第9回 カニになるように何になるのか

10期生第9回ブログを担当します、中村美咲子です。

今回は、千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』の序章と1章について、秋尾さんに発表をしてもらい、映画『佐々木、イン、マイマイン』についての議論をおこないました。

『動きすぎてはいけない』では、ドゥルーズの提唱した生成変化という理論を主に取りあげており、このブログではそれについて説明をしたいと思います。

まず意味を持ちすぎる接続を避けるために生成変化がよいとされます。

この生成変化は、別のなにかになる、とも言い換えることができます。

これはカニになる例を用いて説明がされているのですが、これは、ロバート・デ・ニーロがある映画でカニのような歩き方をしたことを生成変化としてしています。ここでいわれていることは、生成変化は知覚しえない動作をしていること、そしてカニの分身としての特異なふるまいを得たということです。つまり、生成変化は、あるものに実際になるわけではなく、特定のものの性質を無自覚的に会得するようなことなのだと考えられます。生成変化がおこなわれることで、動きすぎで接続過剰な現状を切断することができるのです。

この生成変化の理論を用いて、映画『佐々木、イン、マイマイン』について議論をおこないました。まずこの映画は、売れない役者の石井悠二が高校の同級生の多田と再会して、佐々木という破天荒な同級生と過ごした高校時代を思い返していきます。

私たちは、主に佐々木コールという特徴的なシーンについてと悠二が再度役者として舞台に立つシーンについて議論し、悠二に生成変化が起こったかどうかを検討しました。

佐々木コールとは、「佐々木」「佐々木」とはやし立てるもので、そのコールが起こると佐々木はどこでも脱いで踊り出していました。このコールについて、コールが起こるから佐々木が脱いでいるのか、佐々木が脱ぐからコールが起こっているのか、悠二が考えます。つまり、佐々木は脱ぎたかったのか、それとも脱がされていたのかということです。これについて、最終的に佐々木は脱ぎたくて脱いでいたのだろうと考えたのではないかと思います。そして、この佐々木がやりたいことをやり続けるという特質を会得した悠二が役者をやることになるという生成変化がみられたと考えられます。

今回のブログは取りかかりが遅く、内容もかなり物足りないものになってしまいましたが、個人的に生成変化は面白いと感じているためもっと勉強しようと思いました。

最後までお読みくださりありがとうございました。