暑い日が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。
皆さんこんにちは。今回のブログを担当します土田です。
まずは長い間が空いてしまったことを謝罪申し上げます。
今回は第14回の春学期最終回の授業についてのブログになります。
最終回授業は7/14、本日は8/14と丸一か月も空いてしまい、猛省しております。(そして執筆時からアップロードまでも期間が空いてしまい大変申し訳ございません。そのため、以下内容にずれが生じていますがご了承ください)
先日やっとの思いで最後のレポートを提出し、ブログに取り掛かろう!と重いかもしれない腰を上げたものの、半分ほど書いたところでデータが消えてしまい(泣)一から書き直している所であります。軽く絶望しながら、春学期最後のブログに参りたいと思います!
前座
今回の前座は私が担当しました。今回紹介したのは『鯨が消えた入江』という台湾の映画です。最近ネットフリックスで見て、この映画の映像、ストーリー、音楽、演技全てが素敵で大好きになった作品です。
詳しく語るのは控えますが、井上さんもこの作品を見た!と言っていて色んな点で共感出来てとても嬉しかったです。
8/8から期間限定で劇場で上映されていて、ちょうど昨日劇場にも足を運びました!短期間で3回目の鑑賞でしたが何度見ても泣けるとっても素敵な作品でした。
3限
3限の担当はジョウくんで、ポストコロニアル批評と新歴史主義について学びました。
ポストコロニアル批評
ポストコロニアリズムとは、二十世紀においてヨーロッパ諸帝国が衰退し、アジアアフリカカリブ諸国などの第三世界が西洋の植民地支配から独立したあとの歴史的段階を指しています。西洋によって植民地化された第三世界の文化全般の研究を指し、特に文学作品を対象とする場合をポストコロニアル批評と言います。
この批評ではまず、植民地化された国や文化圏から生まれた文学作品を研究するアプローチがあります。植民地主義の文化的影響からどのように脱するかに焦点を当てます。
次に、帝国主義文化圏出身の作家の作品において、植民地がいかに描かれているかを分析する方法があります。西洋文化圏のテクスト内部の植民地主義的言説や、人種的他者がどのように表象されているかを注目する読み方です。
また、我々日本人は、植民地を建設する側であったものの、西洋の植民地支配の影響を文化の面では受けてきたため、ポストコロニアル批評の考えは非常に重要であるのだ。
新歴史主義
文学作品を歴史的背景との関係において研究する方法を「歴史主義」というが、「新歴史主義」とは異なるものである。
作品を歴史的・社会的背景から切り離してテクスト自体を自立した有機物とみなすニュークリティシズムが台頭すると歴史主義は衰退していった。その後「、作品の意味を読者とテクストとの相互反応から見出す読者反応批評や、テクストは内部矛盾を含むものであるとするポスト構造主義がニュークリティシズムを批判するようになる。ただあ、これらも歴史的背景は無視しており、再び「歴史」と言う要因を復活させたのが「新歴史主義」である。
「新歴史主義」は単に歴史的出来事を重視したり、特定の時代精神と結びつけたりするのではなく、より広範なものとして「社会科学」と位置付けるものです。
今回の授業では、新歴史主義は、文学作品を歴史的な文脈に強く結びつけるが、そのことによって、時代を超えて読者に訴えかける、いわゆる文学の普遍性を失う恐れはないのか、と言う問いに対して深く考えました。
私たちの中では、文学を信じたいという気持ちから失うことはないのでは、という考えが多く上がりました。私自身も、文学の力を過信しているのかもしれませんが、信じているのでどんな時代・背景でも文字の持つ普遍性、みたいなものは失われることはないのでは、と思っていました。一方で先生が、一度逆の考え方に振ってみることで他の重要性にも気付くことが出来る、ということをおっしゃってくださりました。これから研究を続けていく中で、きっと私は文学の力に頼ると思うので、一度テクストだけからは離れて、新歴史主義を用いてみようかな、と考えるようになりました。
ジョウくんがあげてくれたこの問いで、今学期最後にふさわしい深い議論が出来たと思います。
4限
ミシェル・フーコー『知の考古学』
最後はミシェル・フーコーの生権力の概念を考えていきました。今回の文章は30ページ程のハードなもので、私はゼミの日までに何度も読み返して、あとちょっとでわかりそうだけど分からない、わかったらおもしろそうだけどそこまで掴みきれていない、という状態から抜け出せないまま、みんなの解釈を楽しみにしよう!と思い臨みました。
今回の発表担当は藤田くん。配られたレジュメにはこの文章に対する藤田くんの思いの丈がつらつらと書き連ねており、私は大変感心してしまいました。ただ、この文章と一連の流れから、私たちは様々な学びを得たと思うのでこれを次につなげることが大切だと思います。(すべてが抽象的ですみません。)
今回の授業では、みんなで前半を「生と死に対する生権力はどのように変化したのか」という論点にまとめ、小さく分類していき何が書かれているのかを読み解いていきました。近代以前は「死なせる」か「生きるままにする」であった権利が、近代以降では「生きさせる」か「死の中へ廃棄する」という考えに変化していったことが分かりました。
続きは夏合宿へと持ち越しになりました。藤田くんがリベンジしてくれるそうなので楽しみです。生権力の話はきっと私は興味がありそうなので、私もこの文章をきちんと理解して、問いと意見を持って合宿に臨みたいと思います。
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さて、夏ですね!
8月中旬まではレポートと闘っていたため本当の夏休みはここから始まったような気がします!そしてサークルの一大イベントの大きな舞台が8月末にあるためそこまで突っ走るのみですが、終わってしまったらそこで私の夏も終わってしまうような気がします。。夏はやっぱり夏らしい作品を見たいので沢山ウォッチリストに書き溜めていますが、夏が終わるまでにいくつチェックを付けられるのでしょうか、、、。1つでも多く自分の中の世界を増やして、合宿・秋学期に臨みたい!という気合を入れて今回のブログを終わりたいと思います。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
また秋学期お会いしましょう。