10期生第1回 虚構を読ませるためには

第10期生はじめてのブログを担当いたします、中村美咲子です。

といっても、私の更新が遅く第2回の秋尾さんの投稿の後になってしまっております。。。

さて、 今回は4/18の授業について書いていきます。

我々10期生は3人でのスタートとなりましたが、幸いなことに春学期は留学生であるダンドレアさんも一緒に勉強できるということで、4人で多くのことを議論していくのが非常に楽しみです。

今回の授業では、まず廣野由美子による「批評理論入門」の1.冒頭と2.ストーリーとプロットについて、そしてロラン・バルトの「作者の死」についてそれぞれ議論をいたしました。

まず批評理論入門の発表を行ったのは、山崎さんです。 この理論から、我々は『フランケンシュタイン』の冒頭部分であるウィルトン氏の手紙についてとても活発に意見を交わしたのですが、先に理論から説明したいと思います。

『フランケンシュタイン』において、当初怪談話としてつくられた際の冒頭である「一一月のある陰鬱な夜のこと・・・」という文章を、物語になるにあたりウォルトン氏が姉にあてた手紙に変えています。なぜ冒頭の変更を行ったのでしょう。それは、読者にとって小説の冒頭は現実世界と虚構の世界を分かつ「敷居」であり、手紙という形式にすることでより現実味を帯びたものにすることができるからだ、と廣野は述べています。

次に、「ストーリーとプロット」では、廣野は、ストーリーは出来事の時間順に並んだものであり、プロットはそれを再編成したものだとしました。さらにプロットは物語を効果的に伝えることができ、それによりサスペンス効果がもたらします。例えば、物事の真相の提示を先延ばしにすることで、読者の不安をあおることができます。

この2つの理論から、『フランケンシュタイン』について、議論をしたのですが、そこでこの作品に現実味を与えているのは、冒頭の手紙という形式ではなくウォルトンという人物その人なのではないかという結論に達しました。

まず、ウォルトンの手紙は彼の姉に宛てた手紙であり、説明口調になっても違和感を与えないという効果があるのではないかということになりました。さらに彼の見聞したことが書かれている点で確からしさをもたらしているのです。そしてもう一つが、ウォルトンという人間が第三者目線で語られることがなく、ウォルトン自身による心理描写と行動の記録のみが彼を知る手立てとなっています。それが、フィクションよりも、日記のようにリアリティを持たせているのではないかと考えられました。

続いて、ロラン・バルトの『作者の死』について発表を行ったのは秋尾さんでした。

それは、エクリチュールにおいて本来は作者の存在はないのだが、近代社会においては「作者」が重要視されてしまっていること、しかし、それを揺るがすことに貢献した作家もいたという内容でした。ただ、今回の授業ではこの理論についての発表と議論が終わらなかったため、次週はこの理論についてさらに深めていくことを期待して初回のブログを締めようと思います。