12期生 第9回 読者とテクストの相互行為

みなさん、こんにちは!12期生第9回のブログを担当する古田です。

今回のゼミでは、ありがたいことに10期生の方々と留学生として一緒に内藤ゼミで学ばれていた、アレッシオさんが来てくださいました!
私は初めてお会いしたのですが、内藤先生がおっしゃっていたようにとってもチャーミングな方でした!でもそれだけではなく、テクストを丁寧に読み様々な指摘をしてくださる方で、大変刺激的なゼミの時間となりました。いつか行ってみたいと思っていたドイツについても少し知ることができ、アレッシオさんのおかげでいつもより有意義な時間を過ごすことができました。

そんな第9回の授業についてまとめていきます!どうぞよろしくお願いいたします。

【前座】

今回は私が映画「クレヨンしんちゃん」シリーズについて紹介させていただきました。

映画「クレヨンしんちゃん」は普段週に1回放送しているアニメとは異なり、日常系の話ではなく冒険譚のようなストーリーの構成となっています。

映画「クレヨンしんちゃん」の魅力はしんちゃんのおバカな行動によるギャグはもちろんですが、それだけではありません。この映画は子どもだけではなく、付き添いで来た大人も楽しめるような要素がところどころに散りばめられています。子供騙しの映画ではないのです。ここで私がつらつら書き連ねるより、見てもらった方が早いので私的おすすめトップ3をご紹介します。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』
クレヨンしんちゃんの映画といえば、オトナ帝国の名が挙がることが多いですが、戦国大合戦はオトナ帝国と並ぶほど大人も楽しめる作品かつ、まとまりが美しい作品だと思います。戦国とタイトルにあるようにタイムスリップものですが、戦国時代の身分によって引き裂かれる儚い恋模様と避けられない戦、そこに突然舞い込む現代の5歳児という要素からして面白い作品です。見てください。

『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』
プリキュアや仮面ライダーといった変身して悪者と戦い、世界を救う存在に憧れたことはあるでしょうか。3分ポッキリ大進撃ではひょんなことから野原家が並行世界と現実世界を行き来し、並行世界において彼らは変身し、現れる怪物を倒す役目を引き受けることになります。怪物を倒すと、もちろんその世界の人々から称賛されます。しかし、現実世界の人々はそんなこと知ったこっちゃありません。だんだん、しんちゃんの両親はそのギャップに耐えられなくなって…といったストーリです。ただ悪者を倒すだけじゃ終わらないのが、映画クレヨンしんちゃんのいいところです。いい意味で子供に見せる話じゃないだろ!となります。見てください。

『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』
これはホラーです。本当に子供に見せる映画ではありません。私は今年で21になりますが、もしこの映画におけるしんちゃんの立場だったら、もう怖すぎて悪者を倒そうとか微塵も思わないと思います。ただ、敵の目的は大変おバカなもので、サンバを全世界の人に踊らせたいという考えのもと様々な悪事を起こします。そのため、ラストはみんなでサンバを踊って終わるのですが、それにしてもここまで怖くする?という映画です。でもその分本当に面白いです。私は幼稚園の頃からこの作品が1番好きで、かれこれ30回以上は見ていると思います。そんなに!?って思いますよね、見てください。

アレッシオさんがお住まいになられているドイツでも、クレヨンしんちゃんのアニメ自体は親しまれているようでしす。しかし、映画クレヨンしんちゃんはどうやら翻訳されていないとのこと…残念!
できたら世界中の人たちにこの面白い映画シリーズを楽しんで欲しいです。

【3限】第1章…伝統的批評、第2章…ジャンル批評

第9回の発表担当は飯尾さんでした。今回も『批評理論入門』より分析をしました。

今回から批評理論編に入りまして、まずは伝統的批評、そしてジャンル批評について扱われていました。

伝統的批評の例として挙げられていたのは道徳的批評です。その名の通り道徳的観点から物語を見ていきます。
『フランケンシュタイン』は19世紀までは狂気、恐怖を喚起させる、いたずらに心苦しくなる作品と批評されてきました。怪物という命を人間が生み出すという行為は、当時のキリスト教がイデオロギーとして強い状況から見て、ありえないといった感じだったのでしょう。

対して、20世紀では、むしろ道徳・教育目的によって書かれたという批評が現れます。怪物をいかに扱うか、『フランケンシュタイン』を道徳的に見つめる試みは今でも続いています。訳のわからない恐怖を与えてくる存在を、現実の現代社会で私たちはどのように対応すれば良いのでしょうか。その問題提起として『フランケンシュタイン』を批評したのが20世紀以降の道徳的批評でした。

次に、挙げられたのは伝記的批評です。この批評では作品は作者の人生の反映なのではという考えの元、テクストを見ていきます。

『フランケンシュタイン』では主人公フランケンシュタインのモデルは誰かという入り口から伝記的批評を行うことができます。
作者の夫であるパーシー・シェリーは「きちがいシェリー」と呼ばれるほどかなり個性的な人物でした。また、科学に対して並々ならぬ興味を持っていたようです。こういった点からフランケンシュタインのモデルになっているのではと考えられます。また、フランケンシュタインは、作者が大きな影響を受けたダーウィンがモデルなのではという説もあります。

といったように、様々な批評が行われていますが、注意しなければならないのは文学作品を作者が反映されているなどと個人的なものにしてしまうことです。文学作品、テクストには多数の外的状況が付随しています。これを無視してしまっては文学批評によってその作品の解釈を狭めてしまうことになりかねません。

私も批評の際には、その点には十分気をつけていきたいです。

それでは、次の章に移ります。ここではジャンル批評が取り上げられていました。
ロマン主義文学、ゴシック文学、リアリズム小説といったジャンル要素が『フランケンシュタイン』には含まれています。

『フランケンシュタイン』では、間テクスト性の章でも出てきたように「老水夫行」「ティンターン寺院」といったロマン主義文学の影響を多分に受けています。この点からはロマン主義文学と見られるかもしれません。

しかしまた、ロマン主義文学の一つであるゴシック文学とも見ることができます。怪物という超自然的な存在、そして彼が引き起こす凄惨な出来事の数々は大変ゴシック的です。

ですが、さらにロマン主義とは対極にあるリアリズム小説とする見方もあります。怪物の超人的な力、言語能力、そしてその誕生についても現実にはありえないことながら、その理由づけはされています。突拍子もない空想が描かれているわけではないこのテクストはある意味リアリズム小説と言えるかもしれません。

上記を踏まえると、怪物を生み出すのに電気を用いた描写があるこのテクストはサイエンス・フィクションとも捉えらえます。

というように『フランケンシュタイン』は様々なジャンルの要素が見受けられます。
そもそも、テクストをこういったジャンルに分けることで得られることとは何でしょうか。例えば、世間一般でこのジャンルといえばこれ!と言われているような作品をいや、そのジャンルと言えるのか?と批評するのは新たな発見がありそうです。
私たちはテクストをジャンル分けすることで、ある意味わかった気になっているだけなのかもしれません。批評の際にはジャンルに囚われて作品を見ることのないようにしたいと考えています。

【4限】行為としての読書

引き続き飯尾さんの発表となります。今回はヴォルフガング・イーザー「行為としての読書 Aテクスト理解の行為」を分析しました。

タイミングの良いことに、イーザーはアレッシオさんと同じドイツ出身の理論家です。アレッシオさんはドイツ語の原著を読んできてくださいました!

まずイーザーはテクストと読者の関係について、テクスト→読者の一方通行のものではないと述べます。テクスト⇄読者の相互作用が起こっているそうです。
具体的には、テクストがまずその言語記号や構造によって読者の意識からテクストへの転移を誘発します。そして、読者がテクストに転移し、これがイーザーの言う相互行為となります。

「転移」というのはカウンセリングの用語で、過去の他者との関係における感情や行動パターンが、現在の人間関係に無意識に反映されることを指します。

こういった相互作用については、スターンやサルトルによっても述べられてきました。

次に読者はテクストをどのように読むべきなのでしょうか。

そもそもテクスト、特に虚構テクストは客体世界から選択し、率直に表現するのではなく、実際のコンテクストから引き離し逸脱して生み出されています。そのために、テクストが合っているのか間違っているのかと読者はテクストに向き合う必要が出てきます。そういったテクストにおいてどう読者は向き合えば良いのでしょうか。

イーザーは読者は遠近法を用いて、テクスト一文一文連続的に読みつつ、それとともに総合を行うように読者は読むとしています。
私たちはテクストを読むときに全体を見渡して全てを理解することはできません。常に文の一部分にスポットが当たっていて、前の文や後ろの文はフェードイン・フェードアウトしていきます。こういった点をイーザーは局面でしか捉えられないと表現しています。
そのために私たちは文章を理解するのに今まで読んだ文章を常に総合して読み続けているのです。

総合活動からもわかるように、虚構テクストは客体の直示が主ではなく、その文の相関体に関心がおかれています。

といったようにまだ続いていくのですが、アレッシオさんとの議論が盛り上がってしまい時間切れとなってしまいました….

続きは補講の時間に行う予定です。
動的な読者についてさらに知見を深めていきたいと思います!

中途半端となってしまいましたが、以上で第9回のブログを締めたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました!