春期第12回ゼミ

お久しぶりです。ブログ担当の室です。

今回は『批評理論入門』からⅡ-8「マルクス主義批評」・Ⅱ-9「文化批評」、カール・マルクス『経済学批判』を扱いました。今回は4・5限で分けずに、分野ごとに議論することになりました。

まずは「マルクス主義批評」から。

「マルクス主義批評」とは社会主義思想をベースとした批評理論で、文学テクストを「物」として扱う点が特徴です。この批評においては、文学作品はある歴史的時点に生じた「産物」であり、そのテクストの生産には政治的・社会的・経済的条件があるはずだと考えます。

ここで挙げられる「経済的条件」に関してですが、マルクス主義批評では思想よりも経済を重視します。K・マルクスは生産体制が思想に影響を与えていることを指摘しました。これまで思想と作品を結びつける動きはありましたが、思想の前の段階として生産体制が存在すると考え、その生産体制に着目し作品を読み解くのがこの批評理論です。

さて、マルクス主義批評的に『フランケンシュタイン』を読むと、実際の当時の状況と作品の記述にはいくつもの矛盾が見つかります。

『フランケンシュタイン』の物語が進行している時点は、フランス革命のさなかでした。しかし、作品内ではその150年前に起こった清教徒革命に関する記述は見られるものの、フランス革命については全く語られません。また、専制君主の典型であるチャールズ一世に対し同情的な様子が見られることも、自由思想のメアリとは本来相容れないものです。

怪物が何を表しているのかということも、マルクス主義批評的に読み解こうとすると、これまでの批評とはまた違った見方になります。怪物は、フランケンシュタインによって科学技術で作られ、凄まじい破壊力を持ち、創った人間の手にも負えない存在となりました。

この「破壊力」や「制御ができない存在」という点は、市民革命が呼び起こし制御ができなくなった「群衆の力」と取ることができます。また、科学技術から生まれ、「理解を超えた存在」としての怪物は、「産業技術」とも取ることができます。フランケンシュタインによって創られながらも、創った人間に逆らい手が負えなくなるという点では、支配者層が作り出した「労働者」の姿とも重なります。

このように、怪物はある立場の人にとっての、理解不能な恐ろしい存在を表したものと取ることができます。しかし、この作品における怪物は単に恐ろしい存在としてではなく、言葉を操り、哀れみの感情を抱かせるものとして描かれました。モンタークはこれについて、メアリが言葉を持たない労働者を、怪物を通して代弁しているのだと主張しています。

ここで、この後に続く「メアリは労働者階級への同情とフランス革命再来への恐怖というジレンマを抱えていた」という記述について、この「ジレンマ」というのが何か、ということが議論の中で疑問として上がりました。

結論としては、メアリが抱えていた「自由思想」としての立場と、「支配者層」としての立場のジレンマを指しているという意見で一致しました。

「労働者階級への同情」として言葉を持たない人々を代弁したのは、自由思想家としてのメアリです。ただし、メアリ自身は労働者階級ではなく、支配者層にあたる上流社会の人間です。そのため、フランス革命再来により特権が失われる恐怖を感じていたと指摘できるのではないか、という意見が出ました。チャールズ一世に同情の様子を見せたのは支配者層としての立場によるものだったと考えると、自由思想とは相容れないはずの姿勢をみせたことにも納得ができました。

その他、モンタークは「怪物創造のプロセスが省かれている点」、「産業社会が描かれていない点」を矛盾点として指摘しています。こういった描写がないことを、ゴシック文学として扱えば「憧れ」として説明することができますが、マルクス主義ではこれを批判し、この「矛盾点」を徹底的に読み込み、「歴史性」を見出そうとします。

現代的なものに対する直接的な描写が避けられたことで、怪物が現代的なものを一身に負って体現したために、怪物が真の怪物性を帯びたのだと『批評理論入門』の中ではまとめられました。

怪物以外に不安・恐怖の対象が作品内で描かれれば、怪物が持つ怪物性が薄れてしまいます。怪物性を持った他の存在を排除し、怪物にその時代の恐怖のすべてを付与させたことで、怪物が「怪物」らしく表現されたのではないか、ということで理解しました。

ここまで『フランケンシュタイン』の批評に重点を置きマルクス主義について確認していきましたが、今回の議論の最終的な目標は「マルクス主義の面白さとは何か?」という問いについて考えることでした。

この批評の面白さは、文学テクストを通じて実際の社会の矛盾を読み解くことができる点です。作品からは「作品=社会の派生」ということが読み取れますが、その中から大きく矛盾している点を探ることで、社会の脆弱性を指摘することが可能になります。

 

次の「文化批評」は、おそらく全員の論文に関わる内容だということで、合宿にて詳しく議論することになりました。

文化批評は、「ハイ・カルチャー」と「ロウ・カルチャー」の垣根を壊すことが目的です。それによって、「資本家」「労働者」の関係を壊す意図がありました。

『フランケンシュタイン』は、長い間多くの大衆文学の中に吸収され続け、またその都度時代に沿ってストーリーに変化を加えながら、映像化されてきました。今回、『批評理論入門』では時代ごとにどのように変化してきたかということに重点が置かれていたため、「文化主義批評の意義はなにか?」ということについては、合宿で議論することになっています。

あまりまとまりがない文章になってしまい申し訳ありません。マルクス主義批評については個人的にもう一度おさらいが必要みたいです・・・。文化主義批評に関しても、合宿でがっつり議論できたらいいなあと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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