7期生ブログ第16回『ずれ上等!!!!!!』

「サザエさん時空」って知ってますか?

春夏秋冬はあるけれど、1年がすぎても彼らが歳をとったり、急激に状況が変わったりすることはないような時間の流れのことです。特に長寿アニメに多くて、サザエさんの他にも、名探偵コナンや、ドラえもん、クレヨンしんちゃんなどに当てはまります。キャラクターは確固たるアイデンティティーを持っているし、それが変わることもありません。

しかし、私たちが住んでいる世界は、時間が流れゆき、決して止まることはないですよね。今自分が見ている世界が全てではないし、今見ているものは、明日には姿を変えているかもしれないし、無くなっているかもしれません。私たちはよく、自らのアイデンティティについて考えるし、かなりそれにこだわっている人もいると思います。

「クイア」という概念は、ずっと変わらないその人の本質(アイデンティティー)ではなく、そのひとのその時の状態をさすといいます。それは本質なきアイデンテティーです。何かからずれる状態そのものがクイアです。その考え方に立ってみると、私たちは誰もが少なからずクイアの要素を持っていると言えるかもしれません。

私が子供の頃読んでいた児童書青い鳥文庫の「黒魔女さんが通る!」では、すべてが全国平均である男の子のキャラクターがいました。彼はあらゆることにおいてすべて全国平均をとりますが、それだって日本においては平均なだけで、世界規模では平均ではないですし、そもそも身長や体力測定などすべてで世界平均をとったとしても、所属するコミュニティーでは平均ではないので、周りから「普通」だとは認識されないでしょう。もし仮にそんな人が実際にいたら逆にすべてで平均をとること自体が確固たるアイデンティティーにもなりそうです。

今回、授業教材として、映画『ぐるりのこと』をクイア性から分析した卒業生の小野寺さんの論文を扱いました。『ぐるりのこと』は英訳すると『all around us』 映画のラストシーンで主人公カナヲが街ゆく人々の雑踏を見ながら、「人、人、人」とつぶやくシーンは、カナヲと翔子を絶対化しないための描写だとも取れます。クイア性は誰もが持っているものだということを示唆しているようです。

先日徳村さんとある長い話合いをした際に、彼は私よりもかなり楽観主義者で、明るいという新たな発見をしました。私はこれまで、彼と自分は割と似ている方だと思ってきました。もちろん、似ている部分もあるのかもしれません。しかし、そうではない部分の方が大きく、それはとても根本的な違いでした。そしてその違いがあったからこそ、闘争ができました。価値観が違う人同士は分かりあえませんが、それでも2人にとってもっともいい結論を導き出したいという思いが共通しているとき、そこには闘争がおき、そしてそれを乗り越えた先には、それまでなかった平和が訪れるのだと知りました。

闘争を通して、私は徳村さんへの理解が深まると同時に自分についての理解がさらに深まりました。普通に過ごしていて、自分自身の新たな性質に気づける機会はそうありません。しかし、自分と異なる考えの人と、共通の答えを出さなければならない段階になって、初めて見える自分というのがいるのです。その自分は他人からの期待を内面化して自分を追い込んでおり、何かを完璧にこなして認められないくらいならそれをやる必要はないと考える人間でした。しかしそんな自分に気づけたのは、失敗しても、楽をしてもいいから、楽しんでやることが大切だという、真逆の思考を持った徳村さんがいたからです。

それはちょうど、『ぐるりのこと』で「ちゃんとしなきゃ」と思いすぎてそうできない自分に疲れてしまった翔子にカナヲが言った言葉「おってくれたらいい」に通ずるものがあるように、後から思いました。(まあ、ちょっと違いますが)

つまりは「ちゃんとやる」ことができる人間ばかりじゃないけど、ちゃんとできない自分に絶望しないことは難しい、今の自分の限界を思い知るのは苦しいけれど、限界を受け入れられたら、自分がやるべきことがわかってくる、ということです。

ちゃんとできない人に向かって、自分が今まで抱いてきた思い「努力すればちゃんとできるのに、ちゃんとしないやつは甘えているかサボっている」を内面化しては、自分がちゃんとできなくなったとき、それが自分に還ってきて私のように追い込まれてしまうでしょう。

クイアの状態にいる人に対して、自分とは違う、自分はああならないと思うことは、結局自分を苦しめることになります。自分もどこかの一面ではクイアだと認めること。そしてクイアである人やことに抵抗を感じないこと。それが自分も周囲も楽な気持ちで生きていける秘訣だということをシェアしたところで、今回のブログは締めようと思います。

皆さんも、どうか「ずれ」に寛容に。

村上菜々子

(「なんだかいつもより短い」と思った人のために懺悔すると、実は「ぐるりのこと」を扱う前に同じくクイア研究で夏目漱石の「こころ」を扱ったのですが、私が本作のファンでありすぎるためにクイア研究で「こころ」を批評した論文にどうしても納得することができず、納得できてないことをブログに書くことはできなかったのです。それで分量が少なくなってしまったのです、懺悔。)