3年ゼミ 第5回

 寒暖差が激しい日々か続きますね。初めまして、最近干し野菜を作ろうと思い大根を干してみたら思ったよりも細くなったことに驚いた浦上です。「野菜がみずみずしい」という表現を身にしみて感じました。ちなみに私は花は生けてあるものよりもドライフラワーの方が好きです。私の家にある植物は基本逆さまで吊されてます。どうでもいいですね、では本題に入りましょう。

 
 今回は廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)の 性格描写、アイロニーそしてウラジミール・プロップ『昔話の形態学』について議論をしました。
 まずは性格描写についてです。登場人物にはそれぞれ性格がありますが、人間の性質を描く上での豊かさと多様性、心理的動作の深さなどでは小説に勝るものはないとのことです。特にイギリスでは、近代小説が生まれる前から「性格」に対する関心が顕著でした。ヴィクトリア朝後期の小説家トロロープ(1815-82)が小説においてはプロットよりも登場人物を優先すべきと主張したほどです。性格を重視するのはイギリス的特徴だと言えるのですが、ここで小説における日本的特徴とは何かという議論になりました。これを議論するには私たちの知識があまりないため深くできませんでしたが、日本の小説に心情吐露シーンが多くなったのは近代以降だそうです。近代以前の小説を読まない私には驚きの事実でした。
 次はアイロニーについてです。アイロニー簡単に言うとズレのことです。アイロニーには①言葉のアイロニーと②状況のアイロニーがあります。
①言葉のアイロニー:表面上の意味と違う意味を読み取らせようとする修辞法。隠喩や直喩とは異なり解釈を通して初めて理解される。
②状況のアイロニー:意図・予想された展開実際の展開との間に相違があることを指す。特に、ある状況についての事実に登場人物の認識が一致しておらず、そのことに観客が気づく場合を「劇的アイロニー」という。
皆さん、どうですか、わかりますか??
①ここで隠喩と直喩の違いはすぐにわかりますが、隠喩と言葉のアイロニーの違いは理解するのに少し時間がかかりました。たとえば、とあるカップルの会話で「君は僕の太陽だ」という表現が使われたとします。「君は僕の太陽だ」は隠喩ですよね。しかし、この表現が使われる前に、君(彼女)が他の男の人と二人で出かけたという事実を僕が知ったとします。僕が「おまえ、もう俺のこと好きじゃないんだな」と煮えたぎる怒りをこらえながら、彼女に「君は僕の太陽だ」と言った場合、これは言葉のアイロニーになります。この場合、他の男の人と出かけたのを知っているのにもかかわらず「君は僕の太陽だ」と言っているところにズレが生じます。このズレに気づくには、文脈を解釈する必要があります。
②言葉のアイロニーは言葉や文節にアイロニー性が潜んでいるのに対して、状況のアイロニーは出来事にアイロニー性が潜んでいます。授業では主に劇的アイロニーについて議論しました。劇的アイロニーとは簡単に言うと、小説を読んでいる読者がその状況に対して「えっ、そうじゃないよ!ちがうのに!」と突っ込んでしまいたくなることです。先ほどカップルの例を出しました。彼女が他の男の人とお出かけしたことを知った僕が、「おまえ、もう俺のこと好きじゃなくなったんだな」と思いながらも「君は僕の太陽だ」と彼女に言いましたね。しかしそれは、もうすぐ誕生日の彼氏に買うプレゼントを買うために、一番信頼できる男の人を買い物につきあわせたという状況だったとします。彼女は彼氏のことが好きで真剣にプレゼントを選びました。しかし彼は彼女はもう自分のことを好きでないと思っています。この状況の真実を知っているのは読者だけですね。
どうですか?理解していただけましたか??

次はウラジミール・プロップの『昔話の形態学』についてです。魔法昔話には31の機能があります。31の機能の前に昔話の機能のテーゼが4つあります。
【昔話の機能のテーゼ】
①昔話の恒常的な不変の要素となっているのは登場人物たちの機能。これらの機能が、どのような人物によって、どのような仕方によって実現されるかは関与性を持たない。これらの機能が、昔話の根本的な構成部分となる。
②魔法昔話に認められる機能の数は限られている。
③機能の継起順列は常に同じである。
④あらゆる魔法昔話が、その構造の点では単一の類型に属する。
これらのテーゼを基軸に魔法昔話の様々な筋を比較し登場人物たちの機能を析出していくことになります。
31の機能については割愛させてください。ここでどうして31の機能がすべての魔法昔話に当てはまるのだろうという疑問に、メンバーのひとりが昔は口で伝えていたから語るのに覚えやすい展開が31の機能なのではないかという意見が出ました。また現代の魔法物語の機能とは違うのだろうかという意見も出ました。
 小説において構造はとても重要です。私は構造を意識して小説を読んだことはあまりなかったので31の機能を習得して、他の小説と比較したりしていろいろな角度から分析していきたいと思いました。

3年ゼミ 第4回

ブログでは初めまして、5期生の川田美沙と申します。
3年ゼミ第4回では引き続き『批判理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』より「5. 提示と叙述」「6. 時間」と、ジェラール・ジュネット著『物語のディスクール』より時間に関する章「2 持続」を取り扱いました。

今回も批評理論や用語の確認を中心に議論を進めていきました。
まずは提示と叙述について、前者は語り手が介入せずあるがまま示すこと、後者は語り手が出てきて読者に対して解説する形であるという違いがあります。
また、作品ではストーリーとプロットで出来事の順序を変えるアナクロニー=錯時法が用いられます。これは2つにわけられます。ひとつは出来事を語っている途中で過去の場面へ移行する後説法、もうひとつはまだ生じていない出来事を予知的に示す先説法です。
そして、物語内容における時間的持続と物語言説のそれとの関係によって、物語言説の速度は大きく4つに分けられます。ひとつめは省略法で、物語言説(ページ数など実際の空間的な量)は停止し物語内容(物語で経過したと語られる時間)のみが加速する、いわゆる「話が飛ぶ」ところです。ふたつめは休止法といい、先ほどとは反対に物語内容が停止し物語言説が加速する、描写に代表される部分です。3つめは情景法で、二つの持続の関係が等しい、台詞の部分にあたります。4つめは要約法といい、物語内容が物語言説よりも速く、主に叙述と呼ばれるものはこれにあたります。
これらのうち省略法には、時間的観点からみて省略された時間が明示される限定的省略法と、明示されない非限定的省略法に分けられます。また、形式の観点からみたとき、明示的省略法と暗示的省略法に分けることもできます。前者では省略した過去の時間そのものを指示する、もしくは省略の後に経過した時間を指示することになります。後者は存在そのものが明示的でないため、読者が時間的順序の中に何らかの欠落があるとか語りが中断しているという事実から、これを推測する必要があります。
ジュネットはプルーストの作品『失われた時』を具体例として持続について語っています。プルースト以前は情景法は物語の劇的な展開において用いられ、非劇的なものは要約法によって大きく要約されていました。しかし『失われた時』では情景法を非劇的な展開で用い、要約法を物語の最高潮にもってきたという点で注目に値する作品であると述べています。

とりわけこれまでの私たちの議論の中で、とある顕著な傾向があると指摘がありました。
批評理論を適用するときにありがちなこととして、ある作品における著者の意図やある作品から読者が読み取るであろう解釈を想定したうえで語りがちであること、つまり無意識に著者や読者といった何かに依拠してテクストを語ってしまう場合が多いのです。
私たちはこれを自覚し意識した上で、どちらの立場でもない視点(社会情勢や文化的背景など)で作品と向き合わなければなりません。これから各々で作品を考察し調査していく際に重要になる部分ですので、今後のゼミの議論でも上記のような姿勢を習慣づけていく必要があると感じました。

また、今回扱った『物語のディスクール』内の文章がかなり抽象的であったため、読解するのに大変苦労しました。互いに意見をぶつけ合い、途中かなり混乱してしまいましたが、先生の助言をもとになんとか理解までには至ったと思います…。批評理論について理解を深めるよい機会になったので、「わからない」をはっきりさせてわかるようになるまで議論することはとても大切ですね。今のうちに「わからない」を積極的に解きほぐしていきましょう!

ちなみに先週分の課題が残っていたのですが、授業時間内でそこまでたどり着けませんでした。やはりやり残しは授業の初めのほうでやるべきでした…。そして今回は休憩のタイミングも逃してしまい2コマ連続でした…。個人的に反省点も多かったので次回からは改善していきたいです。

3年ゼミ 第3回 

はじめまして!この春より5期生として活動させていただく、山口明日香と申します。3年ゼミ春学期第3回目の活動は、前回に引き続き『批判理論入門-「フランケンシュタイン」解剖講義』から「3.語り手」と「4.焦点化」について、またジェラ―ル・ジュネット著『物語のディスクール』(1972)から、同じ焦点化について分析した章 「焦点化」(pp.222-227)を抜粋し扱いました。

今回中心になった議題は
1.焦点化の種類とその判別
2.「焦点化」と「語り」の違い
3.作者/含意された作者/語り手 とは何か、その違いはどんな点か
4.物語の「深み」と焦点化という表現
でした。

物語を語るとき、その物語言説(=テクスト)の視点はどこから・誰の視点なのか(=何を焦点としているのか)には色々な種類があり、それによってバラエティに富む文章表現が可能になることが分かりました。さらに、しばしば混同されやすい、ある物語言説がどんな焦点化を用いているのかという点と、誰が語っているのかという点の理解について話し合いました。また、以下のような疑問・意見が出されました。

・語りに偏りがない、神様のような「全知の語り手」は本当に存在できるのか
・ジュネットの文学理論は全体として近代以降の小説に焦点を当てて作られており、それ以前の小説や物語にはこの枠組みや区別は当てはまらないものがあるのではないか
・どの焦点化を選ぶことが、物語言説にどのような印象を持たせるのか
・外的語り手と焦点化ゼロは一致すると考えてよいのか

今回からぐっと批評理論の理解が本格化し、議論が混迷する場面も見受けられましたが、様々な意見が途切れることなく提案され、活発な内容となったと思います。二回目ということでゼミ生それぞれの個性も段々と発揮されてきました。次回もより興味深い議論ができるように頑張りたいと思います!

4年ゼミ 第3回 『プロスペローの本』

こんばんは。今回も諸事情により大下ひとり回でした。内藤先生には「もう慣れましたか」と言われましたが、議論に慣れても寂しさだけは募る一方です。しょうがないですけどね。
さて、今回は大下推薦で『プロスペローの本』を視聴しました。独特の世界観を持つ作品、本橋さんの批判・尊重どちらもできる良文、私の気になる分野の勉強と三拍子そろった内容であり、これまた前回に引き続き深い学びのできる回でした。
しかし、今回ばかりは頭で理解することに精一杯でメモ取りが追いついておらず、要所要所で文字の抜け落ちた走り書きと格闘したために、支離滅裂な議事録になってしまいました。読めるかな???

ブログ第3回 『プロスペローの本』

応答責任の話は今後社会人になるにあたって、絶対頭に入れておきたいことだと感じました。世の中の誰もがこんな風に他者の発話に耳を傾けられるような人であれば、もっと皆が幸せになれると思うんですけどね。
また、キャリバンのわずかな行動をしっかりと捉え、脱構築的に解釈している部分は、読み砕いた後本当に感動しました!大下もこんな論文が書けるようになりたいと思います。

さて、次回は内藤先生直伝「論文の書き方」講座です。論文の書き方がいまいち理解できていない4期生。今回設定してくださったこの講座で、まともな論文が書けるようになりたいですね。一応昨年のプレゼミの時に使用した『考える技術書く技術』『勝つための論文の書き方』を読んでおきましょう。では!

3年ゼミ 第2回

こんにちは。この春より5期生として活動させていただく、川上湧太郎と申します。3年ゼミ春学期第2回のブログ執筆を担当します!

第2回の講義内容についてですが

3限では、廣野由美子著『批評理論入門−「フランケンシュタイン」解剖講義』(中央出版)の「冒頭」「ストーリーとプロット」について学習しました。4限では、本来テリー・イーグルトン『文学とは何かー現代批評理論への招待』を用いるはずでしたが、こちらは夏合宿へと持ち越しになったので、3限の内容の議論を継続して行いました。

1.「冒頭」について

『批評理論入門』によれば、物語の冒頭部分は、小説という虚構の世界に読者を引き込む為、現実性と信憑性が伴うように書く必要があるとのことでした。『フランケンシュタイン』の場合、物語の導入部分で手紙を利用し、非現実的な物語に現実性を持たせていると言えるかもしれません。以下、上記の内容に対する5期生4人から挙がった疑問点と意見を簡潔にまとめました。

・「何故冒頭部で手紙を使用したのか」ー(物語が著された当時の連絡手段だった)

・「小説における現実と信憑性とは何か」ー(共感できるもの、マンガとは違う、身近に感じるもの)

・「手紙以外に、物語に現実性と信憑性を持たせる手段は何か」ー(科学技術、日記、日誌、口伝、私達が普段から使っている道具※スマホなど)

2.「ストーリーとプロット」について

『批評理論入門』によれば、物語中の出来事をただ時系列順に並べたものがストーリー、出来事の因果関係を意識してその順番を入れ替えたものがプロットということでした。プロットには、読者にサスペンスを生じさせることが可能です。「何で?」という、読者側の不安感や恐怖がこのサスペンスに該当します。以下、上記の内容に対する5期生4人から挙がった疑問点と意見を簡潔にまとめました。

・「サスペンスとはそもそも何なのか」ー(好奇心とも言えるのでは、ミステリーとサスペンスは違う)

また、4限後半では、『桃太郎』をストーリーからプロットへ置き換えるという作業をやってみました。桃太郎の勝利後の語りから始まり、桃太郎が桃から生まれていた衝撃の事実の発覚で幕を閉じるという、奇妙な作品が完成しました。プロットの真髄を理解するのは、まだ先の話のようですね…。

ほぼ初回と言える今回でしたが、各々意見を出すことに熱中していました。進行役の自分が思わず聞き入り、口を閉ざしていることも…。精進いたします!

4年ゼミ 第2回 『耳に残るは君の歌声』

4年ゼミでは今年度『映画で入門 カルチュラル・スタディーズ』『film analysis』『film art』の3冊の中から、お互いの気になる章をピックアップして議論することにしました。初回の今日は『映画で入門 カルチュラル・スタディーズ』から、第9章『耳に残るは君の歌声』を取り上げました。発表担当は増尾でしたが、諸事情により早退、議論の内容は先生と大下のみとなっています。増尾、このブログでどうなったのかしかと見ておけよ。

ということで、相棒に説明することも兼ねたために案の定長くなったので、授業内容はPDF化いたしました。

第2回 『耳に残るは君の歌声』

今回の作品、オオシモ的には3年論文にした内容と重なる点が多く、非常に楽しかったです。また、ユダヤ系の人物が主人公の作品=悲劇で終わるというレッテルを貼っていた面もあり、放浪者であり近しい人々と全て離別してしまったけれど、主人公のフィゲレはしっかりと生きているという部分に、非常に救われました。その点において私はこの作品をバッドエンドではなくハッピーエンドに含まれると考えたいです。

カルチュラル・スタディーズは二項対立を打ち出しがちである、そのことに私は去年悩み続けました。批評理論の体系の中で大きく隆盛したあと、急激に栄華を失ったカルチュラル・スタディーズ。頭打ちになった後新たな解決策は出ていないという状況を卒業論文でなんとか打ち砕き、3年の私を大きく超えられるようになりたいなと思いました。

余談ですが、今年の私の目標が「書く力を向上させる」なので、ブログは毎回きちんと議事録として整理し、上げていきたいと思っています。頑張ります。(誓い)

(文:大下由佳)

プレゼミ合宿(2018.3.10,11)

こんにちは!
4月に入り、私たち4期生も4年生となりました。
実りある1年にするため全力で取り組んでいきます!!

さて、少し前にはなりますが、3月10-11日に5期生の歓迎も兼ねたプレゼミ合宿を行いました。
廃校になった小学校をリノベーションし、サテライトオフィスやカフェなどに活用している「シラハマ校舎」をお借りしました!

5期生の歓迎と言いましても楽しいことだけではすませないのがこのゼミ!
しっかりと講義も行います。
合宿には南房総市役所の皆さんをはじめ、多くの社会人の方にもご参加いただきました。

そしてなんと今回、4期生の大下と私、増尾が講師を務めさせていただきました……!

内容は「構造主義と脱構築主義」
先生に多大なるご心配をおかけしながらも、大下と2人授業準備をし、なんとか皆様の前で講義をするに至りました。

講義が終わったあとは懇親会!
白浜豆腐工房さんにデリバリーをお願いし、目にもお腹にも嬉しい食事をいただきながら皆様とたくさんのお話をさせていただきました。

初めて講師を務めさせていただき、先生という職業の大変さ凄さを改めて感じました。
自分の伝えたいことが伝わらないもどかしさや、自分自身がまだまだ理解しきれていなかったのだという気づきを得ることもでき、4年次への良いスタートがきれたのではないかと思います。ご参加くださった皆さん、本当にありがとうございました!

(文:増尾美来)

2017年度学期末論文・卒業論文発表会

2018年2月26日(月)駿河台キャンパスにて、内藤ゼミ3・4年生による学期末論文・卒業論文の発表会を行いました。

執筆者は4年ゼミ長、室です。最後はゼミ長らしく・・・という意図があるわけではなく、あみだくじで決まりました。

今年の論文発表会には2期生の先輩も2名来てくださり、各論文へコメントもいただきました。もう1年論文と向き合う3年生にとっても、卒業を間近に控えた4年生にとっても、充実した発表会になったと感じています。2018年 論文発表会_180329_0001

(発表会後の懇親会の様子。発表会から参加してくださった先輩方に加え、2名の先輩方が参加してくださいました)

 

論文発表会では、ゼミ生がそれぞれ自分の論文について、Power Pointを使って発表します。

・自分がなぜこの論文を書いたのか

・何を伝えたかったのか

・苦労した点

・今後の課題

などを説明し、その後、ゼミ生同士での議論に移ります。

ゼミ生同士はお互いの論文を事前に読むことになっており、自分が読んだ感想や質問、発表を聞いた上で感じたことなど、自由にコメントしていきます。

 

コメントについては、各発表者につき各学年1名の「コメント担当者」を事前に決めています。基本的にはコメント担当者からのコメント、その後コメントをしたい人が自由に発言するという流れです。コメント担当以外のゼミ生も積極的に発言し、とても活発な議論になりました。

 

ゼミ生は、研究のテーマも興味の対象も様々です。それぞれが自分にはない視点の論文に触れる機会となるため、年間で最も忙しいイベントのひとつですが学ぶものが多く、楽しい一日になります。

3年生の論文や、2年生による自己紹介も面白く、後輩たちは今後どのように興味が変化していくのか、どのような作品に興味を持つのかなど、楽しみに感じた点も多くありました。

また、発表で論文執筆のバックグラウンドを知ることで、その論文に対して新たな見方が生まれたりもします。「こんな論文を書くなんてすごいなあ」と思いながら読んでいても、発表を聞くとみんな悩みながら、努力して書き上げたものであることを知ったりします。

 

ひとまずゼミ生としての最後の活動だった論文発表会も終え、内藤ゼミ3期生五名、無事全員卒論を書き上げ、卒業しました。

卒業後、それぞれ別々の道に進み、住む場所なども離れていきますが、最後にこうしてお互いの論文に向き合い、一緒に過ごした2年間を振り返ることができてよかったです。

 

さて、以下3期ゼミ生からのコメントをご紹介します。

 

相田 恭兵(発表論文「『あなたの人生の物語』から読み取る 「語り手」の認識と物語構造の関係性」)

論文を執筆している時、そして論文が完成したとき、この作品のなかに自分の今まで生きてきた中で得たものすべてが込められている感覚を覚えました。その論文をここまで深く読んでもらい、疑問をまっすぐにぶつけてくれるゼミ生の皆や先生に感謝を。自分の持つ疑問や意見を素直にぶつけることのできるこのゼミに入れたことは、大学生活一番の良縁でした。ありがとうごいました!!

 

提中 萌夢(発表論文「「信じる」とは何か ―小説『怒り』を通して考える―」)

内藤先生はしばしば、卒業論文の執筆過程のことを登山に例えていましたが、本当に高く険しい山だったなと思います。途中で何度も登るのを辞めることが頭に過ぎりましたが、内藤先生の熱心なご指導と、一緒に苦しんでいる同期の姿を見たことで、なんとか気持ちを持ち直し、最後まで登ることが出来ました。私は、辛かったことも過ぎ去った後は良き思い出だと思える単純な人間なようで、あれだけ苦しんだにも関わらず、もうこの先の人生で論文を書くことも、こんなに何かに対して一生懸命考えることも無くなってしまうのかと思うと、少し寂しさを感じております。今まで気づきませんでしたが、案外Mっ気がある人間だったのかも…(笑)

ゼミでの活動を振り返ってみて、特に面白かったのが、ゼミで学んだ理論を生かして作品を分析したことでした。ゼミ生によって、同じ作品でも着眼点が異なり、自分だけでは気が付けなかったことに気づくことができ、とても楽しかったのを覚えています。最近では、映画や小説を読んだ際に、自分が気になったことだけでなくて、「もしこの作品をゼミで分析したら、〇〇さん(君)はここに注目するかも」なんて思うようになったり…(笑)もう皆で一つの作品について分析して議論することも無いのかなと思うと寂しいです。また皆で集まることが出来たら、気になった作品の議論をしたいなと思っています。

 

前田 旅人(発表論文「REFERENCE OF THE DEAD ―物語の表現形態とゾンビの自己言及性の関係についての考察―)

内藤ゼミはとにかく自由で、のびのび研究できて楽しかったです。ゾンビなんて他の先生なら下らないと一蹴されそうなテーマにだって全力でぶつかり合えたのはこのゼミならではの良さだと思います。本当にありがとうございました。

 

横野 由佳(発表論文「テルマとルイーズは何故崖から飛び降りたのか? ―映画『テルマ&ルイーズ』から読み解く新たなヒーロー像と承認の形―」)

論文発表会、お疲れ様でした!ゼミ生の皆がそれぞれ異なる着眼点を持っているので、発表を聞くのも楽しかったです。内藤ゼミでの活動を通して、自分の中にある違和感や悩みを論文という形で解消出来たので、これから心置きなく社会へ飛び出すことが出来そうです!いつも議論が脱線してしまうくらいに個性が強く面白いゼミ生に囲まれて楽しかったです!2年間ありがとうございました!

 

室 汐里(発表論文「「恨む」行為の可能性 ―『マギ』に描かれる「堕転」を読み解く―」)

卒論執筆中に関しては何度か蒸発しかけましたが、結局私も無事に卒論を書き上げることができました。

思えば、蒸発しようと思ったことはあったけれど、「他のゼミに入っていたら」と思ったことはなかったなあと思います。自分には内藤ゼミしかなかったんだと改めて感じています。

興味の対象もそれぞれ違いますが、決してお互いの興味の対象を否定したりせず、その面白さを分かち合うことができるのがこのゼミの良さのひとつだと思います。

「相手の好きなものを否定しない」というのは大切なことだと思うのですが、実はけっこう難しいことじゃないかなと思います。内藤ゼミの人達はどんな対象も受け入れてくれるので、私もこの2年間は否定されることもなく、のびのびと活動できました。本当に居心地がよく、考え方とか、色々なものがぐるっと変わって、私にとってはこれまで過ごした22年間の中で一番濃い2年間でした。

論集準備などでは必死過ぎて見落としていたことがたくさんありましたが、ゼミ生のやさしさに支えられて活動した2年間でした。本当に素敵な思い出です。

来年度以降の内藤ゼミがどうなっていくのか、とても楽しみにしています。4・5期生のみなさん、素敵な思い出をたくさん作ってください。「このゼミに入ってよかった」と思って卒業してもらえたら、内藤ゼミ卒業生として、幸せに思います。

ゼミ入室試験:2次募集要項

ゼミ入室試験の2次募集に応募する人は、レポートとエントリーシートを提出すること。

  • レポート:以下の内容を1,500-2,000字の文章にまとめる。(A4横書き)
  1. 志望理由
  2. ゼミで取り組みたいこと(対象・作品があれば、それらも示すこと)
  • エントリーシート:以下のリンクからファイルをダウンロードし、必要事項を記入する。

エントリーシート

提出締切日時及び提出場所は、情報コミュニケーション学部事務室に確認すること。

なお、レポートとエントリーシートの両方を提出した者のみ、面接試験を受けられるものとする。

未来の内藤ゼミ5期生 現2年生の皆さまに向けて

まずはこの内藤ゼミのブログにアクセスいただきましてありがとうございます。また、ゼミガイダンスにお越しいただいた方、わざわざありがとうございました。先輩ゼミ生として3年生2人で初日に伺いましたが、予想に反し、4人もの学生に来ていただいて、とても嬉しかったです。

さて、数少ないブログ訪問者の方になんの情報もなしにいるのもいけないと思い、こうしてこっそりと2年生に向けてメッセージをしたためています。まず声を大にして言いたいのは、「内藤先生は評判ほど厳しい先生ではない!!」ということ。日本語表現の授業で内藤先生が受け持つと、課題の多さと評価の厳しさに多くの学生が打ちのめされるという噂は、お聞きになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。私はその噂、全力で否定して回りたい!!

内藤先生は本当にお優しい方で、びっくりするほど親身に学生の悩みや疑問に寄り添ってくださいます。(あまり言うと先生に引かれるかもしれませんが笑)論文の分量や毎授業の準備は他のゼミに比べて格段に多いですが、それでもどのゼミよりも先生に近いところで手厚い指導を受けながら勉強に励むことができます。15人、20人いるゼミでは、それぞれの学びにムラができてしまうかもしれません。ですが、このゼミでは少人数で先生とみっちり話し合うことができます。それに、先生から厳しいことなんてほとんど言われませんよ!何度も言いますが、本当に優しく、素敵な先生です。

そして、このゼミが幾多の人気ゼミに埋もれ、学生の皆さんに魅力を発見されていないように感じるのが、研究内容です。私も詳しくはないのですが、情コミのゼミで「作品」にじっくり取り組めるのは内藤ゼミくらいなのではないでしょうか。私はゼミにくる以前、文学作品なんてほとんど手を出したことはありませんでしたし、映画も気になったものを3か月に一度…くらいの嗜みでした。けれど、アニメや漫画、絵画や西洋文化(絵から音楽から現代のロリータまで)といったいわゆるサブカルチャーは大好きでした。内藤ゼミでは、そのすべてを研究対象として認めています。

日々ただ娯楽として享受しているものを大学に入って研究できるなんて、はじめは思ってもいませんでした。情コミに入ったからには、なんとなくメディア研究とか、広告研究とかざっくりやるんだろうなーと勝手に想像していた自分の未来。でも、このゼミに入って、世の中にあふれる作品という作品を「批評」という観点から読み直す力がつき、ああこのアニメはこういうことが裏テーマなのかな、この絵はこの時代のこんなものが実は表されているんじゃないかな、なんてことをじっくり考えるようになりました。(抽象的でごめんなさい)今後もこの半年で身についた「読解の新しいクセ」は取り剥がされないだろうし、とってもいいことを学んだなあと思っています。「批評」というものに全く興味がなくても、誰しも「作品」というものには必ず触れた経験があります。意外と門戸が広いのに、なぜか情コミ生は見向きもしない……。ということも、内藤ゼミの研究内容がもっと知られてもいいのに!と私が思う理由です。

以上のことが、来年度このゼミを選ぼうか考えている2年生の方に、私がどうしても伝えたかったことです。人数は決して多くないし、大学生活の残りの2年間、ゼミという枠組みの中で華やかな学生生活を送れる保証があるわけでもありません。でもゼミを決める時、私は「ちゃんと勉強してみたいな」と思いました。「自分で考えて答えを探すことをしてみたいな」と思いました。大学生活を振り返って「飲んで遊んでバイトしてるだけだったな~」って言っちゃうような社会人になりたくなかったんです。そのために、ゆっくりじっくり勉強して研究がしたくて、それでこのゼミに入ることに決めました。これを読んでくださっている2年生の方に、私と同じような考えをしていらっしゃる方がいれば、たぶんドンピシャです。2年間、作品と向き合い、社会と向き合い、格闘する時間を過ごしてみたい!と思う方を、内藤ゼミは歓迎します。あまりまとまった文章でなくてすみません。でも、来年度、私たちに後輩ができることを、本当に本当に、心待ちにしています。

 

3年 大下由佳