8期生ブログ第5回「テクストって実はいろんな効果を重ねまくった上に形成される~書き手のエゴを添えて~

おはようこんにちこんばんは、ご覧の皆さまは初めまして。内藤ゼミ八期生の大本祥平といいます。これからよろしくお願いします。

皆さん多分知らない(知ってたらちょっと怖い)と思いますので簡単に自己紹介をさせていただきますね~

って言いますけど自己紹介って難しい。最近思うのはすっごい名前間違えられるなぁ、、、、ってことですかね(笑)よく木本だったり大友だったり、大元とかよく言われたりしています。(最近は学生支援事務室からメールで大木って言われたよw なんで??送ったメールにも大本って書いたよね??)

「大本」って苗字、あんまりいないと思うんですけどね(笑)

趣味はダイビングをやっています。ちょうど今年で50年目の歴史あるサークルにも所属しています。今年も夏は潜りに行きたいな~って考えてますね。

まぁ、名前を間違えられがちな海に潜っている人って感じの認識で問題はないかと思いますよ(笑)

2限

そろそろ本題に入りましょうか。

まず今回の前座は井上でしたね。ズームで参加とのことで教室のスクリーンに大写しにされてましたけど、、

内容は「るろうに剣心」についてでしたね、この中で結構驚きだったのは漫画と劇場版の違いですね。原作は見たことがないし、映画に関しても見たことがないのでどちらがいいのかを井上に聞いてみたんですけど、映画の一押しはアクションシーンらしいです。ただ、自分もそうなんですけど、井上も原作をリスペクトしているので「るろうに剣心」の世界に入るなら原作からのほうがよさそうですね~

ここからが2限の本題、まずは「性格描写」について話していきたいと思います

まずキャラクターとはどのような存在になるのか、レジュメから引用すると以下のようになります。

キャラクター ⇒物語の登場人物のこと。+登場人物の特性・行動様式(=性格)を指す場合も。 人間の性質を描くうえでの豊かさと多様性、心理的洞察の深さなどの点で、小説に勝るものはない。                    

というように説明されています。

その登場人物ごとの比較の例をフランケンシュタインという作品で挙げてみましょう

クラヴァル: 英雄詩や騎士道ロマンスなどを好み人間の行為や美徳、倫理関係などに関心

 ⇔フランケンシュタイン: 興味はもっぱら自然科学的な秘密に集中

こちらから(フランケンシュタインを読んでいる方に限るかもしれないですが)登場人物がどのような存在であるのか

フランケンシュタインにおいてもそれぞれの行動や態度が、キャラクター自身の性格を表現しているということは理解できるのではないでしょうか。

今回は「性格描写」ともう一つ「アイロニー」というテーマにも論じてきました。

アイロニーには2種類あるというように説明されていました。それが以下になります、簡単に説明しますね。

  • 言葉のアイロニー

表面に書かれている言葉とは全く異なった意味を読み手に受け取らそうとする修辞表現のこと

  • 状況のアイロニー

意図されたり予想されたりしていることと、実際に起きていることとの間に、相違があるという修辞表現のこと

  • 劇的アイロニー

これは状況のアイロニーと似ているが、読者側がテクストの中から受け取る情報と、同じテクストの中の登場人物が認識している情報に差異があり、それを読者が気づく際に生じるアイロニーのこと

この中で特に劇的アイロニーは思いうかべ難いと思うので軽く説明しましょう

これは例えば

登場人物は直面している状況に関して、目の前の情報しか目に入ってこないし、インプットすることができない、その一方で読み手には登場人物が直面している状況に加え、地の文や文脈で別の情報も受け取ることができる。これによって起こる認識の差異が「劇的アイロニー」となるんですね

4限

この時間はプロップの形態学を学びました。

構造主義について深堀していった一時間だったと思います。

その中でも今回は「7つの領域」「31の機能」が個人的に重要であったと思うのでちょっと説明できればと思います。

まず「7つの領域」について

具体的に7つとは以下の通りになります。

1 敵対者

2 贈与者

3 助手

4 王女(探求される者)とその父親

5 派遣者(送り出す者)

6 主人公

7 ニセの主人公

以上の7つがテクストに大きい影響を及ぼしているという考えであります。

また「31の機能」についてそちら以下に初めの3つと最後の3つのみ書きますね(31個書くのは多すぎだと思いますので…)

1 留守: 家族の成員のひとりが家を留守にする

2 禁止: 〈主人公〉に禁が課される。依頼や忠告、命令、提案の場合もある

3 違反: 禁が破られる

29 変身: 〈主人公〉に新たな姿形が与えられる

30 処罰: 〈敵対者〉が罰せられる

31 結婚: 〈主人公〉は結婚し、即位する                

個人的には29番の変身はテクストの中で大きな影響を与えているのではないかと考えているので3つずつ書きました。

このような変化がテクストの中で起こることでよりいっそう物語に波が生み出され、面白くなるということですね。

すこし授業の内容が簡潔に書きすぎたかもですね、、、、(笑) 物語を面白くする要素はたくさんあって、それの中にそれぞれ名前がついてるよ、ってところから覚えてもらえれば、今回のこのブログの目標は達成かと思いますけどね。

最後に

こんな感じで見出し付けましたけど話すことはほとんどありませんね…

書くことないので自分が今まで潜った海の写真でも載せておきますね。

以上めちゃくちゃ海に潜りに行きたい、よく名前を間違えられる大本でした。

今回はこの辺で、またの機会にお会いしましょう。

ではでは~

2年ゼミ第6回 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」とかなんとか言っちゃってみたりして。

こんにちは、あるいはこんばんは。第6回ブログを担当する市川 快です。よろしくお願いします。授業から少し間が空いてしまい申し訳ないです。最近はすっかり暑いですね。僕は30~40分黙々と歩いて大学まで行くのですが、額に汗が滲むようになってきました。ちょっと鬱陶しいです。ならわざわざ長い距離を歩くなんてことはせずに、自転車や電車を使って行けばいいじゃないか。いいえ。僕は歩くことをやめません。なぜなら歩くということはとても楽しいし、わくわくするから。

「日本語は乱れているのか」について

もう少しだけ個人的な話をさせていただくと、つい先日村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終えました。まず話が面白かったし、何よりも彼の文体からしか得られない謎の栄養みたいなものを沢山いただくことが出来ました。読んだことがない方はぜひ読んでみてください。以前、彼が書いた「職業としての小説家」というエッセイを読んだのですが、彼の小説の文体に対する考え方は、授業で扱った「日本語は乱れているのか」と近しい気がします。彼は自らの文体がしばしば批判を受けることについて、「言語というのは、長い歴史によって裏付けられた強靭な力を有しており、どれだけ荒く扱われようがその自律性を損なうようなことはない。むしろ冒険心をもってそのツール性を深く追求していくことが、日本語の再生に繋がる」と述べていました。この考え方は、言葉の「乱れ」を単純化、合理化の法則に則った「ことばの変化の必然的な流れ」だとする「日本語は乱れているのか」と通ずる部分がありますよね。僕たちは、今まで触れてきた体系と大きく異なるものと出会うと拒絶してしまいがちです。もちろんそれについてどう思うかなんてことは全くの自由ですが、少なくとも寛容な姿勢を持って接していきたいですね。

坪沼君の前座「タイタンの妖女」について

順番が前後してしまいましたが、今回の前座は坪沼君によるSF小説「タイタンの妖女」の紹介でした。今回も作品への愛がこれでもかと伝わってくる素晴らしい発表でした。皆さんも経験があると思いますが、誰かに向けて自分の好きな作品について話すというのはとても難しい、複雑な作業です。さらにそれを3分以内に収めるとなると、そりゃもう大混乱です。しかし坪沼君は物語のあらすじを述べるだけでなく、皮肉という切り口から適切に文を引用し、朗読することで、小説のもつ引力を十分に引き出せていました。天晴です。「タイタンの妖女」、今度読んでみようと思います。自分が全く知らない作品と出会えるのもこの前座の良いところだと思います。

神津君のレポートの構想発表 「Creepy Nutsの歌詞は結成からどのような変化をとげているか」

「1曲1曲がストーリーといえるのではないか」この一言で一気にプレゼンに引き込まれました。音楽って小説や映画とは一線を画した存在のように思えますが、実は構造を紐解いていくと物語的な要素がいくつもあるんですよね。そう考えると、神津君の一言はとても鋭い指摘だなあと思いました。

メジャーシーンで活躍するアーティスト達にとって、大衆という存在は切っても切り離せない存在ですよね。アーティストと大衆が相互作用を起こしながら、どのような意思を持ってどう変化していくのか。僕自身興味があるトピックでもあるので、神津君がどんなレポートを書き上げるのか楽しみです。授業で扱ったプロップの論じた概念も使えそうですね。

資料の検索方法について

授業の最後では、何枚もレポートを書かなければならない大学生にとってとても重要な、資料の探し方について学びました。恥ずかしながら僕は一年生のときCiNiiというサービスを知らなかったので、片っ端からググって論文を探していました。今冷静に考えるとすごく効率が悪いし、偏った情報に頼ることになるので危険ともいえますよね。これからはこのようなサービスを適切に利用しながらレポートを書きたいし、大学を卒業しても学びの姿勢を捨てることなく利用してきたいです。

明大の図書館についても触れられました。和泉の図書館は本当にきれいでゆったりとした空気が流れていますよね。僕も去年初めて立ち寄ったときあまりのきれいさとデザインのカッコよさに衝撃を受けて、こんなところで勉強できるのか!と嬉しい気持ちになりました。これからも気軽に出入りして、こんなおしゃれなところで本読んでる俺カッケ~!と思いながら利用していきたいです。そういう気持ちって、結構大事だと思うから…///

おわり

8期生ブログ第3回『要約法ってやつが便利すぎるのではないだろうか』

大遅刻、申し訳ありません……。半月猶予があると思っていたら1週間おかわりしていました。なぜ……。

というわけで、昨年に引き続き内藤ゼミにお世話になります佐藤杏海と申します。 普段はゲームと学校と創作に生活の全てを捧げて生きています。最近はもっぱらTRPGにお熱です。

このゼミのブログだし、少しだけ趣味の話をしようかと思います。 これを書いている6月1日からさかのぼること1週間前、TRPGシナリオの『VOID』というシナリオに参加してきました。TRPGについては過去の私の記事を読むかググってください。

この当時の私は大正時代を舞台にしたシナリオに狂っていましたが、現在の私は近未来、アンドロイドが人々の生活に普通にある世界を舞台にシナリオに狂っています。総計20時間にも及ぶ長丁場のゲームに参加し、その物語の世界に浸ってきました。ゲームが終わってもそのキャラクター達のことを考えてしまって大変ですが、そろそろ現実に帰ってくる時間ですね。話を授業に戻しましょう。

1.前座を筆頭にしたetc

実はこの授業、GW明け一回目でした。みなさんGWを満喫したようで、特にダイビングはとても羨ましいですね……綺麗な海は数年見ていないので、旅行に行きたくなりました。

加えて私のメモには「クリスマスの話」とあるのですが、これは一体……。やはり記憶が新鮮なうちに書くべきですね……。

前置きはこれくらいにして、前座の紹介に入りましょう。

本日の前座は関口さんおすすめの「スパイダーマン:スパイダーバース」です。スパイダーマンが死んだ世界で、スパイダーマンの跡を継ぐように言われた主人公・マイルズがパラレルワールドから来た先輩スパイダーマンたちを師として成長する物語だそうです。人生においてそれなりに大きな岐路にいる私たちにこそ見てほしい、とのことで今度調べておこうと思います……!

2.2限「提示と叙述」

サブゼミの今回のテーマは「提示と叙述」です。

・提示:登場人物の会話がそのまま記録されているシーンなど、語り手が介入しないシーン

・叙述:語り手が前面に出てきて読者に解説するシーン

小説はこの2つがバランス良く組み合わされることで成り立つものである、とされています。

小説では常に時間の要素があります。

アナクロニー(時間錯誤)と呼ばれる状況が、実際の時間軸と語りの順番が異なる状況です。これは、後説法(フラッシュバック)と先説法(フラッシュフォワード)に分けられます。先説法でわかりやすい例が伏線です。

さらに小説の時間を示すものとして「時間標識」があります。これはテクスト内でより具体的な時間(○○年など)を表す表現を指します。

物語の語りには速度もあります。

この場合の速度とは割かれているページ数のことで、省略法・要約法・情景法・休止法にわけられます。

省略法はさらに限定的省略法と非限定的省略法に分類されます。この二つは省略された時間が具体的にどれくらいかわかるか否かで判断できます。

省略法よりもう少し間の状況がわかる語りが要約法で、すべての状況が描かれているのが情景法です。休止法は物語の流れが一度止まり、語り手が登場人物たちは見ていない景色の説明をする(話は進んでいない)状態を指します。

これらを踏まえて『浦島太郎』の物語を再構築しました。

ここでなぜか脳内イメージが映画になるゼミ生一同……。後説法や先説法は映像媒体の方がイメージが湧きやすかったのかもしれません。

浦島太郎の軌跡…………

3.4限「不等時法」

ゼミの本編とも言える4限がやってまいりました。

今回の要約としては「物語の語りは不等時法(律動効果)を抜きにしては成立しえない」です。

この律動効果とは、物語の語りの速度(ページ数)が物語の内容で進行する時間に対して増えたり減ったりすることで生まれる波のことです。

小説の語りはこれ抜きには語れない、という主張がプルーストの「失われた時を求めて」を通して語られています。

物語内容を材料、語り方を調理方法としてできあがった料理が小説ということですね。

4限の内容は駆け足気味になってしまいましたが、以上が5月12日のゼミの内容です。

こうしてみるとこのブログはかなり要約法を用いて書かれていることになりますね……。今回のゼミは夏休みへの積み残しもなく終わることができました!では、また次の機会に!

3年 佐藤杏海

2年ゼミ第5回「体は布で出来ている。」

こんにちは、第5回のブログを担当させていただく白井翔大です。

アップロードが遅くなり申し訳ございません。第5回の授業を行ったのは5月17日、自分がこのブログを書き始めるのが遅かったこともあり、もうすぐ6月です。1年あっという間ですね。

授業内容

1.前座:市川快さん

2.今後の予定の確認

3.ゼミ活動振興費の使い道について

4.リアクションペーパーに対する応答

5.レポートの構想発表:烏田琴子さん・斎藤陽香さん

6.批評理論の学習3:ロラン・バルト「作者の死」

1.前座:市川快さん

前座トークを担当してくださったのは市川さんでした。市川さんが語ってくれたのは、君島大空です。3分で多くの魅力を語ってくれました。語り足らなそうな部分からも市川さんの君島大空への愛が見えました。君島大空は音楽家なのですが、シュールレアリスムの影響を受けているようです。なんとシュールレアリスムは今回のロラン・バルト「作者の死」とも関係があります。前座と授業を結びつけてくるとは驚きました。君島大空は中性的な声で歌います。なぜ中性的な声で歌うのか、それは性の匂いを消すためであるようです。そのような声で歌われる歌は耳にスーッと入ってくるようにとても心地のよいものです。

2.今後の予定の確認

6月7日(火)は休講です。

代わりに7月2日(土)が補講となります。

3.ゼミ活動振興費の使い道について

春学期で1人2,500円まで、ゼミの内容に関する美術展・映画の入場料、書籍購入代金として使うことができます。

注意事項 

・2022年7月末日まで(春学期分)

・領収書(領収書がないと、返金できません)

4.リアクションペーパーに対する応答

第3回課題「レポートサンプルの評価」について多く触れました。皆さんのリアクションペーパーを確認したところ、入学したての1年の頃に比べてレポートの質が上がっていることを実感できたようです。一方で、改善点も見つかったようです。普段することのない「レポートサンプル評価」を通して新たな発見があり、とても良かったと思います。

5.レポートの構想発表:烏田琴子さん・斎藤陽香さん

烏田さんは坂本祐二が脚本担当したドラマ、坂本祐二という脚本家に興味があるようです。そんな烏田さんが選んだ論点は「坂本祐二作品の名台詞の必須条件とは?」です。今回最初のレポート構想発表だったのですが、いきなり素晴らしい論点をあげてきました。正直、ビビっています。「夢は必ず叶うわけじゃないし諦めなければ叶うわけじゃない。だけど夢見て損することになったぁって1つもなかったんじゃないかと思います」このセリフ好きです。仮説としては言葉の定義を考えていくようです。今後どのようなレポートになっていくのか楽しみです。

今回斎藤さんも発表予定でしたが、今回ではなく次回以降となりました。

6.批評理論の学習3:ロラン・バルト「作者の死」

最初に要点をお借りすると

それまでの考え方(近代)       バルトの考え方

作者                 仲介者

文学                 エクリチュール

作品                 テクスト

✖                  読者

授業では「作者の死」についてグループで話し合いをしたのですが、難しいため意見がまとまりにくかったです。しかし、それぞれのグループの意見を出し合うことで何となく言いたいことが掴めてきました。

まず、作者についてです。ロラン・バルトは、「作者」を近代に成立した概念だと考えます。近代では「個人」という概念が成立したこともあり、作品を生み出す個人として「作者」が成立します。このとき、物語の創造主として「作者=神」が成り立つと考えられました。しかし、これでは「作者」の意図が創作物に結びついてしまいます。このような考え方を捉え直すべく、ロラン・バルトは「エクリチュール」という概念を登場させます。エクリチュールはフランス語で「書くこと」や「書かれたもの」を意味します。エクリチュールは作者に紐づけられるものではありません。つまり、あるエクリチュールが生み出されたとしても、「起源」を特定できません。近代では「作者=神」という考え方のもと、作者が作品に時間的に先行します。一方で、エクリチュールは生み出す書き手と同時に存在します。そして、このエクリチュールという概念を用いるとき、「テクスト」が成り立ちます。テクストとは過去や同時代、さらに未来を含んだ他のテクストからの影響を受けた引用の織物です。近代では作者が創作した「作品」でしたが、ロラン・バルトがエクリチュールを用いたことで「テクスト」という概念ができました。テクストはあらゆるエクリチュールが集まったものです。あらゆるエクリチュールが集まるということは、それだけ複雑でもあります。そのようなエクリチュールが集まる場所、それが「読者」です。作者が死を迎えたとき、つまり作品と作者が切り離されたとき読者が誕生します。「作者」は絶対的な存在ではなく、「読者」がテクストを読み解く存在として重要な役割を任されています。

ちなみにシュールレアリストたちもロラン・バルトのように作者の意図から逃れようとしたようです。市川さんはあっぱれです。

少し話を変えます。アニメ映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』をみたことがありますか?長くなってしまうので今回はあらすじを割愛させていただきます。

物語の中で「ヒビオル」というキーワードが登場します。ヒビオルとは「イオルフ」とよばれる10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族が織るのことです。イオルフにとってヒビオルは、記録の役割も担っています。織り手は自分の思いや日々の出来事などをヒビオルに織り込んでいきます。それを読むことができるのはイオルフの一族のみです。このことから、ヒビオルをイオルフだけが読める日記と考える人もいますが、様々な解釈がなされています。

物語の中でイオルフである主人公マキアが盗賊に襲われ家族を失った赤ん坊エリアルを育てるのですが、なんとマキアはエリアルのことを「私のヒビオル」とよびます。ヒビオルは布であるはずです。しかし、マキアは人間に対してヒビオルという言葉を使ったのです。映画をみた当時このマキアの発言は謎ではありましたが、エリアルに愛情を注ぐということだと解釈していました。しかし、今回のテクストという概念を知ることで答えが出たような気がします。まず先生も仰っていたのですが、人もテクスト(織物)であるということです。あらゆる影響、エクリチュールを受けて、1人の人間は成り立ちます。このことからエリアル=ヒビオルとしてもよいのですが、ヒビオルがただの布ではないことも重要なのではないかと思います。ヒビオルはイオルフ自身の思いや日々の出来事が織り込まれている布です。つまり、マキアは自分の思いや日々の出来事(エリアルとの生活)をエリアルに織り込むのです。マキアは記録としてだけではなく母親としての思いを込めてエリアルを編むように育て上げていきます。これらのことから、やっぱり人間の体は布でできているのかなと思うと同時に愛情を注いでいることも間違いではないなと思いました。テクストであるため、あらゆる思いが編まれていると考えてもいいのかもしれません。自分で納得してしまっただけでマキアの「ヒビオル」は違うのかもしれませんが。

ただ、少しでも『さよならの朝に約束の花をかざろう』に興味が湧いたのならば是非ご覧ください。

以上が第5回の内容となります。

ここまでご覧頂きありがとうございました。

僕は誰かと言いますと

こんにちは、第4回のブログを書かせていただきます、伊藤聡哉です。アップが遅くなってしまい申し訳ありません。第1回の授業を欠席してしまったので、自己紹介をさせてください。
まず、名前は「さとや」と読みます。初見の方には「そうや」と読まれがちです。枝松くんなんかサークルも同じなんですが、訂正した後も1ヶ月くらい勘違いしていました。
出身、在住はともに神奈川県横浜市です。横浜と聞くと、みなとみらいエリアが思い浮かぶでしょうか。他の県にルーツを持つ方からはしばしば憧れに近い眼差しを向けられますが、僕の家からみなとみらいまでは電車で40分ほどかかるので、「我が横浜」という感覚はありません。なのでそれを向けられても上手く期待に応えられず困ってしまいます。去年からの悩みです。
好きなものは、音楽を中心に芸術作品全般です。好きが高じて作詞作曲をしています。実は、坪沼くんは高校の同級生で、その時からアイデアを出し合って作っています。このゼミの研究対象に起因する現象なのでしょうが、音楽や文学、映画などが好きな方が多く集まっているようで、驚きました。嬉しいです。それに、一般的な大学生は放り出してしまうような難しい話題に対して興味を持ち、積極的に考えることができ、更にそうして考えられたことが僕の頭に無いものということが多々あり、桃太郎について問いを立てる最初の授業から、驚きの連続です。嬉しいです。
自己紹介はここまでにします。不束者ですがよければ仲良くしてください。よろしくお願いします。では、第4回ゼミの授業内容に移ろうと思います。

1.前座:神津優士さん

Creepy Nutsの紹介でした。授業中のリアクションでもみなさんに触れられていたことですが、3分丁度の楽曲を利用して、3分間という決められた枠組みに収めるというのは、魅力を時間たっぷり伝えることができるし、アーティストがプロモーションしていることも伝わるし、素敵なアイデアだと思いました。彼らを知らない人でも興味を抱ける発表だと思います。

2.リアクションペーパーに対する応答

子供に問いを立てさせない日本の学校教育には、民衆を支配する権力の意図という政治的、歴史的背景があるのではないか、という、素晴らしく腑に落ちる考察がありました。このような教育は、当時青年と呼ばれたような人達の志やそれに基づく行動を伴って、初めて良い方向に機能するものなのではないかと思います。今後も教育方針を変えないのであれば、彼らのようなエネルギッシュな指導者が必要なはずです。しかし、世界でも高い水準の技術やGDPを誇る現在の日本には、当時のように欧米化への高いモチベーションを持つ人々はなかなか現れないと考えます。実際に、景気は悪化したままで、諸問題は解決されず、次々に総理大臣が入れ替わってきました。「偉い人に任せっきりだと自分が損をする」時代を我々は生きているのだと思います。よって、現代の日本においては、一人ひとりが問いを立てる教育はやはり必要な状況にあると考えます。

「昔話の形態学」における「物語の31の機能」について、それが現在の物語にも適用されるのか、懐疑的な人が多いようですね。確かに、それにあまり当てはまらない名作は多く存在すると思います。それらが現代の人々に受け入れられているのは、「物語の31の機能」に当てはまる物語を、「ありきたり」と評価できるほどに、多くの物語を知る環境に我々が身を置いているからではないかと考えます。それはインターネットやサブスクリプションの普及など、つい最近の技術革新によるものでしょう。つまり、プロップが生きた時代に比べ、この理論を擬似的に知っている人が多いということです。教授が仰っていた「理論を知ってしまったら最後」とは、知ることで物事の感じ方が変わってしまい、純粋に楽しめなくなるという意味かと思います。普遍的で心地良いと感じられるはずの物語が、今を生きているせいで、典型的で退屈に感じられてしまうのです。現代の物語にこの理論が適用されづらいと感じてしまうのは、このような背景があると考えます。

3.論述文の書き方の学習1.論述文とは何か

レポートサンプルの添削で、全部の班が同じ順位をつけたことに感心しました。評価項目が思ったより多く、教授も厳しく採点するようなので震えました。この世には自分が書く論述文に対して、好意的な人、懐疑的な人、読んでくれない人という3種類がいて、読んでくれない人を読ませることができるような書き物が望ましいという話は興味深いと思いました。確かに、先輩方が書いた論文の見出しを見た時、「読んでみたい」と思わせられました。これから後輩にそう思わせないといけない立場になるんだなと思い、震えました。今までは主に文字数のある文章を綺麗に書くことに対して不安がありましたが、今回の授業を受け、それだけの文字を連ねられるようなユニークで興味深いテーマを考えることに不安が移り、帰り道でまた震えました。

梅雨が近づいてまた寒くなってきました。みなさんは震えてしまわないように、薄手の上着を持ち歩くようにしてください。ここまでご覧頂きありがとうございました。

8期生ブログ第2回「焦点補完計画」

時に 西暦2022年

我々の失われたモノ

すなわち、焦点の補完は続いていた

だがその全てを記すには、あまりにも時間が足りない

よって今は、上西という青年

彼の解釈する焦点について語ることにする

焦点化・・・誰の知覚(心理、思考なども含む)から物語が描かれているのか(語り手と焦点人物は必ずしも一致するわけではないことに注意)

焦点化は焦点人物がどこに位置しているのかによって大きく三つに分類できる

1.内的焦点化・・・焦点人物が物語世界の中に位置している場合

「水平線に沈みゆく太陽がふと目にとまった。そのとき、私の心の隅にある何かが溶けた。」

2.外的焦点化・・・焦点人物が物語世界の外に位置している場合で、ある人物の外面しか描かれない(ある人物の内面を焦点人物が推測する形で描かれる場合はある)

「彼女は急に席を立ち、彼を睨みつけると、何も言わず店を出て行ってしまった。」

3.非焦点化(神の視点)・・・語りが物語世界の外で行われているにもかかわらず、登場人物の内面を描くことがある場合。(外的焦点化の特性も、内的焦点化の特性も持っている)

「彼は黄色い線の外側に力なく立っている。次の電車が来るまでにカラスが鳴いたら…そのときはこの身を投げて、全てを終わらせよう。そんなことを考えている彼など気にもとめずに、カラスは力一杯声を上げた。自らの孤独に耐えかねて。」

内的焦点化はさらに三つのタイプに分類できる

1.内的固定焦点化・・・焦点人物がある一人の人物に固定されている場合

2.内的不定焦点化・・・焦点人物が変化していく場合

3.内的多元焦点化・・・ある一つの出来事が複数の焦点人物によって語られる場合(不定内的焦点化の上で、特に特定の事象、人物などが描かれる場合)

注意

・物語言説は必ずしも、終始一貫して同じ焦点化を選択し続けるわけではない(上記焦点化の公式は、必ずしも作品の全体に関わるものではなく、むしろ、一つの限定された物語の切片にのみ関わるものである)

・外的焦点化と内的焦点化を区別することが困難な場合がある

「私は終電間際の駅の階段で、一人うずくまって泣いている若い女を見つけた。」

この場合私からは内的焦点化だが、若い女からは外的焦点化である

・内的不定焦点化と非焦点化もまた区別が困難な場合がある。(非焦点化の物語言説は恣意的な内的多元焦点化の物語言説として分析しうる)

「彼は黄色い線の外側に力なく立っている。次の電車が来るまでにカラスが鳴いたら・・・そのときはこの身を投げて、全てを終わらせよう。そんなことを考えている彼など気にもとめずに、カラスは力一杯声を上げた。自らの孤独に耐えかねて。」

この場合「彼の死」というテーマを、彼の内的焦点とカラスの内的焦点を通して語っている

未解決概念「ともにある視像」

見知らぬ、音声

「ともにある視像の場合、作中人物が眺められるのは、その作中人物の自身の内部においてではない。作中人物は、彼が他者について作りあげるイメージにおいて眺められるのであり、言わばそのイメージの中で透視されるわけである。」

じゃあ、僕は僕じゃないの?僕以外の誰かが僕なの?わかんないよ!

そうじゃないわ。地面がなくては歩けないように、自分以外の何かがないとあなたは何も知覚できないのよ。何も知覚することのできないあなたに、あなた自身を知覚することはもはや不可能だわ。

そうか!何か、誰かを知覚する僕、そしてそれに反応する僕が僕を形作っているんだ!それが「ともにある視像」、つまり何かとともにある視像、それが僕なんだ!…でも僕以外のもの、人に対する僕のイメージが僕なら、僕の僕自身に対するイメージは僕じゃないっていうの?わかんないよ!ミサトさん!

いいえ、あなたのあなた自身に対するイメージ、それもあなただわ。でもあなた自身のイメージそのものは他者がいなくては生まれなかったことも確か。自分の顔を正確な意味で自分自身では決してみれないように、自分以外の誰か、何かという鏡を通してあなたはあなた自身をイメージできるようになったの。

そうか!僕の中にある僕以外の誰か、何か、そしてそこから形作られた僕のイメージ、それが僕なんだね!でも僕の中のミサトさんが僕なら、ミサトさんの中の僕は僕じゃないの?わかんないよ!ねえ!わかんないよミサトさん!

…それはあなたの中のあなたではないわ。でもそうね…強いていうなら私の中のあなたは、世界の中のあなた。世界の中では、あなたの中のあなたはもちろん、私の中のあなたもあなたなのよ。そしてあなたの中の私も私だわ。

そう…そしてその世界を焦点人物ひとりひとりに置き換えることで、お前の中の私を私自身にし、私の中のお前をお前自身にする。それが焦点補完計画。そうして無限ともいえる世界中一人一人の関係性の輪廻を自己に統合することで、私は神の視点を手に入れる。いやもはや神に等しい存在となるのだ。

こうして焦点補完計画は遂行され、ゲンドウはユイと彼岸の再会を果たす。今までの物語世界の中ではない、別のどこかで…

                                            終劇

8期生ブログ第1回『このグダ文が文学と崇められる日が来るかもしれない』

はじめましての人ははじめまして。お久しぶりの人はお久しぶりです。……いいカンジに一緒くたにしてくれる挨拶があればいいのに。

というわけで、8期生初回のブログを担当する齋藤穂花です! 内藤先生ゼミには去年からお世話になっているので、自称覚悟して来てる人です(笑)。ちなみに、今季の抱負は一念発起して申し込んだシナリオスクール……に10万エン勝手に振りこんだことを親愛なる両親に隠し通すこと(白目)。あ、ちゃんと自分のお小遣いですよ。ここに記すことで、色々な面での尻たたきにさせてもらいます。

前座:大元さん

大元さんは、井上堅二原作・吉岡公威作画の漫画『ぐらんぶる』を紹介してくれました。大学生の主人公が居候をするダイビングショップのくだらない日常が描かれた作品で、大元さんがダイビングにハマったきっかけなのだとか。大元さんのお気に入りエピソードは、主人公が出会いを求めて文化祭にメイド姿で潜入する回。漫画・アニメ共におススメらしいので、私も疲れたときに読んで大爆笑したいと思います~。

ちなみに、大元さんはこの紹介を3分きっかりで話してくれました! 私はついつい推し作品をうん十分も語り倒しがちになってしまうので、見習いたいと思います……!

2限サブゼミ:ストーリーとプロットについて

嘘です。タイトル(?)詐欺です。正確には2限で扱ったものは、ストーリーとプロット、そしてサスペンス効果について! アツく、アツ~~く議論を交わしました。

まず、ストーリーとプロットについて。両方とも物語の内容を表しますが、ストーリーは時系列、プロットは因果律という違いがあります。例えばミステリーだと、

 ストーリー:事件→発見→依頼→調査→解決

 プロット:依頼→調査→解決→事件

という感じ。……まあ、ここまでは比較的理解が早かったんです。ところが、こっからが問題でした本当に。サスペンス、もといサスペンス効果は、物語の結末の因果を先送りにすることで生まれるハラハラドキドキなのですが、そこでサスペンス? ミステリー? サスペンス効果? となり大混乱。

議論の末、一般に使われる「ジャンルとしてのサスペンス」と「サスペンス効果」は同じではないんだーッ! ってことに気づきました。

最終的に、

 ミステリー:不可解な出来事が起きた物語。ホラーやジャンルとしてのサスペンス(※)もミステリーに入る。ストーリー手法で語られることもプロット手法で語られることもある。

 サスペンス:元々語りの手法としての「サスペンス効果」として使われていた。因果関係を先延ばしにする手法。たとえ不可解な出来事でなくても不可解な出来事に見せることにできる。(※最近では一般的に、犯人がわかった状態で因果関係を先延ばしにするジャンルとして使われることが多い。)

だと分かりました。スッキリ解決!

4限ゼミ:文学とはなんぞや?

4限では、テリー・イーグルトン著の『文学とは何か』を扱いました。問いとなるのは題名そのまま、「文学とは何か」です。

結論から言うと、その基準は社会に生きる人間の価値判断に委ねられます。元々、形式を重んじるフォルマリストは、文学か否かは<文学的な表現⇔日常言語>の乖離(「異化」と言われる)の程度によって決まるとしていました。

しかし! イーグルトンはこの著書の中でそれを痛烈に論破しています。

 1.フォルマリストは詩に着目していたが、文学は詩だけではない。

 2.時代によって日常言語は変わり、また逸脱した言葉は文学以外にもある。

この2つが主な理由です。

ではどうやって定義するのか? イーグルトンは、文学を定義してしまうこと自体に問題があると主張しています。それは、もし文学が何たるかを客観的に決めようとしても、その「客観」を支える価値観は一人ひとりのイデオロギーと関わっているから。つまり、「これは文学だ、これは文学じゃない」と決める客観的評価は存在せず、不変の「文学」も存在しないというのです。「往年の名作」といわれる素晴らしき本たちも、時代によって変化し、作品によって解釈され・書き直され続けることでしょう。

ところで、イデオロギーって何だかわかりますか? 「感情・価値付与・認識・信念の諸様式が、社会権力の維持と再生に何らかのかたちで関係を持ったもの」だそうですよ。難しいですね。特に授業では「イデオロギーと感情が結びつくのはなぜ?」という疑問が出ました。ますます難しい。

これについて、発表者の佐藤さんがめちゃくちゃ分かりやすく解説してくれました。感謝! イデオロギーは政治的なものにとどまらず、私達の比較的身近にある問題にも及ぶそうです。例えば、「同性愛なんて認めないわ」という信念を持つ人が、同性同士で付き合っている人を見ると「あらヤダわ」と感じるかもしれません。辛い。それが、イデオロギーと感情が結びつくということです。愛に性別は関係ないと考える筆者がブログに「辛い。」と記すのも同じことだと思います。

そして、4限で私たち純粋無知な学生を苦悶に陥れた存在がもう一つ。文中に出てきた<記号表現(シニフィアン)><記号内容(シニフィエ)>についてです。どちらもソシュール言語学の用語で、その根底にはソシュールの「あらかじめ世界に存在する個別の事物が言葉を作っているのではなく、言葉によって世界が区切られている」という考え方があります。例えば、虹の色を「七色!」と答える国の人もいれば「二色!」と答える国の人もいる(明るい色・暗い色の区切りだと聞いたことがあります)ことが、その表れですね。

ここでようやく本題。例えば犬という例で考えるとき、

 記号表現(シニフィアン):「イヌ」という言葉

 記号内容(シニフィエ):「イヌ」と意味されるもの・考えられているもの

ということになります。ここで、シニフィエが生きている犬そのものを表すわけではない、というのがポイントです。本書では「象徴主義文学の神秘主義まがいの理論」という記述がありますが、それは記号内容(シニフィエ)が過多になる状態でした。つまり1つの文章に対して10個くらいの意味を連想することですね。深読みしすぎるオタクの考察長文みたいなものでしょうか(※あくまで私個人のイメージです)。その一方で、ロシアのフォルマリストは「文学は物質的事実そのものだ」と主張しました。

そんなこんなで4限をヒーヒー言いながら終えました。今回は初回ということもあり、内藤先生にところどころアドバイスをいただきながら進めましたが、次回からはそんなわけにもいかない気がします。頑張りましょう……!

ところで、今回の発表は2限・4限共に佐藤さんだったのですが、作ってきてくれたパワポがまあ分かりやすいのなんの! なんと作成に10時間も所要したそうです。おお神よ、お恵み感謝いたします……本当に助かりました。次回からはwordでの発表でもよいとのことですが、またいずれPowerPointを駆使する猛者が現れるんじゃないかと震えています。え、言い出しっぺの法則? そんなものは知りません。

お知らせ

最後にお知らせです。秋学期にワークショップの開催が決定しました! やった~~! 横田先生のゼミとコラボさせていただきます。コミュ障人見知り陰キャという三大爆弾を抱えている私、齋藤が渉外を担当します。嘘でしょ……。

長くなってしまったので、文字数が3000字を越えないうちに終わらせたいと思います。こんなグダグダでいいのか……? けれど、当ブログの題名を思い出してみてください。こんなグダ文がいつか文学だと言われる日が来るかもしれません(来ない)。とにかく、ヤバかったら次のブログ担当の人が軌道修正してくれるでしょう、たぶん! それでは、読んでいただきありがとうございました! またどこかで!

7期生研究発表会がありました

もうひと月くらい前のことになってしまいました。今年度も滞ってます。7期生徳村です。

表題の通り、7期生の研究発表会が先月くらいに行われました。我々7期生が3年次の秋学期に執筆したレポートが、先生やゼミの先輩方によって誉められたり、あるいは詰められたりする、非常に充実した発表会になったと思います。いただいたご感想やご指摘は、今後の卒論執筆に活かしていきたいです。

私は今回も村上氏にめちゃくちゃ詰められてタジタジになっておりました…。村上氏のレポートってなんかパワーがすごくて、その力強さって自分には無いものなので圧倒されてしまって「すげえなあ…」という感想しか抱けないんですよね。今回の研究発表会でも、改めてこの人は私に無いものを持っている人だなあと思いましたし、同時にあの人にないものを私が持っているような気もしました。人間を足して2で割れるようになったら、我々は真っ先に足して2で割られるんじゃないかと思います。でもそうやって生まれるのは、ちょっと薄味の全く同じ二人の人間なんだと思うと、やっぱり人間は足して2で割られるべきじゃないなとも思いますね。違いっていうのを、認め合えたらいいですよね。人類。

あとはホントに、打ち上げで食べたインド料理のことくらいしか覚えてないですね…。村上氏が、カニを美味しそうに食べていました。私はカニよりもエビの方が好きなので、あまりその感情を理解できなかったことだけが心残りです。

あと、今回の研究発表会のために論文集を制作しました。

写真とデザインは私が担当しました。この写真は、夕暮れ時の明治大学和泉キャンパスを撮影したものです。3年生なので本当は駿河台キャンパスの写真の方がいいのかな、とも思いましたが、純粋に好きな写真ですし、私も村上氏も主に和泉キャンパスの図書館で論文を執筆したり資料を探したりしていたので、まあオッケーでしょう。時間がなかったのでワープロソフトのみを使用したシンプルなデザインになりましたが、ゴチャゴチャしたデザインが好きじゃないのでこれもオッケー。参考にしたのは川島小鳥の『おはようもしもしあいしてる』という写真集のデザインです。持ってないんですけどね。

とりあえず研究発表会にまつわる殆どのトピックについては語り終えました。ディテールの甘さに関しては許してください。シンプル謝罪です。だらだら書いているうちにまた次のブログを書かないといけなくなってしまいました。次回のブログは、次の授業が終わるまでには書き上げたいと思っている(思っている)ので、首をなが〜〜〜くしてお待ちください。私も忙しいのです、こう見えて。本当です。

7期生 徳村

2022年度問題分析・解決ゼミ:4月募集の案内

こんにちは。本ゼミへの入室を希望する学生は、情報コミュニケーション学部の事務室の指示に従い、以下の書類を提出してください。

1. レポート: 以下の内容について論じること。

1) 志望理由 2)ゼミで取り組みたいこと(対象・作品があれば,それも示すこと)。

書式:WordもしくはPDF、A4横書き、字数2000字前後

2. エントリーシート: 以下のファイルをダウンロードし、必要事項を記入すること。

2年ゼミ第14回(最終回)「お疲れさまでした!」

こんにちは。2021年度2年ゼミブログの最終回を担当する佐藤杏海です。みなさん、期末レポートお疲れさまでした!今からみなさんのレポートを読めるのが楽しみです。

そして春休みに入って半月を過ぎたところでの執筆になってしまい大変申し訳ないです……。大学生って思ったより忙しいんですね……。昨年はコロナもあってあまり動けなかったし、と予定を入れていたらいつの間にか大変なことになっていました。来年度の目標は計画性にしようかと思います(笑)

さて、最終回のブログは2年ゼミのみなさんからコメントを募り、それを紹介することにしました。

ゼミ生のみなさんには「ゼミについて、感想や内藤ゼミに来年来る後輩へコメントをお願いします。」という質問の回答をいただいています!ゼミ選択に悩んでいる後輩に届くといいな……。

というわけで早速紹介していきます!

・映画・アニメ・漫画・小説・絵画・演劇・ジェンダー・哲学。  この中のどれか一つでも好きな方には超オススメのゼミです!!

・面白いし楽しいです。いろいろな分野に対して熱を持ち知識がある方々と出会えました。貴重な経験になると思います。

・感想: 面白さ半分、難しさ半分という感じでした。 自分が生きてきた中で考えもしなかったアイデアや視点を持つゼミ生の話は非常に為になりました。加えて、毎度ゼミ生のその凄さに舌を巻くばかりでした。 理論に関しては、「え?ん?」みたいなことが多かったです。なんとか理解してやるぞと意気込んでいましたが毎度撃沈。けれども、「こういうことね」と少しでも理解できたときは嬉しく、楽しさも感じていました。 長文を書くことに関しては、少しは苦手意識を克服できたかな~と。まあ、乞うご期待。 ゼミ生の皆様ともうすこし絡んでみたかったなともちょっぴり思います。 ゼミ生の皆様、そして内藤先生。半年間という短い時間でしたがお世話になりました。ありがとうございました。

・後輩へ: 小説や映画などの表象作品が大好きなあなた。レポートや論文などの長文を書くことが好きなあなた。今すぐこの内藤まりこゼミナールへ入室しなさい。後悔はさせないぜ。 一方、小説や映画などの表象作品をあまり興味がないあなた。レポートを書くのが苦手だと思っているあなた。内藤先生はもの凄く優しい人だが入室にはそれなりの覚悟が必要だぜ。ただ、新しいことたくさん学べるからおすすめはするぜ。なんやかんやで俺は耐えたぜ。(笑)

・自分と同じように映画が好き、小説が好き、分析してみたい作品がある、という人たちに囲まれながらもそれぞれが個性に溢れる考え方とか軸を持っていたので毎度毎度なるほどな~と思わされるゼミでした。自分以外のメンバーのリアクションペーパーを見れる講義なんて今までなかったので、人の素直な感想を大量に見れるのがとっても面白かったです。

・内藤ゼミで学んだ半年は決して長くない時間でしたが、他のゼミでは学べない沢山の考え方に触れることができました。おそらく内藤先生は自身のゼミを今後も「ガチゼミ」と呼ぶのではないかと思いますが、怖がらずに飛び込んでみると最高の学びの経験ができるかと思います。ぜひこのゼミという場を活かして自身をアップデートする機会にしてください!

・先生が批評理論をわかりやすく解説してくださるので毎回の授業が刺激的で頭を使います。とても面白いです。また課題で出される授業のリアぺを毎回次の授業の冒頭で先生がコメントをする時間があるので、他のメンバーがどのように授業や理論を受け取ったのかを知ることができ、とても勉強になります。

・授業ではゼミ生同士で意見を共有する場面が多くあるので、自分にはなかった視点や考え方など、新たな発見がたくさんありました。また先生のお話もとても面白いゼミでした。

・半年間のゼミでしたが、今までで一番濃い内容を学ぶことができたと思います。批評理論と論文の書き方を学ぶという授業内容そのものもかなり充実していましたが、何よりもゼミ生の皆の熱量が高く、とても刺激を受けました。映画が好きな人、アニメが好きな人、ジェンダー問題に関心のある人、プレゼンが上手な人、論理を緻密に立てられる人、独自の視点を持っている人…ゼミ生のみんなは必ず自分だけの強みを持っていると感じました。正直最初はそれに圧倒されてしまいましたが、自分にできることは何か、足りないものは何かを考えるきっかけになりました。また、内藤先生のお話も毎回とても楽しく、ゼミの内容に関係ある話もない話も聞き入ってしまいました。  来年のゼミ選びでどのゼミにしようか迷ってこのブログに辿り着いた方は、半年だけでも取ってみると良いのではないでしょうか。自分が何を学びたいかを考えるきっかけになると思います。  短い間でしたが、多くの学びをくれた先生・ゼミ生の皆さん、ありがとうございました。

・親愛なる後輩様へ これをあなたが見るころには私は三年生になっているでしょう。もう卒業しているかもしれませんね。このゼミには変態たちが集ってきます。自分の知らない世界について詳しい人がたくさんいます。ですが落ち込まないでください。この分野ではこの人がすごいという、いびつなグラフを重ね合わせてできる全分野Max値のグラフを見て落ち込む必要はありません。自分も尖りましょう。変態を目指してください。 匿名希望の大学生より

・このゼミでは予習が大変な分、毎週のディスカッションは楽しいし、大変大きなものを得られると思います。一緒に頑張りましょう!

・ゼミ生一人一人の考えが素晴らしく、互いを尊重できる貴重なゼミの授業でした!最初に鬼ゼミと脅されて正直やめようかと思いましたが、耐えれば案外どうにかなります!(執筆進んでない自分が言ってます)あっという間に過ぎる大学生活だからこそ、実りのある授業に取り組んでいくことが大切であると思います!私はこのゼミを選んでよかったです(^^)

・ひとりひとりのやりたいこと、好きなものがかなり確立されているので、前座や構想発表を通じてゼミ生のみんなの多様な思想を学び、新しい世界を知ることができる点が魅力だと思います。

・自分の考えを伝えることは大学生になるとたくさんありますが、こんなに真剣に他の人の考えを聞く機会はなかなかないと思います!大変なところもありますが、レポートの書き方や考え方を一気に学ぶことができるのでとても楽しいです!

ゼミ生のみなさん、回答ありがとうございました!約4か月間の短い時間でしたが、かなり濃く、充実したゼミだったと思います。内藤先生、お世話になりました!誰一人脱落することなく最終レポートを迎えられてよかったです……。

私自身は3・4年ゼミも内藤ゼミです。ですが、他のゼミに行くみなさんもここで学んだことは絶対活かせると思います。折り返しを迎えた大学生活、楽しんでいきましょう!

それでは、また機会があればどこかで!本当にお疲れ様でした!