10期生、13回目のゼミのブログを担当します。中村です。
今週は、エレーヌ・シクスーの「メデューサの笑い」の冒頭部分を読みました。そして理論を用いて映画『バービー』についての議論を行いました。
まず、「メデューサの笑い」で言われていることは、男根中心主義な社会にたいする抵抗として女性が女性の言葉で女性について語る必要があるということでした。それは、女性が男性優位社会において彼女たちの欲望が抑圧されているため、その欲望が女性に戻ってきて解放をするときに女性のエクリチュールが重要なのです。次に、シクスーは古典的ではない両性具有の概念として、自己の中に2つの性があることを突き止め、どの性も排除しないことを主張しています。これは女性は男性性と女性性のどちらも表象することができるが、男性は男性性のみを追求することを教育されているため、2つの性をもちどちらも排除しないと考えることが女性にとって利益のあることなのだといいます。最後に、飛び盗むという表現を使って、男性優位な社会で用いられてきた言語や道具を異なる使い方をしてその制度を壊すことを女性の動作であると説明します。女性が男性の言語の中にいるようで、その実男性の言語を盗んで女性の言語として使うようになれば、既存の秩序はかき乱されるのです。私たちはこの文章を読んで、男性について非常に極端で限定的な表現をしていることに疑問を持ちました。これについての意見として、敢えて女性の言葉で男性について書く時に偏見に満ちた表現をすることで、女性たちが男性の言葉の中で書かれてきたことをやり返しているのではないかと言われました。
次に『バービー』についての分析をしました。この作品は、バービーたちの住むバービーランドから物語がスタートします。毎日楽しいガールズナイトを過ごしていたバービーが死を考えてしまったり、脚にセルライトができたり、ベタ足になってしまったりとショックなことが起こりそれを解消するために現実世界にいってバービーの持ち主に会いにいくことになります。バービーの現実世界への冒険に、なぜかついてきてしまったケンは現実世界で男性が中心となり生活しているのをみて興奮し、バービーより先にバービーランドに戻って改革をはじめます。バービーがバービーランドに戻ったときにはケンランドがつくられており、ほかのバービーたちはケンの洗脳によって本来の自分とは違う行動をしています。バービーは自分の持ち主と共にバービーランドを取り戻すためにバービーたちの洗脳を解いて、ケンの支配から脱しようと計画を立て遂にはケンからバービーランドを取り戻します。
この作品について、どのようにすればケンが上手くバービーランドで生きていくことができたのだろうかと疑問に思いました。そこでシクスーの理論を踏まえて考えると、ケンがケンの言葉でケンのことを語ることができなかったのが問題だったのではないでしょうか。ケンはバービーと現実世界に行った際に男性が中心となった社会を目にしてバービーランドでも改革をおこないます。その改革で行われていたことは、現実世界やバービーのしてきたことのまねごとでしかありませんでした。最終盤で、バービーはケンに「ケンについて」尋ねますがはっきりと答えることができません。我々の議論では、ケンが馬が好きなことをケンの言葉で主張すべきだったという意見が起こりましたが、まさにそういったことが今後バービーランドで行われていくことを望みます。
また、議論では深く話し合いませんでしたが、バービーランド自体がマテル社が作ったものであるということも重要な要素だと思っています。マテル社によって作られる際にバービーは女性が望む女性ではなく、男性が女性に押し付ける女性になっているようにみえます。バービーがケンと現実にいった時の服装が男性からは賞賛される一方、女性にはあまり良い顔をされていませんでした。バービーが現実にいく箇所はケンと共にいく場面と最後の婦人科にいく場面ですが、この2箇所のバービーの服装は大きく違っています。今後この作品について検討する際にはこの服装の違いにも着目をして分析をしたいと思います。
私はこのブログが、今年最後になります。1年間ブログを書いて、確実にゼミの内容を文章にすることになれましたし、ゼミでの学びがより身についたと感じます。
まだまだ今学期のゼミの活動は続きますが、1年間お疲れ様でした!