第6回 6期生ブログ「人間」

先週は、ディスタンクシオンは一旦お休みして、「構造主義」と「脱構築」について勉強しました。構築主義までは、なるほど!と聞いていたのですが、脱構築に入った瞬間、頭がこんがらがってしまい、最後の方はほぼ思考停止状態でした…。
春学期中には自分の言葉で説明できるぐらいにかみ砕いて理解したいと思います。

私は昔から依存癖があります。

ある時はテレビにはまり、大量のテレビを見切るためにひたすら早送りをし。
ある時は砂糖にはまり、甘さを感じなくなって親に止められ。
ある時はゲームにはまり、人間寝なくて済んだらなと本気で思い。
ある時はSNSにはまり、現実に生きている心地がなくなり。

ただ飽き性なので長続きはせず、1~2年単位で依存対象は変わっていきます。
20歳になって煙草とお酒を恐れていたのですが、今のところはまらずに済んでいます。

依存する代わりにそれ以外のことに無頓着になるので、生活が面倒くさいと思うことが多々あります。
食事と睡眠をしなくても生きていけたらなあとはよく思います。
人間はなぜ光合成ができないんだろうと本気で考えます。

でもこの社会で生きていくためには、人間として生きていくには必要なことなので今日も頑張ります。
(あまりに中身のない内容なので後で書き直します…)

第5回 6期生ブログ「大学とは?」

今回のゼミでは『ディスタンクシオン』第2章を読みました。またまた難解な文章でしたが、皆さんお疲れ様でした。この章はまともに読もうとしたら何年もかかるタイプの予感がした途端、流し読みを始めてしまいましたレジュメ担当の宮本です。

細かな内容にもかなり深くまで取り上げ議論したので「何ページにこれがある!」「いや、何ページにはこう書いてあるぞ!?」「!?」という感じに、間違い探し大会のようになりました。本当にお疲れ様でした。ですが「場」「ハビトゥス」「慣習行動」「文化資本」「学歴資本」など主要概念の定義がしっかりとでき、共有することができたと思います!

後半では大学の価値下落問題に関して深い議論をしました。先生からご紹介いただいた世界各国の大学事情は興味深かったです。比較的楽に大学に入れる外国を羨ましく思ってしましたが、それがゆえに引き起こされる別の問題もたくさんあって.. .と、一筋縄ではいかない大学と就職の関係性や、学歴問題などに頭を悩ませた時間でした。

そして、大学の意義とは?学歴の意義とは?というまた根本的で壮大なテーマについても話し合いました。学歴を取るため、就職するために大学に通うのでしょうか。違う!と叫びたい私ではありますが、現実、学歴がないと就職にも関係してくるし、と複雑な問題です。第6期ゼミは単位のない自主的な集まりになっています。そんな、まさに大学のシステムから逸脱したこのゼミは、大学とは?学歴とは?という大きな問題を考えていくのに、まさにピッタリな場所ではないでしょうか!というわけで、心の底に、なぜ大学に行くのか?という問いを抱えながら、これからもゼミに参加していこうと思います。

ちなみに、私の暫定的な答えのようなものですが…国際日本学部は「縁日のようだ」と、入学してすぐにある先生から言われました。美味しいところをつまんで食べて、それで終わり、と。私はとてもショックを受け、その日から専門的な知識を身につけよう!と決め、今ここまで来てしまいました。この状況は情コミにも当てはまると思います。エセ?リベラルアーツ的な学部は、様々な興味分野を自由に学べる点ではとても楽しいですが、その人の意欲次第でどうにでもなってしまうものです。そんな国日の風潮に巻き込まれたくない!一心で四年間過ごしている私ですが、大学では集大成の論文を生み出したいという気持ちがあります。大学に通うのは、そうやって、自分なりの道を自分なりに探し、何かをやり遂げていくことなのではないでしょうか。それは学問である必要はないと思います。(授業をサボるのは反対ですが)そして、大学では様々な出会いの場が開かれています。基本的にはモグることもできるわけだし。これはカリキュラムに沿った今までの教育とは全く異なるものだと思います。その出会いの場をどう活用していくかは自分次第。大学はとても厳しい場でもあり、試される場でもあり、受け入れてくれる場でもあると思います。オンライン授業でそれが非常に難しくなってしまったのが、残念でありません。だからオンラインの中でも同じように学費を払うのは今でも(声明が出ても)納得できません。まず図書館の遠隔利用が教員と院生にしか許されていない現状にキレそうです。どうしてくれるんだ!って感じです。話が逸れました。

どんな四年を送っても同じように与えられる学位を、どれほど厚みのあるものにしていくか。誰にも見ることはできないけど、自分だけは見える形で膨らませたい。そして膨らんだ学位をぎゅっと抱きしめて、卒業していきたいと思います。(しかし、オンライン授業で完全にしぼみつつあります、ピンチ)

第4回 6期生ブログ「髪型」

こんばんは、小野寺です。
本日第5回目のゼミナールではブルデューが著作した『ディスタンクシオン』の第一章を精読し、私がレジュメを担当しました。
正直、先週、先々週が就職活動のピークだったのではないかと思うほど忙しく、瀕死状態で読み、レジュメを制作しました。とても難解で文量も多く、どのようにまとめれば良いのか手探りでしたが、読んでいく中で自分自身の疑問や共有して話し合いたいことをたくさん発見したので今日のゼミが楽しみでした。
実際には精読したものをどうやって簡潔に説明すれば良いのか分からず、本の内容にはさらっと触れて、アツい議論をひたすら交わすことになりました。結果として私がモヤモヤしていたことに対して宮本さんや山田さんが納得させてくれるような意見をたくさん出してくれて今は清々しい気持ちです。また、二人の意見自体もとても面白いものばかりで「人はきっとマジョリティーの中のマイノリティーになりたいのだ」というのは自分もまさしくその通りであると思いました。
本の内容に絶望していましたが、二人からでた意見の「本の中と私たちが生きる今は全然状況が違うから、絶望しなくて良い」という言葉を噛み締めて、第二章からは希望的観測が持てるような心持ちで読み進めようと思います。また、先生から教わった、「大きい建物を説明するつもりでノート2ページ分にまとめる」ということもやりつつ、まとまりの繋がりに意識をして理解を深めたいです。

授業の中でそれぞれの「趣味」について発表してもらいましたが、私が一つ言い忘れていた趣味がありました。それは「自分の髪型について悩むこと」です。私は年中無休で自分の髪型について考えています。母からも「もう毎日髪型の質問してこないで!」と言われるほど病的な趣味(?)です。実際に頻繁に美容院に行く人間ではありませんがとにかく毎日髪型について悩んでいます。(最後に美容院に行ったのは去年の7月です)
現在の私の中でのホットな髪型はショートカットにするか前髪を伸ばして「ワンレン」にするかどうかです。ショートカットは希少価値が高い上に楽チン、しかしワンレンは私の中での強い女性像に当てはまるのでどちらも捨てがたいです。やはり髪型というものも「自分を表すツール」であり、「理想の自分」に近づくことができる表現の一つであると思います。
実は今日のゼミを終えてから気がついたことが、このメンバーの中で私以外の4分の3が前髪なしのワンレンヘアなのです!!!
やはり地下ゼミ生として、強い女性になるためにもワンレンにすべきなのでしょうか。就職活動が終わるまでに決断をしたいと思います。
皆さんは私の髪型についてなど本当に興味のない話題であると思います。お付き合いいただきありがとうございました。

第3回 6期生ブログ「やりたいこと」

こんばんは。6期生の山田です。
(先週はゼミが休みだったので)先々週は、言説分析について学びました。
「桃太郎を題材とした論文の論点を考える」というアクティビティから始まり、批判理論にはどのようなものがあるか、言説分析とは何かについて教えていただきました。また、最後に行った「なぜ私は論文を書くのだろう?」というテーマに対する議論は、人それぞれ考え方が異なり、興味深かったです。

さて、本日のゼミからブルデューのディスタンクシオンを読み始めるということで、私も「趣味」について話したいと思います。
(※本の内容とは関係ありません)

私は、長い間趣味を持たずに生きてきました。

とは言っても、好きなことがなかった訳ではなく、趣味はあくまでも「人に言うものではない」という認識が自分の中にあったからだと思います。

人には他人と共有したい趣味と自分の中で大事にしたい趣味と2種類あり、長らく前者の方を私は趣味だと考え、自分には趣味がないと思っていました。

話は変わりますが、最近ぐるぐると考えた結果、
やりたいことを考えるのが趣味なのかもしれないと思い始めました。
目の前のことをこなす毎日に陥っていると感じると、やりたいことを考える時間を作ります。

きっかけはある年の大晦日。
毎年恒例の年末の番組にも飽きてしまい、退屈を紛らわす術を探していました。そんな時にSNSで見つけたのが、「やりたいことを100個書き出す」というものでした。

年を重ねると、やらなきゃいけないことに追われ、「やりたいこと」を追求するのが難しくなるように感じます。
これ、正月ボケの頭にとても良い刺激をもらえます!やってみるとわかるのですが、純粋に「やりたいこと」を考えるのって意外に難しいんです!!でもワクワクします!!

ぜひこのブログを読んで書いてみたという方がいましたらご連絡ください(笑)
そして一緒に実現させましょう!!

第2回 6期生ブログ「思い出」

こんばんは。6期の宮本です。
第三回ゼミは論文における「序章」の書き方を先生の論文を例に学びました。なかなかリアルな論文作成の裏側が聞けて、恐怖とワクワクが高まっております。卒論要旨の読み合わせでは、それぞれの鋭い質問が飛び交いスリリングな時間を過ごせました。このように各自の卒論について意見を交わすのはしばらく実施しないということですので、ここからどれだけ進化できるか楽しみであります。

初回のブログということで、簡単に自己紹介を兼ねて、私の所属している国際日本学部について書きたいと思います。といっても、3年次は多くの時間を駿河台キャンパスで過ごしていました。まず、街として中野より御茶ノ水の方が好き。図書館も大きいし。人も多くて面白い。あと図書館も大きいし…(この通りすでに地下に潜っています)…国際日本学部について書こうと思ったのですが、ああ、ネタがない…。

ということで別の話題で自己紹介をしますね。

私はラジオが大好きであります。ラジオ局ならなんでもいいということではありません。周波数は81.3。天下のJ-WAVEです。聴いてみればすぐわかるのですが、J-WAVEはとても洒落ています。気取っています。なんだか嫌な感じです。「ていねいな暮らし」って感じがします。散らかった部屋でパジャマで聴いてると、自己否定的にもなってしまいます。全体としてそんな感じがするJ-WAVEですが、高校3年生の私の救いになってもくれました。

日中はやはり働く人や「主婦」向けではありますが、夜になるとグッと学生向けの番組になります。今はもう終了してしまったのですが、私が高校生の時に「THE HANGOUT」という番組がやっていました。

https://www.youtube.com/channel/UCK2BwH9JimJNK3SmRF5ynIA
公式のYOUTUBEに音源が残っています。

日替わりで「ナビゲーター」(J-WAVE用語です。番組担当者のことを指します)が変わるのですが、確か月曜日、あれ水曜だったっけ…いや、月曜日に評論家の宇野常寛さんが担当なさってたんですね。これが受験勉強にどん詰まりの私の心をぐっとつかんでしまい、毎週欠かさずに聞くようになりました。映画やアニメドラマのことや時事問題のことなど、独特の視点で早口で喋り立てる宇野さんの賢さに、クラクラでした。今だから笑ってネタにさせていただきますが、そんな宇野さんに毎回のようにメッセージを送っていました。

そしてまだ私にも青春があった高校三年の春、絶賛片思い中だった私が「告白するかしないか!」という重大な決断を相談した相手も宇野さんでした。宇野さんはもちろん「告白するべき」と答えました。そりゃそうよね..。そのときの私はもう宇野さんのいうことは絶対的だと信じていたので、アドバイス通りにその相手に告白しましたが、フラれました。(てか相手に彼女いたんですね、知らなかったんですね私)

なんだか悔しかった私は、フラれたことも宇野さんに報告。そしたら彼、なんて言ったと思います?「何十年か後に再会してチャンスを狙う」。青春は今だけなんだ…もう終わってしまったんだ…全てが吹っ切れた私はラジオを消して、勉強に勤しんだのでした。

ということで、いろいろな思い出が夜のJ-WAVEにはあります。洒落た感じがいまだに嫌だけど、あんなことやこんなことの思い出の「腐れ縁」によって、私はやっぱり他局に移れず、今日も81.3に合わせてしまうのでした。

自己紹介のつもりが思い出話に…。未来のことを話すのは苦手ですが、過去のことを語るのは好きです。宮本でした。

第1回 6期生ブログ「魔性の女、スカーレット・オハラ」

こんにちは、6期生の小野寺京香です。本日2回目のゼミナール活動で、最後に「ブログを誰が書くのかじゃんけん」をリモートで試みたところ見事に負けましたので初ブログ担当となりました。

今日のゼミナール活動では、ゼミ生がそれぞれどのようなテーマ、論点で卒論構想を考えたのかを発表しあい、意見交換をし、共通点を見出す作業を行いました。また、理論を考えるに当たってコミュニケーションモデルを学び、ゼミ生が発表した卒論構想をどの観点から調査することができるのか検討しました。同じテーマ、論点でも切り口は無数にあり、今後はどこにフォーカスを当てていくのかじっくり考える必要がありそうです。

さて、2回目の活動にして3時間近く議論を交わしました。この熱が冷めないうちにブログを書いてしまおうと思います。

今、新型コロナウイルスが猛威を振るっており日本の感染者数は1万人を超えました。自粛生活の中で私はNetflixとAmazonプライムの中にある映画を見る毎日を送っております。先日、「風と共に去りぬ」を自宅にて鑑賞しました。「風と共に去りぬ」は私の好きな小説である東野圭吾さんの『白夜行』の中にたくさんキーワードとして出ていて、昔からとても気になっていた作品でした。(白夜行の本もドラマもぜひ見てみてください!)

鑑賞し終えての感想は「スカーレットはヤバいけど素敵だなあ」です。主人公であるスカーレット・オハラは元々裕福だった家庭から、南北戦争によって生活が一変します。貧しい暮らしの中で、彼女はなんとしてでも生き残って「家族を二度と飢えさせない」と誓います。このあらすじだけ読むと、スカーレットはただたくましい女性と捉えられますが、スカーレットはかなりヤバい人物でもあります。ヤバいエピソードとしては、結婚している男性(アシュレー)に躊躇なく猛アタックしたり、自分の職場にアシュレーを留めさせたり、財産目当てで妹の婚約者を奪ったり、、、他にも「えっ」と思わず言ってしまうような言動が満載でした。目的のためには手段を厭わない、自由奔放で意志の強いスカーレットは強烈なキャラクターです。正直、現実世界で私の周りにスカーレットのような人がいたら、怖いなと思ってしまう強烈さです。しかし、女性の地位が今よりさらに低い時代背景の中で、男勝りなスカーレットが男を利用し、自力でのし上がっていく姿に、見る者は皆魅了されてしまうのかなと思います。強烈な性格であっても愛され、勝ち上がっていく人生は波乱万丈であり、誰もが心のどこかで憧れてしまう女性像であるのでしょう。
私もスカーレットのように我が道を生きて、強い心と行動力を持って男性に負けない人生を歩みたいです。(ヤバい女性になる勇気はありません)

2019年度研究成果発表会

お久しぶりです。5期生の川田、川上です。

先日3月28日に2019年度研究成果発表会が行われました。

発表会が終わった今、あえて一言でその様子をまとめるとしたら、

あらゆることがイレギュラーだった、だと思います。

 

そもそも発表会の開催に至るまでに様々なことがありました。

はじめは都内での開催を予定していましたが、新型コロナウイルス感染防止のため大学施設が利用禁止となり、例年とは異なる形式で行うことになりました。

南房総での開催も検討していましたが、開催日の直前に外出自粛要請が出され、現地へ向かおうにも諦めざるをえない状況になりました。

結果、オンライン会議用アプリを利用して発表会を開催することになりました。

 

川上からは「ゼミを離れて気づいたこと」と題し、卒業論文とは異なる形での成果発表を行いました。諸事情により卒論執筆が困難な状況でしたが、ゼミで学んだことを活かし、自身の「しがらみ」を解消するための実践について発表しました。

川田からは「「分有」という居場所 ―『オハナホロホロ』を通じて“家族”を考える―」と題して、漫画『オハナホロホロ』を通じて、「分有」という考え方に基づく新しいつながりについて論じました。また、「分有」の関係において、その外部に第三者が存在し影響を与えることも指摘しました。

 

相次ぐ予定変更にも関わらず、当日は10人弱のOB・OGの方々にご参加いただきました。

オンライン上で皆様とお会いするのはとても新鮮で、私たちの発表に関して貴重なご意見をお聞きすることができました。

お忙しい中貴重な時間を割いていただき大変感謝しております。

そして内藤先生、これまで大変お世話になりました。

内藤ゼミは文学理論を学ぶだけでなく、自分らのありのままを曝け出すことのできる貴重な場所であったと思います。

 

私たちはこれから社会人としての一歩を踏み出します。

もし落ち込んだり挫けそうになったりしたとき、いざというときにはまた内藤ゼミに戻ってこられたらいいなと思います。

本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願い致します。

 

プレゼミ合宿(2019.3)

こんにちは、4年生になりました、川上です。更新が遅れてしまいましたが、3月のプレゼミ合宿についてまとめます!

今回で3回目となるプレゼミ合宿ですが、今年も南房総の「シラハマ校舎」をお借りし、多くの社会人の方々にお集まりいただきました。講師は、5期生2名、川上・川田が勤めました。

テーマは「作者の死と読者行為論」です。

作品を解釈する際、絶対視しがちな作者の意見から一度離れ、読者のもつ力や、その読解の自由さを、把握しようとする内容でした。

講義形式でゼミ生2名が理論の概要を説明し、その後、班ごとにワークショップ形式で理解を深めるという構成で、展開していきました。

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皆さんが積極的に参加してくださり、ゼミ生の私達もとても心強かったです。

最終的には、班ごとに小説を二次創作し、個性的な作品が4つも生まれました。どれもオリジナル小説に引けをとらない出来です。

その晩は懇親会を行い、二日目は南房総を観光しました。

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思い返すと、講義を企画・準備・実践することはとても大変でしたが、普段のゼミで鍛えられていたこともあり、やり遂げることが出来ました。そして何より、参加頂いた皆さんのご助力があってこそ、とてもいいプレゼミになったのだと思います。本当にありがとうございました!

 

 

3年ゼミ 秋学期第4回

お久しぶりです。紆余曲折ありましたが、ようやくブログの執筆を再開することができました。最近はちょっと遅めな反抗期の到来を実感している川田です。

 

今回はジェンダー批評の振り返りにあたって、田山花袋『蒲団』および中島京子『FUTON』、そして生駒夏実による論文『田山花袋「蒲団」にみる日本の近代化とジェンダー』を取り扱いました。

 

『蒲団』は作家・時雄と彼の女弟子・芳子、そして彼女の恋人・田中を中心とした、田山花袋による私小説です。一方『FUTON』では、日本文学の教授・デイブによる「『蒲団』の打ち直し」、つまり時雄の妻・美穂の視点から『蒲団』の内容を再構成した物語が展開されます。さらに「打ち直し」が進行するとともに、デイブを含む『FUTON』の登場人物たちは『蒲団』における人間関係をなぞる様に、それぞれに複数の三角関係を形成し変化させていきます。

 

私小説の成立は言文一致運動と深く関わっています。明治期の日本は近代国家として成長していく時期にありました。その過程として国民に対し教育を普及させたことで、言文一致体の文学が広く親しまれるようになりました。さらに当時の日本文学は西洋文学の特徴である、第三人称によるリアリズムの方法を取り入れようとしました。しかし明治期以前の日本文学では伝統的な表現や主観的な描写のものが多かったため、西洋文学的特徴はなかなか受け入れられない状況にありました。その中でも一部の作家は、リアリズムの客観的視点をこれまで日本文学で主流であった「私」に向けることで、批判的視点による物語を描こうと試みました。この潮流から生まれたのが”私小説”という形態です。したがって私小説は、西洋に追いつく意志と日本の独自性を反映したものといえるのです。

 

小説は人口に膾炙することで、近代日本という共同体意識を強化させる役割を担いました。それは時としてなんらかの排除や抑圧を伴います。生駒氏は、私小説によって生まれた「日本国民」という同一性から、ジェンダーに関する排除・抑圧に注目しました。

当時の日本の女性は「良妻賢母」のための教育がなされ、権力者によって将来は母親になることが目標とされました。『蒲団』では作家を目指す女学生として芳子が登場します。彼女は母親になるのではなく、作家になるために勉学に励んでいます。これはこれまで特権的であった男性知識階級を脅かす行為であり、女性の自立へとつながります。また物語の中で、時雄は田中に惹かれる芳子を疎ましく思ったり、芳子の手紙の文体が変化したりしています。これらは男性が女性の近代化を好ましく思っていないことを示しています。

また、『蒲団』は時雄による告白文学であり、日本文学史上はじめて性が描かれた作品です。作者である田山花袋はキリスト教徒であり、作中でも芳子や田中にキリスト教の影響が強く表れています。キリスト教では、性とは「恥ずべきもの」であり「罪」でした。そして告白という形態、つまり外側へ向けて自ら発信する行為によって境界が生まれ、真の自己という「内面」が作られたのです。花袋は告白形式を用い、告白されるべき内面・隠すべきこととして性を描きました。彼は『蒲団』をとおして真の自己を描き赦しを得ることを確信しています。作中では時雄の罪は許される一方で芳子の罪は許されることがありません。これは明治期のジェンダー階層を反映しているといえます。

田山花袋から始まった私小説は、その汎用性の高さから急速に普及しました。以前まで男性知識階級が担ってきた文学において、女流作家誕生の兆しがみえると、彼らの特権的地位が不安定で不確実なものとなり始めました。そうした脆弱な特権性を「私」語りによって保つために、私小説は生み出されたのです。そのような作品では女性は差別的に描かれ、男性と対等になることはありません。この「私」語りの特徴は今日の文学作品でも見られるものですが、日本がグローバル化する今まさに「私」の在り方は問い直される必要があるのです。

 

明治期と比べれば現在は男女間の格差は見直され始めていると思います。しかし実際の日本社会では女性に対する差別的視点が未だ根強く残っています。東京大学入学式の祝辞にて、上野千鶴子教授が述べた内容は大きな話題となりました(本文)。ネット上では共感も批判も様々な反応がありました。

また『さよならミニスカート』という少女漫画は、女性および女の子のジェンダー問題を鋭い視点で描き話題となりました(公式サイト)。キャッチコピーは「このまんがに、無関心な女子はいても、無関係な女子はいない。」

昨今話題になりやすいジェンダー問題、今こそひとりひとりが考えていくべき時期なのではないかなと思います。

3年ゼミ 秋学期第3回

久々の更新となってしまい、申し訳ございません。最近自炊が少しだけ出来るようになって調子に乗っている川上です。こういう時にミスは起こるんです…。

今回は秋学期第3回の講義内容についてです。

春学期に学習した「精神分析批評」の理解を深めるということで、キース・ヴィンセント『夏目漱石『こころ』におけるセクシュアリティと語り』を用いて議論しました。今回の論文では、『こころ』をセクシュアリティという観点で分析しています。

作中に登場する青年と先生の関係が同性愛的であるという議論は、これまでもありました。あるいは『こころ』を、同性愛に対する異性愛の勝利の物語として捉える解釈も存在します。同性愛とは、未熟な人物の一時の「倒錯」であり、やがて異性愛に取って代わられるとする理論は、まさにフロイト的なものです。

論文では、『こころ』とは、セクシュアリティの理論化を巡って異なる方法が対峙する様を描き出していると主張します。つまり、セクシュアリティをここで規定しようとするのではなく、むしろ捉えようとする言説を概観可能にし、その有効性を失わせようとします。その根拠を、筆者は次の2つに求めます。

・『こころ』の未完性

・青年(私)の語り

『こころ』は「先生の遺書」以降の描写が存在しません。青年が、先生の自殺を知った後、どういう人生を送るかについての決定的な根拠がなく、その想像は読者に委ねられます。

また、『こころ』は青年(私)によって語られる物語です。語る青年(私)は、先生の自殺を知った後の青年(私)ですね。「同性愛的人生」の果てに自殺してしまった先生を、青年(私)はどう考えたのでしょうか。「先生は同性愛的で潔癖だ」「自分は異性愛者として成熟した」。概ねこのような語りで展開されますが、重要なのは、あくまでそれは青年(私)によって小出しにされた情報に過ぎないということです。

「本当は今の自分も同性愛的な部分があるが、世間的には異性愛者が認められているから、そういう風に演じておくか(汗」

と考え、語っている可能性もあります。つまり、ここでも、青年のセクシュアリティを決定する根拠はないということになります。

『こころ』は、非常に「誤読」に寛容な小説であり、だからこそ面白いのだと思いました。『こころ』がどういう小説であるかよりも、私たちがそれをどう捉えているかの方が重要なのかもしれませんね。