8期生ブログ第9回「水無月、8ヶ月前のそれは」

これは、8ヶ月前の上西の記録。

2限

結末

物語には2種類の結末があります。閉じられた終わりと、開かれた終わりです。

閉じられた終わりは、はっきりとした解決に至って終結する方法です。例としては、主人公が結婚して幸福な状態で締め括られる「ハッピーエンド」などが挙げられます。ハッピーエンドといえば、日本の伝説のバンド「はっぴいえんど」が思い浮かびます。このバンドの曲に「続はっぴ-いいえ-んど」という曲があります。この曲は、『はっぴ「いいえ」んど』という歌詞が繰り返されていくにつれだんだん声が小さくなり、最後にはいいえという歌詞が微かに聞こえて終わります。この曲のような場合であれば、ハッピーエンドではないといって締め括られているので、ギリギリ閉じられた終わりです。

さて本題に戻りまして、結末のもう一つの形態、開かれた終わりは、はっきりとした解決なしに終わり、結末について多様な解釈が可能な結末のことを言います。二通りの解釈があるような「二重の結末」や、結末が冒頭部へとつながり円環構造を持つ結末などのことです。

伝統的批評

伝統的な批評スタイルとして、道徳的批評、伝記的批評があります。道徳的批評はテクストからどんな教訓を得られるのか的な批評スタイル、伝記批評は作者の経験が反映されたものとして作品を批評するスタイルです。

透明な批評、不透明な批評

不透明な批評は、テクストを客体としてみてその形式上の仕組みをテクストの外側に立って分析する方法です。

透明な批評は作品世界と読者の世界の間の世界との間に仕切りが存在しないかのようにテクストの中に入り込んで論じるような方法です。

ここで批評と考察の違いを話し合いになりました。分析した後に実社会に対して何か新たな価値観を提示しているのであれば批評、分析が物語内にしか及ばず、読んだ後に「なるほど・・・で?」となってしまうようなものは考察であるとの結論に至りました。不透明な批評は批評として成り立ち易いが、透明な批評は考察にとどまってしまい、批評たり得ない可能性があります。アカデミックな文章を書くときは考察でなく批評となるように気をつけなくてはなりません。

4限

フロイトの「妄想と夢」を扱い、精神分析批評、夢分析を学びました。

このテクストは主人公の行動原理を夢の内容から考察したもので、精神科医であったフロイトが臨床の現場で確立した夢分析の理論を物語内の登場人物の夢に応用したものなので、典型的な透明な批評です。

フロイトは夢は抑圧された願望を充足する行為であり、その夢を分析することは、無意識を意識化するのに役に立つと考えていました。そして神経症の原因である無意識に抑圧された願望を夢を解釈し患者に意識化させることで、患者の神経症を治療していました。

そういえば千と千尋の神隠しの銭婆が、「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」といっていました。僕はこの言葉が好きです。意識上ではもう思い出せなくなってしまった僕にとってかけがえのない経験は、思い出せないからといってなくなってしまったのではなく、無意識ではしっかりと覚えていて大事に保存されているとおもっています。そしてそれらが今の僕を形作ってくれているとおもうのです。

2023年度問題分析ゼミナール入室要項

本ゼミへの入室を希望する学生は、情報コミュニケーション学部の事務室の指示に従い、以下の書類を提出してください。

1. レポート: 以下の内容について論じること。

1) 志望理由 2)ゼミで取り組みたいこと(対象・作品があれば,それも示すこと)。

書式:WordもしくはPDF、A4横書き、字数2,000字前後

2. エントリーシート: 以下のファイルをダウンロードし、必要事項を記入すること。

8期生第10回:読書とはテクストと読者の“ガチンコバトル”である。(齋藤)

えー、いま私は土下座をしています。え、見えないって? そうですよね、文字で書いてあるだけではわかりませんよね。

とにかく、私はいま土下座をしています。なんでかって、このブログが第10回のものだからです。ちなみに、第9回のゼミは6月23日、第11回は7月7日にありました。これが意味するところが何か、もうおわかりでしょう……。

ということで、私は土下座をし続けています。ついでに言うと、授業内容をなかなか思い出せなくて白目を剥いています。え、見えない? それはもう……心の目で見てください……。それが今回学習した「読者反応批評」というものです(※全然違う)。

あ、名前を申し上げ忘れていました。齋藤です。ブログ担当は2回目になります(雑)。

では、さっそく授業のおさらいに参りましょう!

ジャンル批評

「ジャンル」と言われるものは以下の2種類があり、今回は②をジャンルとして学びました。

①形式上のカテゴリーに基づくもの(小説/詩 など)

②テーマや背景など、内容上のカテゴリに基づくもの

トドロフ(ロラン・バルトの弟子)によると、「ジャンルとは、つねに他の隣接ジャンルとの差異によって定義されるものである」といいます。

ジャンル批評は、ゼミで題材にしている『フランケンシュタイン』でもできます。以下の通り。

1.ロマン主義文学

 自我や個人の体験、無限なるものや超自然的なものを重視する文学。啓蒙主義への反動として現れました。

 ロマン主義    ←→    写実主義

  超自然的           科学的

 個人を凌駕           個人

 <『フランケンシュタイン』におけるロマン主義的な要素>

 ・「老水夫行」や「ティンターン寺院」などロマン主義の発端ともいわれるような作品を引用

 ・題材やテーマそのものが恐怖や無限なるものの、超自然的なものと密接に関わる

 ・「若きウェルテルの悩み」を怪物が読んで主人公の苦悩に共感する日々。

2.ゴシック小説

 ロマン主義文学の中に位置づけられる小説。中世の異国を舞台に、超自然的な現象や陰惨な出来事が展開される恐怖小説を指します。

 <『フランケンシュタイン』におけるゴシック小説的な要素>

 ・作者の父ゴドウィンからの間テクスト性

 ・少年フランケンシュタインが中世の錬金術に魅せられること、スイスやドイツなど異国が舞台となっていること

 しかし、当時のゴシック小説の権威・オースティンは、『フランケンシュタイン』をゴシック小説として認めたものの、嫌悪感を示したといいます。理由は以下の通り。

・ゴシック小説には真実味に欠けた内容を仰々しく語るという特色がある。一方『フランケンシュタイン』はリアリスティックな描写における飾り気のない文体。

・伝統的なゴシック小説では超自然的要素が侵されないが、『フランケンシュタイン』では主人公が科学によって自然の神秘に乱入する。

3.リアリズム小説

 これは近代につれてできたジャンルです。人生を客観的に描写し、ものごとをあるがままの姿で捉えようとする芸術上の信条のこと。非現実的な描写や美化を避け、人生における日常的・即物的側面を写実的に描く、ロマン主義とは逆方向の文学となります。

 <『フランケンシュタイン』におけリアリズム小説的な要素>

 ・怪物が険しい山を楽に登る、超人的な速度で歩くなどの要素で、出来事に蓋然性を持たせる

 ・人造人間を造るという非現実的出来事に驚異的進歩を遂げた科学的発見がそれを可能にしたという設定を加えることで、リアリティを帯びさせる

 ・フランケンシュタインと家族との関係

④サイエンス・フィクション

 いわゆる「SF」です。空想上の科学技術に基づく物語のこと。また、サイエンス・フィクションには認知的・化学的なものの見方が不可欠とされています。『フランケンシュタイン』は最初の本格的なサイエンス・フィクションと言えるでしょう。

読者反応批評

次に、読者反応批評。教材に使ったのは、ヴォルフガング・イーザー『行為としての読書』です。

みんなで血反吐を吐く思いで読み解きました(死)。

・読者反応批評とは……

読者によって作品に対する反応の仕方が異なることに着目した批評方法。これは、読者がテクストに活発に関わる存在であることを前提としています。

伝達(読書)はテクスト構造と理解という行為の相互作用によって成り立ちます。

そして、理解という行為はテクストが完全にコントロールしているのではありません。「理解させるテクスト」と「理解する読者」、双方によって理解が成り立つということですね。

理解は作者と読者が想像力の“ゲーム”を分かち合うことです。つまり、読者はテクストをただ鵜呑みにしているのではなく、想像力を働かせて読んでいるということですね。

ここで、テクストがすべてを明らかにしすぎたりしなさすぎたりすると、読者は“ゲーム”から落ちてしまいます。しかしこれは、「読者の教養がないとテクストを読み解くことができない」という意味ではありません。

<視点の移動>

例えば紙の本は、ページを捲らないと読み終えることができません。テクストには、物理的にその全体を目で一度に把握することができないという特徴があるのです。

必然的に、読者は視点を移動させながら(ページをめくりながら)読み進めます。そのため見えない部分が出てくるという意味で、テクストは理解において超越性を持ちます。読者は見える範囲までしか捉えることができませんが、テクストの美的対象(=テクストを読んだときに立ち表れるイメージ)は総体を捉えます。

<読解の過程>

読者はテクストを単語(「あ」「い」)ではなく、ある程度、意味の塊として把握します。テクストが虚構(=物語!)である場合、読者の関心は文の相関体(=関わり合う文の前後の文脈)に置かれるため、その塊と知覚対象は同一視できません。……うーん、難しい。

例を挙げると、テクストに「眠る」と書かれていても、読者がすべて経験則の対象、つまり「睡眠」と理解するとは限らないということです。

虚構テクストでは、相関体が相互に入り組み、読者の領域で意味が満たされます。

同じ相関体において、個々の文が示す意味方向は、常に予覚(=次へ来る内容への予測)を含んでいます。個々の相関体は、その都度生み出す予覚を絶え間なく変化させ、読者に追いつかれまいとするのです。

このとき、読者がいる位置(ページのめくり具合など)は予覚(=次へ来る内容への予測)と保有(=過去のイメージ)の頂点になります。しかし、それはすぐに次の相関体の背景に回ってしまい、修正されることに。文の相関体はどこかが欠落しており、それに対して予覚がまた生み出されます。

つまり、文脈はどれも次にくる内容への予測を補足しており、同時に新しい内容の予測を生み出すことになります。

また、読者はテクストを読むときに視点を調節し、遠近法のレベルで見ていきます。

遠近法は絵を描くときに中心点をつけ、それにそって遠くの光景は小さく、手前は大きく見せるあれですね。中心点がずれると同じ線ではなくなってしまいます。視点が移動する中で、線が道のように立体になるのです。

まとめます(雑)。

読書過程において、読者の領域で期待は常に修正を加えられ、記憶は新たな変化を起こし、相互に作用しあいます。つまり、読書は予覚と保有との弁証法なのです。

(※弁証法=一つの物事を対立した二つの規定の統一としてとらえる方法)

『行為としての読書』では他にも難しい用語がたくさんでてきたのですが(死)、積み残しとなりました(死)。

ちなみに私はまだ土下座をし続けています。みなさんは積極的にテクストに関わる存在なので、反省している私の姿が見えますよね? ……はい、すみませんでした。

7期生徳村、突如として4年春学期のゼミを振り返る

こんにちは、7期生の徳村です。

久しぶりの登場となりましたが、突如として4年春学期のゼミを振り返ってみようと思います。

振り返り徳村。

と言っても今までの講義をひとつひとつ振り返っていくとかそういうことではなくて、今学期を通しての全体的な感想を述べるって感じです。激動の4年ゼミ前半を終えて、ここが一区切りですからね。

春学期を振り返ってみて、真っ先に思い浮かんだことは、「徳村、ひとりになっちゃったなぁ」でした。

春学期の中盤に差し掛かろうとするあたりで、私を含め2人いた7期生のうちの1人である村上さんがゼミを去ってしまうという出来事がありました。

詳しいことはここで書く必要がありませんが、平たく言うと「方向性の違い」でした。ですから、7期生を内藤先生を含めたスリーピースバンドと仮定した場合、ギターの村上さんが「自分のいちばんやりたい音楽をやりたい」と言ってバンドを脱退したことになりますね。

例えるなら『いきものがかり』みたいなものです。

いきものがかりは日本のスリーピースバンドで、代表曲に朝ドラの主題歌『ありがとう』やNHK全国学校合唱コンクールの課題曲『YELL』、さらには2012年ロンドンオリンピック・パラリンピック放送テーマソング『風が吹いている』などがあります。

代表曲からもわかるようにNHKとの繋がりが非常に強いバンドとして知られており、「NHK御用達バンド」と呼ばれたり呼ばれなかったりして音楽業界に不動の地位を築いたり築かなかったりしています(築いています)。

そんないきものがかりですが、2021年6月2日をもって、ギターを担当していた山下穂尊さんが脱退してしまいます。いきものがかり側の説明では、

「紆余(うよ)曲折の旅を続ける中で、音楽やグループに向ける気持ちが、山下と他の二人とで、少しずつ違うものになってきたことを感じていました」

とのことで、平たくいうとこれも「方向性の違い」なのでしょう。

ここでわかりやすくいきものがかりと7期生バンドと対応させてみると、山下穂尊さんが村上さん、もう1人のギターの水野良樹さんが徳村、そしてボーカルの吉岡聖恵さんが内藤先生ということになり、山下さん(村上さん)が方向性の違いにより脱退したということになります。

これで7期生といきものがかりの関係性が、非常に明快かつ豪快に整理されましたね。

まあ実のところを申し上げると脱退するにも色々とありました。神保町の喫茶店で7期生バンドの修羅場があったりもしまして、私は脂汗や冷や汗など、多種多様な汗ををかくことになりました。

結果的に、「絶対に内藤先生とのマンツーマンゼミだけは回避したい」という私の極めて個人的な願いゆえの奮闘むなしく、村上さんは7期生バンドを脱退してしまいました。

しかし、私の奮闘は私自身がそれに納得するためのものでもあり、また「人は互いにエゴを押しつけあいながら、対話によってバランスを保ちながら生きているのだ」という気付きをもたらすものでもあったのです。なので、何も無駄なことはなかったと思います。

1年とちょっとの間でしたが村上さんとのゼミは刺激的面白かったです。最後の最後まで私のわがままに付き合ってくれてありがとうございました。

そして村上さん脱退後の7期生4年ゼミには私と内藤先生の2人しか残っておらず、事実上のマンツーマンゼミになる危機が(危機が)ありました。

しかし、先生のご厚意により8期生の関口さんと佐藤さんが4年ゼミに参加してくださることとなり、結果的に元々よりメンバーが1人増えるという珍現象が起こりました。

この御二方には、正直なところ、感謝と尊敬しかありません。

このふたりが参加してからの第二期4年ゼミは、第一期4年ゼミと比較して非常にアグレッシブで、尚且つより深くより高くまで到達していく感覚がありました。

基本的には4年生である私のゼミなので、私が引っ張っていかなければならないはずなのですが、恥ずかしながら逆にふたりが私を引っ張っていってくれていたのが第二期4年ゼミでした。

たまにもう私の理解の及ばないところまで2人が到達しちゃってしまっていることもあり、脳みそを12000回転させながら必死に食らいついていたのが実際のところです。

私の役割といえばもう、先生を含めた3人の高度な考察や意見を自分でも理解できるように分かりやすく整理してまとめるくらいでした。

授業終盤でようやくそれが言語化できるようになるので「最後の砦は徳村」みたいな扱いを受けてましたが、普通にアレは理解に時間がかかっていて、終わりかけにギリギリ滑り込んでるだけなんです。

それでも、毎回の議論で矢継ぎ早に出てくるふたりの新鮮で視座の高い意見や知見に触れ、それをまとめて自分の意見を出すことで、それが大団円に繋がっていく感覚は爽快で楽しかったです。

毎回、前半は無言で後半にちょっと喋って美味しいところだけ持っていっている感覚は、もちろん私にもありましたよ!!!反省もしてます!!!

まぁ色々ありましたが、関口さんや佐藤さん、そして先生の協力あって、私は今、まずまず健康な状態で、特に失踪とかもなく、なんならちょっといい感じで春学期のゼミを終えることができています。1人だったら確実に失踪してます。断言します。

感謝感謝♪

その他内藤先生のご指導を受けている皆さんも、これから期末レポートとか合宿とかあることでしょう。大変ですけど、うだうだ言いながら頑張りましょう。私もうだうだ頑張ります。うだうだ暑いけど、うだうだ生きていきましょう。

それでは、うだうだお疲れ様でしたうだうだ😂😂😂👍👍👍

うだうだ☆とくちゃん

2022 2年ゼミ 第13回 「皆さん、大変ですよ!来週はレポート提出です。」

こんにちは!13回のブログを担当する宮澤です。

先日3回目のワクチン接種をしたんですが、副作用やばかったです(笑) 熱は出るし頭は痛いし。2日間くらいベットでゴロゴロしてました。

今回のブログの投稿が遅れたのも、、

ワクチンで寝込んでたせいです!多分。お許しください。(笑)

実は私、文章を書くのが苦手なうえにブログを書くのも初めてで、突っ込みどころ満載なブログだと思いますが、生暖かい目で見守ってくださいな。

では早速、13回目のゼミ内容を見ていきましょう~

1.レポート構想発表

次回は、いよいよ最終レポートの提出です!この構想発表では、最終レポートの骨組みを皆さんに発表してもらいます。今回は、伊藤さん・大原さん・枝松さんが担当でした。

・伊藤さん テーマ「機動戦士ガンダム」

伊藤さんの研究テーマは、機動戦士ガンダムなんですって!皆さん一度は耳にしたことがある有名な作品ですよね~。私は残念ながら見たことがなくて詳しいことはわからなかったんですが、伊藤さんの研究への熱量が伝わる良い発表だったと思います!

ガンダムって、ちょうど私の父世代がぶち当たっている作品みたいです。私の父親が大好きで(笑)だから、私と同世代の伊藤さんがガンダムに詳しいことを知って驚きました。私も父親と一緒に見てみようかな~なんて。

・大原さん テーマ「サカナクション」

大原さんは、サカナクションを研究テーマに取り上げます。以前、編集者に興味があると聞いたので、音楽関係のテーマを選ぶんだな~とちょっと驚きました。

特にサカナクションの歌詞に注目して分析を進めるようです。私は知らなかったんですが、サカナクションの曲は「夜」というコンセプトが深くかかわっているらしいです!大原さんは、この「夜」という言葉から作者山上一郎さんの世界観を探ろうとしています。とっても面白そうなテーマですよね!私も時々サカナクション聞きますが、微塵も知らなかったです、、

サカナクションのファンであり、文学的な知見に秀でている大原さんだからこそできる分析だと思いました。

・枝松さん テーマ「塩塚モエカ」

枝松さんは、羊文学のボーカル・ギターを務める塩塚モエカさんについて研究します。またしても、私の知らない人物が、、、全く知らない分野のお話だったので刺激的でした。自分の全く知らない分野のことを、みんなが教えてくれる所がこのゼミの良さでもありますよね~

枝松さん塩塚モエカさんの大ファンだそうで、この研究テーマを論文にしてやるぞ~っていう確固たる意志を感じました。伊藤さんも、大原さんも、枝松さんも皆さん自分の好きな分野を研究テーマにしていて素晴らしいと思います。私も含めて、お互いに頑張りましょう!

ん~、今回もとても良い発表ばかりでした!私もとても参考になりました。内藤まりこ先生が一貫しておっしゃっているのは、作品自体と向き合うことが大切だということです。レポートを書こうとすると、どうしても外側にベクトルが向きがちになってしまいます。そこをぐっとこらえて作品とじっくり向き合う、内側にベクトルを向けることでより面白い作品になるのかもしれませんな~

2.最終レポートの相談会

 いよいよ来週が最終レポートのお披露目です!今回はそれぞれグループに分かれて、最終レポートに向けて相談会をしました。私のグループでは、研究方法や研究の範囲についての悩みが多かったです。

 レポートテーマはそれぞれで、星新一さんや荻野直子さんの作品を分析する人もいました。星新一さんと言えば、最近NHKで「星新一の不思議な不思議な短編ドラマ」というドラマがやってますよね~。今まで、星新一さんの作品に触れたことはなかったんですけど、文学的な世にも奇妙な物語みたいでおもしろかったです。興味がある方は是非見てくださいね。

 レポートのアウトラインはみなさんしっかり出来上がっていました。来週の発表が楽しみです!私は最終レポートが終わらなくて半べそです(´;ω;`) 現実逃避でブログを書いているのですが、これが終わったら地獄と向き合わなければなりません(笑)

3.パラグラフライティング

 最後にパラグラフライティングについてさらっと見ていきましょう!

さらっとって言ったんですけど、実はこの内容ちょ~ちょ~ちょ~~大事です!!社会に出ると必ず必要になる能力なので、是非習得しましょうぜい。

 まず、みなさんはパラグラフって何だと思いますか?なんとなーく話題やテーマがまとまってる文章かなーと思ったそこのあなた!惜しい!けど違います。それは段落です。日本では段落ってよく使いますけど、適当に文章区切っても何となくオッケーって感じじゃないですか?

 しかーし!パラグラフには段落と違って明確に決まった基準があります。それは、

パラグラフ=「文章の最小単位」

です。これだけじゃまだわからないですよね(笑)もっと詳しく見ていきましょう。

 パラグラフは、トピック・センテンスとサブ・センテンスで構成されています。トピック・センテンスは一番言いたいことを簡単にまとめた文章のこと、サブ・センテンスはトピック・センテンスを支える説明や具体例、言い換えなどのことをさします。

例えば、お腹が減ったという主張をしたいとき、以下のようにパラグラフライティングをします。

私はお腹が減っている。(トピック・センテンス)なぜなら、朝から何も食べていないからだ。朝は寝坊して何も食べることができなかった。昼も課題が忙しくて何も食べることができなかった。つまり、お腹がペコペコなのだ。(サブ・センテンス)

このような感じで一番言いたいことを最初に書いて、後で理由だの具体例をうにゃうにゃ書いていきます。ここで、一番大切なことは「パラグラフの一番最初に、一番言いたいことを書くこと」です。ほんとこれだけ!これだけ覚えてください!

あとは、主張したいことをパラグラフごとに書いていけば、あっという間にレポートがかけちゃいます。パラグラフライティングをするときは、最初に言いたいことをアウトラインで書き出すというやり方がおすすめです。箇条書きで大丈夫です。下の例を見てみましょう。

・私はお腹が減った(トピック・センテンス)

・私はたくさん寝たい(トピック・センテンス)

・私は運動したい(トピック・センテンス)

アウトラインができたら、次にサブ・センテンスを肉付けしていきましょう。

・私はお腹が減った(トピック・センテンス)

 朝は寝坊して何も食べることができなかった。昼も課題が忙しくて何も食べることができなかった。つまり、お腹がペコペコなのだ。(サブ・センテンス)

・私はたくさん寝たい(トピック・センテンス)

 昨日から徹夜して寝ていないからだ。しかし、帰っても仕事をしなければならない。(サブ・センテンス)

・私は運動したい(トピック・センテンス)

 最近食べ過ぎている。そのため、体重が増えてしまった。だから、運動しなければならない。(サブ・センテンス)

こんな感じで、トピック・センテンスとサブ・センテンスを組み込んだパラグラフを作りましょう。例が分かりにくくてすみません。

何度も言いますが、一番大事なことは「パラグラフの最初に、一番言いたいことを書く」ということ。以上のことを意識して、パラグラフライティングのマスターになっちゃいましょうね!

これで、第13回のゼミ内容をすべて振り返ることができました~。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。そして、お疲れさまでした!私もお疲れさま!

では、私はこれから地獄の最終レポートを終わらせてきます!皆さんも色々あると思いますが、お互いにがんばりましょうね!ではまた~

 

8期生第6回「声・イメジャリー」

こんにちは。8期生の井上です。

とりあえず初めましてなので自己紹介します。好きなものはゲーム、アニメ、マンガで好きなことは適度な運動、食べること、そして寝ることです。特に寝ることについて、単純に気持ちいいだけでなく、嫌な一日をリセットする、いい夢を見る、体を休めて回復するなど多機能である点でとても好きです。ゲームは主に対戦ゲームが好きでYoutubeやTwitchで対戦ゲームをプレイしている方の配信をよく見ています。アニメやマンガはジャンプで掲載されたものを中心に少年マンガ系統が好きですが、日常系も好きです。

さて前座ですが今回はマンガ、「青のオーケストラ」を紹介していただきました。

優秀なクラシックをテーマにした学園モノ、青春モノで人間性の描写や演奏シーンの描写が魅力的なマンガですでに10巻出ていますがアプリで読めるとのことです。授業後に少し調べてみましたが面白そうだったので時間のある時に読んでみたいと思います。

それでは本題に入ります。まずは2限サブゼミの方から。

今回は、声・イメジャリーという概念について学習しました。

声とはテクスト総合から理解するテクストにはない描写のことで、例えば文字に直接個人の感情を書き起こしてはいないものの書いてある内容やその個人の行動から読み取れる感情といったものが挙げられます。

以上を踏まえて次にモノローグとポリフォニーについてです。

作者単一の視点と意識によって統一されている状態をモノローグ的と言いこれに対して多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれ独自性を持ったまま互いに衝突する状態をポリフォニー的と言います。

イメジャリー

イメジャリーとは事物から、それを見て、読んでイメージが喚起される作用のことで、作品によっては同じ事物について喚起されるイメージが異なることもあります。

イメジャリーにはたくさんの機能があって今回のゼミではこの機能を区別するのにとても時間を使いました。(主に私の理解に)

メタファー

象徴

アレゴリー

メトニミー

シネクドキ

以上が今回扱った機能になります。カタカナばっかりですね。一つ一つ見ていきます。

まずはメタファーです。これは聞いたことがある人も多いと思いますし私も聞いたことがあるので何となく理解できそうな気もしました。メタファーはあることを示すために別のものを示しそれらの間にある共通性を暗示する場合を指します。例えば白雪姫という単語について、白雪姫の肌の白さを示すために「白雪」という別の単語を示し「白」という共通性を暗示しています。

象徴は特に類似性のないものを示して連想されるものを暗示する場合を指します。月に母性とか女性などを暗示させるようなものです。

アレゴリーは具体的なものを通してある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせる場合を指していて、寓意とも呼ばれます。物語における「キツネ」といった具体的なものに「狡猾、ずるがしこい」などの抽象的な概念を持たせるといったことです。

メトニミーは換喩とも呼ばれ、暗示したいものをその具体的な一部のみによって示す場合を指します。具体的には「赤ずきん」という単語が「赤ずきんを被った少女」を連想させるような場合です。

シネクドキは上位概念によって下位概念を暗示させる、逆に下位概念によって上位概念を暗示させる場合を指します。例えば「花を見る」という言葉について通常桜を見ると解釈されることは「花」という上位概念が「桜」というその下の概念を示していると言えます。

個人的にここを理解するのがとても大変でした。2限で学習したのはこんなところだと思います。

次に4限の内容に入ります。

4限ではミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの詩学」を扱いました。とにかくバフチンのドストエフスキー愛が感じられる文章でした。ここではバフチンによってドストエフスキー作品について批評がなされており、冒頭ではドストエフスキーの小説についてカラマーゾフやラスコーリニコフといった人物の批評を取り上げたうえで彼らの主張をエンゲリガルドやグレーフェらの引用を用いながら否定し、そのうえでドストエフスキーの小説の登場人物が作者の手を離れ、作者に反旗を翻すことすらあるように自由に躍動していることを明らかにし、トルストイに見られるような従来のモノローグ的な世界とは違うポリフォニー的な世界を生み出しているとしました。

以上のことを確認したうえで今度は私達が残りの授業時間内という限られた時間で、浦島太郎をポリフォニーな物語に書き直すという取り組みに挑戦しました。登場人物を、桃太郎、亀、亀をいじめる子供たち、乙姫、鯛やヒラメ、おばあさんとし、浦島太郎が亀を助けるシーンと竜宮城内での宴会、そして浦島太郎が陸上に戻り玉手箱を開けてしまうシーンの3つの場面を抜き出して場面がつながるようにそれぞれの場面を二人ずつで担当してポリフォニックにしました。まずは登場人物が自由に動くためのキャラ設定を以下のようにしました。

浦島太郎

極度のマザコンかつ偽善者。自分の欲求にひたすら貪欲なクズ。

乙姫に良き伴侶を連れていきたかった従者。

子供

親無しの家無し。亀を今夜の晩御飯にするつもり。

乙姫

外の世界に出ず不思議な海底で永遠に楽しく過ごすことを望んでいる。変わらないことがこの世で最も美しいと考える。

タイ・ヒラメ

自分たちが神と仰ぐ乙姫と似た生き物(浦島太郎)の登場に不安定になっている。

おばあさん

帰還した浦島に出会い新手のオレオレ詐欺かと身構える。亡き夫の遺産で第2の人生をやり直すつもり。半世紀の間夫に献身してきたのでこれ以上搾取されたくない。

一人ずつキャラ設定のアイデアを出したのですが結果的に全体的にひねくれたキャラクターになってしまいました。

次にそれぞれの場面を次のように作り直しました。

亀を助けるシーン

浦島太郎は竜宮城や乙姫の存在をすでに知っていて、マッチポンプで彼女の玉の輿を狙うために子供にお金を渡して亀をいじめるように指示を出していた。亀を助けると亀は乙姫の婿にふさわしい人物を見つけたと喜ぶが、浦島太郎も思い通りになりほくそえんでいた。

また、お金をもらっていた子供はこれを元手にギャンブルで資金を増やそうとしていた。

宴会のシーン

いじめの一件の後亀に連れられた浦島太郎は竜宮城を訪れる。竜宮城では魚たちが自分たちにとって神としている乙姫とよく似た生き物が来たことに動揺し、良くないものとしてていたが乙姫に自分と同様に扱う(神扱い)ようになだめられていた。一方宴会の席で用意された食事に不満を持った浦島太郎は竜宮城内の魚を食べようとする。魚たちは浦島に反感を持つようになり、竜宮城内の空気感が浦島太郎に居心地の悪いものになる。居心地の悪くなった浦島太郎は帰ることを告げ、乙姫は亀を助けた浦島太郎に対して自分の価値観、つまり永遠に変わらないままでいることが何よりの価値であると思い、若さを保てる玉手箱を渡す。

玉手箱のシーン

陸に戻った浦島太郎はおばあさんと出会い時間が過ぎていたことを知って驚くとともに自分の生活について思案を巡らせる中でおばあさんの息子を騙りこのおばあさんから生活資金をだまし取ってやろうと画策する。一方で亡き夫に時間を搾取され続けたおばあさんも自分が騙されそうになっていることに気づいており浦島太郎を警戒するが、逆に騙し返してやろうと浦島太郎の話に乗り、話の流れで浦島太郎の持つ玉手箱を見て「自分へのお土産か何かか?」と話す。玉手箱を渡す流れになったが自分のものがとられるのが嫌な浦島太郎は一人で玉手箱をあけてしまう。

このように書き直してみた感想として、個人的にはいくら時間がなかったとはいえ、おばあさんの息子を騙るのは話の流れ的に難しそうだとか、浦島太郎の竜宮城の振る舞いをカメはどう感じたのかなど、あちこちにツッコミどころがあって、読んでいてすごく引っかかってしまう小説になってしまったと感じました。また、キャラクターを作者の手を離れて動かすということにもこだわりすぎていたのではないかと振り返って思いました。今回の経験を通してドストエフスキーのやっていたことの難しさを少しは実感することができました。

やっぱりドストエフスキーってすごいんだなあ。(小並感)

以上です。

2022年度2年ゼミ第9回「『ジェンダー・トラブル』とクイア・スタディーズと書き手の自分語りと」

篠原涼子が歌ってそうなタイトルだよね(?)

皆さんどうもこんにちは~

第9回のブログを担当する神津優士です。初見だと「なんて読むんだろう…」ってなりますよね。「こうづ ゆうし」って読みます。神津姓の方にも優士という名前の方にも今まで会ったことないので、いつか会えたらなぁと日々思っております。

最初に簡単な自己紹介させてください。

東京生まれ東京育ちの19歳です。あと1ヶ月もしないうちに20歳を迎えます。趣味はサッカー観戦です。週末になると、スタジアムに出向いたりテレビで観戦したりしてます。トッテナムとFC東京という2つのクラブを応援してるので、皆さんも良ければチェックしてみてください(急な宣伝)。今冬にはカタールW杯も控えているので今からワクワクが止まりません。音楽を聴くことも大好きです。特に、Creepy Nutsが好きでLiveにもしばしば足を運んでます。「かつて天才だった俺たちへ」という曲がかっこよすぎるので、是非皆さん聞いてみてください(急な宣伝Part 2)。あと、最近は『BLEACH』というジャンプから出てる漫画を読んでます。もう既に1周してるのですが、面白すぎて2周目も終えて、今は小説版と呼ばれるまた新たなストーリーを読んでいます。10月から最終章「千年決戦篇」がアニメ化するので、これもまた楽しみです。

とまあ、軽い自己紹介を済ませたところで今回のメインに入っていきましょう。

1.ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』について

今回は、授業中のプロジェクター不調もあって100分みっちり批評理論の学習。リアぺの返答やレポートの構想発表がない分、普段より濃厚で濃密な、例えるならお菓子のトッポに入ってるチョコくらいたっぷりと、批評理論について語り合いました。

そんな今回取り上げたのが、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブルーフェミニズムとアイデンティティの攪乱』です。昨今特に盛んに議論が繰り広げられているジェンダー研究。非常に論争的なテーマであり、かつ自分たちの生活に密着した問題を研究する非常に身近なテーマです。明治大学の情コミの授業でも「ジェンダー論」の授業がありますね(私も履修してます)。このように、今ホットな話題であるジェンダー研究において、パラダイムシフトをもたらした革新的な著作こそ、今回取り扱う『ジェンダー・トラブル』なのです。ではまず、著者ジュディス・バトラーについての紹介をしておきましょう。

ジュディス・バトラー

1956年生まれで、現在もなおご活躍中のアメリカ出身の哲学者です。比較文学研究者やジェンダー・クイア研究の理論家としても知られている方です。自身がレズビアンであることを公言していて、積極的にレズビアン・コミュニティでの活動を行っているそうです。

『ジェンダー・トラブル』

ここから、バトラーの『ジェンダー・トラブル』について具体的に話していこうと思います。先ほども記した通り、『ジェンダー・トラブル』はジェンダー研究のパラダイムシフトをもたらした革新的な作品と言われております。では、どのような点が革新的だったのでしょうか。それは、ジェンダー(社会的性差)とセックス(生物学的性差)の先後関係を脱構築した、と言う点です。脱構築と聞いて「おっ?」と思ったそこのあなた、素晴らしいです。今までの2年ゼミのブログをチェックしている方だと、なじみのある言葉かと思います。初めてこのブログを開いて、脱構築を知っていた方はめちゃくちゃ賢いです。脱構築とは、フランスの哲学者ジャック・デリダが唱えた読解方法であり、あるテクストから、その中心的思想とそれに対立するような思想の可能性(相矛盾する要素)を同時に取り出し、後者によって前者を、あるいはその思想総体そのものを相対化する方法です。簡単に言うと、AとBという二項対立があった時、Aの中にBの要素を見出してなし崩しにする、ということです。詳しくは第7回、第8回で取り上げているのでそちらのブログを参照してください。

そしてバトラーが取り上げた二項対立は、ジェンダーとセックスです。そもそも、フェミニズムという思想は比較的新しい思想なんです。フェミニズムという思想が出てくる前、すなわちフェミニズム以前の考え方では、身体的な特徴に基づく男女の差異(セックス)を社会における男女の役割や規範に応用するのが主流だったんです。

このような潮流に対し、そうした役割や規範は男女の性差とは関係なく、社会的に構築されるものだ!と主張されるようになりました。これこそが、フェミニズムの誕生です。フェミニズムの誕生と同時に、この主張によって掲げられたのが社会的性差「ジェンダー」です。フェミニズムの見解は、ジェンダーに先んじてセックスが存在した、というものでした。「男女」という動かしがたい絶対的な性差(セックス)を前提として、その上に文化的な性差(ジェンダー)があると唱えたわけです。しかし、ここでジェンダー研究は思わぬ壁に当たります。フェミニズムは、性差に影響されない男女平等の社会を目指しています。しかし、セックスを前提としてしまったことで、自らの手で性差を確かなものとしてしまったのです。言うなれば、墓穴を掘ってしまったわけですね。これによって、ジェンダー研究は行き詰ってしまいます。

しかし、ここで現れたのがバトラーです。バトラーは、セックスこそがジェンダー概念によって構成されている、と唱えました。我々が普段から考えている生物学的性差は何を根拠にしているのか?という問題提起を行ったのです。外性器か?染色体か?はたまたホルモンか?これら全てを根拠としたところで、これらもまた様々な科学的言説によって作り上げられた社会的構築物に過ぎないのではないか?このようにバトラーは主張したのです。実際問題、新生児の性別というのは医者が決めますが、外性器では区別が難しい新生児が多く生まれているようです。また、遺伝子で性別判断を行う場合にも、判断が難しい新生児がいるようで、バトラーの主張は的を射ていると思えます。この主張こそ、パラダイムシフトを引き起こした大きな要因だったんですね。

2.クイア・スタディーズについて

『ジェンダー・トラブル』から派生して、クイア・スタディーズについても学びました。

クイア・スタディーズの「クイア(Queer)」とは、日本語に訳すと「変態」や「オカマ」というような意味であり、非異性愛者を侮蔑する差別用語です。絶対に他人に言ってはいけない言葉遣いですね。英語圏では1990年代初頭を画期として「クイア」という言葉が運動・学問の領域で使用され始めました。80年代終わりまでは、非異性愛者をLGBTとしてカテゴリー化してきたのですが、そういったカテゴリーを集約する言葉として、また、細分化されたセクシュアリティの多様な差異を浮かび上がらせて思考を深化させるための概念として、当時の研究者たちは「クイア」という言葉を用いたのです。

ここでの「クイア」という言葉は、その人物のジェンダーやセクシュアリティなど、その人物の何らかの属性やアイデンティティを指し示すものではありません。また、ジェンダーやセクシュアリティの領域のみならず「社会規範から逸脱していること全て」において適用できる概念です。なので、そうした逸脱性をクイアとして受け止めるかどうか、そのように言い表すかどうかは当事者意識のもとで成り立ちます。要するに、何らかのマイノリティな一面を持っているとしたら、それはもうクイアと言える一面を持っているということです。そう考えると、ほとんどの人がクイアの要素を持っていると思えませんか?個人的な話になってしまうのですが、私は幼少期から鼻の粘膜が弱くてよく鼻血が出てしまう体質です。つい2週間ほど前にも鼻炎アレルギーが出て鼻血を頻発したので、耳鼻科に行ってきました。これは、紛れもなく「クイア」であるわけです。だけど、これを負い目を感じたり差別されたりといった経験はありません(人より面倒くせえ体質だとは思ってますが…)。人それぞれクイアな一面を持っていることを自覚することで、ジェンダーやセクシュアリティへの差別も減っていくのではないかなぁと感じました。

授業を振り返って

改めて、『ジェンダー・トラブル』そして「クイア・スタディーズ」を振り返って、今までの自分の中の固定概念が崩されて、また、新たな考えが構築されてとても良い貴重な授業だったなと感じました。特に、バトラーのセックスこそがジェンダー概念によって構成されているという主張にはハッとさせられました。ジェンダーとセックスについて議論をするときに、「でも、結局は人って外性器持ってるじゃん。」となりがちです。実際自分も同じようなことを言ってました。しかし、外性器で男女を判断するのはなぜだろうとは、考えたことがなかったです。ましてや、外性器が社会的な利害に寄与するために科学的言説によって作られた構築物である、なんて想像すらしたことがありませんでした。ですが、今回の授業で初めて考えてみた時、確かに疑問点が浮かび上がったんですよね。外性器や染色体で男女を区別するって誰が決めたんだろう、男女の区別に利用するための後付けに過ぎないんじゃないか、って。今回みたいに、当たり前のことを疑って新たな発見を見つけ出す、これがクリティカル・シンキングか!と身に染みて感じました。また1つ、賢くなった気がします。今回の授業を第一歩として、これからの大学生活で自分の考えをどんどんアップデートしていこうと感じました。皆さんも、ぜひ当たり前一度疑ってみて、自分の考えをアップデートしていきましょう!私にも、皆さんにも、まだまだ賢くなる余地があります。ここまで、長文読んでいただきありがとうございました。

ブログの最後は、好きなアーティストの好きな歌詞で締めますね。

俺らまだのびしろしかないわ(Creepy Nuts『のびしろ』より)

二年ゼミ 第8回「脱構築うんぬんをゆるく振り返るよ」

 こんにちは~。寺本です。

 タイトルの通り、今回は第8回にやったことをゆるく振り返ります。

 個人的に、ブログって頭空っぽにしても読めるのが良いところだと思っています。

 なんで、まあ、なるべく読みやすいようにふざけて書きたいんですが、如何せん、ブログなんて今までの人生で書いたことないので、あちらこちらすべっているところがあるかもしれません。

 しかし、すべるのがスキーです。すべろうともしない人はすべることすらできません。スキー場に行ってすべらないのは入場料が無駄です。もったいないです。

 ともかくお目汚しになるかもしれませんが、最後までよろしくお願いします。

1.リアぺの振り返り

 その前に授業方針の変更について。

 今までリアぺ紹介がゼミの大半を占めすぎて他にやりたかったことができないということで、少しリアぺ紹介の時間を減らすことになったそうです。

 確かに復習ばかりしていても前に進まなかったら本末転倒ですね。良い方針だと思います。

 で、そのリアぺについて具体的に振り返ろうと思ったのですが、書けません。

 どんな話してたか忘れました。

 ……前に進んでばかりしていても復習しなかったら本末転倒だということも身をもって分かりました。

 要はバランスが大事だということです。勉強になりましたね!

 ……今度からメモ取ります。すんませんでした。

 だから結論としては皆、多分良いこと書いてた気がします! 知らんけど

2.脱構築について

※前回の続きなので内容が被っているところがあるかもしれません。あらかじめご了承ください。

 授業を受ける前に「脱構築とやらはどんなもんなのか」と、課題文を読んでみました。

 自慢になりますが、僕は自分がそこそこ理解力のある方だと思っています。

 昔の文献だけれど、僕なら余裕でしょう。

 そんな心持ちでクラスウェブに載っているPDFをクリックしました。

 以下、ジャック・デリダ「グラマトロジーについて」冒頭を引用。

「一、文字言語の知識において輝ける者は、太陽の如くに輝くであろう。

 おおサマス(太陽神)よ。汝は国々が楔形の記号ででもあるかのように、国々の全体を汝の光によってつぶさに見ているのだ。

 ニ、これら三つの書き方は、国民として集まった人々を考察し得る三つの異なった状態にかなり正確に対応している。対象の描写〔絵画化〕は未開の民族に、語や命題の記号化は野蛮な民族に、アルファベットは開花された民族に、ふさわしいものである。

 三、アルファベット的文字言語〔アルファベット文字〕は、即かつ対自的に最も悟性的である。」

 ??????????

 デリダさん?????

 思春期真っ盛りの中学生の押入れにひっそりと隠してありそうな難しい文言が突如視界に表れました。

 1割も……どころか、1%も分かりません。

 初め、楔(くさび)が読めず、文字変換が出来ませんでした。(これは単に僕がバカなだけかも)

 いや、しかしここまではデリダさんではなくどうやらヘーゲルさんのお言葉のようです。

 それなら、ここからがデリダさんの言葉です。読みやすくなるかもしれません。

 僕は諦めずに最後までチャレンジしました。

 ……結局、最初から最後まで何言っているのか分からなかった僕は頭を抱えました。

 なんで僕はブログ決めの時に直感に任せて意気揚々とこの回に挙手をしたのだろうか…。

 後悔に苛まれながらも、前回、今回と脱構築の授業を受けました。

 結果、なんと内藤先生のありがたいご教授のおかげで理解することが出来ました! 7割くらい。

 先生の説明はとても丁寧で、全く問題なかったです。

 どうやら僕の理解力が単純になかったようです。申し訳ありませんでした。

 されど7割。

 野球選手で打率7割はぶっ壊れ性能です。なので振り返ります。

 ゆるく表現するなら脱構築とは「理論の矛盾を見つけて崩壊させること」だと思います。

 色々ありましたが、その中で「民族中心主義」の例を挙げます。

 民族学者のレヴィさんはブラジルの無文字社会を書記言語に支配されていない無垢な共同体だと言いました。つまり褒めたのです。

 一見これは、他国を肯定しているという点で良いことのように思えます。

 でも、少し引っかかりません?

 例えるなら、野菜の味が好きで食べているだけなのに「野菜食べてて偉いね」って言われているみたいな……。

 別にこっちは偉いと思って食べているわけではないのに勝手にそっちの価値観で決めつけられて褒められるみたいな感じ。これはブチ切れても仕方ないと思います。

 あ、因みにこの例えは自分がテキトーに考えただけで、決して実在の人物、団体とは関係ありませんので悪しからず。

 つまり、民族中心主義とは、「自分の育ってきた価値観、文化を基準にして他の文化を評価すること」なんですね。これにデリダさんは異を唱えたんです。

 無文字社会の例に戻りますと、音声言語から文字言語という時間的な発展に過ぎないものを全く文化の違うブラジルにも当てはめるレヴィさんを批判し、その考え方を脱構築したのです。

 こういうことです。……合ってるかな? 

 自信がありませんが、ともかく、脱構築はこのようにして実際に人々の意識に潜んでいる選民思想的な考えを否定しました。

 もちろんこれは数ある例のたった一つで、他にも間違った結論へ行こうとする人々の目を覚ませる良い理論だと思います。

 ただ、これを認めすぎてしまうと、あちらこちら陰謀論だらけになってしまう気がするので、やはり何事もバランスではないでしょうか? どうなんでしょう。

3.レポートの構想発表について

室田雛さん

 テーマは「月9からラブストーリーが減った理由」だったと思います。(間違えてたら僕は馬鹿です)

 月9とは「月曜日9時から始まるドラマ」のこと。

 昔はラブストーリーが多かったそうですが、最近は様々なジャンルのドラマが多いそうです。

 むしろ最近はそのジャンルの中にすらラブストーリーが不自然にないそうです。

 それは何故なのか……というのがテーマになります。

 当方、根暗なもんでドラマに関して全くもって知識がないので共感は出来ません。

 しかし逆にそれがゼミの面白いところで、自分の知らない世界のことを他のゼミ生がこうして発表して、知ることが出来る。色んな人の色んな考え方が分かる。とても良いことだと思います。

 それに、知らなかった僕でも気になる面白そうなテーマですしね。

 白川大翔さん

 テーマは「人が物語に感動する要素は何か?」だったと思います。(間違えてたら僕は大馬鹿です)

 これは物語が好きな人……つまり、ほぼ全人類が気になるテーマだと思います。

 しかし、だからこそ抽象性が高く、難しいと思います。

 例えば、文献の収集がたくさんある点でそもそも難しいことや収集したとしてもその論証も難しい。

 先生も授業でそこを指摘していました。僕もそう思いますし、実際そう彼に伝えました。

 けれど、少し考え直して、僕はやりたいならすべきだとも思いました。

 ここで妥協をして自分の興味ないことをテーマにするくらいなら、多少難しくてもチャレンジするべきだと思います。

 白川君、頑張ってください。

 4.論述分の書き方について

 確か時間がなくて授業内でほとんど触れられてなかった(と思う)ので割愛します。

 決してここまで書いてきてめんどくさくなったわけではありません。

 

 振り返りの振り返り

 今、ここまで読み直したのですが、長くね?

 明らかに他の人より倍ほど長いし、あと、すべってね?

 長くて面白くないってそれもう軽い地獄だけど大丈夫なの?

 自分ではもう分かりませんが……長さに関しては大は小を兼ねる理論で乗り切り、面白さに関してはスキーも一緒理論で論破していきましょう。

 まあブログ書くのも楽しかったんでよしとしましょう。そもそもそんなに読んでくれる人もいないだろうし。

 ほんと長いんで、もう終わります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8期生ブログ第7回「異化ゲーム」

ダジャレかよ……

そうです。ダジャレです。イカと異化をかけたダジャレです。

これを思いついたとき、「ふふっ……w」ってなりましたね。

皆さんもありません? 

おもしろいアイディアを思いついたとき、「ふふっ……w」てなること……。

あ、無い?? ならいいんです…。

申し遅れました。第7回ブログ担当の関口です。

まずは軽く自己紹介をしますね。好きなことは、読書、映画鑑賞、ランニング、食べることです。映画は2日に1本のペースで観てます。映画オタクですね。好きな監督は、ポール・トーマス・アンダーソン、エドワード・ヤン、クリストファー・ノーランです。

好きな作家は、太宰治、村上春樹、ヘルマン・ヘッセです。自意識過剰な主人公が好きなんです…。

走るのも好きです。週に2回、1時間ぐらい黙々と走ってます。確実に村上春樹から影響を受けてますね。恥ずかしい限りです。最近は走りながら、バンプ、宇多田ヒカル、GReeeen、を聴いてます。”ray”、ヤバいですね。“Automatic”、キュンキュンします。”僕らの物語”、マジで最高です。

内藤先生には2年ゼミからお世話になってます。内藤ゼミ2年目になります。でも、ブログ書くのは初めてなんです…。ゼミ生さんには驚かれましたね〜。「おまえブログやったことないんかい!!」とか、「え?? 2年目だよね??」って。2年目だからって、先輩風吹かしていられないですね〜。

それでは、グダグダな前置きはこれくらいにして、サッサと本題に入りましょう。

前座

担当は上西さんです。

松本大洋さんのマンガ、『ルーブルの猫』、『サニー』、『ピンポン』をご紹介いただきました。私が興味を持ったのは『ピンポン』です。なんでも本作は、嫉妬・挫折・敗北を描いたスポーツ・マンガだとか。いいですね〜。このドロドロとした感じ。某◯ャンプ系スポーツ・マンガには見られないものですね。友情・努力・勝利、クソ喰らえ!って感じですかね。

2限

『批評理論入門』の「反復」「異化」について学習しました。

担当は井上さんです。

反復

小説ではさまざまなものが反復されます。例えば、出来事、場面、筋、人物、言葉などです。『フランケンシュタイン』でも反復が見られます。

さらに、ゼミでは、「反復」そのものがテーマとなっている作品が挙げられていました。例えば、登場人物が無限ループにハマったり、あるいは、同じことを淡々と繰り返す作品です。以下がその作品です(異化とのダジャレではない)。

  ・涼宮ハルヒの憂鬱  エンドレスエイト (8を横にすると∞)

  ・シュタインズゲート

  ・うる星やつら

  ・恋はデジャヴ

  ・日常系アニメ

  ・らき☆すた

  ・スローターハウス5(「そういうものだ」が作中で100回以上言及される)

  ・クリーピーナッツ(こちらに関しては頭韻の例として挙げられました)

結構ありますね〜。ちなみに、このとき、すごい盛り上がりました。僕はすごいワクワクしましたね。なぜかって??「押し」について語っているゼミ生さんたちが、とても輝いて見えたからです。自分の好きなものを語るときの「熱意」は、しっかりと伝わってくるものなんですね。

さらには、ドゥルーズというフランスの哲学者の『差異と反復』ついても話し合いました。ですが、正直うろ覚えで、僕には説明ができそうにありません……(笑) 申し訳ありません……。とりあえず、板書だけ載せておきます……。

 

異化

異化とは普段見慣れた事物から、その日常性をはぎ取り新たな光を当てること(新鮮味を与える)。そのためにある要素や属性を強調し読者の注意をひき付けるように際立たせることを前景化という。(レジュメより抜粋)

つまり、「異化」とは、私たちが普段何気なく見ているものに対して、注意を向けさせることです。注意を向けさせるためには、「前景化」という方法が用いられます。「前景化」とは、大雑把に言うと、ある対象を強調することです。この言葉はもともと舞台用語だそうで、舞台の後ろにある物を前のほうに持ってくることです。

さらにゼミのなかでは、「前景化」があるのならば、「後景化」もあるのではないかという議論になりました。つまり、「後景化」とは、本来語られるべきことをあえて作中で語らないことによって、異化効果を発生させるというものです。これはなかなかおもしろい発想ですね。毎回こういう驚きと発見があるから、ゼミはおもしろいんですよね

 

4限

4限では、ヴィクトール・シクロフスキー『手法としての芸術』に取り組みました。

シクロフスキーは自説を展開するにあたって、ポテブニャーという言語学者にツッコミを入れています。

ポテブニャーは、「イメージは、移り変わる主語に対する一定不変の術語、すなわち近くの不安定な諸対象を一転に引き付ける一定不変の手段である」と述べました。要するに、目に見えるものは変わるけど、そこから生まれるイメージは不変だということです。それに対してシクロフスキーは、「それって逆じゃね?」とツッコミ入れました。つまり、目に見えるものは変わらないけど、そこから生まれるイメージは変化していくものだということです。そして、シクロフスキーは、異化効果を備えた作品こそが素晴らしいと述べていました。

続いて、「異化」の具体例について話し合いました。 まず例に出されたのが、「詩」です。

例として、萩原朔太郎の『竹』という詩が挙げられていました。この詩の中では、竹という言葉が何度も繰り返されます。これによって、「そもそも竹ってなんだっけ??」と読者に疑問を抱かせることができます。これこそ「異化」です。この詩は、私たちが普段何気なく使っている「竹」という言葉を「前景化」し、「竹」に対する私たちの認識を滞らせているのです。

 「異化」のその他の例としては以下のものが挙げられました。

  ・言文一致体

  ・止まっているエスカレーター

  ・スポーツ 

  ・書道

  ・21世紀美術館のプール

書道の例には唸りましたね…! 私たちは幾度も文字を書いているはずなのに、いざ綺麗に書こうと思ったら、途端に考え込んでしまう。これこそまさに「異化」ですね。

以上が第7回ゼミの概要になります。あと、4限の板書も載せておきますね。

イギリス土産

内藤先生からイギリスのお土産をいただきました!

なんと『フランケンシュタイン』のペーパーブックです!

しかも、6種類の『フランケンシュタイン』をいただきました! これらはすべて装丁が異なっていて、ゼミ生さんそれぞれが違うバージョンの『フランケンシュタイン』になってます。ちなみに僕のは下のものです。

装丁も然ることながら、挿絵がとにかく素晴らしいんです……! 

読んでてワクワクが止まりません!しかも、スティーブン・キングの序文がついてる……! 少しずつ丁寧にじっくりと読んでいきたいと思います!

内藤先生、とても素敵なお土産をどうもありがとうございました!

2022年度 2年ゼミ 第七回『ジャック・デリダと脱構築』

こんにちは!第七回のブログを担当する井出楓子です。よろしくお願いします。ブログの更新にだいぶ期間が空いてしまい申し訳ありません。というのも実は私、ブログにログインするためのパスワードを読み間違えていて、永遠に投稿画面にたどり着けずにいました。それも「小文字のlと大文字のIを読み間違える」というあまりにもベタすぎる間違いでして、大変お恥ずかしい限りです。

1.前座 枝松空さん

 今回枝松さんが前座で紹介してくれたのは、グッナイ小形さんという、高円寺歴七年目のミュージシャンの方。いくつかあったアピールポイントの中でも、特に印象的だったのは、彼と彼の音楽が、高円寺という街のコミュニティと共にあるということ。路上ライブの後には、小形さん御本人と観客で飲みに行くこともあるのだとか。枝松さんもその一人らしいです。とても素敵で不思議な関係性だなと思いました。これから小形さんがもっと有名になって、その人気が高円寺の街には収まりきらなくなった時、少し寂しいけれど、きっと高円寺のファンの方々は喜んでくれるんだろうな~とか、勝手に想像してうるっときちゃいました。まったくの部外者がすみません。

曲は、昭和っぽく、男臭い、渋~い雰囲気がある一方で、まるで曲そのものが邦画のような感じもして、私の語彙ではうまく言えないんですけど、とにかく素敵でした。プレイリストに入れました。

2.リアクションペーパーに対する応答

皆さん素敵なリアぺを書いていらっしゃったんですが、このブログでは省略させていただきます。もうグラスの中のロイヤルミルクティの残量が多くはないので。(カフェで書いている人)

3.レポートの構想発表

 宮沢美月さん

 テーマは「ジブリ作品と作中でキスが果たす役割」。完全に記憶頼りなので、少し間違っているかもしれないですが…。すごく面白そうなテーマだなと思いました。考察として、キスを呪いと仮定したり、ジブリ作品の女性は魔女説だとか、普通じゃなかなか思いつかないような視点でジブリ作品を捉えていてすごく興味深かったです。

 白井翔太さん

 テーマは、『ブルーピリオド』と『さよならの朝に約束の花をかざろう』の二つでまだ迷っているらしく、でもどちらも本人の好きな作品だとのこと。愛があるからきっと面白い論文になるのではないかと楽しみにしています。

4.批判理論の学習:ジャック・デリダ「脱構築」

 ジャック・デリダは、アルジェリア出身のフランスの哲学者です。

 そして彼が生み出した脱構築とは、「その中心的思想とそれと対立するような思想の可能性を同時に取り出し、後者によって前者を、あるいは思想そのものを相対化する方法」です。この説明は、先生のレジュメからお借りしました。う~ん!この時点で難しい!一回寝ようかな!いや、もう少しだけ。

 私は割と最後のほうまで、脱構築とはなにかが理解できませんでした。そんな私が授業内で勘違いしていたのは、脱構築の目的です。私は「既存の優劣をひっくり返すこと」が目的だと思っていました。音声中心主義批判を例に挙げると、「パロール(音声)が上位の存在!エクリチュール(文字)は下!」という既存の考えをひっくり返して、「エクリチュール(文字)が上位の存在!パロールは下!」にすれば、それが脱構築なのだと。しかしそうではなく、「既存の枠組みを解体して、対立関係を崩していくこと」、それが脱構築ではないかと、最終的には理解しました。実際、あっているかはわからないけれど、自分の中ではすっきりしました。同じところで引っかかっているひとに伝わればいいなあ。

無事に!グラスのミルクティを飲み終わる前にブログを書き終えました。途中、リアぺの返答の章を省略したあたりでぽろっと話したかと思うんですけど、課題はカフェでやる派です。別にお洒落ぶっているわけではありません。スタバでブラックコーヒー片手にTOEICの勉強をしているような、素敵ガールにはなれません。甘党ですし。私の場合はもっと切実なもので、「追い込まれないと課題が進まない」人だからです。図書館でもなく、わざわざカフェを選ぶのは、「お金を払っているうえに、飲食店に長居したら迷惑」というストレスで、自分を追い詰めたいという変な動機からきています。なのでたまに知らない駅の人通りの多いベンチで課題をやるときもあります。早く帰りたすぎて、課題はあっという間に終わります。ちょっとおすすめです。最後は雑談になってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。