第3回のブログを担当します、中村美咲子です。
今日の前座は山崎さんが宝塚について紹介してくれました。実は私は宝塚についてあまり知らなかったので、とても勉強になりました。
一番印象的だったのは、トップの役者が既に決まっており、それによって舞台での役がもらえるようになるという点です。そしてその順位があまり変動せず、多くの場合退団によって上の役がもらえるようになるというのも驚きました。
3限では、秋尾さんが『批評理論入門』の「提示と叙述」そして「時間」について発表をしてくれました。
まず、「提示と叙述」ではそれぞれの特徴の説明と事例を紹介したあと、実際にそれらをわける基準は何かということについて議論しました。「批評理論入門」では提示は情報量が多く、語り手の存在が小さいものだとし、一方叙述は情報量が少なく、語り手の存在が大きいものであるとしています。また、この提示と叙述がバランスよく使われることが小説の面白さや読みやすさを実現しているといいます。
しかし、果たして本質的にその違いはどこにあるのでしょう。我々は提示においては客観性があることがポイントなのではないかという議論をしました。正直なところこの議論は時間内ではうまく結論が出せなかったのでまたどこかで話したいと思ってしまいます。
次に、「時間」では物語の語りの速度について時間が操作されていることと、その4つの速度について説明されていました。まず、省略法はある期間を省略して一気に飛び越える方法であり、最速であるとしています。次に要約法は一定の期間を数ページで要約する方法です。さらに、現実と同じ速度で「提示」される情景法、語り手が物語の流れを中断させて、登場人物がだれも見ていないような光景や情報を示す方法として休止法が紹介されました。
4限では、山崎さんがジュネットの「時間」について発表をしてくれました。
これは、ジュネットが自身の考えを援用しながらプルーストの『失われた時を求めて』について分析しています。それによってに、プルーストが物語言説の速度の形式を変質させることで独自と律動を獲得したのだと考えました。
ここでいう形式とは、3限でも扱った、休止法、情景法、要約法、省略法の4つの形式です。『失われた時を求めて』では、要約法は使用されていません。また、休止法についても物語言説がある対象にとどまる時は主人公の静観的停止が描写され物語内容の時間からは抜け出すことがないため、ここでは存在しないとしています。とすれば、『失われた時を求めて』では省略法と情景法のみが使用されているわけです。さらに情景法については、通常は劇的な集中化が行われるものとして使用されるのにも関わらず、ここでは典型として用いることでいわば非劇的なものという機能の変化をもたらしているのです。
我々にとって、ジュネットのこの文章は難解であったのですが、素晴らしい発表をしてくださった山崎さん本当にありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。