の理解が本格化し、議論が混迷する場面も見受けられましたが、様々な意見が途切れることなく提案され、活発な内容となったと思います。二回目ということでゼミ生それぞれの個性も段々と発揮されてきました。次回もより興味深い議論ができるように頑張りたいと思います!

4年ゼミ 第3回 『プロスペローの本』

こんばんは。今回も諸事情により大下ひとり回でした。内藤先生には「もう慣れましたか」と言われましたが、議論に慣れても寂しさだけは募る一方です。しょうがないですけどね。
さて、今回は大下推薦で『プロスペローの本』を視聴しました。独特の世界観を持つ作品、本橋さんの批判・尊重どちらもできる良文、私の気になる分野の勉強と三拍子そろった内容であり、これまた前回に引き続き深い学びのできる回でした。
しかし、今回ばかりは頭で理解することに精一杯でメモ取りが追いついておらず、要所要所で文字の抜け落ちた走り書きと格闘したために、支離滅裂な議事録になってしまいました。読めるかな???

ブログ第3回 『プロスペローの本』

応答責任の話は今後社会人になるにあたって、絶対頭に入れておきたいことだと感じました。世の中の誰もがこんな風に他者の発話に耳を傾けられるような人であれば、もっと皆が幸せになれると思うんですけどね。
また、キャリバンのわずかな行動をしっかりと捉え、脱構築的に解釈している部分は、読み砕いた後本当に感動しました!大下もこんな論文が書けるようになりたいと思います。

さて、次回は内藤先生直伝「論文の書き方」講座です。論文の書き方がいまいち理解できていない4期生。今回設定してくださったこの講座で、まともな論文が書けるようになりたいですね。一応昨年のプレゼミの時に使用した『考える技術書く技術』『勝つための論文の書き方』を読んでおきましょう。では!

春学期第2回 3年ゼミ

こんにちは。この春より5期生として活動させていただく、川上湧太郎と申します。3年ゼミ春学期第2回のブログ執筆を担当します!

第2回の講義内容についてですが

3限では、廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)の「冒頭」「ストーリーとプロット」について学習しました。4限では、本来テリー・イーグルトン『文学とは何かー現代批評理論への招待』を用いるはずでしたが、こちらは夏合宿へと持ち越しになったので、3限の内容の議論を継続して行いました。

1.「冒頭」について

『批評理論入門』によれば、物語の冒頭部分は、小説という虚構の世界に読者を引き込む為、現実性と信憑性が伴うように書く必要があるとのことでした。『フランケンシュタイン』の場合、物語の導入部分で手紙を利用し、非現実的な物語に現実性を持たせていると言えるかもしれません。以下、上記の内容に対する5期生4人から挙がった疑問点と意見を簡潔にまとめました。

・「何故冒頭部で手紙を使用したのか」ー(物語が著された当時の連絡手段だった)

・「小説における現実と信憑性とは何か」ー(共感できるもの、マンガとは違う、身近に感じるもの)

・「手紙以外に、物語に現実性と信憑性を持たせる手段は何か」ー(科学技術、日記、日誌、口伝、私達が普段から使っている道具※スマホなど)

2.「ストーリーとプロット」について

『批評理論入門』によれば、物語中の出来事をただ時系列順に並べたものがストーリー、出来事の因果関係を意識してその順番を入れ替えたものがプロットということでした。プロットには、読者にサスペンスを生じさせることが可能です。「何で?」という、読者側の不安感や恐怖がこのサスペンスに該当します。以下、上記の内容に対する5期生4人から挙がった疑問点と意見を簡潔にまとめました。

・「サスペンスとはそもそも何なのか」ー(好奇心とも言えるのでは、ミステリーとサスペンスは違う)

また、4限後半では、『桃太郎』をストーリーからプロットへ置き換えるという作業をやってみました。桃太郎の勝利後の語りから始まり、桃太郎が桃から生まれていた衝撃の事実の発覚で幕を閉じるという、奇妙な作品が完成しました。プロットの真髄を理解するのは、まだ先の話のようですね…。

ほぼ初回と言える今回でしたが、各々意見を出すことに熱中していました。進行役の自分が思わず聞き入り、口を閉ざしていることも…。精進いたします!

4年ゼミ 第2回 『耳に残るは君の歌声』

4年ゼミでは今年度『映画で入門 カルチュラル・スタディーズ』『film analysis』『film art』の3冊の中から、お互いの気になる章をピックアップして議論することにしました。初回の今日は『映画で入門 カルチュラル・スタディーズ』から、第9章『耳に残るは君の歌声』を取り上げました。発表担当は増尾でしたが、諸事情により早退、議論の内容は先生と大下のみとなっています。増尾、このブログでどうなったのかしかと見ておけよ。

ということで、相棒に説明することも兼ねたために案の定長くなったので、授業内容はPDF化いたしました。

第2回 『耳に残るは君の歌声』

今回の作品、オオシモ的には3年論文にした内容と重なる点が多く、非常に楽しかったです。また、ユダヤ系の人物が主人公の作品=悲劇で終わるというレッテルを貼っていた面もあり、放浪者であり近しい人々と全て離別してしまったけれど、主人公のフィゲレはしっかりと生きているという部分に、非常に救われました。その点において私はこの作品をバッドエンドではなくハッピーエンドに含まれると考えたいです。

カルチュラル・スタディーズは二項対立を打ち出しがちである、そのことに私は去年悩み続けました。批評理論の体系の中で大きく隆盛したあと、急激に栄華を失ったカルチュラル・スタディーズ。頭打ちになった後新たな解決策は出ていないという状況を卒業論文でなんとか打ち砕き、3年の私を大きく超えられるようになりたいなと思いました。

余談ですが、今年の私の目標が「書く力を向上させる」なので、ブログは毎回きちんと議事録として整理し、上げていきたいと思っています。頑張ります。(誓い)

(文:大下由佳)

プレゼミ合宿(2018.3.10,11)

こんにちは!
4月に入り、私たち4期生も4年生となりました。
実りある1年にするため全力で取り組んでいきます!!

さて、少し前にはなりますが、3月10-11日に5期生の歓迎も兼ねたプレゼミ合宿を行いました。
廃校になった小学校をリノベーションし、サテライトオフィスやカフェなどに活用している「シラハマ校舎」をお借りしました!

5期生の歓迎と言いましても楽しいことだけではすませないのがこのゼミ!
しっかりと講義も行います。
合宿には南房総市役所の皆さんをはじめ、多くの社会人の方にもご参加いただきました。

そしてなんと今回、4期生の大下と私、増尾が講師を務めさせていただきました……!

内容は「構造主義と脱構築主義」
先生に多大なるご心配をおかけしながらも、大下と2人授業準備をし、なんとか皆様の前で講義をするに至りました。

講義が終わったあとは懇親会!
白浜豆腐工房さんにデリバリーをお願いし、目にもお腹にも嬉しい食事をいただきながら皆様とたくさんのお話をさせていただきました。

初めて講師を務めさせていただき、先生という職業の大変さ凄さを改めて感じました。
自分の伝えたいことが伝わらないもどかしさや、自分自身がまだまだ理解しきれていなかったのだという気づきを得ることもでき、4年次への良いスタートがきれたのではないかと思います。ご参加くださった皆さん、本当にありがとうございました!

(文:増尾美来)