春学期 第1回特別講義

こんにちは!この度、内藤ゼミナールのブログをこちらに移転いたしました。新設致しました内藤ゼミナールのブログをこれからも宜しくお願いいたします。ブログ移転後、記念すべき1回目の投稿ということで張り切って書かせて頂きます!執筆担当は、提中です。

6月14日、米国フロリダ州立大学近代言語語学部助教授のスティラーマン・アリエル先生にお越しいただき、今年度1回目の特別講義を行って頂きました。

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外国人の先生、そして事前に配布されていたハンドアウトが英語………ということで、ゼミ生はかなり心配して気構えていたのですが、スティラーマン先生は非常に日本語が堪能な方で、心配は杞憂に終わりました(^^;)

スティラーマン先生は、古代の日本のコミュニケーションツールであった和歌について、講義を行って下さいました。今回の講義では丁度梅雨の時期ということで、以下の和歌を取り扱いました。

 

五月雨に 濡れにし袖に いとどしく 露おきそふる 秋のわびしさ

現代語訳:御心のこもったお文をいただきまして、梅雨のころからずっと濡れている袖に、さらに感涙の露を置き加える秋のつらさでございますよ。

 

これは、平安時代中期、後醍醐天皇の更衣であった近江更衣が詠んだ歌です。この歌からは、五月に母を亡くし、秋になっても悲しさから立ち直ることが出来ないという近江更衣の気持ちが伝わって来ます。そして、この歌に対する後醍醐天皇の返しが以下の歌です。

 

おほかたも 秋はわびしき 時なれど 露けかるらむ 袖をしぞ思ふ

現代語訳:一般的にいっても、秋はつらい時期ではあるが、私は、お前の露に濡れているであろう袖のことを特にしみじみと思っているのだよ。

 

この歌からは、後醍醐天皇の、遠くにいて見えなくても悲しい気持ちは分かっているよ、と近江更衣を心配する思いが伝わって来ます。

このように、古代の日本では、和歌をコミュニケーションツールとし、直接的な言葉を使わずに気持ちを伝えあっていたのだということが分かりました。

さて、コミュニケーションツールとしての和歌について一通り学んだ後、スティラーマン先生から課題が…………。それは、現代語で和歌を作ってみよう、というもの。ほとんどのゼミ生は和歌を作った経験などなく、頭を悩まされました。それでも、一生懸命に考えた結果、なかなかの名歌が誕生したように思います。こうして実際に和歌を作ったことで、現代語でも直接的な表現を使わずとも、気持ちを込めることが出来るのだと気が付きました。遠回しな表現でも情景を伝えることが出来るというのは、今も昔も変わらないのですね!和歌づくり、非常に難しかったですが、限られた言葉数の中で、どうやったら自分の気持ちを伝えることが出来るのかを考えるのは、とても楽しかったです。ゼミ生からは、今後機会があれば家族や友達に和歌を作って送ってみたい、との意見もありました(^^)

こうして、スティラーマン先生の特別講義は幕を閉じました。私は、高校の古典の授業では、文法などに捉われ、正直和歌に対して苦手意識を持っていたのですが、今回の講義で、和歌に対するイメージがガラリと変わり、和歌の楽しさを知ることが出来たように思います。

 

スティラーマン先生、素敵な講義をありがとうございました!

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