第9回 6期生ブログ 「働くこと」の価値

3週に1度の理論を学ぶ日。
理論を学ぶと生きやすくなるという人もいるが私はいつも怖くなる。
新しいものを知る怖さなのか。でも無知の方が怖いとも思うのに。
見たくないものまで見えてしまう気がして、
新たな見方を手に入れたのにそれを無邪気に使えず、
視野が広がるはずなのに視野が狭くなったような不安に陥る…

まだ言語化はできないのですがいつもそんな気持ちで理論を学ぶ回に臨んでいます(笑)

今日のテーマはマルクス主義とカルチュラルスタディーズ。
その中で出てきたのが貨幣経済という仕組み。
貨幣経済であるがためにその価値を歪められてしまっているものはたくさんあるのではないかと思いました。

例えば、娯楽。今回のコロナ対策でも経済が優先され、娯楽産業が後回しにされている印象を受けました。私は、ビジネスを意識していないアートが好きです。例えば、道端の落書きだったり、学生の展示だったり。純粋に表現したいものを表現したい形にしてできたものに魅力を感じます。

もしかしたらこれも貨幣経済への抵抗なのでしょうか。

もう1つはボランティア活動。ボランティアの形態はさまざまですが、無償で本人の意志で参加することが多いように思います。この場合ボランティアは無償労働者とは言えますが、こき使っていい奴隷ではありません。また、お金が発生しない分、募集する側と参加する側の信頼関係が重要になってきます。しかし、なぜかここを取り違えて「ボランティア」という言葉を、その場の都合のいいように解釈している場面を目にすることがあります。

これも貨幣経済の影響なのでしょうか。
賃金でしか人の労働力は判断されないのでしょうか。

どちらの例も「働くこと」と比較すると社会では重要視されにくいものだと感じます。

現代では電子決済やカード決済が多くなり、値段を視覚化された量として見る機会も少なくなりました。また仮想通貨のような新たな概念も生まれました。貨幣において国家の括りがなくなるのは近い未来なのかもしれない…貨幣の概念も変わるのではないかと期待したいです。(期待なのかわからないけれど)

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