11期生 第3回 誰が語るのか、そして誰を通してみるのか

はじめまして!
11期生の2回目のブログを担当します、藤田雄成といいます。

ブログを書くのは初めてなので何を書けばよいか分からず時間がたってしまいました...
しかし多くの方が同じようなことを思っていたようなので気合い入れて頑張ります!

さて、11期生は4人いるのですが実は私、ほかの3人とは違う点があります。
それは、、、3年になって初めて内藤ゼミを経験したこと!!!
どうやらほかの3人は1年か2年のときに内藤ゼミを経験していてどういうゼミなのかよく知っているとのこと。それを知って私はビクビクしてました。まあ、私もこのゼミの過酷さを知っていながらも入ったんですけど(笑)

前置きはこのくらいにして今回の授業内容に入っていきます

前座

前座も私が担当しました。私が紹介したのは「春休みにみた戦争映画」です。取り上げたのは「プライベートライアン」、「ダンケルク」、「西部戦線異状なし」の3つです。
プライベートライアンに関してはカメラの視点で酔ってしまって30分くらいしか見てません(笑)
実はジョウ君が3つとも見ていたらしくちょっと嬉しかったです。
3作品ともとても考えさせられる内容になっているのでみなさんもぜひ!

3限 批評理論入門

3限は井上さんが批評理論入門の「語り手」、「焦点化」について発表してくれました。

語り手

この章では語りの種類、枠物語、そして信頼できない語り手について述べられています。
まず、語りの種類についてですが一人称の語り、二人称の語り、三人称の語りがあります。その中でフランケンシュタインは一人称の語りに分類されます。
次に枠物語についてですが、そもそも枠物語とは、「物語の中に、さらに物語が埋め込まれているような形の物語形式」をいうそうです。フランケンシュタインにおいては、
ウォルトンの語り>フランケンシュタインの語り>怪物の語り
という感じに構造が成り立っています。ちなみにここで内藤先生が「枠物語山手線ゲームをしよう!」とおっしゃって少し不安になった記憶が(笑)
最後に信頼できない語り手にがいることによって、人間がいかに現実をゆがめたり隠したりする存在であるか、があらわになってくることが述べられています。

焦点化

この章では焦点化の種類、そしてフランケンシュタインの物語での焦点化について述べられています。
まず、焦点化の種類について内的焦点化と外的焦点化に分類され、さらに内的焦点化は固定内的焦点化、不定内的焦点化、多元内的焦点化に分類されます。外的焦点化とは?という問いに少し戸惑ったのですが、例として横光利一の「蠅」を思いつき理解できました。さらに内藤先生の「固定されたカメラで映し出された場面を小説で書いた感じ」、という説明でより理解が深まりました。
次にフランケンシュタインでの焦点化について、焦点人物を変えることによって物語に深みが出ているように感じました。

4限 ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』「焦点化」


さて、続いて4限は土田さんが発表してくれました。
今回の文章は前回の文章よりも読みやすく、議論も簡単かなと思ったのですが「ともにある視像」について考えるのにかなり苦戦することに、、、

まず、この文章では焦点化の種類について述べられています。ここは3限と被るところもあるので詳細は省略します。
次に、内的焦点化と外的焦点化、被焦点化は区別できるのかということが述べられています。物語は終始一貫して同じ焦点を持つわけではなく、内的、外的の両義性をもつことがあります。また、内的と被焦点化も時として区別が困難な場合があります。
そして「ともにある視像」についてです。みんなかなり悩みました(笑)かなりの時間をかけてようやく「内的視点で語られている作中人物、それを語っている者」が「ともにある視像」なのでは?という結論にいたりました。ここは個人的にロラン・バルトよりも難しかったかも、、

二回目の議論、ということで初回よりは慣れた感じがします。ブログに関してはまだまだ至らない部分がたくさんあると思うのでこれから成長できればいいなと思います!あと読み返してみるとちょっと恥ずかしいですね(笑)

私のブログでは最後に映画やアニメなどで印象に残った言葉で締めたいと思います。
では今回はこのへんで!

「何も捨てることができない人には何も変えることはできない」
                    進撃の巨人 アルミン・アルレルト


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