第7回 12期生 異化で見える世界

こんにちは!第7回のブログは古田が担当します。


夏本番が来る前に服を買いたいのですが、今流行っている服が自分の骨格に全く似合わず途方に暮れています。メーカーの方はぜひ、どの骨格にも合う服を作っていただけると嬉しいです。

それでは、本題に入ります!

【前座】

今回、私は自身が好きなVtuberの中でも特に好きな「にじさんじ」というグループについてお話しさせていただきました。

「にじさんじ」は株式会社ANYCOLORが運営するVtuberグループのことです。グループというより事務所みたいなものだと思ってもらえるとわかりやすいです。
現在、にじさんじには約150名のVtuberが男女、国籍問わず所属しています。かなり数が多い上、どんどん新人ライバーが増えていくので今後の展開が予測できないグループです。

Vtuberの界隈では、にじさんじのように企業が運営するグループが存在することは珍しくありません。しかし、数あるVtuberのグループの中で、私がにじさんじに惹かれる点がいくつかあります。

一つ目は、男女和気あいあいとした雰囲気がグループ全体で形成されているという点です。他のグループでは、女性だけ、男性だけ所属しているといったところも存在します。対して、にじさんじは男女混合グループであるだけでなく、コラボ配信やイベント参加など男女関係なしに活動が活発に行われています。というかそもそも所属ライバーの個性が強く、性別云々を忘れさせるほどの楽しい活動を提供してくれています!

二つ目は、にじさんじを運営する会社がライバーに自由に活動させている点です。にじさんじは所属ライバーの数がとても多いものの、配信や企画、イベントがライバー主体で自由に行われています。利益よりもライバーの意思が尊重されるような環境が整っていることは見る側としてもすごく嬉しいです。

今回は主に上記の2点についてお話しさせていただきました。まだまだたくさんの魅力があるのですが、長くなってしまうのでここらへんで切りたいと思います。

【3限】第11章:反復、第12章:異化

さて、本題に入ります。本日は飯尾さんが発表担当でした。
前回に引き続き、まずは批評理論入門の分析を行いました。

第11章:反復では、タイトル通り「反復」…韻や語句、場面を繰り返す文学の修辞技法について述べられていました。

『フランケンシュタイン』では、場面だけでなく、言葉、イメジャリーがテクスト内で数多く反復されています。特に、「破壊・運命・魂・敵・創造・神秘」といったワードは群としてテクスト内で反復していました。

反復が行われることで、その場面やワードについて重要性が高められるだけでなく、他の効果をも読者に対して生み出します。その効果については第12章に書かれていました。

第12章:異化では異化、そして前景化について述べられていました。前景化は異化の一つであり、ある要素や属性を強調すること、異化は前景化などを通し、普段見慣れた事物からその日常性を剥ぎ取り新たな光を与えるという意味です。
前景化はイラストのレイヤーで捉えるのが分かりやすいと個人的に思います。物事は層になっていて、そのうちの一つの層だけが1番前に来ているというイメージです。

『フランケンシュタイン』では、怪物の視点から人間や人々の言葉や歴史といった文化について異化されるとともに、怪物自身についても異化されていました。

このように、異なる視点から物事を見つめることで元々知っていることをまた違うもののように捉える。これが異化なのです。

とすると先ほどの反復も異化だと言えます。反復されることで、言葉やイメージが強調され、その言葉やイメージが前景化される=異化されているのです。
異化は小説内だけでなく、映画、詩、アニメなどのテクストの他、日常生活にも起こります。旅行などはその一例です。

皆さんもぜひ普段の生活を異化してみてください。面白い発見があるかもしれません!

【4限】フォルマリズムー詩的言語論 手法としての芸術

3限に引き続き飯尾さんが担当でした。今回はヴィクトル・シクロフスキイによる「手法としての芸術」について分析しました。

今回の文献では、シクロフスキイは対立した立場に立つポテプニャーの意見を批判しながら議論を進めています。

「芸術(詩を含む)は、イメージによる思考である」という考えはポテプニャーをはじめとする多くの人に根付いた考えでした。しかし、シクロフスキイはこれを否定し、さらには詩の言語と散文、つまり思考を要するテクストと、簡潔に分かりやすく伝えることを目的としたテクストにおけるイメージの区別さえもポテプニャーがしていなかったことを指摘しました。

散文における実用的なイメージとは、「おい、そこのメガネ」というように対象の一部をとって抽象化しているものです。今回の例は換喩ですが、それだけには留まりません。対して、詩的イメージとは、「おい、そこの間抜け」というように印象を強めるために利用されている物のことを指します。
この二つは似通って見えますが、全く異なるものです。

散文においては、上記の実用的なイメージの他に創作エネルギー節約の法則が見受けられます。
創作エネルギー節約の法則とは、事物をできる限り容易に理解し、知覚するためのエネルギーの消費を最小限にすることを指します。

それは知覚においても適用されます。知覚においては、これを自動化と言います。

皆さんは、初めて自分のスマホを持った時の感覚を覚えていますか?私は、中学2年生の時に初めてスマホを買ってもらったのですが、周りと比べて持つのが遅かったのもあって感動はひとしおでした。LINEで友達とすぐに連絡が取れるし、写真や動画が撮れる、外でもネットで検索できる…などなど楽しくてしょうがありませんでした。
それに比べ、今はどうでしょうか。LINEよりも、setlogで友達と日常を共有する方が楽しいですし、写真が撮れるのは当たり前、ネット検索ができるのを喜ぶばかりか、通信制限に文句を言う日々…
これが自動化です。つまりは当たり前になり、様々なことを意識しなくなる状態を指します。

そんなことばかりでは、やがて事物、衣服、家具、家族、そして戦争の恐怖までも自動化してしまう。そうならないよう、感覚を取り戻すために自動化はあるとシクロフスキイは述べます。また、そのような感覚を読者に感じさせるために「異化」という手法が取られているとも述べます。

つまり、詩的言語、芸術と呼ばれるものは「異化」を筆頭とする手法を用いて読者に本来なら忘れていた感覚を取り戻させるために存在しているのです。

こう考えると、異化はすごく重要な考えですね。すでに慣れ親しんだものを別のもののように捉える感覚は忘れてはいけないと思います。

以上で今回のブログは終わりです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!