篠原涼子が歌ってそうなタイトルだよね(?)
皆さんどうもこんにちは~
第9回のブログを担当する神津優士です。初見だと「なんて読むんだろう…」ってなりますよね。「こうづ ゆうし」って読みます。神津姓の方にも優士という名前の方にも今まで会ったことないので、いつか会えたらなぁと日々思っております。
最初に簡単な自己紹介させてください。
東京生まれ東京育ちの19歳です。あと1ヶ月もしないうちに20歳を迎えます。趣味はサッカー観戦です。週末になると、スタジアムに出向いたりテレビで観戦したりしてます。トッテナムとFC東京という2つのクラブを応援してるので、皆さんも良ければチェックしてみてください(急な宣伝)。今冬にはカタールW杯も控えているので今からワクワクが止まりません。音楽を聴くことも大好きです。特に、Creepy Nutsが好きでLiveにもしばしば足を運んでます。「かつて天才だった俺たちへ」という曲がかっこよすぎるので、是非皆さん聞いてみてください(急な宣伝Part 2)。あと、最近は『BLEACH』というジャンプから出てる漫画を読んでます。もう既に1周してるのですが、面白すぎて2周目も終えて、今は小説版と呼ばれるまた新たなストーリーを読んでいます。10月から最終章「千年決戦篇」がアニメ化するので、これもまた楽しみです。
とまあ、軽い自己紹介を済ませたところで今回のメインに入っていきましょう。
1.ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』について
今回は、授業中のプロジェクター不調もあって100分みっちり批評理論の学習。リアぺの返答やレポートの構想発表がない分、普段より濃厚で濃密な、例えるならお菓子のトッポに入ってるチョコくらいたっぷりと、批評理論について語り合いました。
そんな今回取り上げたのが、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブルーフェミニズムとアイデンティティの攪乱』です。昨今特に盛んに議論が繰り広げられているジェンダー研究。非常に論争的なテーマであり、かつ自分たちの生活に密着した問題を研究する非常に身近なテーマです。明治大学の情コミの授業でも「ジェンダー論」の授業がありますね(私も履修してます)。このように、今ホットな話題であるジェンダー研究において、パラダイムシフトをもたらした革新的な著作こそ、今回取り扱う『ジェンダー・トラブル』なのです。ではまず、著者ジュディス・バトラーについての紹介をしておきましょう。
ジュディス・バトラー

1956年生まれで、現在もなおご活躍中のアメリカ出身の哲学者です。比較文学研究者やジェンダー・クイア研究の理論家としても知られている方です。自身がレズビアンであることを公言していて、積極的にレズビアン・コミュニティでの活動を行っているそうです。
『ジェンダー・トラブル』
ここから、バトラーの『ジェンダー・トラブル』について具体的に話していこうと思います。先ほども記した通り、『ジェンダー・トラブル』はジェンダー研究のパラダイムシフトをもたらした革新的な作品と言われております。では、どのような点が革新的だったのでしょうか。それは、ジェンダー(社会的性差)とセックス(生物学的性差)の先後関係を脱構築した、と言う点です。脱構築と聞いて「おっ?」と思ったそこのあなた、素晴らしいです。今までの2年ゼミのブログをチェックしている方だと、なじみのある言葉かと思います。初めてこのブログを開いて、脱構築を知っていた方はめちゃくちゃ賢いです。脱構築とは、フランスの哲学者ジャック・デリダが唱えた読解方法であり、あるテクストから、その中心的思想とそれに対立するような思想の可能性(相矛盾する要素)を同時に取り出し、後者によって前者を、あるいはその思想総体そのものを相対化する方法です。簡単に言うと、AとBという二項対立があった時、Aの中にBの要素を見出してなし崩しにする、ということです。詳しくは第7回、第8回で取り上げているのでそちらのブログを参照してください。
そしてバトラーが取り上げた二項対立は、ジェンダーとセックスです。そもそも、フェミニズムという思想は比較的新しい思想なんです。フェミニズムという思想が出てくる前、すなわちフェミニズム以前の考え方では、身体的な特徴に基づく男女の差異(セックス)を社会における男女の役割や規範に応用するのが主流だったんです。
このような潮流に対し、そうした役割や規範は男女の性差とは関係なく、社会的に構築されるものだ!と主張されるようになりました。これこそが、フェミニズムの誕生です。フェミニズムの誕生と同時に、この主張によって掲げられたのが社会的性差「ジェンダー」です。フェミニズムの見解は、ジェンダーに先んじてセックスが存在した、というものでした。「男女」という動かしがたい絶対的な性差(セックス)を前提として、その上に文化的な性差(ジェンダー)があると唱えたわけです。しかし、ここでジェンダー研究は思わぬ壁に当たります。フェミニズムは、性差に影響されない男女平等の社会を目指しています。しかし、セックスを前提としてしまったことで、自らの手で性差を確かなものとしてしまったのです。言うなれば、墓穴を掘ってしまったわけですね。これによって、ジェンダー研究は行き詰ってしまいます。
しかし、ここで現れたのがバトラーです。バトラーは、セックスこそがジェンダー概念によって構成されている、と唱えました。我々が普段から考えている生物学的性差は何を根拠にしているのか?という問題提起を行ったのです。外性器か?染色体か?はたまたホルモンか?これら全てを根拠としたところで、これらもまた様々な科学的言説によって作り上げられた社会的構築物に過ぎないのではないか?このようにバトラーは主張したのです。実際問題、新生児の性別というのは医者が決めますが、外性器では区別が難しい新生児が多く生まれているようです。また、遺伝子で性別判断を行う場合にも、判断が難しい新生児がいるようで、バトラーの主張は的を射ていると思えます。この主張こそ、パラダイムシフトを引き起こした大きな要因だったんですね。
2.クイア・スタディーズについて
『ジェンダー・トラブル』から派生して、クイア・スタディーズについても学びました。
クイア・スタディーズの「クイア(Queer)」とは、日本語に訳すと「変態」や「オカマ」というような意味であり、非異性愛者を侮蔑する差別用語です。絶対に他人に言ってはいけない言葉遣いですね。英語圏では1990年代初頭を画期として「クイア」という言葉が運動・学問の領域で使用され始めました。80年代終わりまでは、非異性愛者をLGBTとしてカテゴリー化してきたのですが、そういったカテゴリーを集約する言葉として、また、細分化されたセクシュアリティの多様な差異を浮かび上がらせて思考を深化させるための概念として、当時の研究者たちは「クイア」という言葉を用いたのです。
ここでの「クイア」という言葉は、その人物のジェンダーやセクシュアリティなど、その人物の何らかの属性やアイデンティティを指し示すものではありません。また、ジェンダーやセクシュアリティの領域のみならず「社会規範から逸脱していること全て」において適用できる概念です。なので、そうした逸脱性をクイアとして受け止めるかどうか、そのように言い表すかどうかは当事者意識のもとで成り立ちます。要するに、何らかのマイノリティな一面を持っているとしたら、それはもうクイアと言える一面を持っているということです。そう考えると、ほとんどの人がクイアの要素を持っていると思えませんか?個人的な話になってしまうのですが、私は幼少期から鼻の粘膜が弱くてよく鼻血が出てしまう体質です。つい2週間ほど前にも鼻炎アレルギーが出て鼻血を頻発したので、耳鼻科に行ってきました。これは、紛れもなく「クイア」であるわけです。だけど、これを負い目を感じたり差別されたりといった経験はありません(人より面倒くせえ体質だとは思ってますが…)。人それぞれクイアな一面を持っていることを自覚することで、ジェンダーやセクシュアリティへの差別も減っていくのではないかなぁと感じました。
授業を振り返って
改めて、『ジェンダー・トラブル』そして「クイア・スタディーズ」を振り返って、今までの自分の中の固定概念が崩されて、また、新たな考えが構築されてとても良い貴重な授業だったなと感じました。特に、バトラーのセックスこそがジェンダー概念によって構成されているという主張にはハッとさせられました。ジェンダーとセックスについて議論をするときに、「でも、結局は人って外性器持ってるじゃん。」となりがちです。実際自分も同じようなことを言ってました。しかし、外性器で男女を判断するのはなぜだろうとは、考えたことがなかったです。ましてや、外性器が社会的な利害に寄与するために科学的言説によって作られた構築物である、なんて想像すらしたことがありませんでした。ですが、今回の授業で初めて考えてみた時、確かに疑問点が浮かび上がったんですよね。外性器や染色体で男女を区別するって誰が決めたんだろう、男女の区別に利用するための後付けに過ぎないんじゃないか、って。今回みたいに、当たり前のことを疑って新たな発見を見つけ出す、これがクリティカル・シンキングか!と身に染みて感じました。また1つ、賢くなった気がします。今回の授業を第一歩として、これからの大学生活で自分の考えをどんどんアップデートしていこうと感じました。皆さんも、ぜひ当たり前一度疑ってみて、自分の考えをアップデートしていきましょう!私にも、皆さんにも、まだまだ賢くなる余地があります。ここまで、長文読んでいただきありがとうございました。
ブログの最後は、好きなアーティストの好きな歌詞で締めますね。
俺らまだのびしろしかないわ(Creepy Nuts『のびしろ』より)