3年ゼミ 第10回

こんにちは!最近知ったのですが、もともとカフェインが入っていたものからカフェインを抜いたものを、「デカフェ」というのですね。ずっと「デカめのカフェラテ」のことだと思っていました。そんなわけで今回のブログ担当は川上です!

第10回の講義内容についてですが

3限では、廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)の「ジャンル批評」「読者反応批評」「文体論的批評」について学習しました。4限ではヴォルフガング・イーザー『行為としての読書』について学習しました。

1.「ジャンル批評」について

『批評理論入門』によれば、「ジャンル」には、形式上のカテゴリーに基づくものと、テーマや背景など内容上のカテゴリーに基づくものとがあります。そして、ジャンルに関わる諸問題を扱う批評を「ジャンル批評」といいます。ロマン主義文学、ゴシック小説、リアリズム小説、SF小説等、ジャンルの種類は多岐にわたります。

トドロフは『幻想文学』において、「ジャンルとは、つねに他の隣接ジャンルとの差異によって定義されるものである」と述べています。これは一体どういうことでしょうか。

「〇〇という特徴を持つからSF小説/❏❏という特徴を持つからゴシック小説/男らしい特徴を持つから男/女らしい特徴を持つから女」

トドロフは、上記のような、「ジャンル分けを絶対視する考え」に異議を唱えています。そうではなく、ジャンル自体は本質を持たないのであり、作品を無理やりジャンル分けして形式的に批判するのでは駄目だと言っているのです。「男らしい特徴を持つから男」ではなく、「男は、ただ女でないから男」という風に言い換えれば正しいでしょうか。トドロフの主張を踏まえて『フランケンシュタイン』について考えてみると、この作品は、決まったジャンルに分類すればいいのではなく、ロマン主義文学的要素、ゴシック小説的要素等、様々なジャンルの要素を有しているという風に考えられます。

2.「読者反応批評」について

『批評理論入門』によれば、「読者反応批評」は、作品を自立したものとする考えに異議を唱え、作品とはテクストに関わる読者の存在を前提としたものであると再定義しました。テクストが読者の心にどのように働きかけるかという問題に焦点を置いています。

また、「読者反応批評」は、読者を刺激し、積極的な解釈を促すような、いわゆる「弁証法的な示し方」にも主眼を置きます。例えば、「弁証法的な示し方」の手段の一つとして「省略」があります。テクスト中に省略部分があれば、読者はその省力部分について考え、説明づけることを強制的に求められます。

一見、「読者反応批評」は、読者の権利を全面的に保証しているようにみえますが、実際は違います。読者反応批評家は、読者がどんな好き勝手な解釈をしても有効になるとはせず、「読者」とは、ある水準に達した資質の持ち主にかぎられるとしました。「知識のある読者」、「教養ある読者」などと呼称されます。対象を限定する、やや排他的な側面を持つ「読者反応批評」は、人々に受け入れられないこともありました。以下、「読者反応批評を自分はどう思うか」という議題において挙がった5期生4人の意見を簡潔にまとめました。

・読者の解釈がなんでも有効になっては、確かに解釈をすることの意義が減少してしまうのでは。
・作品とは作者の意図を読み解くことが基本であり、そこから逸脱した解釈は、かなり個人的なもので、正当性は発生しないのかもしれない。
・誰のどんな解釈にも意味はあると思う。

3.「文体論批評」について

『批評理論入門』によれば、「文体論」とは、テクストにおける言語学的要素に着目し、作者が分やテクスト全体のなかで、語や語法などをいかに用いているかを科学的に分析する研究方法をいいます。「文体論」を研究することで、作者の特徴を知り、またその特徴を他の作者と比較し、時系列的に作者や作品を考えるといったことも可能となりそうですね。

4限では、ヴォルフガング・イーザー『行為としての読書』を用いて学習しました。主に、テクストと読者の相互作用について記されていました。テクストと読者、2つの要素が作用し合うことで、新たな解釈が生まれ、その新たな解釈がまた合わさるという風に、「書く」という過程には、弁証法的な要素が含まれているようです。

また、読書行為そのものの特徴についても記述がありました。読書とは直進的で退行のない動きは取らず、今目にしているものが前に読んだものを修正するという遡及効果を持っているとされていました。小説のような虚構テクストにおいては、読者の視点があちこちに移動することで、次の文章を予想したり、それまでの解釈を再構成したりという風に、いわば、過去の情報と現在の情報、そして未来の情報に弁証法を適用させることが可能です。しかも、そのような弁証法には決まったレギュレーションがなく、読者に委ねられているというのです。読書行為によって生まれる解釈が無限の可能性を秘めているということ、おわかりいただけるでしょうか。

自分も含め、作品に触れることが好きなゼミ生にとって、今回の内容は考えさせられる部分も多かったのではないでしょうか。普段、自分達がどのように作品を解釈しているかということを再認識させられました。心なしか、今回は議論も白熱し、楽しげであった気がします。
(他の内容がつまらないという意味ではないですよ!!)