みなさんこんにちは。
本日ブログを担当します土田麻織です。
今期ブログを溜めてしまっており、随分と前の回の内容となっていることをお許しください。
そして、このブログは先生とゼミ生くらいしか読まないだろう!と比較的自由に色んなことを書き連ねていたのですが、何かの間違いで話題にあがってしまい非常に戦慄しております。ブログを書く筆が乗らないのですが、早速授業内容に移ります!
3限
「文学と文学記号論」ユーリー・ロトマン
今回は井上さんが担当でした。私はこの文章をほとんど理解することが出来なかったのですが、井上さんの発表で何となく骨格が見えてきたような気がしました。わかりやすい発表をありがとう!
この文章の要点は「文化モデルとはどのような要素によって構成されているか」です。
まず本論では、物語の登場人物は【動的登場人物である主人公と、不動的登場人物である彼の敵対者たち】と区別することが示されており、不動的主人公という例外を覗いては、このような分類が可能なのです。
不動的要素を担う登場人物は、動かないため自分の環境を変えることができません。反対に、ある環境からある環境へと移動して自分の環境を変えるということが、主人公を主人公たらしめるのです。
不動的主人公は与えられた世界絵図の中に完全に収まり、最大限の「一般性、典型性」を特色とします。完全に物語世界の中に収まっているため移動を必要とせず、その欲や使命に駆られることがありません。
また、文化モデルは3つの要素によって特徴付けられています。
- 普遍的空間の分割タイプ
- 普遍的空間の規則性
- 方向性
文化モデルにおける境界線の存在は内部と外部の対立、そしてさらに内部の中でも内部と外部を区切ることが出来ます。
そんな文化モデルは【我々(内部)⇆彼ら(外部)】という対立に簡単に分類することが出来ます。この対立は閉ざされた世界への加入とその対立項として解釈されます。
例えば世界を生者と死者の二項対立として捉えるのではなく、善神と悪神のような区別も存在するため、【組織化⇆脱組織化】という対立において組織内では境界線を引くことが出来ないということです。
境界について話してきましたが、この境界を越境する事こそが題材を構成する典型的な図式となるのです。境界は不変体として登場し、空間の連続性を破壊することも出来ます。
また、題材の最も典型的な構成法としては空間協会の越境があげられ、世界の更生との闘いとして題材の図式が生じるというのです。
また、題材におけるテキストは、登場人物によるモデル空間の境界の横断や、より個別的な区分の横断によって描かれ、これらの横断によって描かれる軌跡は、人間の道程や事件として描かれます。「事件」を別の構造へと移行させるために動的な要素が、自分の空間と他人の空間を持っていることが問題となります。
以上が3限の内容になります。
ここから4限では辻村深月さんの『傲慢と善良』を、登場人物の移動の観点から分析することにしました
4限
『傲慢と善良』辻村深月
傲慢と善良は、主人公の西澤架が婚約者の坂庭真実の突然の失踪を追うところから始まります。真実の居場所を探していくうちに、架は彼女の「過去」と向き合うことに。真実の失踪の本当の理由は何なのか、真相に近づくたびにそれぞれがが無意識に持つ傲慢さと善良さが浮き彫りになるようなお話です。
本ブログでは議論の内容を中心にしたいので、物語の詳しい内容は割愛させていただきます。
失踪していた真実はいくつかの土地を移動していたことが明らかになります。そして最終的には宮城県石巻市で地図を作る仕事をして、自分の意思で日々を充実させていました。そこで、今回私たちは「真実が東北に行ったことはどのよう意味があったのか。」という問いを立てて移動について考えました。
真実は群馬で生まれ育ち、30歳を過ぎたタイミングで東京に上京。架の前から姿を消した後は、一度実家のある群馬まで行きそのまま仙台へと住み込みのボランティアをしに移動しました。そしてその後石巻で新たな地図を作る仕事を始めて、物語内の真実の移動は終わります。
まず、私たちはそれぞれの土地は何を象徴しているのか、どのような出来事があったのかを書きだしていきました。
群馬(実家)
実家のある群馬では、狭いコミュニティの中で常に監視されているような生活であったことが明らかになります。
また、そのコミュニティの中での価値観、例えば真実と真実の両親は彼女が香和女子という地元では評判のいい女子高・大出身であることに過剰にステータスを感じています。実際に東京の頭のいい大学に進んだ人物が、香和女子大に何の執着もしていないようなシーンが描かれていますが、真実を始めとする両親は、自分たちが住んでいる小さなコミュニティ内での価値観に縛られていてそれが全てだと思っているのです。それゆえに、近所の他人と比較もしやすく、常に互いの状況を把握して審査しているような状況でした。
よって、群馬では
・他人との比較が日常茶飯事
・序列や差異を過剰に気にする
・優位性が求められる
・人と人が牽制しあう
社会であったと考えました。
続いては東京です。
東京
一般的に上京する、というとポジティブなイメージで、発展や進化といった意味合いが含まれると思います。真実も、前向きな理由で東京に来ました。一見すると、東京への上京は、群馬という閉鎖社会からの解放と考えられそうですが、本作品では違いました。
東京では確かに親からの束縛からは解放されました。しかし架の昔からの女友達は真実のことを詮索して審査して、架の以前付き合っていた女性や周りの人たちと比較して苦言を呈していました。つまり東京でも、他人との比較が行われ、その差異で序列が作り出されていたのです。
これらより、私たちは群馬と東京は監視社会であったと意味づけました。
そして失踪期に移ります。
失踪期
群馬
真実は東京を離れ、行く当てが実家の群馬しかなく、一度群馬に足を運びます。
ここでも監視社会の要素が含まれるのですが、群馬では知っている人に見られるかもしれないという恐怖が起こり、違うどこかへ行こうと決意します。
仙台
そこでボランティアとして東北地方で被災地の支援活動を行っていた人の話を思い出して仙台に行くことになります。
仙台では、震災で汚れてしまった写真を洗浄する仕事を任されました。写真館に住み込みで働き、そこにはもう一組小さなこどもを連れた女性がいました。しかし彼女は真実について詮索するようなことはしませんでした。また、写真館の人も、みんな事情があってここにいるしこれまでにも何人も来て何人もいなくなったから、と深く追求することはありませんでした。
これより仙台に来たことで真実は監視社会から解放され、また真実自身も監視を辞めるきっかけとなったのだと考えることが出来ます。
そして地図作りの仕事を紹介され、石巻市に移動することを決めます。
石巻
石巻市では、震災で一度は建物が無くなってしまった土地を歩いて回り、新しく建ったものを記録するという仕事をしていました。ここで初めて、真実は0から1を作るという、新しいものを想像するというフェーズに行きました。また、建物を一つ一つ確認していく作業、“在る”という存在を顕在化させることが、東京屋群馬での差異でしか物事を理解することが出来なかった状況との対比になっていると言えます。
そしてそこで自分の行く道を決めます。よって、真実は石巻の地図作りという仕事を通して、自分の幸せをも作れるようになった、と考えることが出来ます。
以上より、今回私たちが立てた「真実が東北に行ったことにはどのような意味があったのだろうか。」という問いに対して、「監視社会である群馬・東京から離れ、仙台の写真館で写真洗いをしたことで、監視する・されることを辞めるきっかけとなった。また、石巻での地図作りを通して、監視を辞めた先で自分の幸せを作ることが出来るようになった」として結論付けました。
お疲れ様でした!
今回は特に頭をフル回転させてああでもない、こうでもない、と沢山考えた回だったように思います。
ボツになった仮説ですが、東北パートでは「海」がキーワードとして挙げられるため、内陸の群馬・東京に対して海に面した東北、という構造で何か言えるのではないか、とも考えました。「まみ」の「み」が海で「真海」、真実の海だったら何か違ったかもしれないな、と思いつつ「真実(しんじつ)」であることに大きな意味があると思うので真実ちゃん海の神説はしまっておこうと思います。
長々と書いてしまいましたが、今回は「移動する登場人物が主人公である」という、今まで意識していそうで意識したことがない点に着目することが出来て非常に面白かったです。思い返すと確かにどんな物語も主人公は移動しているような気がします。
その移動先の土地などに対して、作者はここにゆかりがあるからなのかな、この風景を登場させたかったからなのかな、などのことしか考えていなかったのですが、今回のように分析してみるともっと深みのある結論が出せるのかもしれません。
このあたりで今回のブログは終わりたいと思います。ここまで読んでくださった方は、ここまでお読みくださりありがとうございました!
(年末の挨拶をする前にもう一本書きたい、、、!)







