12期生 第二回 テクストとは何か

内藤ゼミ11期生初回のブログを担当いたします、飯尾月葉と申します。先輩方に倣って、初めに簡単に自己紹介をしたいと思います。

私は秋田県出身で、大学進学を機に上京してきました。アニメや漫画が好きで、最近は『WIND BREAKER』や『暁のヨナ』、『呪術廻戦』にはまっています。また、ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』も大好きで、特にミュージカル作品をよく観ています。東京ではこうしたイベントが数多く開催されるため、以前から「大学生になったら上京したい」と考えていました。内藤ゼミでは、特に『刀剣乱舞』をテーマに研究していきたいと思っています。

現在は居合道部白鷺会と早稲田大学のインカレサークルに入っています。中でもぜひ知っていただきたいのが居合道ですね。剣道でも合気道でもありません。模擬刀(竹刀ではなく金属製)で演武する武道です。刀をビュンビュン振るのはあこがれませんか?まだ知名度は高くありませんが、この機会に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

少し長くなりましたが、授業の内容にうつります!

前座

今回は、私が『刀剣乱舞ONLINE』について紹介しました。『刀剣乱舞ONLINE』には、キャラクター(刀剣男士)たちの魅力的なビジュアルや、実在する日本刀がモチーフになっていることなど、さまざまな魅力があります。その中でも特に面白いのは、「はっきりしたメインストーリーがない」という点だと思います。

刀剣男士たちは、プレイヤー(審神者)それぞれの本丸に顕現するという設定なので、同じ刀剣男士が複数存在していても問題ありません。歴史を改変しようとする敵と戦う、という基本設定はあるものの、実際にはそれぞれの本丸で起こる出来事が“本編”になっています。そのため、メディアミックス作品や二次創作でどんなストーリーが描かれても、違和感なく共存できるのが特徴です。さらに、「同担拒否」が起こりにくいのも面白いところだと思います。なぜなら、自分の本丸の刀剣男士と、他の人の本丸の刀剣男士は、それぞれ別の存在として考えられるからです。

こうした自由度の高さや、解釈の幅広さが、『刀剣乱舞ONLINE』ならではの魅力だと感じました。

3限

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』

1冒頭 

古田さんの発表でした。

第1章では『フランケンシュタイン』の冒頭について取り上げられています。小説の冒頭部は読者にとって、現実世界から虚構の世界に入るための敷居です。初版の『フランケンシュタイン』では、「11月のある陰鬱な夜のこと、、」という書き出しになっていましたが、この書き出しは読者に急激に情報を与え大きな疑問を残して今します。一方で、再編された『フランケンシュタイン』では、ある男の姉に宛てた手紙文から始まっています。現実的な手紙という形式に物語を収めて、読者に信憑性を与えることで小説の冒頭という敷居を跨がせやすくさせる技法がとられているのです。

しかし私は、手紙が一般的ではなくなっている現代では、手紙が読者にとって良い敷居であるとは言えないと考えました。物語の世界に入り込みやすいメディアは時代によって変化していくのかもしれません。

2ストーリーとプロット

第2章では小説におけるストーリーとプロットについて取り上げられています。ストーリーは出来事を起きた時間順に並べたもので、プロットは物語が語られる順に出来事を再編成したものです。つまり、ストーリーは時系列で、プロットは因果関係によって出来事を組み替えているのです。『フランケンシュタイン』では、物語がほとんど終わりに達した段階から始まり、過去に遡って語るという配列法がとられています。またプロットで語られることで、読み進めると生じる疑問がすぐには解消されず、真相の提示が先延ばされるため、謎やサスペンスが生み出されています。

4限

ロラン・バルト『作者の死』

引き続き古田さんの発表でした。

授業内容の前に言葉の整理をしたいと思います。テクストとは、作品そのものであり、作品となる内容のこと。エクリチュールとは、書くこと、言語活動全般のこと。

本テクストでは、テクストの中に作者(の意図や背景)を読み取ろうとするのではなく、むしろテクストと書き手は分離して考えなければならない、と主張しています。つまり、書き手は単に文字を書いたにすぎず、読者はテクスト自体を解釈しなければならないということです。テクストは、それまでに書き手が経験してきたあらゆる他者の文化やエクリチュールが反映されたものであるため、そこに書き手由来のものは含まれないとする考え方です。

このようにテクストと作者を分離して考えると、テクストには多様なエクリチュールが存在し、それぞれがそれぞれと様々な形で関係しあっています。そのため、テクストは、解読し一つの答えを見つけ出すことはできず、読者によって多種多様に解釈されるのです。

以上が第二回の授業内容です。語が難しく、読み内容を理解するのもまた難しかったですが、何がわからないのか、どう解釈したのかをきちんと整理し、引き続き授業に臨みたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

飯尾

11期生 第1回 映像作品における『構図』

皆さん、こんにちは!

久々の更新となりました。

11期生の井上紬です。

このたび4年生に進級するとともに、ゼミで学習する理論も、文学を対象にしたものから映像作品を対象にしたものに移りました。

今回はその第1回ということで、映像作品における『構図』について、本ブログにまとめたいと思います ^_^

本日の理論:『Film Analysis』第1章「構図」

分析対象:『第三の男』(キャロル・リード監督)

皆さんは、映画において「構図」とは、ストーリーにどのような意味をもたらすと考えますか?

今回扱った図書『Film Analysis』の著者(マイケル・ライアン、メリッサ・レノス)によれば、

「構図」、つまり、画面上の密集率・登場人物の位置や大きさ・演者の配置などは、登場人物同士の関係性を表したり場面の強調をしたりする意味をもたらすといいます。

これは具体的にどういうことなのでしょうか。

たとえば、画面上に登場人物が密集している様子(タイトなフレーム)からは「抑圧」や「強さ」のイメージが読み取れます。

一方で、広大な背景に対して登場人物がぽつんと佇んでいる様子(ルースなフレーム)からは「空虚さ」や「脆弱さ」のイメージが読み取れるというのです。

文章にするとわかりづらいかもしれませんが、実際にこのような映像を目にしたとき、確かに私たち視聴者はこういったイメージを抱いているような気がします。

密集率以外にも、【重要人物はフレームの中央か上半分に置かれている】のに対して【従属的な人物は下半分か端の方に置かれる】といった位置の問題や、【背景(の人物)の存在によって前景の人物の属性を際立たせる】といった大きさの問題もあり、次何か映画を観るときには「本当にそうなの?」と確かめたくなってきますね。

フレーム内にいる登場人物たちの秩序をみるという点では、シンメトリ/アシンメトリの概念も重要になってきます。

シンメトリといいますと、最もイメージしやすいのは軍事パレードの様子でしょうか。

一糸乱れぬさまから伝わってくるように、シンメトリの構図には統一や調和、規律の厳格さや融通の効かなさといった意味合いがあります。

また、シンメトリという語から「上下または左右が対照的な構図」だけを想像されるかもしれませんが、決してそれだけには限らないのもポイントです。

たとえば、映画『ミルドレッド・ピアース』において、4人の登場人物(女・彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)がフレーム内に収まるシーンがあるのですが、このとき(女)と(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)が1:3で対立しているかのような構図がとられています。

しかしよく見てみると(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)は背の順で横一列に並んでおり、ある意味で不自然なのです。

つまりこの構図は、よりを戻したい・戻してほしい(彼女とよりを戻そうとする男・女の母・女の妹)と、そうは思っていない(女)という対照。

このような場合もシンメトリと解釈されることから、私たちゼミ生は、

シンメトリという構図を「パワーが均衡している様子」と説明することにしました。

一方でアシンメトリは、不道徳や裏切り、嘘や殺人などを表現する場合に、光と影のコントラストを作る構図です。

以上を踏まえて、ゼミでは最後に、映画『第三の男』の分析を行いました。

今から70年以上前の作品とは思えないほど、光と影の表現が前衛的な名作。

ラストで女性が並木道を歩いてくる長回しは、それこそ「ルースなフレーム」として読み取れますね。

また、印象的なのは観覧車にて主人公・ホーリーと死んだはずの『第三の男』・ハリーが対話するシーン。

ハリーがホーリーのもとにやってくるとき、ハリーの背景にある遊園地の様子は閑散としていて「空虚さ」や「脆弱さ」を感じさせるのですが、ホーリーとの熱い問答を繰り広げたあと、ハリーが姿を消していく遊園地の様子は賑やかで、彼が物語において「強さ」を取り戻したことがこの一連の流れから読み取れます。

今回は第1回ということもあり手探りで進めてしまったため、物語全体の解釈にはおよびませんでしたが、「構図」に着目してみる映画は、それまでとは違った様相を見せてくれると感じました。

皆さんもぜひ次見る映画では「構図」を意識して観てみてくださいね!