11期生 第7回 ファンタジーの境界線

皆さんこんにちは。今回もブログを担当します。土田です。

夏が来るか?と思ったらまだ肌寒い日が続いていますね。私は夏の訪れを感じたら見ようと決めている好きなドラマがいくつかあるのですが、見るのはもう少し先になりそうです、、。

それでは今回の授業内容にいきましょう。今回の担当は井上さんで、『映画の理論』から「歴史とファンタジー」を取り上げました。過去や『非実在的』な世界を映画に組み込む際に生じる主要な問題とは何だろうか、という大論点をもとに、非現実的な題材を扱う作品について考えました。

先ず、本論文では歴史映画は「耐え難いもの」とされていて、その理由として、

・コスチュームやセットが舞台的であること

・映画媒体の特性が無限性であるのに対して、歴史映画は有限的であること

の2点が挙げられています。

そしてこれを緩和する妥協策として、

・歴史そのものに重きを置くのではなく、〈カメラの現実〉へと重点を移動させる

・本当らしさの魅力を利用して、非映画的な領域で獲得した歴史という事実から観客を遠ざける

の2点が提案されています。

ここまでは、非映画的な歴史映画の話であったのですが、ファンタジー映画は映画的なのでしょうか、それとも非映画的なものなのでしょうか。

これらを分類するときに、幻想的なものを表現するうえでの「技法的要因」と「関係的要因」の相互作用が重要になっています。

ファンタジー映画が映画的となる可能性がある時は、

・ファンタジーが現実と同じ美的正当性を装っている場合

・ファンタジーに物理的現実よりも低い位置が付与される場合

の2点が挙げられます。

映画的な手法で確立されたファンタジーは、別世界の物に対して、物理的現実と同じ妥当性が認められているかどうかという点で、適切かどうかを判断されます。

例えば、悪魔や幽霊を作り出すにあたって映画媒体の技法的特性を頼りにしている場合、又はファンタジーが遊戯的なやり方で扱われるか、夢の場合は物理的現実にファンタジーを上回る妥当性が認められる場合は、映画的と認められるのです。

このように、歴史やファンタジーといったジャンルは「非実在的」であるがゆえに、「非映画的」な作品になってしまうため、それぞれに対して「映画的」なアプローチが必要になっているのです。

これらをもとに、映画「2001年宇宙の旅」を分析しました。この映画はスタンリー・キューブリック監督によって、1968年に作られたSF映画です。

物語は、猿人類が正体不明の謎の漆黒の石碑のような物体に出会うところから始まります。そして時が流れ、人類は宇宙へ進出するようになってからまた再びモノリスが観測されます。そしてその後、人工知能HAL9000を搭載した宇宙船が木星探査へと向かいます。

この、モノリスをどのような存在とみなすかで、この作品はどこまでが現実でどこからがファンタジーであるのか、ということを考えることができます。

今でこそ人工知能は日常に根付いていますが、1968年に作られた2001年の世界の物語に登場しているということは、今は夢物語のように扱われているあれこれも、50年くらいたてば当たり前になっているのかもしれません。技術がかなり、作中でファンタジーとして描かれている事象に追いついている分、どの地点からファンタジーとみなすのかを考えることは非常に難解でした。

私はファンタジー作品はあまり得意ではなく普段ほとんど見ないのですが、妥当性などの地に足の着いた観点から分析することは面白いなと思いました。

それでは本日のブログはここまでです!また次回!

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