第6回のブログを担当します、中村です。今回はベトナムからの留学生のフェンさんが発表を担当してくれました!
読んだのは、ジークフリート・クラカウアーの「映画の理論 物理的現実の救済」から『内容の問題』という章です。その後、黒澤明の映画『羅生門』を分析しました。
ここでは、映画なストーリーに着目して、映画的な物語の内容、主題、モチーフがどのようなものか検討しています。
まず、映画的といえない内容は、映像によって伝えられない要素がある内容で、概念的思考と悲劇的なものがあるといいます。概念的思考は、台詞に頼るなど言葉による伝達が求められる場合です。悲劇的なものは精神的な出来事のためそれを伝えるには映像だけでは難しいです。
次に主題とモチーフの観点では、主題は物理的現実の諸要素を描いている場合は映画的といえますが、モチーフにも影響されるといいます。
そこで、映画的なモチーフが紹介されますが、それらは1.生の流れ、2.探偵活動、3.ダヴィデ-ゴリアテといわれています。生の流れは現実に生きる我々が経験する人生の経過であり、ドキュメンタリー映画で特徴的です。次に探偵活動は、物理的現実を参照して真相究明の過程を描くために映画的モチーフといえます。ダヴィデ-ゴリアテは、弱者が強者に打ち勝つ力を描くことであり、あらゆる小さくて弱いものにインパクトを与えてクローズアップという映画の手法に類似しています。
これらを踏まえて、映画『羅生門』をみていきます。これは芥川龍之介の「藪の中」を元にした作品で中世日本を舞台にした犯罪物語です。
羅生門で男たちがある事件について話しています。彼らが話しているのは森の中で侍が殺された事件に関する証言です。男たちが羅生門に来る前に関係者たちは検非違使の前で事件に関してみたことを語り、それを再現する形で物語が進んでいきます。山賊、木こり、侍の妻といった関係者に加えて、死んだ侍自身も巫女に霊を呼び出して森での出来事を証言します。しかし、それぞれの証言の食い違いから真相はわからないまま物語は進み、男たちは羅生門で赤子を拾います。
この作品を物語の内容のモチーフでみていくと、侍の死という事件の真相を究明しようとする探偵活動の物語であると考えることができましょう。それは非常に映像的な要素を含んでおり、映画的です。その上、侍の死と赤子という新たな生の誕生が含まれており、生の流れを感じずにはいられません。単純に時間の真相を追う、探偵活動だけを描くのではなく、生の流れを取り入れることで、より現実をとらえた映像作品になっていると考えられます。
モチーフの問題から検討することで、映画における物語内容のレベルでも映画を分析することができました。今学期の学習では、形式のレベルでの分析が比較的多かったので意義深い回だったと思います。選んでくれたフェンさんありがとうございました!