夏合宿1日目

みなさん、こんにちは!今回のブログを担当する飯尾です。

新宿駅から特急で約二時間、河口湖駅で降車し、バスで西湖沿いのホテルくわるびに向かいました。今年は清里セミナーハウスがなくなってしまい、例年と異なる場所での開催となりました。ホテルから歩いて数分の西湖は、きれいな景色でいい気分転換になりました。朝食と夕食はバイキングで、季節の食材が使われていておいしかったです。

初めてのゼミ合宿ということもあり、先生に詰められるという噂を聞いていた私は、非常に緊張していました。ホテルへ向かうバスの中では、まるで地獄へ向かうバスに揺られているかのような心地でした。

一日目の日程 14:00 3年生一人目の発表(飯尾)

       15:40 3年生二人目の発表(古田)

       18:00 夕食

飯尾の発表

合宿一発目の発表は私でした。私のレポートの問いは、「刀剣乱舞はどのようにキャラクターを構築しているのか」でした。

刀剣乱舞のキャラクターの中でも水心子正秀、大慶直胤、源清麿に着目し、キャラクターの会話や紹介文とモチーフの刀工を比較・分析しました。読者行為論を用いて分析し、『刀剣乱舞』では史実の人物像をそのまま再現するのではなく、特徴の一部を選択的に取り入れ、別の側面を強調することで、新たな刀工像を構築している、と結論付けました。

先輩やOBの方々、内藤先生からは、様々なアドバイスを頂戴しました。刀剣乱舞を分析するにあたっての問いを立てる切り口や、インターテクスチュアリティの分析を提案していただきました。今回のディスカッションを通して、特に刀剣乱舞を分析する意義を改めて考える必要があると感じました。人気だからその理由を研究したい、なぜ私自身が刀剣乱舞を好きなのかを理論をもって説明したい、それが論文を作成する意義となり得るのかを見つめ直すことが今後の課題の一つだと考えました。それが、今後の論文を書くにあたりどのような切り口で分析するのかに繋がってくると思うからです。そして今後論文を制作する際には、引用や根拠の提示と理論の再検討を徹底していきたいです。

古田の発表

一日目最後の発表は古田さんでした。古田さんのレポートの問いは「児童小説である『ポジション!』から見られる子供像とはどのようなものか」でした。2026年度青少年読書感想文全国コンクールの小学校高学年向け課題図書『ポジション!』を分析していました。課題図書は、著者の意図だけでなく、児童の発達段階を考慮した選定者の判断に基づいて選ばれているため、課題図書で描かれる子供像は、選定した大人の理想像であると考えられます。

古田さんは、ウラジーミル・プロップの「昔話の形態学」、ジュラール・ジュネットの「ナラトロジー分析」を用いて分析し、『ポジション!』において、自身の心情を再認識し、言語化して理解することで、困難に直面しても未熟な自分自身を乗り越え成長する子供像が描かれている、と結論づけていました。

先輩やOBの方々、内藤先生からは、児童文学の定義は何かや、子供と大人を線引きしてしまっているが対立する二項ではないのではないかというご指摘がありました。何をもって子供といえるのか、大人にも子供の要素があるはずだというアドバイスもありました。これは私にも当てはまる点だと思います。私も次回の分析の際に、二項対立にとらわれずに様々な視点で分析したいです。

夜の飲み会

夕食、お風呂のあとは、OBの間さん、先輩、内藤先生の全員で、お酒を飲みながら語らいました。これまでのゼミ生のお話や清里セミナーハウスでの例年の合宿のお話などを聞かせていただきました。内藤先生のお人柄も相まってか、内藤ゼミの繋がりは強いのだと実感しました。このような厳しくも暖かいゼミに所属することができて幸運だと思うと同時に、今後もより気合を入れてゼミの活動に取り組みたいと思う時間でした。

以上が、2026年度内藤ゼミ夏合宿の一日目となります。先輩方の練度の高い論文を学び、様々な視点を得る機会となりました。今後納得のいく分析ができるよう、切り替えて秋のゼミの活動にも真摯に取り組みたいと思っています。

最後にゼミ夏合宿にご参加くださったOBの皆様、内藤先生本当にありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

飯尾

11期生 第13回 アートディレクション

皆さんこんにちは!土田です。

もうすっかり秋らしくなってきましたね。(と思っていたら何だか蒸し暑い日々が戻ってきたので油断はできませんが)

長かった夏休みもまもなく終わりをむかえます、、、そうは言っても週に数回の授業が始まるだけなので生活リズムはあまり変わらなそうです。秋学期が始まるといよいよ卒論の二文字がそびえたってきてハラハラドキドキですが、様々な物事にしっかりと向き合って完成まで走り抜けたいです。

それでは例にもれず2か月前の授業を振り返りたいと思います。

今回は『Film Analysis』から「アートディレクション」について、井上さん担当で学びました。

アートディレクションとは、映画の中の視覚・聴覚的な環境を構築するものであり、ロケ地の選択やセットの設計・道具や衣装・照明・色彩・音響・言葉や発話などが意味付けのための重要な要素となっています。

特にロケーションやセットの設計は、視覚的・意味的に多様な可能性が含まれているため、様々な役割を見出すことができます。

例えば、このゼミでも前半に分析した『シャイニング』は、セットに大きな特徴があります。

舞台のホテルにはアメリカ先住民のモチーフがあらゆるところに散りばめられていますが、これは展望(オーバールック)ホテルが先住民を殺戮してきた歴史をオーバールック(見て見ぬふり)してきた歴史のメタファーとなっています。

また、セットも単なる背景ではなく、登場人物のアクションの示すことを強調する役割を担っていて、『シャイニング』では文明と獣の間の葛藤、境界線がインテリアの縦線によって強調されているとみることができるのです。

物語の舞台となる場所や自然環境だけでなく、寝室や浴室、台所などのセットも意味付けに利用されていることがあります。『シャイニング』のもっとも有名なシーンの一つである浴室からは、心と身体、文明によって可能になったコミュニケーションと、それ以前の身体的衝動の間の分裂を表していると言えます。

また、他にも小道具や衣装、光や影を操作する照明、カメラの色彩などが意味付けに用いられています。

今回はアートディレクションの観点を取り入れながら『ジョジョラビット』を分析しました。

『ジョジョラビット』は第2次世界大戦下のドイツを舞台に、10歳の少年ジョジョの視点からテンポよく描いた作品で、セットや衣装など魅力的なアートディレクションが特徴的です。噂で聞いていましたが実際に見てみると、本当にセットや色彩などがかわいくて(?)トキメキポイントが沢山ありました。

私たちは、ジョジョのイマジナリーフレンド、ヒトラーはどのような役割だったのかという問いについて考えました。

ジョジョは、父親が軍隊から脱走(つまり規範から逸脱)していて、また子どもであるため大人のような力がない、という二重の意味でクィア的存在であったと言えます。そのクィア性を補ていするために空想上の友達としてヒトラーを作り出したと考えられます。

そして、このイマジナリーフレンドとしてのヒトラーの映し方には映画の前半と後半で変化がみられます。前半、イマジナリーヒトラーはジョジョの部屋でジョジョが来るのを待っているが、後半はヒトラーがジョジョのもとへ行きます。これは、後半になるにつれてジョジョがイマジナリーヒトラーのことを必要としなくなったからだと考えられます。

また、イマジナリーヒトラー自体の存在があいまいになったり、風景の彩度が冷たくなったりと視覚的な情報から、ジョジョの心理状態が変化したと言えます。

これより、ジョジョのイマジナリーフレンド、ヒトラーはジョジョにとって父親の代替者であったと同時に、家族の象徴であったダンスをユダヤ人のエルサと最後にしたことから、父親的存在を空想する必要がなくなったと考えることができます。

アートディレクションに関する分析は、考察の域に入ってしまうものもありそうですが、より多様な解釈をすることができそうでとても興味深かったです。

今回の授業内容はこの辺りで終わりにしようと思います。

余談ですが、夏に見たかった作品リスト、去年見たドラマ2本は見れずじまいなのですが、毎シーズン見に行ってる映画と初めてのドラマ『すいか』は見ることができました!ちゃんと夏を終わらせられた気分です(^_^)『すいか』は見たいなと思っていた時に先生からもおすすめしていただいたので、時間をかけて大切に見ました!まだまだじっくりと味わいたいいいドラマでした!でも、はやく2週目にも行きたいなー

そして、私はこれが最後のブログです!

もう少し大切に書きたかったなぁなど反省を抱えながら秋学期にコマを進めたいと思います!ここまでお読みくださりありがとうございました!

それでは!

11期生 第11回 映画の音楽

皆さんこんにちは。土田です。

長らく更新を止めてしまっていたのですが、春学期の授業内容をまとめたいと思います。

あと2回分、どうぞお付き合いください。

『映画の理論』―音楽―

今回は映画音楽について、井上さんが担当してくれました。

まず、「映画音楽」は、

・生理的機能

・美的機能

の2つの機能を担っているといいます。

生理的機能は、観客を映像の中心に引き込み、映像が観客のもとに留まるような働きをします。そして美的機能は、美的関心という点で映像と音楽の間に何らかの相関を持たせる働きをします。

映画における生理的機能は、「共感覚」効果を利用して観客を映像に引き込み、そこに留まるように働きます。

最初期の時代は、観客をスクリーン上の映像の流れに生理的に適合させることが求められていました。なぜなら、我々の実際の現実世界には様々な音が満ち溢れているからです。

映画のショットは写真ではなく充満した生を完全再現したものと思われているため、私たちの環境にあふれている音が必要になってくるのです。

このことは、シリアスなシーンや重大な出来事が起きたシーンで、あえて無音にすることでその状況を引き立たせる演出の説明にもなります。映画における沈黙は緊張感を高め、観客が登場人物の現実感に一層信頼を寄せる効果があります。

続いて、映画における美的機能は、解説的音楽・実際の音楽・作品の核としての音楽など、映像と音楽とを対応させる様々な働きがあります。

解説的音楽は、伴走する映像の何らかの気分や傾向、意味を自らの言語で言い換える手法であり、物語全体に特有の雰囲気を伝えたり、特定の視覚的テーマを説明したり、自然を巧みに改ざんしたりすることができます。

また、音楽伴走が映像化された場合、その楽曲に注目を集めるためにカメラの動きが止まると、聴衆はそこに何の意図があるのかを必要以上に考えてしまうため不安感を抱くとされてます。

反対に、音楽作品と映像が並列して存在する場合、映像の現れと構成に対して責任がある音楽が背景に押しやられているため、映像は存在しないものを遂行していることになるのです。

このように、映画の音楽を1つ切り取ってみても、私たちの生活には普段様々な音が満ち溢れているため見過ごしてしまいがちですが、複雑な意図の上に構成されていることが分かりました。

そして今回は、井上さんが提案してくれた『インターステラー』を分析に用いました。通常は映画ありきで音楽が作られますが、『インターステラー』は音楽ができてから宇宙とタイムトラベルの話が出来上がったそうです。

そんなことがあるのか、とびっくり新たな発見でした。

『インターステラー』は宇宙を舞台にしたSF映画であるように見えますが、本質は父と娘による家族愛の物語とみることができます。実際にこの映画の音楽を作ったハンス・ジマーはSFの設定を知らされずに、父と娘の愛の物語であるという情報のみで制作したそうです。

『インターステラー』のメインの音楽はパイプオルガンが特徴的なものですが、劇中のほとんどが同じ音で速度のみ変化したものが様々な場面で使われていました。

私たちはこのことから、どれだけ地球から離れた場所にいようとも、年月が経っていても、変わらないもの、つまり家族愛を物語全体に散りばめているのではないかと考えました。それを裏付けるために、様々な場面で同じパイプオルガンが響く音楽が用いられているのではないでしょうか。

どんなに壮大なSF物語でも、音楽という一点に注目すると、物語内容に注目したときとは別の新たな発見ができそうです。

それでは今回はこの辺りで終わりたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

2027年度問題分析ゼミナール入室試験要項

本ゼミへの入室を希望する学生は、以下の「内藤ゼミ入室試験応募書類」のファイルをダウンロードしてください。
そのファイルを用いてエントリーシートとレポートを作成し、情報コミュニケーション学部の事務室の指示に従って提出してください。

ゼミの活動や応募書類の作成に関してわからないことがあれば、内藤までメールにてご連絡ください。メールアドレスは、marikonaito.meiji[アットマーク]gmail.comです。

「内藤ゼミ入室試験応募書類」