こんにちは!暑くなってきましたね。
ゼミにサークル、バイトに就活という四足歩行で生活する日々に、心身が悲鳴を上げ始めている井上紬です。
そんな中で迎えた今回の授業ですが、4つのうちのひとつ、就活に頭を悩ませる私に新たな光を投げかけてくれる考え方に出会いました。
文学の批評理論を学んでいたはずなのに気がつけば自分の人生観にまで影響を与えられていたなんて、このような経験ができるのがこのゼミの面白いところですね。
今回はその影響を受けた考え方、「インターテクスチュアリティ(間テキスト性)」についてご紹介します。
ジュリア・クリステヴァ「インターテクスチュアリティ(間テキスト性)」
3限にて 廣野由美子著『批評理論入門』を読み解き、この考え方を解説してくれたのが藤田くん、
4限にて ジュリア・クリステヴァ著『セメイオチケ1』を読み解き、解説してくれたのがジョウくんでした。
ふたりとも、わかりやすく発表してくれてありがとう!
ジュリア・クリステヴァはブルガリア出身の女性で、フランスを拠点に現在も活躍中の文学理論家です。そんな彼女がまず主張したことは、「どのようなテクストもさまざまな引用のモザイクとして形成され、テクストは全て、もう一つの別なテクストの吸収と変形にほかならない」ということ。
これはすなわち、存在するすべてのテクストは、たとえそこに個として存在しているように見えても、必ず他に存在するテクストから影響を受けて存在しているということです。そのテクストとテクストの関連性を、クリステヴァは「インターテクスチュアリティ(間テクスト性)」と呼びました。
英語にすると”Intertextuality” と表記されますが、この表現からクリステヴァが、テクストとテクストの連関に “textile”(織物)の特性を見出だしていることがわかります。
彼女は織物でいう横の糸を「共時態」と定義し、縦の糸を「通時態」と定義しました。「共時態」では、テクストが書く主体と受け手との間でやりとりされることを指摘し、「通時態」では、テクストが同時代や先立つ文字資料に向けられていることを指摘しました。つまり主体と受け手と引用される文字資料とがあって、あるテクストは成り立っているのだと主張したのです。
ここで具体例をひとつ挙げてみます。たとえばAという漫画が出版され、「なんだこの漫画、新しい」との評価を受けてヒットしたとします。クリステヴァの主張とは、それがどんなに「新しい」と評価を受けていたとしても、実はその作品に含まれる要素自体は過去作品にも通じるような普遍的なもので、ただAの作者がその要素たちを新しい組み方で織り直しているからそれがオリジナリティとなって評価されている、というものです。
つまり、どんな作品も作者が目にしたものや体験したことが無意識下で引用された織物であり、ただ作者によってその織り方が違うから個々の作品として成立する、というのがクリステヴァの考え方なのです。
私はこの考えに触れたとき、作品だけでなく人間にも通用するのではないかと思いました。
就職活動についてまわる「あなたの個性や強みは何ですか?」という質問。実際にこの形で訊かれることもあれば、【自己PR】という形で回答を求められることもあります。この質問にどう答えるかと考えていると、私はよくこんな思考に行きつくのです。
「こんな人、ほかにもいる気がする。私らしさってなに?」
【ウェイクボードで日本一周】だとか、一発で目を引くエピソードがあれば話は変わるかもしれませんが、たとえばアニメ好きを語るにしたって私よりアニメを観ている人はごまんといるはずだし、作品を観て友人と語り合うことが好きですと言ったって今やそんな人は世界中に数え切れないほどいるはずです。「ほかと差別化」なんて言葉がありますが、そのようなことができる個性なんて私にあるのでしょうか。
もしかするとクリステヴァは、そんなものはないというかもしれません。あなたが触れた作品は必ず誰かも触れているはずだし、あなたが経験した喜びは必ず誰かも経験しているはずです。そのようなものは個性にはなり得ません、とぶった斬られてしまうかも(笑)
でも彼女は没個性的であることに肯定的です。あの人もあの人も、既にあるものの「引用のモザイク」だと言い、あなたと同様彼らの持つものにオリジナリティはないと言います。けれども、オリジナリティは確かにある。それは、持つものそれ自体ではなく、持つもの同士の組み合わせ方、織り成し方だと彼女は言うのではないでしょうか。「私」それ自体がテクストであり引用の織物だと考えれば、すべてが「ほかと差別化」されていく感じがします。自分には個性がないなんて、案じることはないのです。
授業の振り返りは以上となりますが、最後に恒例のイチオシ作品紹介をして、今回のブログは終わりにしたいと思います。今回紹介する作品は小説です。
「真珠王の娘(藤本ひとみ、2024)」
舞台は終戦間際の日本。自分の信念を大切にする少女が、その時代にはばかっていた強大な権力や理不尽な差別に立ち向かい、自分の道を切り拓いていく物語です。
本当はいろいろな側面から作品の魅力を掘り下げていきたいのですが、ここまで読んでくださっている方のお時間も頂戴していますし、今回はキャラクターに焦点を絞ってお話させてください。
あえて普遍的な言い方をしてしまうなら、この作品は三角関係が主軸のラブストーリーです。しかし、トライアングルの紅一点である少女・水野冬美が強く賢くエスプリの効いた返しができるために、食傷気味になることがありませんでした。むしろおかわりが欲しくなるようなやりとりの数々です。それに、彼女を取り巻くふたりの男性も魅力的な雰囲気をまとっています。名前は早川薫と火崎剣介。それぞれ品行方正と素行不良といったところでしょうか。ただどちらもこの四字熟語には意味を託すことができない一面を持っているので、どちらの男性により惹かれるか、読んだ人にアンケートを取ってみたいです。
さて、思い立ったが吉ということで、さっそく布教用にもう一冊買ってきました!明日のサークルでまず1人目に貸す予定です。今夏の自由研究の結果やいかになるでしょうか?