10期生第4回 意図的な演出の価値は何か

第4回のブログを担当する中村です。今回は、マイケル・ライアンの『Film Analisis 映画分析入門』のアートディレクションを読み、映画『シャイニング』を分析しました。


まず、アートディレクションについてですが、アートディレクションは視覚的または聴覚的に作品のテーマや場面の状況を観客に伝わりやすくする手法です。例えばセットであったり衣装であったり音響であったりするものです。カメラに映る人間の対立関係を際立させるように窓枠が配置されたり、照明によって観客に特定の印象を与えたりすることが例示されています。


しかし、この説明ではアートディレクションの独自性や他の理論との差別化ができませんでした。そこで我々の理解では、映画の作り手が意図を伝えるために使う映画的な手法なのだと一致しました。この理解において重要なのは、意図的にカメラに映るものを調整しているということなのだと考えます。つまり、偶然そこに映り込む地形や常態化している演出は含まれないのではないかということです。

ではこの理解を踏まえて、『シャイニング』をみていきます。この映画はスタンリー・キューブリック監督によるホラー映画です。山の上にあるホテルで、冬季の住み込み管理人としてやってきた家族が怪奇現象に遭遇して精神が蝕まれ、父親である男が妻と子供を殺害しようとする様子が描かれます。


『Film Analisis』では、ホテルのあちこちにアメリカ先住民のモチーフが見られることが、アメリカが先住民を殺戮してきた歴史を見てみぬふりをしてきたメタファーになっているとしています。また、セットの縦線が二つの領域、ここでは文明と獣の領域の間の葛藤を強調するとも言っていますが、これは二項対立的に映画作品内でそれぞれの領域を描いているとしてもセットに見られる縦線では説得力が足りないと感じます。一方で、色の観点では赤色が、統制の利かない怒りや暴力に結びつき、青色が文明や自己統制に結びつくという主張は、セットのトイレの色や管理人の家族の服装から理解することができました。

このアートディレクションという概念について、応用が難しいと感じます。単純にこうではないか、と類推をすることは可能ですが果たしてそれがアートディレクションとして意図的に構築されているか否かを判断するのは容易ではなく、説得力に欠ける主張になってしまうように思います。

未だ、アートディレクションを用いる最適な手法がわからぬままブログを書き始め、大幅に遅くなりましたが、今回は以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました。

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