春学期第8回 3年ゼミ

こんにちは。今回の担当は大下です。
第8回では『批評理論入門』の「間テクスト性」「メタフィクション」、ジュリア・クリステヴァの『セメイオチケ1』の一部分を取り上げて議論しました。

「間テクスト性」の章では、じつに多くの作品が『フランケンシュタイン』に関係していると説明されており、研究量の膨大さに圧倒され、この夏の研究に恐れをなしていました。間テクスト性とは、文学テクストは必ず先行するテクストと関連があるということ。作者の意図しないところでなんらかの影響が出ているということは、個人主義的な思想を打ち壊したとも言えます。ひとりの人を一面的に構成されたものとしてみるのではなく、多面的な側面をもち、数々のテクスト、社会、人物から影響を受け続け、与え続けるものだと考えると、他者との境界は分かりづらく、そして自分のオリジナリティとは何かという根源的な問いにまで及びます。そうした不安というのは人間にとってとても怖いことではありますが、新たに自己を見つめなおすきっかけにつながるのではないかな、と考えました。

続く「メタフィクション」では、語り手が語りの前面に現れて、作品を作りものであると強調させる作用を学びました。漫画「忍たま乱太郎」に見られるように、作者がコマの外側からコマを破って物語の内に入っていく様子を例に、メタフィクションの現象について話し合いました。

4限のセメイオチケでは、エクリチュールという言葉をキーワードに、難解な文章を読解することに専念しました。3限の内容に引き続いた間テクスト性の話では、言葉自体が社会によって変容し、歴史や社会に触れるためには、文学が必要であるというように語られていると解釈しました。また、バフチンがカーニヴァルへ赴いたとする理論は、話し合いの末納得のいく解決ができましたが、テクスト空間と言葉のところは、時間オーバーで手つかずとなりました。

このセメイオチケは、まだまだ議論をせねばならない積み残しが多いため、夏休みに大学でもう一度議論しなおすことになりました。骨のある文章に、2人とも完敗です……。ではまた次回。