春学期第3回 3年ゼミ

こんにちは。初めまして!4期生もう1人の方、増尾美来です。

遅ればせながら第3回のゼミブログをあげさせていただきます。忘れていたわけでは……すみません。

第3回では
3限は引き続き廣野由美子著『批評理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義-』(中公新書)の「語り手」「焦点化」
4限ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』「焦点化」を用いて講義を進めていきました。

物語には語り手が不可欠です。小説をどの角度からみるかによって語り手は種類分けされます。
しかし、果たしてその語り手は「信頼できる」ものでしょうか?

例えば、ダニエル・キイス著「アルジャーノンに花束を」は知的障害をもつ主人公の目線で語られ、彼が脳手術を繰り返し知能があがるにつれ文体にも変化が起こります。知能の低い時に書いていた文にはどれほど正確性があるのだろう?知能があがったあとの記述も彼の主観によって事実とは異なるものになっているのでは?
など、「語り手における信頼」問題について議論を交わしました。

誰が語るのか、誰が見るか を区別して「見る」という行為を規定し、見ている主体によって捉えられた多面的現象を映し出す方法を「焦点化」といいます。
誰が見ているか、誰が見るか によって種類が分けられます。(外的、内的、固定内的、不定内的、多元内的)

一つ一つ例を考えながら、あーでもないこーでもないと話し合いました。
湊かなえ著『告白』は複数の登場人物の視点から物語が進んでいくから不定内的焦点化 なのではないか。など触れたことのあるもので考えることによって理解が一気に進みました。

4期生2人ということで2人して考え込んでしまうことも多々あるのですが、その度考え方のヒントを下さったり、私たちの取りこぼしをすくい上げてくださる3期生の方々。いつもありがとうございます…!!憧れの眼差しでみております。先輩方のように来年なりたい!!

図書館にこもって調べることも、毎週悩みながらレジュメを作成することも不思議とつらいとは感じてなくて。どんなことを知れるのだろうとわくわくしながら読み込む日々です!
理解するためにやるべき事はたくさんあると思いますが、このわくわくを忘れずにこのまま走っていきます!!

増尾

春学期第4回 4年ゼミ

こんにちは、4年の横野です。

今回は『Film Analysis 映画分析入門』の第4章「アートディレクション」・第5章「語り」について分析を行いました。

今回使用したレジュメはこちら↓

 

第4回_4年ゼミレジュメ

 

今回は映画「テルマ&ルイーズ」を挙げ、各々で気になる点をチェックし議論を行いました。

 

第4章「アートディレクション」では、作品中の音響・服装・台詞(口調)が議論に上がりました。

作品中では音響がほとんど入りません。音響が入るのはテルマとルイーズが車に乗っている時のラジオから流れる音楽だけです。「何でだろう・・・」とゼミ生で議論になりましたが、映画通の前田くん曰く現代の映画作品のようにBGMがたくさん入っている作品というのは近年になってかららしく、それまでは音響に頼らず作品の画にこだわっていたとのこと。うーん、映画って奥が深いです。

また、「テルマ&ルイーズ」ではテルマとルイーズの二人が逃走を続けている間にどんどん服装が変化していきます。冒頭では小綺麗で山に行くとは思えない格好をしていたテルマが終盤には腕や足を出し、顔も埃まみれになっています。また、控えめな発言をしていたにも関わらずどんどんと汚い口調になったり、思い切った発言をしたりするようになっています。このことから、開放的になっていく女性像・自由を追い求めて行動している女性像が表現されているのではないかという結論になりました。

ちなみに、アートディレクションには色彩についての項目もあったのですが、前田くんが「これは日常生活にも見られるんだ。『水族館にデートに行くと別れる』っていうジンクスがあるでしょ?あれって、水族館は青い照明だから顔が青白く見えて楽しくなさそうに見えるからなんだよ・・・。だから俺は気をつける。」といったことを発言し、ゼミがほっこりした空気になりました(笑)4年になってよりゼミ生が仲良くなったなと感じた瞬間でした。

第5章「語り」では、映画分析入門に書かれていたウラジーミル・プロップによる物語の「機能」リストに当てはめ、これまでの冒険物語とどう異なるのか、主人公が女性に変化したことによる相違などについて話し合いました。

プロップの物語リスト上では英雄が帰路につき、誰かにより救助されるというリストがあります。しかし、「テルマ&ルイーズ」では帰路に戻ることは無く最後まで逃走を続けます。また、救助しようと手を差し伸べる人物も現れますがそれを実現するには至りません。そして二人は崖から飛び降りてしまいます。

議論中、この「帰路に戻らないこと」「飛び降りる結末」は、悲しいことではなく本当の意味での「自由」を求めた結果なのではないか?という意見が出ました。

その意見を基に、普通であればテルマとルイーズが死んでしまったという結末ではあるが、これまで夫などの男性に抑圧された存在であった二人が自分達の意思で行動し、抑圧する存在から永遠に逃れられたという意味で自由になったという結論に至りました。

やっぱり映画って奥深いですね。これまであまり深く触れてこなかったジャンルなので少し苦労しています・・・。学生生活の年なので、思い出作りとして今年度中に100本映画を見ようと心に決めました。劇場にも足を運びたいです。では、また!

春学期第2回 3年ゼミ

初回投稿、緊張します。この春から4期生として内藤ゼミに所属することとなりました、大下由佳と申します。
4期のゼミ生は私含めて2人ということで、極めてアットホームに、仲良く頭を突き合わせて活動しています!
初回授業の際、ゼミ運用に必要な役割を2人で分担し、お互いにけっこうな負担があるのねと確認。また、例年との人数差は加味せず、先輩方のやってきたものと同じスピードと量で授業を進めていくことが決定。4限で先輩のお力をお借りしながら授業をすることを除いてはほぼノーハンデでこの内藤ゼミで活動することとなりました。今後のゼミ活動に多少の不安と期待を持ちつつ、協力プレイで頑張って参ります。

さて、第2回の授業では、3限に廣野由美子著『批評理論入門―「フランケンシュタイン」解剖講義ー』(中公新書)のⅠ-1,2を、4限にテリー・イーグルトン『文学とは何かー現代批評理論への招待ー』(岩波書店)の序論を読み解いていきました。

3限のレジュメはこちら→第2回 「冒頭」「ストーリーとプロット」

1「冒頭」については、主に〈手紙を利用した導入は本当に読者を引き込むことができるのか〉について議論しました。廣野氏は手紙という現実的なものを足掛かりにして読者は物語世界に入り込みやすくなると主張していますが、私たち2人の意見は「手紙って身内ネタじゃん。読み取りづらいですよ」で一致。本を読みなれている人は突然手紙から物語が始まったとしても、なんなく読みこなせるだろうが、あまり読んだことのない人はかえって混乱してしまう。この主張に行き着くにはある程度の読書量があることが前提ではないか、と考えました。
また、2「ストーリーとプロット」では、〈サスペンスとは何なのか〉の解釈に手こずりました。英訳すると単純に不安や緊張、未解決というような意ですが、構造的にサスペンスとは何なのか、を議論しました。そして、小説においてどのようにプロットを操作したらサスペンスになるのか、時間いっぱい考えて、『三匹のこぶた』の物語にサスペンスを加えてみることに挑戦。ほかに、〈「運命」とは何か〉という大命題も出ましたが、時間の関係で次回授業に持ち越しになりました。

4限の授業では練りに練った発表データをおうちに忘れてきた増尾さんが、記憶と戦いながら120分ほどで再構成した新しいレジュメを持ってやってきました。
議論した内容は、文中で繰り返し導き出される「文学とは何か」を考える二分法を徹底して読み解くこと。そして、文学を文学たらしめるのは、その文学自体の価値ではなく、時代によって変化する〈価値基準〉のなかで文学と決定づけられるのだということを理解しました。
横道に逸れたり、議論が止まった時、そっと手助けをしてくださった4年生に感謝です。

まだ文学について、批評理論について学び始めだったこともあり、議論中に何度も「後々勉強するから楽しみにね」と先生に言っていただくことが多かった今回。「視点」や「時間」などの物語構造における基本的要素を知った後、もっともっと私の見る世界は広がるのだろうな、と感じました。
知的好奇心を忘れず、次回以降も頑張ります!

春学期第3回 4年ゼミ

こんにちは。今回の執筆担当の室です。
前回に引き続き、『Film Analysis 映画分析入門』から「第2章・カメラワーク」「第3章・編集」を扱いました。
以下、今回のレジュメです。発表担当は前田くんでした。

第3回

前回同様、今回もテキストの課題に取り組みました。
扱ったのは、第二章の課題になっていたアルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』(1963)です。
今回の課題は、「物語の内容を、カメラワークがどのように支えているか」というものでした。
議論の結果、家庭の支配者が母親のリディアから、息子のミッチに移る中で、画面の支配者も母親から息子へと変化することがわかりました。
はじめはカメラがリディアの動きを追っていたのに対し、物語後半ではミッチの動きに合わせてカメラが移動するようになります。

前回は、事前に鑑賞せずに課題に取り組もうとしたため、分析ができずに終わってしまった点もありました。
そのため、今回は事前に鑑賞することを宿題にしました。
映画の物語をしっかり把握した状態で課題に取り組んだため、他のシーンとの比較などもできるようになるなど、議論を進めやすくなり、より理解が深まりました。

次回は、『テルマ&ルイーズ』(1993)を議論で扱うことになりました。
毎週映画を鑑賞するのが習慣になりそうです。

春学期 第2回4年ゼミ

こんにちは。今回の執筆担当は提中です。
今回から本格的に4年生のゼミが始動しました。
昨年度は3年生のゼミの活動内容についてのみ報告をしていた本ブログですが、
今年度から4年生も活動もこちらのブログにて報告をさせていただくことになりました。
3年次には、廣野由美子著『批評理論入門』をテキストとして使用し、
小説技法や批評理論を学んできた私たちですが、
4年生ではマイケル・ライアン、メリッサ・レノス著、田畑暁生訳『Film Analysis 映画分析入門』をテキストとし、映画の技法や批評方法について学んでいきます。

以下、第2回ゼミのレジュメです。今回のゼミの内容について詳しくはレジュメをご覧ください。

第2回_4年ゼミレジュメ

今回は、『Film Analysis 映画分析入門』の序章「映画における意味」と第一部の第一章「構図」について議論を行いました。第一部では主に映画の技巧について学んでいきます。
第一部第一章では、映画技巧の「構図」について詳しく説明されていました。
登場人物の位置関係や占める割合などの構図によって、人物間の上下関係や支配関係が描かれている、ということでした。
『Film Analysis 映画分析入門』には映画をみて、分析を行うという課題があるのですが、
発表担当であった室さんがDVDを借りてきてくれたため、実際に映画を流しながら、
今回の内容を使って分析を行いました。

今回は、『ガス燈』(1944)の25:50~27:00のショットの分析をしました。
課題は、フレーム内のナンシー(家政婦の女性)とグレゴリー(雇用主の男性)、ポーラ(グレゴリーの妻)をフレーム内の分割のされ方から比較する、というものでした。
議論では、グレゴリーとポーラは対等な位置関係であるのに対し、ナンシーとグレゴリー、ナンシーとポーラがフレーミングされる際は、常にナンシーが画面下部に配置されるということから、ナンシーがグレゴリーやポーラに比べ、低い階級にいるということが構図から見て取れる、ということになりました。
また、ナンシーとグレゴリーが鏡越しに会話をするシーンがあるのですが、
このシーンでナンシーは鏡に映された姿でしか映りません。これは鏡=フィルターを通して見る、ということから、雇い主と雇われ主の関係が現れているのでは、ということも議論に上がりました。

今回の議論は、テキストの内容を実際に映画を見ながら、実践し、分析を行ってみるという形になったのですが、今後のゼミでもこの形式が恒例となりそうです。私は昔に公開された名作映画をあまり見てこなかったので、ゼミを通して様々な名作映画に触れていくことができたらいいなと思っています。

では、また次回お会いしましょう。

秋学期 第2回特別講義

 

どうもこんばんは。今年度のやり残しは今年度のうちに。

第2回特別講義の担当の相田です。

11月29日に行われた秋学期第2回目(通算4回目)の特別講義は、前回の平井さんに続いて、東京大学大学院より井川理さんをお招きし、横溝正史『鬼火』を中心に戦時中の検閲とメディア、そして挿絵の文化についてお話を伺いました。

 

自分はMembersにも書いてある通り、推理小説好きなので、横溝正史の金田一シリーズも大好物なのですが、今回取り上げられた『鬼火』は恥ずかしながら読んだことがありませんでした。

しかし、日本の戦時中のメディアに対する検閲の研究は数多くある中、当時の新聞記事を探し、推理小説という大衆娯楽からアプローチをかけた井川さんの研究に、自分は一推理小説好きとして、また文学研究をする端くれとして、とても興味をそそられる内容でした。

 

『鬼火』は、ある二人の従兄弟の画家の「深讐綿々たる憎念と、嫉妬と、奸策の物語」を、「私」が関係者の元警官から話を聞くという構成をとっている。この作品も他の例にもれず、検閲により一部改稿、一部削除といった措置を受けましたが、それを逆手に取り、「削除処分、伏字処理を受ける程過激な作品である」ことを宣伝文句として活用した元編集者の横溝の妙が窺えます。

また、今ではライトノベルに代表される挿絵の文化が戦前の作品にあったことも自分の中で驚きでした。しかし、『鬼火』の挿絵はただ情景を読者に見せるだけでなく、二人の物語を、また別の視点から魅せているという点で、今のライトノベルの挿絵文化とは一線を画していると感じました。

 

作品を構成するのはテクストだけではない、もっと多くの要因が複雑に絡み合って作品が出来上がっているのを実感するお話でした。

ありがとうございました!!

プレゼミ合宿 in南房総

こんにちは。今回ブログ執筆担当の室です。

今回の記事は、二月に行ったプレゼミ合宿の報告です。

 

2月25・26日に、一泊二日のプレゼミ合宿を行いました。

開催場所は千葉県南房総市。ゼミ生だけでなく、卒業生や、株式会社ココロマチからも2名に参加していただいた他、南房総市の職員さん、2日目の会場であるヤマナハウスのメンバーのみなさんなど、多くの方に参加してもらい、賑やかな合宿になりました。

新三年生にゼミの活動を理解してもらうことが目的の合宿でしたが、リバティータワーの一室で行っている活動とは全く異なる体験ができ、現三年生もたっぷり楽しんだ二日間になりました。

 

初日は、シラハマ校舎にて内藤先生による講義を受けた後、懇親会を行いました。

 

午前中にハイウェイオアシス富楽里に到着しました。南房総市の新鮮な食材にはしゃぎつつ、昼食のお総菜や、懇親会用の野菜を購入。

その後、会場であるシラハマ校舎へ。宿泊棟なども案内していただきました。

南房総プレゼミ_170227_0089

そして今回の合宿のメインとなるプレゼミ授業に。

授業の前に、ちょっと変わった自己紹介をしました。

参加者それぞれが、本名とは違う名前を名乗るというものです。合宿中の二日間は、その名前で活動するというルールを設けました。

好きな映画のヒロインの名前、飼い猫の名前、好きな食べ物の名前・・・などなど、それぞれが自由に名乗り、覚えきれずに大混乱に。

普段と全く違う名前で呼ばれたりするのが、いつもの自分とは違うような気持になれて面白かったです。

 

授業の内容は、内藤先生の授業では恒例の「論点を立てる練習」に始まり、その後事前に配布されたテキストをもとに、チームごとに議論していく形で進めていきました。

チーム分けは、学生と社会人で分けたりはせず、一緒に議論をしました。

学生と社会人で区別しなかったのは、今回はみんな内藤先生の授業を受ける「生徒」という関係だからです。普段は社会人の方と対等に接する機会はないため、新鮮でした。

 

その後の懇親会では、念願のバーベキューをしました(夏合宿では天候不良により実現しなかったのです・・・)。

南房総市の食材を楽しみつつ、ゼミ生同士や、ゼミ外からの参加者のみなさんと交流しました。

南房総市ではたくさん咲いている菜の花ですが、焼いて食べるととてもおいしかったです。

 

二日目は、百姓屋敷じろえむさんにて昼食をいただいた後、ヤマナハウスに移動して活動しました。

 

ヤマナハウスに到着後、ゼミの講義に入る前に、ヤマナハウスの活動に参加させていただきました。

農作業組、土間づくり組の二手に分かれ、45分で交代し、両方の作業を体験しました。

普段の活動では着席しひたすら議論・・・という状態なので、体を動かしてゼミ生はヘトヘト気味でしたが、普段はできない農作業などを体験でき、楽しかったです。

南房総プレゼミ_170227_0399

その後、ヤマナハウス室内で円になって座り、「研究とは何か」というテーマについて話し合いました。

社会人のみなさんにとっての「研究」についてお話をうかがい、今やっている研究は大学にいる間だけでなく、今後の人生でも向き合っていくものなのだと知り、身が引き締まる思いでした。

 

以上のプログラムを経て、プレゼミ合宿が終了しました。

天候にも恵まれた南房総ののどかな自然の中、社会人のみなさんと議論したり、経験を語っていただいたりした今回の合宿は、忘れられないものになりました。

 

最後に、参加していただいたココロマチの吉山さん・奈良さん、ヤマナハウスのみなさん、南房総市の職員のみなさん、ありがとうございました。

また、南房総市職員の真田さんには、二日間、ゼミ生の移動を車で助けていただいただけでなく、地元の方ならではのスポットを案内していただくなど、とてもお世話になりました。

たくさんの方に支えられて活動ができているのだと改めて感じました。

ゼミでの活動も残り一年、ひとつひとつの活動を大切にしていきます。

 

秋学期第11回ゼミ

こんにちは!あと数日で春休みも終わりますね…。今年度のやり残しは今年度のうちにということで、12月6日に実施した授業の記事担当の相田です。

 

3ヶ月以上前の授業ですが、覚えている範囲で記事を書いていこうと思います。

 

今回議論したのは、文化批評への足掛かりとして、遠藤英樹氏の『現代文化論:社会理論で読み解くポップカルチャー』より、ポピュラーミュージックとアニメを題材に議論しました。

 

まず初めに、文化資本論という考え方について議論しました。文化資本は、経済資本と社会関係資本に連なる、ピエール・ブルデューによって提示された資本です。

文化資本には、教養や立居振舞といった「身体化された文化資本」、親などから受け継いだ絵画や彫刻品といった「客体化された文化資本」、国家資格や学歴といった「制度化された文化資本」の3種類があります。

 

私達は、社会をこの文化資本、経済資本、社会関係資本の3つを様々に組み合わせながら、生活しているとしています。そして、私達の持つ文化資本がぶつかり合うことで生じるのが、「象徴闘争」であり、今回はその事例として、音楽が取り上げられ、同時に「経路(ラウツ)」という考え方にも議論を進めました。

 

ちなみに、このラウツという考え方、ゼミ内で新歴史主義に次ぐレベルの大議論に発展しました。本質主義でもなく、かといって多元主義でもない。ルーツ(起源)とも違うということで、かなり議論が迷走したのは今でも覚えています。今自分が民族や人種の中でどのような立ち位置にいるのか、また、今まで自分のたどってきた道を何のために、だれのために何を使って表現しているのかを点ではなくもっと広くとらえた考え方なのはかろうじて分かったかなと思います。要復習ですね。

 

 

次に、ディズニーアニメーションを使って、ソフト・パワー論について議論をしました。

ソフト・パワーとは、軍事力や経済力といった強制的で暴力的な力ではない、その国が持つ魅力のことを指します。ソフト・パワーの源泉は政治的価値観、外交政策、文化から成り立っています。

 

日本のアニメーションは「クールジャパン」に代表されるように日本のソフト・パワーの重要な源となっている。しかし、それ以上に世界規模で強力なソフト・パワーを形成しているのが、ディズニーアニメーションである。

 

ディズニーアニメーションは強力なアメリカのソフト・パワーの形成に多大な貢献をしていますが、アジア諸国を「東洋」というステレオタイプ化したイメージのもと表現し、オリエンタリズム論にしばしば取り上げられている。第12回の授業では、「ジャングル・ブック」を用いて、文化批評の実践へと進んで行きました!!

論文発表会-2016年度-

2017年3月18日(土)駿河台キャンパスにて
内藤ゼミ3・4年生による学期末論文・卒業論文の合同発表会を行いました。

発表者はPower Pointを使用しながら、
・自分がなぜこの論文を書くに至ったのか
・自分が論文のなかで最も伝えたかったことは何か
・苦労した点、達成できた点
・今後の課題や展望
などを自分の言葉で説明します。その後、お互いの論文を事前に読んできたゼミ生が、発表を聞いたうえで自由にコメントをしていきます。
話題が尽きることはなく、充実した議論の場となりました。

ゼミ生の論文テーマは多種多様であり、論文のなかでは、小説、絵画、映画、アニメ、ゲームなど、形態や年代を問わず幅広い作品が分析されています。

偶然にも、同じ小説作品をまったく違う視点――ひとつは心理学的視点から、もうひとつはミステリの構造的視点から読み解いた二つの論文があり、1つの作品に対する多様な解釈の可能性が提示された点は、とても興味深いものでした。

また、今回の発表会の傾向として、ジェンダーに関心のある論文が(特に3年生に)多く見受けられた点が挙げられます。しかし、ジェンダーへの問題意識や、対象とした作品へのアプローチ方法はそれぞれ違っていて、男性あるいは社会が作り上げた女性の理想像、作品から読み取れる男女間の力関係、ホモソーシャルと男性中心社会の関係性など、その多様性はまさにジェンダー問題の複雑さを表しているように思いました。

どの論文・発表からも、対象とした作品へのこだわりや、社会現象への気づき、分析を通して各々が生み出した深い考察を、感じ取ることができました。内藤ゼミに入り、苦悩しながらも論文を書き上げて、論集にまとめて、この発表会で披露できたという経験は、直接的ではなくとも何らかのかたちで、私達の人生の道標となってくれるのではないでしょうか。

さて、真面目に文章を書くのはここまでです!
(まだ論文を書いてるような気分になりました、ははは…)
論文発表会めちゃめちゃ楽しかったです!!

何度も何度も、根気強く温かな指導をしてくださった内藤先生をはじめ、ご見学くださった本多さん、南房総ゼミについての発表&物怖じせずに発言してくれた2年生、熱量溢れる論文を執筆&準備に協力してくれた3年生、二年間を共に駆け抜けた4年生、、、
皆さん本当にありがとうございました!!!

内藤まりこゼミ2期生 清水智美

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秋学期第13回ゼミ

今回は秋学期第13回ゼミについてのブログです。
執筆担当は提中です。

2016年を締めくくる第13回のゼミは、ゼミ生の希望により、
後期期末論文の相談をしようという回になりました。
4日後に論文の提出を控えていた私たちは、
各自書けているところまでの論文を持ち寄り、1人ずつ時間を取りながら、
執筆において悩んでいることや、修正した方が良い点はあるかなど、
相談をし、それについてアドバイスをしあいました。
このようにひとりひとりの論文に対して時間を取って、
親身になって相談をしあうことが出来る点は、
内藤ゼミに入って本当に良かったと思う点のひとつです。

皆にもらったアドバイスのおかげもあり、
12月24日、クリスマスイブが論文の締め切りだったのですが、
無事に後期期末論文を提出することができました。
そこからさらに何度か修正を加え、なんとか今年度の論集を完成させることが出来た私たちですが、
次は卒業論文が待っています。
もうすでに書きたいテーマが決まっている人も、そうでない人もいますが、
(ちなみに私はまだ考え中です…)
卒業論文も一人で書いていて悩んだ際には、
こうして皆の力を借りつつ、助け合いながら書いていけるといいなと思います。