こんにちは。村上です。更新の間隔が空いてしまいました。モチベーションの問題です。ところでみなさんはどのように仕事や課題へのモチベーションを維持していますか?私のモチベーション遍歴は色々ありましたが、”人”ということが共通しています。ただ単に好きだからその人に好かれたいという理由だったり、この人がこんなに自分のために行動してくれているのだから自分も頑張ろうという理由だったりです。そうしたモチベーションがないときに行動だけは正しく行うことはいいことなのでしょうか?自分を内側から突き動かすものはないにも関わらず外部から求められる正しさに沿って行動することに意味があるのでしょうか。それをできる人は素晴らしいですが私はそれをするとどんどん自分の中の声が死んでしまうような気がするのでできません。結局自分自身の声に従って生きるしかないのだと思います。自分で自分の機嫌を取り、やる気を出させられるのが大人なのかもしれませんね。
さて今回は、反復と異化がテーマです。反復に関しては、発表者の徳村さんが挙げていたART -SCHOOLというバンドのサビが反復表現であり、それはバンドの世界観である退廃的で破滅的なイメージに向かって後戻りできない勢いで進んでいくことを表しているという例を聞いて、反復への考えが覆されました。もともとそういった曲は手抜きというマイナスなイメージしか持っていなかったからです。(曲聞いてみたらかっこ良かったです)そこで他の音楽の例を考えると、The BeatlesのI Want To Hold Your Handという曲はほとんどタイトルの繰り返しですが、なんだか落ち着くし、繰り返しとあまり意識せず聴いていました。この曲は聴くと平和的な気持ちになるのですが、それは同じ歌詞の反復によって安心するからではないかと思いました。反復はただ曲をポップで軽快にするのではなく、その単調さがどこまでも続いていきそうな曲の世界観の広がりを演出する効果があります。
異化とは、日頃見慣れた世界からその日常性を剥ぎ取り、事物に新たな光を当てることと定義されています。この間『ビューティーインサイド』という映画を観ました。主人公は眠ると体が別人に変わってしまうという話で、老人や子ども、外国人、男、女など様々に変わり、視力や聴力、話せる言語まで変わってしまいます。そのような人なら毎日同じ場所で寝起きし、同じ仕事をしていても世界を新鮮に観ることができるでしょう。しかし大体の人は寝て起きてすぐ変化を感じるほど成長(老化)のスピードは早くないし、混沌とした世界を生きてもいないので眼に映る色々は日々色あせて、自動化され、身の周りにあるものやシステムについて改めて考えることをやめてしまいます。その安心しきった心にストレスを与え、(悪い意味ではない)世界をまっさらな心で、違った方向から見させてくれるのが、異化の効果です。
異化について言語学者ポテブニャーは、眼に見えるものは移り変わるが、その事物に対して人間が思い浮かべるイメージは一定不変だと述べました。今回の文献の著者ヴィクトール・シクロフスキーは、眼に見えるものは変わらないが、その事物に対するイメージは移り変わると主張しました。これらは対比されるものではなく、どちらも自立した意見です。私は目の前にあるコップを、「雨の日の花のように受け止める存在」と比喩してみました。コップは人間から見るとただ飲み物を注いで飲むという実用的なもので、当たり前にそこにあるので改めてそれについて考えたりしません。ですが比喩され、異化されることによって、コップに対するイメージが変容しませんか?この比喩からは、コップからどことなく儚げなイメージを抱くと思います。自動化されていた世界の見方がまた一つ豊かになりましたね。これがヴィクトールのいう異化であり、文学の大事な役割なのです。
例に出したThe Beatlesの曲は反復の作用も相まって癒されます。『ビューティー・インサイド』は主題が恋愛で、主人公は家具職人なので綺麗な家具がたくさん出てきて観ていて楽しいので観たことない方はぜひどうぞ。今世では毎朝鏡で対面するはずの自分のことがきっと愛しく感じられる作品だと思います。違う誰かにはなれなくても、こうした作品に触れることで自分の中の世界の認識を変化させ続け、新鮮な気持ちで生きていけたらいいなと思います。
ではまた再来週。