春学期第13回ゼミ

どうも。このページでは初、通算三回目の投稿となる今回のブログ担当・前田です。いよいよ春学期ラストも近い第13回目では「ポストコロニアル批評」「新歴史主義」「オリエンタリズム」を取り扱いました。

「ポストコロニアル批評」とは文学作品を対象とする第三世界の分化研究を指します。『フランケンシュタイン』ではトルコ人や東洋の言語など研究に最適な要素が多数登場し、それらはしばしば西洋的要素と対比されます。例えばトルコ人の父娘が作中に出てきますが、父親は偏見をもって書かれているのに対し娘のサフィーはキリスト教徒という西洋的価値が付加されているためか肯定的に描かれています。このような西洋と東洋の対比の話は後述する「オリエンタリズム」と大きく関わってきます。

「新歴史主義」とは、歴史主義が発生してからニュー・クリティシズム、読者反応批評、ポスト構造主義へ至る道筋の中でいずれも作品の歴史的背景が無視されているという点を受けて生じたものです。歴史を従来の歴史主義的に考えると、歴史を認識するうえで歴史書や科学書などの学術的なテクストのみが信頼におけるものとされ、それらに記された出来事が重視されてきました。だが新歴史主義では歴史をより広範なものと捉え、文学テクストも歴史の判断材料とすることで一種の社会科学として位置付けています。こうすることで文学テクストと他の領域のテクストの境界を取り払うという見方も可能となるわけです。

「オリエンタリズム」とはすなわちオリエント(東洋)と西洋とのあいだに設けられたものを論じる思想様式を指しますが、この「オリエント」という概念は東洋そのものから発生したものではなく、実は西洋人によって作り出されたものなのです。さらに言えば、ヨーロッパ文化のアイデンティティ確立のためにオリエンタリズムを論じる必要があり、そのためにオリエントという概念が作られたと言えます。つまり言葉とイデオロギーが先にあってその後にイメージが作られるわけです。この関係性はセックスとジェンダーの関係とほとんど同じですね。そしてオリエントとオリエンタリズムを分ける言説を分析し、対応関係を論じないのが最大の特徴です。

春学期のゼミ議論も残すところあと一回となりました。出来る限り負債を合宿に持ち込まないようにもうひと踏ん張りです! ではまた次回でお会いしましょう。

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