12期生 第12回 フェミニズム批評・ジェンダー批評について

みなさん、こんにちは!今回のブログを担当する飯尾です。

やらないといけないことを後回しにしてしまい、生活リズムが崩れ、学校生活も就活もグズグズになっており、激焦り中です。毎日のやることリストを作って、確実にリストを埋めていけるように行動したいと思います。頑張ります。。。

それでは早速ですが、授業の内容に入っていきたいと思います。

前座

今回は日本刀について紹介しました。たまに博物館、美術館に刀剣を見に行ったり、地方に観光に行った際は必ず歴史博物館に行って刀剣を見たりしています。鑑賞する際はいつも、その展示の中でどの刀剣が一番好きかを理由もともに考えるようにしています。私は特に長くて細い姿のものや、大慶直胤の皆焼刃(ひたつらば)が好きです。

日本刀は、鋭い切れ味だけでなく、美しい反りや繊細な刃文(はもん)、そして刀鍛冶の卓越した技術が息づく日本の伝統工芸品です。一本一本に異なる個性や歴史があり、武器であると同時に芸術作品としても高く評価されています。初めて日本刀を鑑賞する際は、まず全体の姿やバランスを楽しみ、次に刃文に注目してみましょう。刃文とは、焼き入れによって刃に現れる波や直線などの美しい模様で、日本刀ごとに異なる表情を持っています。

3限

古田さんの発表でした。

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』

6 フェミニズム批評

フェミニズム批評では、性差別を暴く批評として、男性作家のテクストを女性の視点から批評する方法、対して女性が書いたテクストを体操とする「ガイノクリティックス」、女性と言語の関係といった様々な批評方法がとられている。『フランケンシュタイン』に用いると、作者の環境と作品の関係や、テクスト内における女性の登場人物の言動、そして女性である作者の精神的な部分とテクストとの関わりにおいて女性であることが大きく影響していると捉えられる。

ゲイ批評やレズビアン批評、フェミニズム批評はこれまでのテクストを、男性の物語、異性愛の物語だとそれだけで読まないでという動きであったことに価値があり、それによって我々は読みの選択肢が増えているといえる。

7 ジェンダー批評 

ジェンダー批評とは、性別とは社会や文化によって形成された差異・役割とみて、両性を連続的なものとして捉える。ゲイ批評、レズビアン批評、クイア批評が挙げられる。『フランケンシュタイン』では、ゲイ批評の視点からフランケンシュタインとクラヴァルの関係は特別な親密さが含まれていると捉えられ、レズビアン批評の視点からジャスティーヌとエリザベスの関係には同性愛的雰囲気が見受けられる。しかし、ここから何が言えるのかを考察しなければ意味をなさず、むしろクイアをあら捜しするような危険が伴う。

4限 ジュディス・バトラー『パフォ―マティブ・アクトとジェンダーの構成

ジェンダーは実体ではなく、歴史によって示された可能性により抑圧・規定された状況下で自身のジェンダーを、身体を通して演じることである。その規範は沈殿しており、身体のスタイルはジェンダーによって構成されているが、そのことは身体を二分した生物学的な性へと自然に配置したものであるかのように見える。女性らしさや男性らしさといったジェンダーは、そういった観念があるのではなく、身体を動かし続けることによって具体化されているのである。規範に外れないように生き抜くために、ジェンダーを演じる必要があるのである。

フェミニストと近しいものが感じられるかもしれないが、フェミニストは女性を擁護することが男女という二分をより強固なものにしている点で異なる。

以上が第12回の授業内容です。フェミニズム批評やジェンダー批評は、用いやすい一方で、そこからなにが言えるのかをきちんと考察しなければ危険をはらむ可能性があるため、この理論を用いるのには少し気を付けなければならないと思いました。

飯尾

12期生 第10回 グラマトロジーとは何か

みなさん、こんにちは!今回のブログを担当する飯尾です。

就活に勤しむ今日この頃でございます。要約ESの提出の締め切り祭りが落ち着いてきました。しかし、どこにも受かる気がせず焦るばかりです。もっと行動しなければと反省するばかりでございます。

それでは早速ですが、授業の内容に入っていきたいと思います。

前座

今回は私の高校三年間という青春といっても過言ではない、呪術廻戦について紹介しました。芥見下々先生による少年ジャンプ連載の漫画で、アニメでは現在第三期まで放送され物語のクライマックスに近づいてきております。『呪術廻戦』は、人間の負の感情から生まれる「呪い」と、それを呪術で祓う呪術師たちの闘いを描いたダークファンタジーです。人間の負の感情から生まれる「呪霊」と、それを呪術で祓う「呪術師」の戦いを描くダークファンタジーです。主人公・虎杖悠仁が「呪いの王」両面宿儺をその身に宿し、呪術高専の仲間や教師・五条悟と共に世界の運命をかけた壮絶な戦いに身を投じます。 世界中でも人気の作品となっています。私は教師の五条の学生時代の物語が一番好きで、五条と夏油が最推しです。2人の関係性や物語にドキドキしてしまいます。ここでは語りきれないので、気になる方はぜひ読んで見てみてください。

3限

古田さんの発表でした。

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』Ⅱ批評理論編

3 読者反応批評

読者反応批評とは、テクストはその定義が限定的な読者による活発な関わりによって共同作業を行い意味が生産されるものとして、読者を刺激し思考を引き出すテクストを研究対象とする考えを持ちます。『フランケンシュタイン』は、前景化や手紙という特殊な形式、入れ子構造によって読者に共感や違和感などの刺激を与えるだけでなく、不完全なテクストに対してその境界を逸脱させるような反応を引き出す作品といえます。

12 文体論的批評

文体論とは、テクストにおける文学的要素に着目し、作者が語や語法をどのように用いているかを科学的に分析する方法です。作家論にもよく用いられていました。この批評で『フランケンシュタイン』を分析すると、主人公の普段の語りと感情的な語りの比較により、文の長さや表現の複雑さなどから、主人公の性質と感情的な場面の語りの違いを見ることで、その場面で内的逸脱が起こっていることがわかります。

13透明な批評

「不透明な批評」とは、テクストを客体として捉え、その形式上の仕組みをテクストの外側から分析する方法で、 「透明な批評」とは、作品世界と読者の世界との間に仕切りが存在しないかのようにテクスト中に入り込んで論じるような方法です。この方法を用いると『フランケンシュタイン』について、アーネストやフランケンシュタイン、怪物についての記述を入口とし、現実世界を踏まえてその内容を深堀りすることで、物語の中心部の解明につながると分析できます。しかし、それはどこか主観的なものになってしまう可能性があります。そのためあくまで、現実と虚構のしきりを意識して私たちは研究すべきだとも考えます。

4限

古田さんの発表でした。

ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』

グラマトロジーとは、ロゴス中心主義、その本質である言語中心主義に対して警鐘を鳴らす、音声言語と文字言語の限定的な閉域の中におけるエクリチュールについての学のことです。例えば、驚いたときに発する第一声の「アッ」は、驚くという行為と寸分たがわずに発せられたわけではなく、驚くという現象から少なからず時間差があると捉え、それについての研究ともいえます。

ロゴス中心主義とは、表音的文字言語の形而上学です。根本的には民族中心主義と同じであり、表音文字以外の言語を手前味噌の賞賛で無視してしまいます。例えば、アルファベットなどの表音文字は論理的である一方で、支那的な言語を表音文字の一面もあるにも関わらず漢字の形にのみ注目して意味を表象する、表音文字(ヨーロッパ)とは全く異なる理解不能なものとして決めつけてしまうという考え方です。

グラマトロジーは、このような二項対立に挑戦し脱構築させることに取り組んでいます。

以上が第10回の授業内容です。

飯尾

12期生 第8回 間テクスト性とは何か

みなさん、こんにちは!今回のブログを担当する飯尾です。

前学期の留学を経て、最盛期なみに太りました。最近になり、さすがに太りすぎだと思ってダイエットすることを決意しました。しかしこれまでダイエットが長続きした試しがないので、不安もありつつ今回で最後にしたいと思ってます。まずは第一歩として、食事の記録と帰りに一駅歩くことを始めました。長い目でみて、結果を焦らないように頑張って継続したいです。

それでは早速ですが、授業の内容に入っていきたいと思います。

前座

今回は私の趣味の一つであるコスプレについて紹介しました。アニメやゲームなどのキャラクターの恰好をして遊んだり撮影したりします。私自身もコスプレをしていて、他大学のコスプレインカレサークルの代表をしていたりもしています。私は特に、ウィンドブレイカーや銀魂、刀剣乱舞などの少年漫画を中心にコスプレしています。普段の私ではない恰好ができる、推しの恰好をして遊べるという非日常感にとても魅了されてハマったのだと思います。また、推しが三次元にいて会えるのも楽しい点です。コスプレについて少しでも興味を持ってもらえたら嬉しいです。

3限

古田さんの発表でした。

廣野由美子著『批評理論入門 フランケンシュタイン解剖講義』

13 間テクスト性

13章では間テクスト性が取り上げられていました。間テクスト性とは、文学テクストにおける他の文学テクストとの関連のことです。文学テクストは、常に先行するテクストから何らかの影響を受けているものであり、作者が経験の中で見聞きしたテクストや歴史的背景の影響が意識的・無意識的に反映されているというものです。

14 メタフィクション

メタフィクションとは、語り手が語りの前面に現れ、読者に大して語りそのものについて口上をのべるような小説のことです。『フランケンシュタイン』では、完全なるメタフィクションではないが、語り手によって語り自体について物語そのものについて語られる点にメタフィクション的な要素が見受けられます。

15 結末

結末には、「閉じられた終わり」と「開かれた終わり」に分類でき、また前者には「ハッピーエンド」、「悲劇的結末」、「意外な結末」があります。『フランケンシュタイン』は手紙の結部が描かれていない点や怪物が死ぬ場面が描かれていない点から「開かれた終わり」の結末だといえます。

4限

古田さんの発表でした。

ジュリア・クリステヴァ『記号の解体ーセメイオチケ1』

本テクストは、バフチンのテクストがどのように描かれているかについて論じています。結論としてバフチンのテクストは、ひとつの固定的な意味だけを持つのではなく、いくつものテクストや作家、受けて、文化のコンテクストが交差しあって様々な主体のありかとなっているのです。通時態が作家に読まれ書かれることで共時態に変換されるとは、歴史のテクストや過去から現在へと生み出されてきた様々なテクストが、作家によって一つのテクストに集約されることで、集約されたテクストという特定の時間の中に固定されるということです。

以上が第8回の授業内容です。

飯尾

12期生 第9回 読者とテクストの相互行為

みなさん、こんにちは!12期生第9回のブログを担当する古田です。

今回のゼミでは、ありがたいことに10期生の方々と留学生として一緒に内藤ゼミで学ばれていた、アレッシオさんが来てくださいました!
私は初めてお会いしたのですが、内藤先生がおっしゃっていたようにとってもチャーミングな方でした!でもそれだけではなく、テクストを丁寧に読み様々な指摘をしてくださる方で、大変刺激的なゼミの時間となりました。いつか行ってみたいと思っていたドイツについても少し知ることができ、アレッシオさんのおかげでいつもより有意義な時間を過ごすことができました。

そんな第9回の授業についてまとめていきます!どうぞよろしくお願いいたします。

【前座】

今回は私が映画「クレヨンしんちゃん」シリーズについて紹介させていただきました。

映画「クレヨンしんちゃん」は普段週に1回放送しているアニメとは異なり、日常系の話ではなく冒険譚のようなストーリーの構成となっています。

映画「クレヨンしんちゃん」の魅力はしんちゃんのおバカな行動によるギャグはもちろんですが、それだけではありません。この映画は子どもだけではなく、付き添いで来た大人も楽しめるような要素がところどころに散りばめられています。子供騙しの映画ではないのです。ここで私がつらつら書き連ねるより、見てもらった方が早いので私的おすすめトップ3をご紹介します。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』
クレヨンしんちゃんの映画といえば、オトナ帝国の名が挙がることが多いですが、戦国大合戦はオトナ帝国と並ぶほど大人も楽しめる作品かつ、まとまりが美しい作品だと思います。戦国とタイトルにあるようにタイムスリップものですが、戦国時代の身分によって引き裂かれる儚い恋模様と避けられない戦、そこに突然舞い込む現代の5歳児という要素からして面白い作品です。見てください。

『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』
プリキュアや仮面ライダーといった変身して悪者と戦い、世界を救う存在に憧れたことはあるでしょうか。3分ポッキリ大進撃ではひょんなことから野原家が並行世界と現実世界を行き来し、並行世界において彼らは変身し、現れる怪物を倒す役目を引き受けることになります。怪物を倒すと、もちろんその世界の人々から称賛されます。しかし、現実世界の人々はそんなこと知ったこっちゃありません。だんだん、しんちゃんの両親はそのギャップに耐えられなくなって…といったストーリです。ただ悪者を倒すだけじゃ終わらないのが、映画クレヨンしんちゃんのいいところです。いい意味で子供に見せる話じゃないだろ!となります。見てください。

『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』
これはホラーです。本当に子供に見せる映画ではありません。私は今年で21になりますが、もしこの映画におけるしんちゃんの立場だったら、もう怖すぎて悪者を倒そうとか微塵も思わないと思います。ただ、敵の目的は大変おバカなもので、サンバを全世界の人に踊らせたいという考えのもと様々な悪事を起こします。そのため、ラストはみんなでサンバを踊って終わるのですが、それにしてもここまで怖くする?という映画です。でもその分本当に面白いです。私は幼稚園の頃からこの作品が1番好きで、かれこれ30回以上は見ていると思います。そんなに!?って思いますよね、見てください。

アレッシオさんがお住まいになられているドイツでも、クレヨンしんちゃんのアニメ自体は親しまれているようでしす。しかし、映画クレヨンしんちゃんはどうやら翻訳されていないとのこと…残念!
できたら世界中の人たちにこの面白い映画シリーズを楽しんで欲しいです。

【3限】第1章…伝統的批評、第2章…ジャンル批評

第9回の発表担当は飯尾さんでした。今回も『批評理論入門』より分析をしました。

今回から批評理論編に入りまして、まずは伝統的批評、そしてジャンル批評について扱われていました。

伝統的批評の例として挙げられていたのは道徳的批評です。その名の通り道徳的観点から物語を見ていきます。
『フランケンシュタイン』は19世紀までは狂気、恐怖を喚起させる、いたずらに心苦しくなる作品と批評されてきました。怪物という命を人間が生み出すという行為は、当時のキリスト教がイデオロギーとして強い状況から見て、ありえないといった感じだったのでしょう。

対して、20世紀では、むしろ道徳・教育目的によって書かれたという批評が現れます。怪物をいかに扱うか、『フランケンシュタイン』を道徳的に見つめる試みは今でも続いています。訳のわからない恐怖を与えてくる存在を、現実の現代社会で私たちはどのように対応すれば良いのでしょうか。その問題提起として『フランケンシュタイン』を批評したのが20世紀以降の道徳的批評でした。

次に、挙げられたのは伝記的批評です。この批評では作品は作者の人生の反映なのではという考えの元、テクストを見ていきます。

『フランケンシュタイン』では主人公フランケンシュタインのモデルは誰かという入り口から伝記的批評を行うことができます。
作者の夫であるパーシー・シェリーは「きちがいシェリー」と呼ばれるほどかなり個性的な人物でした。また、科学に対して並々ならぬ興味を持っていたようです。こういった点からフランケンシュタインのモデルになっているのではと考えられます。また、フランケンシュタインは、作者が大きな影響を受けたダーウィンがモデルなのではという説もあります。

といったように、様々な批評が行われていますが、注意しなければならないのは文学作品を作者が反映されているなどと個人的なものにしてしまうことです。文学作品、テクストには多数の外的状況が付随しています。これを無視してしまっては文学批評によってその作品の解釈を狭めてしまうことになりかねません。

私も批評の際には、その点には十分気をつけていきたいです。

それでは、次の章に移ります。ここではジャンル批評が取り上げられていました。
ロマン主義文学、ゴシック文学、リアリズム小説といったジャンル要素が『フランケンシュタイン』には含まれています。

『フランケンシュタイン』では、間テクスト性の章でも出てきたように「老水夫行」「ティンターン寺院」といったロマン主義文学の影響を多分に受けています。この点からはロマン主義文学と見られるかもしれません。

しかしまた、ロマン主義文学の一つであるゴシック文学とも見ることができます。怪物という超自然的な存在、そして彼が引き起こす凄惨な出来事の数々は大変ゴシック的です。

ですが、さらにロマン主義とは対極にあるリアリズム小説とする見方もあります。怪物の超人的な力、言語能力、そしてその誕生についても現実にはありえないことながら、その理由づけはされています。突拍子もない空想が描かれているわけではないこのテクストはある意味リアリズム小説と言えるかもしれません。

上記を踏まえると、怪物を生み出すのに電気を用いた描写があるこのテクストはサイエンス・フィクションとも捉えらえます。

というように『フランケンシュタイン』は様々なジャンルの要素が見受けられます。
そもそも、テクストをこういったジャンルに分けることで得られることとは何でしょうか。例えば、世間一般でこのジャンルといえばこれ!と言われているような作品をいや、そのジャンルと言えるのか?と批評するのは新たな発見がありそうです。
私たちはテクストをジャンル分けすることで、ある意味わかった気になっているだけなのかもしれません。批評の際にはジャンルに囚われて作品を見ることのないようにしたいと考えています。

【4限】行為としての読書

引き続き飯尾さんの発表となります。今回はヴォルフガング・イーザー「行為としての読書 Aテクスト理解の行為」を分析しました。

タイミングの良いことに、イーザーはアレッシオさんと同じドイツ出身の理論家です。アレッシオさんはドイツ語の原著を読んできてくださいました!

まずイーザーはテクストと読者の関係について、テクスト→読者の一方通行のものではないと述べます。テクスト⇄読者の相互作用が起こっているそうです。
具体的には、テクストがまずその言語記号や構造によって読者の意識からテクストへの転移を誘発します。そして、読者がテクストに転移し、これがイーザーの言う相互行為となります。

「転移」というのはカウンセリングの用語で、過去の他者との関係における感情や行動パターンが、現在の人間関係に無意識に反映されることを指します。

こういった相互作用については、スターンやサルトルによっても述べられてきました。

次に読者はテクストをどのように読むべきなのでしょうか。

そもそもテクスト、特に虚構テクストは客体世界から選択し、率直に表現するのではなく、実際のコンテクストから引き離し逸脱して生み出されています。そのために、テクストが合っているのか間違っているのかと読者はテクストに向き合う必要が出てきます。そういったテクストにおいてどう読者は向き合えば良いのでしょうか。

イーザーは読者は遠近法を用いて、テクスト一文一文連続的に読みつつ、それとともに総合を行うように読者は読むとしています。
私たちはテクストを読むときに全体を見渡して全てを理解することはできません。常に文の一部分にスポットが当たっていて、前の文や後ろの文はフェードイン・フェードアウトしていきます。こういった点をイーザーは局面でしか捉えられないと表現しています。
そのために私たちは文章を理解するのに今まで読んだ文章を常に総合して読み続けているのです。

総合活動からもわかるように、虚構テクストは客体の直示が主ではなく、その文の相関体に関心がおかれています。

といったようにまだ続いていくのですが、アレッシオさんとの議論が盛り上がってしまい時間切れとなってしまいました….

続きは補講の時間に行う予定です。
動的な読者についてさらに知見を深めていきたいと思います!

中途半端となってしまいましたが、以上で第9回のブログを締めたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました!