9期生第9回「実は私たちの選択って不自由なのでは」

第9回のブログを担当します9期生の高山です!

11月30日は、ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』とディディエ・エリボンの自伝『ランスへの帰郷』を扱いました。

『ディスタンクシオン』も『ランスへの帰郷』もとにかく長かったです…

普段ゼミで扱う文章はPDF10~15ページ分くらい、多くても20ページ前後なのですが、
なんと『ディスタンクシオン』は1章だけで71ページもありまして…
紙派なのでいつもはPDFを印刷して書き込みながら読んでいるのですが、さすがに印刷を諦めました。
レジュメ担当の高橋さんの苦労は相当だったと思います、お疲れ様です、、

そもそもの文章が長い分ブログも長くなってしまいそうなので、さっそく本編に参りましょう!



ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』

まず用語の説明をしておきます。

・ディスタンクシオン:卓越性
・文化資本:各人が身に着けたあらゆる文化(教養、学歴、文化財、好きなモノ、美的センスなど)を「資本」として捉えたもの。個人に投資され、所有される。
・ハビトゥス:人生において選択や価値判断を行う際に作用する「心理的な傾向性」のこと。社会的・歴史的に構築されるものであって、個人のパーソナリティは関係ない。


さて、前述の通り『ディスタンクシオン』はかなり長いのですが、筆者の主張は割とシンプルです。それは、
「人間の行動・好みはどれも社会によって決定された必然的なものである」
ということです。

正直、1章の内容自体はこれに尽きるのですが、さすがにこれだけで終わらせるのはちょっと…と思うのでもう少し説明していこうと思います。


ブルデューは、「趣味の世界では学歴水準と社会階級に対応して主に3つの趣味世界に分けられる」と主張し、社会階層別の趣味嗜好の傾向の例を挙げています。

ブルデューはフランスの人なので、『ディスタンクシオン』で挙げられている例はあまり身近でないものもあるのですが、一つ共感できたものを紹介します。

正統的趣味支配階級学歴資本高いバッハ『平均律クラヴィーア』
中間的趣味中間階級学歴資本普通ガーシュウィン『ラプソディー・イン・ブルー』
大衆的趣味庶民階級学歴資本低いヨハン・シュトラウス2世『美しく青きドナウ』

どこに共感できたのかというと、『美しく青きドナウ』が大衆的趣味という部分です。

私が通っていた中高ではクラス対抗の合唱コンクールがあったのですが、その曲決めの際に、先生から『美しく青きドナウ』をおすすめされたものの、(ドナウはちょっとダサくない…?笑)みたいな雰囲気があり、結局ドナウが選ばれることはありませんでした。

(ここまで書いてふと思い出したのですが、同じドナウでも『ドナウ川のさざなみ』の方だったかもしれません、なんなら『モルダウ』かもしれない気もしてきました、どれも川の流れがテーマなので…)


…とまぁ、つまりは階級と学歴資本が高いほど正統的趣味を持っており、階級と学歴資本が低いほど大衆的趣味を持っている ということが明らかになったわけですが、

『美しく青きドナウ』に注目してみると、中間階級である小学校教員や文化媒介者の支持率が、支配階級の大商人や自由業の支持率より低いという結果でした。

傾向をそのまま当てはめれば、中間階級の支持率の方が支配階級の支持率より高くなるはずです。

そうなっていないということは、趣味の傾向には階級だけでなく学歴資本が関係している、つまりハビトゥスを形成する要素は一つではないということが言えます。

なぜ学歴資本が趣味の傾向に関係するかというと、ブルデュー曰く「学校教育には一般教養を獲得する「姿勢」を身に着けさせる役割がある」からだそうです。


じゃあ正統的趣味と大衆的趣味はどう分けられるのか?というところが気になるのではないかと思います。

それについてブルデューは「その芸術が形式的かどうか」が基準となると言っています。

作品を抽象化し、その形式を認知して評価できるかどうかが、正統的趣味を持てるかどうか、美的センスがあるかどうかを決めるものとなっているらしいです。


ここまで階級による趣味がどうのこうのという話をしてきましたが、そもそも趣味って何?というところで、ブルデューは「趣味は自分自身を正当化する道具であり、自己表現の一つ。ある文化を評価するとき、別の文化を否定していることは否めない」と言っています。

つまり、私たちは自分の好きなものを主張すると同時に自分のハビトゥスの優位性を誇示する卓越化の闘争をやっているのです。

ちょうどこのゼミの回の前日か当日が、Spotifyの「今年聞いた曲ランキング」がシェアできるようになった日で、インスタのストーリーに挙げている人がたくさんいたので、それこそ「私はこんなに良い曲を聞いてますよ~!」という卓越化じゃん!という話になりました。タイムリーすぎて面白かったです。


少し話は逸れますが、この「何かを“好き”ということ自体が他と比較することになっている」というような話を星野源さんがラジオで言っていたなぁと思い、ネットサーフィン力を駆使してその回の文字起こしを見つけたのですが、

なんと星野源さんがNHK『100分de名著』の『ディスタンクシオン』回を見た上での感想の流れでその話をしていたらしく。私の記憶には全くその情報がなかったので衝撃でした、まさかゼミで扱うより前に星野源ANNで『ディスタンクシオン』の内容をかいつまんで知っていたとは…

文字起こしは公式ではないのでここにリンクを貼ったりはしませんが、「星野源 ディスタンクシオン」とかで検索すれば出て来るので興味のある方はよかったら。


話を戻します。

ここまでブルデューはしきりに「私たちの好みや行動は社会に決定されている」と主張してきましたが、そんなことを主張しても誰も幸せにならないじゃないか、ブルデューはなぜこんなことをしたのか?と疑問に思うのではないでしょうか。


それについて、2つメリットが考えられます。

一つ目は、他者を正しく理解できるようになること。
各々がハビトゥスによって判断を下しているということは、他者がどんなハビトゥスを持っているのかを知ろうとすることが相手を理解することにつながるのではないか ということです。

二つ目は、自分自身を正しく知ることができること。
ブルデューの主張によって、私たちが「自由」な選択だと思っていたものはすべて「不自由」なものであったことが証明されてしまったわけですが、一方でブルデューの言葉には「重力の法則は飛ぶことを可能にする」というものもあります。

つまり、私たちを縛る「法則」「不自由さ」を知ることで初めて、「自由」を知ることができるということです。



ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』

では、『ディスタンクシオン』を踏まえて『ランスへの帰郷』はどのような作品と言えるのでしょうか。

まず概要を紹介します。
『ランスへの帰郷』は、ディディエ・エリボンの自伝です。貧困家庭で生まれたエリボンは、パリの大学に進学し知識人と交流を深めていくうちに下層出身であることを恥じるようになり、家族と距離を置いていました。しかし、父の死をきっかけに帰郷することになり、エリボンが旅の中でいかに家族や自分自身と向き合っていったのかが書かれた作品です。


平たく読めば『ランスへの帰郷』は『ディスタンクシオン』の実践本のように見えるのですが、もう少し深く読み解いてみましょう。

エリボンはずっと自分の階級について考えることを避けていました。しかし、父の死を契機に自分の階級について考えることで、自分の過去を取り戻した、つまり自己を発見したと言えます。また、それは同時に自分の家族の発見でもありました。

ここで本文のラストを引用します。

「現在、私は大学教授だ。大学のポストが提供されたことを母に知らせると、彼女は感激して私に尋ねた。
 それで、何の教授になるんだい?哲学なの?
 というか、社会学だよ。
 何のこと?社会についての学問なのかい?」

ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』みすず書房、2020年5月1日、pp.236-23

この親子の会話には、同じ階級でも学歴資本を手にしたエリボンと手にしていない母との間に壁があることが表れています。しかし、その壁は個人的なものではなく、社会によるものだとエリボンは旅を通して納得できるようになったのです。

つまり、『ランスへの帰郷』はエリボンが社会による「不自由さ」を知ることで、「自由」と「安心」を手に入れ、自己と家族の新しい関係を発見できた過程を描いた作品と結論付けられます。


以上です!

要約能力が低いので長くなってしまいましたが、『ディスタンクシオン』の内容には共感できる人も多いのではないでしょうか?
実際、インスタなどの投稿を見ると卓越化を感じるという声は多く上がり、SNSやメディアの発達によって卓越化がかなり見えやすくなっているよね という話を議論の中でしました。何かを好きである以上卓越化は避けられないので、なかなか難しいものではありますが。


最後に、宮澤さんが猫ちゃんの写真を載せていて、私もうちの猫かわいい自慢したい!と思ったので写真を載せようかと思ったのですが、動画ばかりで良い感じの写真がなかったのでやめておきます。

ちなみにうちの猫は最近5歳にして初めて毛布をふみふみしまして…!!
超かわいかったのですが、その動画を撮影したのが祖母でスマホの扱いに慣れていないためピントが全く合っておらず。しかもその1回きりしかふみふみしていないので、またふみふみしているところを見たいなぁというのが最近の願いです。

お読みいただきありがとうございました~!

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