2023年度研究発表会の様子を1カ月遅れでお届けします…

タイトルにある通り、もう1か月が過ぎ5月に入ってしまいましたが…
3月24日にゼミの研究発表会がありました。今回はその発表会についてのブログです。
前半はわたくし高山が、後半は宮澤さんがブログ執筆を担当します!

大事なことはすぐ忘れてしまうのに、どうでもいい会話の内容はなぜかずっと覚えていたりしませんか…
私はまさにそのタイプすぎて、如何せん1カ月が過ぎてしまったこともあり、研究発表会の記憶がだいぶ断片的ですが、
なんとか記憶を手繰り寄せながら書いていきたいと思います。

 

前半(午前)は私たち9期生の発表でした。

 

まずは阪口さん

阪口さんは、映画『M・バタフライ』のラストシーンについて、主人公ガリマールは何に愛を捧げるために蝶々夫人に扮して自害したのか という問いに対し、
オリエンタリズム、アブジェクション、パフォーマティヴィティを用いて
ガリマールは京劇役者のソンを愛した両性具有的な「完ぺきなヒト」である自分に愛を捧げるために、蝶々夫人に扮して自害した と結論付けていました。

『M・バタフライ』という作品が、実際の事件やオペラ『蝶々夫人』を取り入れた作品だという点や、京劇を扱っている点から、
それらの事件や『蝶々夫人』、京劇について知っているかどうかによっても作品の解釈が変わるのではないか という意見が出ました。

また、疑問点や感想を伝え合う中で、
ラストシーンについては阪口さんの出した結論以外にも様々な解釈が出て来て議論が盛り上がりました。

論文自体はもちろん、発表やその後の議論でも阪口さんの作品への熱量がとても高く、
私個人としてはあまり熱量を言葉で伝えることが苦手なので、
作品愛のにじみ出る素敵な論文だなぁと感じました。

 

2番目は白井さんでした。

白井さんは朝井リョウ『世界地図の下書き』を題材に、童心について生権力を使って論じていました。

子どもとはどのような人間の状態なのか という問いに対し、
子どもとは年齢に関わらず規律訓練されていない、あるいは規律訓練に順応しきれていない人間の状態を意味し、
彼らは自身の身体をコントロールし、〈戦う〉・〈無気力になる〉・〈逃げる〉・〈誤用・撹乱する〉などの複数の方法で生権力に抵抗している と結論付けていました。

議論の中では、
そもそも子どもは童心を意識していない、子どもにも子どもの社会の規律があるなどの意見が出ました。

生権力に抵抗するのが子どもである、
とは言え、年を重ねるにつれて童心に返ることは難しく、どうしたら童心に返ることができるのか という話も議論に上がり、
過去の童心を語る行為が童心に返る一つの方法になるのではないか という話もしました。

個人的には、内藤先生からのフィードバックで、
白井さんが物語の登場人物に伴走しながら論文を書くタイプだというようなことを言われていたところが印象的でした。

 

3番目はわたくし、高山が発表を行いました。

私はミヒャエル・エンデ『はてしない物語』を題材に、
語りの観点、パフォーマティヴィティの観点から、人生の物語化について論文を書きました。

『はてしない物語』の主人公は、自分の人生を語ることを通して、人生を作り上げていっているという結論から、私たちはそれぞれが自分の人生という物語のたった一人の語り手であるという考察を述べたものだったのですが、

他者の人生を物語化して消費してしまうことへの懸念を出発点としていたので、
その点で懸念を払拭し切れたかというと、し切れなかったなぁと感じていました。

しかし、議論の際に、今後人生という物語を語る側ではなく消費する側の視点を取り入れていけたらいいのではないか とアドバイスをいただくことができ、大変参考になりました。

正直、先輩方や先生からもっと詰められるのではないかと思っていたので、
思いの外アドバイスやお褒めの言葉をいただくことができて、頑張って論文書いてよかったなと素直に感じました。

 

9期生最後は宮澤さんでした。

宮澤さんは、アニメ『ユリ熊嵐』から、愛するとは何かについて書いていました。

結論としては、「本物のスキ」とは、「自分の属性の一部を失ってでも、他者をスキでいる選択をすること」であるとし、
「愛する」こととは、「相対するとされる他者の属性を自らの中に受け入れていること」だと考察していました。

“愛”という途方もないテーマに取り組んだ時点ですごいなぁと思っていたのですが、
その中でもきちんと一つの答えを提示しているところが本当にすごいと感じました。

“好き”と“愛する”の共通点や、
愛することが自分の中に革命を起こすことにつながるという考えに気付かせてくれる素敵な論文だったと思います。

また、白井さんは先生から伴走者だと例えられていましたが、先生曰く宮澤さんは憑依して同化するタイプだそうです。
普段宮澤さんと接していて、時々とても深く他者のことを見ているなと感じていたので、
他者の中に入り込んで考えるタイプだからこそなのかなと個人的には納得がいきました。

 

 

いよいよ、研究発表会も後半戦。ここからの執筆は、9期生の宮澤が承ります。

午後の部では、8期生の先輩4名が、卒論の発表をしてくれました!

 

トップバッターは、大本さん

大本さんのテーマは、「『鋼の錬金術師』から見る幸福追求の形」です。

『鋼の錬金術師』と言えば、超王道ものの少年漫画。ゼミで度々話題になる作品らしいです(笑)
私はまだ読んだことがないのですが、大本さんの論文を拝読して、是非読みたいと思いました。

大本さんは、2人の登場人物を中心に、旅路で出会う人物や、彼らが起こした行動を分析することで、幸福の形に関する結論を導きました。また、幸せになる方法は決して1つではなく、十人十色の幸福追求の形があると考察されています。

大本さんの論文の凄さは何か。ずばり、「幸福とは何か?」という、答えのない問いに立ち向かったことです。
全人類が1度は考えたことがある(であろう)幸福について、真っ向から向き合い、結論を出すことは、決して容易ではありません。このような難題に対して、1コマ1コマの発言を追いかけ、緻密にかつ丁寧に分析することで、結論を導いたこの論文は本当に素晴らしいと感じました。
何事にも真っ向から向き合い、努力されてきた大本さんだからこそ、書くことのできる論文だと思いました。

「幸福の形は千差万別で、論文を書いても、自分の幸せが何かは分からなかった」と言っていた大本さん。「幸せになれそうか?」と問われた際、「幸せになれるように頑張ります。」とおっしゃっていた場面が、印象的でした。
簡単に「幸せになりたい」と言うことのできる現代社会で、改めて「幸せ」ってなんだろうと考える機会をくれる。大本さんの論文は、そんな社会の根本を突く素晴らしい論文だと感じました。
「幸せになれるように頑張ります。」とおっしゃった大本さんの姿を見て、もしかしたら「幸せが何か」を追い求められることも、また幸せなのかもしれないと感じました。

 

さて、次の発表者は、斎藤さんです。

斎藤さんのテーマは、「理不尽な暴力や苦しみに対する防御壁を探してー三つの作品に学ぶー」です。

斎藤さんの論文は、他者から振るわれる抗えない暴力、暴言、自分では制御不能な事態に対して、3つの実践可能な解決策を提示してくれました。作品は、『フレッシュプリキュア!』『あの子の考えることは変』『SINK』の3つです。

3つの作品の各登場人物は、理不尽な暴力や苦しみに苛まれます。斎藤さんは、そんな彼らがどのようにその理不尽から身を守ったのか、その具体的な方策を、
① 理不尽に向かって戦い続けること
② 理不尽そのものを解釈し直し、自分や仲間を守ること
③ 自分を苦しめる記憶を改竄し、自分自身のバイアスを可変的なものにすること
と結論づけました。

斎藤さんの論文の凄いところは、「誰でも今すぐにできる実践的な身の守り方」を提示されていることだと感じました。斎藤さんは、「理不尽な暴力や苦しみに対する防御壁は他にもあるけれど、自分自身が使えるものしか取り上げなかった」とおっしゃいました。ここに、斎藤さんの信念を感じました。そんな斎藤さんの信念が源泉となって、他者に救いを与える論文を書くことができるんだな、と思います。

斎藤さんの論文からは、生きる勇気をいただけます。今後も、斎藤さんの論文をお守りに、生きていきたいです。そして、私もそんな論文を書ける人になれたらなと思いました(笑)

 

続いての発表者は、ゼミ長の佐藤さんです。

佐藤さんの発表テーマは、「「不健全」なテクストに宿る精神―再生産の呪縛から逃れる「不健全」な読本―」です。

佐藤さんの論文では、生権力を用いて、「不健全」の表現の正体を分析されました。そして、生権力に従属せず、それに抵抗しようとする作品を排除しようとする政治的配慮の結果、「不健全図書」が生まれたという結論を導きました。

佐藤さんの論文の凄さは、ずばり「不健全の発見」です。
佐藤さんの論文を読んでると、何となく何かが不健全だと分かってしまう(思ってしまう)ことが、日常の中によくあると実感しました。このような今まで何となくの感覚でしかなかったものを、言語化し、形にした素晴らしい論文だと思います。
また、「不健全」という概念が作り出される歴史性に着目している点も、一線を画している部分だと思います。
私自身も、学校教育、はたまた政治的配慮のなされた社会で、「不健全」という感覚を植え付けられていたのだと気づかされ、はっとしました。

佐藤さんの論文を読んだ時、佐藤さんと初めて話した時の衝撃を思い出しました。
不健全か健全かに関わらず、自分の好きなものを好きと言えるその姿を、かっこいいと思いました。
この1年で、そんな佐藤さんや、佐藤さんの論文を通じて、私自身の価値観も大きく変わりました。好きなものを、臆せず好きと言う。そんな姿を、論文や日頃の姿で伝えてくださった先輩に、この場を借りてお礼を申し上げたいです。

 

いよいよ最後の発表者、関口さん

関口さんのテーマは、「映画『天気の子』における「大丈夫」という言葉は、どういった意味を有しているのか?」です。

関口さんの論文では、作中で使われた「大丈夫」という言葉を抽出し、「大丈夫」の再意味化をしました。そして、「大丈夫」という言葉は、ケア・ケアレス・アイロニー・ユーモアの4つの独自の意味を有していると結論づけました。

関口さんの論文の凄いところは、「大丈夫」という言葉自体を分析しているところです。
「大丈夫?」「うん。大丈夫」
このような会話は、日常的に当たり前に使われており、その意味をついつい見過ごしてしまいがちです。
私自身も「大丈夫」という言葉を安易に使うことに、抵抗がありつつも、それでも日常的に使ってしまっていましたと思います。だからこそ、自分自身の発する「大丈夫」を見直す機会になりました。

また、関口さんの論文を通じて、「大丈夫」という言葉の多義性を実感できました。1つの「大丈夫」に、ケア・ケアレス両方の意味が込められることもある点がとても印象的でした。

私自身、「大丈夫?」と言葉に発すること、「大丈夫」と答えてしまうことに不安感を抱いていました。しかし、関口さんのこの論文は、そんな不安感を掬い上げてくれるような論文だと思います。「大丈夫」という言葉の後押しをしてくれる、勇気を与えてくれる、そんな論文でした。

 

 

以上!8期生の先輩4名の研究発表でした!!

4万字を超える素晴らしい論文を残してくださった先輩たちの背中を見て、私もこんな論文が書けたらな、と改めて思います。けれど、まだまだ道のりは長そうです(笑)

先輩たちの論文をバイブルに、残りの1年間を駆け抜けていきたいと思います!!

ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。また、先日の研究発表会で素敵な発表をしてくださった8期生の先輩方、参加してくださった皆々様、ありがとうございました!

相変わらず投稿は滞りがちですが、次回のブログでまたお会いしましょう!!

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