10期生第8回 その出来事は因果か偶然か

第8回のブログを担当します。中村です。
今回は、第7回でも読んだウォーレン・バックランドの「フィルムスタディーズ入門」から、『第二章 映画の構造ー物語と語り口』を勉強し、映画『パルプ・フィクション』について分析をしました。

まず、「フィルムスタディーズ入門」では映画作品のマクロ構造を見るべく「物語」と「語り口」という2つのカテゴリーがでてきます。
「物語」は登場人物にとって動機づけられた原因-結果の論理に基づいた出来事に構成されているといわれています。もちろん、原因と結果が全てではなく、単なる描写的なショットも存在していますが。
次に「語り口」は制限された語り口と全知の語り口の2つがあるのです。制限された語り口は一人の登場人物に結び付けられており、人物と同じだけの情報のみが観客に与えられます。それはその人物が見たもの、聞いたものを含めてその人が知り得た出来事すべてです。しかし、その人が知らない情報は観客にも与えられることはありません。一方、全知の語り口は、カメラが自由に登場人物を飛び移るため、一人の登場人物のもつ情報よりも観客の知る情報の方が多くなります。
全知の語り口が採用される映画作品の観客は、次に何が起こるかを予測できるためむしろ登場人物たちがそれに対してどう反応するかを楽しむことができるのだそうです。

しかし、この2つの語り口の理論は曖昧で、果たしてこの定義が多くの映画に応用できるかは疑問が残りました。

次に、映画『パルプ・フィクション』については、出来事が直線的に並べられていないが構造化されている、と述べられています。そのため、原因と結果の論理は時系列順に並べられる必要はないのだとも言っています。

我々は、『パルプ・フィクション』に関して、この映画は因果関係によって出来事が繋がっていないのではないかと考えています。確かに、バラバラにスクリーンに映し出される出来事を時系列に直す際に、因果によるつながりを見出してしまいそうになります。しかし、男女の強盗と2人の殺し屋がレストランで出会うのも、時計を取りに戻ったアパートやそこからの帰り道で敵対する相手に会うのも、全て偶然の出来事なのではないでしょうか?さらに『パルプ・フィクション』にはいくつかの出来事が時系列をバラバラにして配置されていますが、その出来事の関係はすべて因果関係と言えるのでしょうか?例えば、殺し屋たちがレストランで強盗に出くわすことはその後の展開に関わることがないのです。ボスの妻とヴィンセントが過ごした夜も。確かに殺し屋が足を洗うことを決めてそれ以降出てこないことはある種の原因と結果の関係といえるでしょう。

この映画が出来事をバラバラに見せているのはなぜでしょう。それは、人々が物事に対して原因やそれに伴う結果を求めていることを揶揄する意図があるのではないでしょうか?
今日はいい天気だからきっといいことが起こる。髪が上手く巻けたからいいことが起こる。そう感じたことがあるかもしれませんが、天候やヘアスタイルの調子は試験の結果にも親の機嫌にもなんら関わらないのです。
もしそんな出来事に何かの繋がりを見出したならそれは奇跡かもしれません。

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