第2回 繰り返される構図が持つ意味とは

久しぶりのブログの執筆で若干緊張しております。内藤ゼミ10期の中村です。今回は4年ゼミ第2回の内容をお届けしていきます。

初週はオリエンテーションのため、4年生になって発表や議論をするのは今日が初めてでした。やっぱり楽しい!これにつきます。今学期は映画の理論を中心に勉強するので、映像を分析するという新しい試みが出来るのはワクワクします。前置きはこの辺りで終わりにして早速本題に入りたいと思います。

今週の理論書はマイケル・ライアンとメリッサ・レノスの『Film Analysis』でその中の「構図」を山崎さんが発表してくれました。これは配置に意味が付与されるというもので、さまざまな映画のカットを紹介するような形で説明をしていました。 議論としては、前半では果たして「構図」の分析は我々が映像分析を行う上で使えるものなのか?という論点で話が進みました。その後、後半では実際に映画『第三の男』をこの「構図」を用いた分析をすると何が言えるか?を話し合いました。

まず、「構図」は特定の1つのカットそれだけで何かを断定したり論証していくには論拠が弱いという意見がありました。そこでより普遍的に応用するためには、1つのカットを検討するのではなく、連続した映像を通して意味を持つ構図が変化していくもの、例えば権力関係に変化が見られるなど、そして繰り返し同じ構図が用いられるものであれば構図を用いた論証が可能なのではないかと考えました。 我々が1月に行ったワークショップでも映画を分析しましたが、その際も窓枠が使われる同じ構図が3.4回みられることから特定の意味を含んだカットだと考えたので、この意見はかなり有力なものになりました。

次に『第三の男』の分析ですが、この映画は非常に不思議な構図がいくつも見られます。例えば、主人公が乗り物に乗って歩いている女性を追い越すシーンが物語の最後にありますがこれは序盤にも全く同じ構図で見られます。さらに、主人公が死んだはずの友人を見かけて追いかけるシーンでは、低い視点で視界が斜めになっている構図が使われていて不穏な印象を与えてきます。我々はこのようなさまざまな構図の妙の中でも、繰り返し同じ構図が見られることについて検討していきました。 そこから得られた結論は、構図が登場人物の距離感を示す要素として用いられているということです。具体的には、主人公のマーチンスと死んだはずの友人ハリーの距離は物語を通してどんどん近づいていき最後にはマーチンスが追いつきます。しかし、マーチンスがハリーの死の謎を追う中で出会った女性アンナとマーチンスの距離は物語を通して縮まることなく一定に保たれています。

まず、マーチンスとハリーの距離ですが、これは彼らが追いかけ合うシーンの中で同じ道を通る時に同じ構図で撮られているのですが、同じ構図が再度現れる間隔が終盤にかけて短くなっていきます。これは2人の距離が近づいているだけでなく追われるハリーが焦る心理的状況も示していると考えられます。 次にマーチンスとアンナのシーンは先ほども説明した乗り物に乗ったマーチンスが道の端を歩くアンナを追い越す構図です。序盤ではその後アンナが出てくることはありませんが、最後のシーンではアンナを追い越したマーチンスは乗り物から降りて道端に立ち止まりアンナを待ちます。しかし、道を歩いてきたアンナは立ち止まることなくマーチンスを追い越してどこかへ行ってしまい、そのまま物語が閉じられます。 物語を通してマーチンスがアンナに好意を寄せていることは明確に見られますが、アンナがどう思っているか不明なまま最後のシーンで判明するのです。しかし、同じ構図が序盤と最後という大きな隔たりをもって採用されていることからアンナとマーチンスの距離は離れているということが暗に示されていたと言えるのではないでしょうか?

100分という短い時間の中でかなり納得のいく面白い結論が導けたと思います。改めて楽しい!と感じるのはこういう瞬間があるからですね。 今回のまとめとしましては、構図の概念は映像、特に物語を通して構図を見る時に誰かの視点であり、心理的な要素や人間関係が示される可能性があるという意識で見ることで面白い論証ができるということがわかりました。 最後までお読みくださりありがとうございました!

コメントを残す