春学期第8回 4年ゼミ

こんにちは、3期生の横野です。

今回は前田くんが「イデオロギー批評」について発表してくれました。

そして、今回は「ダイ・ハード」を題材として取り上げました。
そのなかでも
・隠れたヒーローとしてのジョン・マクレーンについて

そして、前田くん自身が疑問った事・気付いた事として
・日本映画におけるイデオロギーはどんなものがあるか
・隠れたヒーローの存在は映画だけでなくゲームにもある
・何故ジョン・マレーンは刑事である必要があったのか
と言ったことが議題にあがりました。

ジョン・マクレーンは作品中では勝手に動くことで結果的に捕らわれた人々を救いだします。普通であれば勝手に動くことでより危険にさらす存在のため、批判される存在となるはずですが、作品中では一部の人間には認められる存在として描かれています。ここから、ジョンは富など目に見える形で価値を与えられない労働者階級の人々の自尊心を保つための存在として描かれていることが分かりました。
ちなみに、日本映画だと以前に題材として用いた「天国と地獄」が比較しやすいのではないか、という話になりました。

「天国と地獄」ではジョンのように一部の人間から認められる存在かつ労働者という面から、隠れたヒーロー=誘拐犯なのではないか?という結論に。
また、この作品では警察が好意的・親近感のある存在として描かれており、当時の日本のイデオロギーが表れていると分かりました。

そして、ジョン・マクレーンが刑事である必要性については「警察は労働者階級を表しやすい存在である」からではないだろうか?という結論になりました。

個人的には「最後のシーンで妻が仕事の功績として得たロレックスを外すシーン=女性は最終的に仕事を捨て、家庭に入るべきというレーガン・デモクラッツの思想が表れているように思う」という相田くんの指摘がとても印象に残っています。

3期生ではジェンダーやフェミニズムに関心がある人が多いこともあり、男女の差異に関するシーンで面白い指摘をすることが多いんです。

苦しみながらではありますが、少しずつ指摘が鋭くなってきているので毎回のゼミが楽しみになっています。

次回は「ジェンダー批評」について映画「レザボア・ドッグス」を用いて議論します。

春学期第4回 3年ゼミ

遅くなりました、大下が担当します。
5月9日の第4回ゼミでは、まず内藤先生から神保町シアターの上映作品についてご紹介いただきました。
御茶ノ水、神保町に腰を据えて勉学に励むもの、その地を知らずして何になるとお言葉をいただき、まずは散歩に励まねばと反省した次第です。

3限では『批評理論入門』第1部5「提示と叙述」、「時間」について議論しました。
レジュメはこちらです。

第4回 「提示と叙述」「時間」

提示とは登場人物の会話など、あるがまま示された状態のもの、叙述とは語り手の解説や要約などのこととざっくり理解し、『フランケンシュタイン』にてなぜヴィクターの怪物創造シーンは詳しく描かれないのかを考えました。廣野氏の分析では、「正常さを備えた語り手が、感情をこめつつ要約しているからこそ、彼(ヴィクター)に対する共感を保ちながら、最後まで物語を読み続けることができる」(一部省略)と書いてありましたが、そうは言っても現状、読み手はヴィクターに共感し続けられてはいないのでないでしょうか。怪物を作る場面を描かないからといってヴィクターに共感できるわけでもなければ、仮に克明に描かれていたとしても、どのみち私たちは変わらずヴィクターを無責任な創造主とみなすことに変わりありませんし、幸せなヴィクターが描かれていることにいっそうの不信感を覚えたりすることもないはずです。
この問いには、ローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディー」を例に挙げて議論されました。

時間については、4限との関連性も高く、お互いの調査結果を持ち寄って理解を深めることになりました。
錯時法、後説法、先説法、省略法、要約法、情景法……。ひと通りそれぞれの方法の理解を深めた後、3匹のこぶたでこの時間の技法をできる限り使用し、プロットを作成することになりました。

見づらいですが、ざっとこんな感じでした。

4限ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』における「時間」の話題について議論しました。
3限とほぼ同内容であるため、さらなる議論の場となりました。物語の内容と言説が常に一定の長さを保つとはどういうことなのか、休止法とはどんなものかをより詳しくなどが主な議題です。休止法に関してはかなり悩みましたが、時間の速度はゼロなのに言説は無限に広がるという状態は、出来事自体を止め、それを詳視するのではなく、止まったそのものを描写するのだということに落ち着きました。しかし、止まったものの描写をするにしても、そのものの過去を語ってしまったりすれば、それは完全に休止しているとは言い難くなります。そういった面で、完全な休止法というものは極めて少ないと考えるべきだとなりました。

だいぶ記憶があやふやですが、簡単に授業報告とさせていただきます。

大下由佳