2年ゼミ第13回「12分の1を駆け抜けろ」

こんにちは、そしてこんばんは。第13回のブログを担当させていただく伊藤 花です。

なんと1月も終わりに差し掛かり、1年の12分の1が過ぎようとしています。時間が過ぎるのはなんて早いのでしょうか、、と軽く挨拶でもしたいところなのですが、これが私には死活問題です。私の今月のTo-doリストには完了するのを待っている学期末レポートが大量に残っています。

…さぁ、ブログ執筆頑張っていきましょう!

早速ですが前置きで外せないのが名前に関する話題。初回の関根さんから始まり、第13回まで来ると私も書かずにはいられません。そこで少々名前についてのお話を。

先日読んだ本の中に「自分のことは心地よく呼ばれたい」という文章がありました。それによると、私たちは名前を間違えられるとどこか心地が悪くなり、訂正したい気持ちになるようです。たしかに言われてみればその通りですね。普段であれば滅多に発言しない学生でも、先生から名前を呼び間違えられると即座に訂正します。

しかし私の「伊藤 花」という名前はそうそう間違えられることがありません。予測変換も楽々です。ところがなんと先日、友人の一人が私の名前を「華」だと思っていることに気づきました。もれなく訂正したい気持ちでいっぱいなのですが、言い出すタイミングが案外難しい。LINEで「華ちゃん」と書かれているのを見るたびにムズムズしてしまいます。

このように考えると、他者から呼ばれる名前というのは私たちにとって非常に重要なようです。それには名前の持つ自分と他者を区別する機能が大きく影響して、、、

ともっと語りたいところなのですが、そろそろ前置きが本題を乗っ取ろうとしているので授業内容に行きましょう。

1.前座

今回の前座を務めさせていただいたのは私、伊藤“花”です。

Netflixオリジナルドラマ「SEX EDUCATION」を紹介させていただきました。

タイトル通り本作のテーマは「性教育」なのですが、私が問題視しているのがまさに日本の性教育事情。適切な性の知識は生きていく上で必要不可欠ですが、日本では「不適切だ」という意見が根強く、まだまだ十分に教育が行われていません。

本作はそんな性教育をエンターテイメントとして世界に発信しています。

私が出演させていただいたPodcastではさらに物語への愛を語っていますので、ぜひ聴いてみてください!(突然の宣伝)

「もやもや大放出CLUB」

[Spotify]https://open.spotify.com/episode/2KjCpviBVdpTuUHPKVZXnw?si=Omz0fY02RzShzHiGRJsYIg

[Apple Podcast]https://podcasts.apple.com/jp/podcast/7-sex-education%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%82%92%E5%A4%A7%E6%94%BE%E5%87%BAclub-%E5%89%8D%E7%B7%A8/id1560028567?i=1000537290646

2・学期末発表会

授業も残すところあと1回ということで、今回はゼミ生の半分7名が学期末発表を行いました。以下おおまかな発表内容になります。

1.佐藤杏海さん→「刀剣乱舞」「ヘタリア」の比較から見る擬人化作品の特徴と問題点

2.大胡田愛梨さん→「細雪」における雪子と紗子の表象から見る家父長制

3.坂入夏さん→「チョコレート工場の秘密」分析から見る児童小説

4.松島和佳那さん→実写版映画「シンデレラ」二作品の比較から見るジェンダー規範

5.佐藤舞さん→少女向けアニメ「プリパラ」が描く多様性

6.刑部龍之介さん→アニメ「宇宙よりも遠い場所」における南極の描かれ方

7.竹本光さん→映画「ホーム・アローン」から見る登場人物の人数と物語の関係性

簡単にまとめてしまいましたが、それぞれの関心に基づいた作品選びと着眼点で、個性溢れる発表会となりました。質問や意見交換も活発に行われ、リアクションペーパーを通じても沢山のコメントが集まりました。

ここからはさらに各々分析を進めていき、5000字を越える学期末レポートの完成を目指します。

ということで、まさかの今回の講義内容は以上になります。

明らかに前座が本題で講義内容がおまけのようなブログになってしまったのですが、7名の発表が非常に充実しており、本格的にまとめようとすると書ききれなくなってしまうので何卒ご勘弁を。

7名とも今回の授業からさらにアップデートしたレポートを執筆されるかと思うので、私自身も完成を楽しみにしています。

まるで学期末レポートを書くことが他人事のようになってきましたが、私もそろそろ完了を待っているTo-doリストに戻らなければなりません。

ここまで読んでいただいた皆様、誠にありがとうございました。

…さぁ、12分の1を駆け抜けていきましょう。

7期生ブログ第19回「みなさん(特にあなた)のおかげでした」

ハピニュイヤ。あけましておめでとうございます。徳村です。

またすっかり滞ってしまいましたね。

もう最近はオープニング世間話を考えるのも面倒くさくなってきました。

ていうか、いつからブログの最初はおもしろ世間話する流れになってるんですか!?

個人的にこの本題と全く関係のないオープニング世間話っていうのは、筆者のセンスとか趣向とかが無駄にダダ漏れになっている部分だと思っているのですが、もう最近では段々とプレッシャーになってきています•́ ‿ ,•̀

読者諸君の中にも、「本当はもう本題からスッと始めてしまいたい。。。」「ゼミにあんまり関係ないことわざわざ書く意味が分からない。。。」とブログ執筆のたびにさげぽよ状態に陥っている人がいるかもしれません。

そんなアナタに私は手を差し伸べてあげたい。。。with慈愛。。。慈しむこと。。。愛すること。。。

つまり𝓛𝓸𝓿𝓮。。。

イット・イズ・𝓛𝓸𝓿𝓮。。。𝓨𝓮𝓼。。。

ていうか今思い出したんだけど『恋っていう字は心が下にあるから下心、愛っていう字は心が真ん中にあるから真心』って最初に言ったヤツのこと恋側は訴えた方がいいと思う!うっせーお前に何がわかんだバーカ!!!恋ナメんな!!!

というわけで今回は、7期生ゼミ最長となる3週に渡って行われた『闇の奥』の脱構築批評の様子を、ギュッと凝縮してお届けしていきます!

『闇の奥』は1889年にイギリスの小説家・コンラッドによって発表された小説です。マーロウという船乗りが植民地時代のアフリカ大陸でカーツという人物と出会うことで、自分自身の中にある空虚や闇を悟るというストーリーになっており、植民地主義の凄惨さや人間の闇について考えされられるような作品になっています。

この物語を脱構築批評したのが、今回扱った田尻芳樹氏の『空虚な中心への旅』という批評。『闇の奥』の重要なテーマの一つとして文明/野蛮、西洋/非西洋という二項対立の脱構築を挙げていました。ヨーロッパから見たアフリカは野蛮な他者であり、境界線の外側にいる存在のはずが、マーロウが実際に経験したアフリカの様子や、カーツという人物の存在によってその境界が揺るがされるのです。

また、マーロウの奥地への旅は「暗黒で空虚な中心への旅」であると田尻氏は述べています。田尻氏はその理由として3つのレベルで考察しています。

まずひとつ目に、地理的なレベルでマーロウの旅は空虚であり、それはマーロウ自身がアフリカ大陸のことを暗黒で空っぽな土地であると語っていることからわかります。二つ目に、心理的なレベルでマーロウが探ろうとするカーツの心=中心の中に最後に見出されるのが深い闇と空虚であるということです。さらに、カーツに共鳴しているマーロウ自身の心の闇=空虚に触れることになります。

3つ目に、語りの表現のレベルでもマーロウの旅は暗黒で空虚なものであると言えます。マーロウは「暗黒で空虚な中心」に到達してしまったことによって、自己同一性の崩壊を経験してしまうのですが、そのような人物によって語られる物語は確固たる中心的な意味を持っておらず、それはこの小説が目的論的なテクストの読みを否定し、さまざまな意味と解釈とが複雑に織り合わされたものとしてテクストを読む脱構築的思想を提示しているのです。

このように、脱構築的・脱中心的な思想が濃いように感じられる『闇の奥』ですが、唯一ジェンダーに関しては二項対立を強化されてしまっていると田尻は指摘しています。それは終盤のシーンで、カーツの妻に嘘をつき真実を隠そうとするマーロウに現れています。このシーンでは、男性/女性という二項対立が真実/虚偽という二項対立と重ねられることで、二項の境界線が明瞭に引かれ女性が真実から遠ざけらているのです。

以上が、田尻氏による『闇の奥』の脱構築批評になります。『闇の奥』を読んだことがないと、理解がちょっと難しいかもしれませんね。

そうそう、今回は『闇の奥』だけでなく、本作品をもとにして制作された『地獄の黙示録』にも軽く触れることになりました。序盤の衝撃的なシーンの連発と終盤のジメジメとしたシーンの継続が気持ち悪いコントラストになっていて面白い映画でした。『闇の奥』との大きな違いは戦争映画になっているという点で、人間の心の闇や空虚さというよりも、戦争(今作で扱われたのはベトナム戦争)の空虚さや狂気について考えさせられる作品になっていました。

そして今回の『闇の奥』批評で最も熱を帯びたのは、脱構築批評ではなく夏目漱石の『こゝろ』との比較でした。どうやら夏目漱石は『こゝろ』を執筆するよりも前にこの『闇の奥』を読んでいたようで、村上さんや先生からその共通点が挙げられたことによってこの比較をすることになったのですが、まさか丸々200分をこの批評に費やすとは思ってもみませんでした。200分の議論を全部書き起こすのは私の腕と精神が著しく疲弊するので遠慮させていただきますが、今回は特別にゼミ終了後のホワイトボードをお見せしちゃおうと思います。

ある観点ではクルツ(カーツ)とKが重ねられたりマーロウと先生が重ねられたり、また別の観点ではクルツと先生が重ねられたり、マーロウとKが重ねられたりしているなど、着目する要素によって多様な関係性を見つけることができて面白かったです。こうやって私と村上さんと先生の考察やその場の思いつきで、どんどん議論が深まっていく過程がとてもワクワクして好きですね〜。

さて、私が3年生でブログを書くのはこれで最後でしょうか。ヒーヒー言って滞らせながらなんとか1年間走り切ることができました。よかったー。勢いだけで書いてる故にほとんど怪文書みたいになってる回が数回ありましたが、皆さんが広い心で受け止めてくれたので甘んじまくってやりたい放題やりました。読んでくれた皆さんありがとうございました。

ていうかこのゼミ、ほとんど村上さんのおかげで何とかなってたゼミでした

居てくれてめっちゃ助かりました。ありがとうございました。

何より、帰り道に聞いた村上さんの衝撃的な恋バナの数々は一生忘れません

毎週毎週、結構ドラマチックな展開があるので聞いてて全然飽きませんでした。木曜19時の恋愛ドラマっていう感覚で毎回の楽しみになるレベルです。

あの続き気になるので、また今度聞かせてください。

それでは、私もあなたも誰も彼も、1年間お疲れ様でした!

また曖昧な時期に曖昧な場所で曖昧に会いましょう!

徳村