9期生 第4回 『film analysis 映画分析入門』第1部第1章 構図

皆さんお久しぶりです。9期生の室井です。

投稿が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。

現在11月中頃、秋をあっという間に通り越して肌寒い季節になってきました。

今回取り扱ったのは『film analysis 映画分析入門』の第1部第1章 構図です。

ここでいう「構図」とは、映像フレーム内での重要な要素の配置のことです。

例えば、映画を一時停止した際に現れる写真と似た何かのことで、しかしながら、写真と異なりその実態は人為的に構成された人為的要素から成り立っているものです。

議論の流れ

今回のゼミでは以下の大論点と結論について議論を進めました

大論点:「映画における構図とは何か?」

結論:注意深く人為的に配置された要素から成り立つもの。偶然映っているものはほぼ存在しない。(作り手が考えを伝え、ストーリーを語る際に重要となるもの。)

中論点1 フレームに関する要素

 まず、フレームにはタイトな(密集した)ものと、ルースな(まばらな)ものが存在します。前者には人物間の空洞をなくすことで抑圧的な意味を、後者には空虚な空間を作ることで脆弱性というテーマを表す意味を持っています。

 次に、フレーム内の配置についてです。通常、重要人物はフレーム中央もしくは上半分に配置され、その他の人物は下半分か端のほうに配置され、従属的な意味を持たされます。

 しかしながら、これらの配置の持つ意味は単一な者ではありません。例えば主人公の哀愁や感情移入のために周辺部にあえて配置される場合もあります。そのほかにも下方部の人物が犠牲者である暗示や、積極性のある人物を上下の端に設置する場合も存在します。

 最後に、フレーム内の占める空間配分についても意味があります。例えば、空間の多くを占めている人物はその他を支配している、という意味を持たせたり、さらには、何もない空間にも人物との対比を映して強調の意味を持たせることがあります。

※補足 前景と背景

→構図には前景と背景という要素が存在しています。前者には犠牲を払うという意味  が、後者には人物を小さく映すことで不道徳という意味を持たせることがあります。

中論点2 シンメトリとアシンメトリ

 構図には秩序立っているシンメトリ(対照的)とアシンメトリ(非対称)の場合があります。特に、シンメトリの場合は要素をグループ分けする線が引けることが多く、三角形などの図形で示すことができます。

 シンメトリには統一や調和を意味することがあり、また作品によっては否定的な意味や厳密さ、そして融通の利かなさを意味することもあります。

 対してアシンメトリは、不道徳さや裏切り、嘘などの溢れるストーリーの中で、こうした性質を示すために非伝統的なものとして用いられることがあります。

この二つの構図は両方用いられる場合もあります。これらは組み合わされることで対立や緊張関係を意味します。

作品『ジョーカー』(2019年)

★簡単なあらすじ

舞台は1981年のゴッサム・シティ。大都市でありながらも、財政の崩壊により街には失業者や犯罪者があふれ、貧富の差は大きくなるばかり。そんな荒廃した街に住むアーサー・フレックは、ピエロとしてわずかな金を稼ぎながら、母親ペニーとつつましい生活を送っていた。しかし、アーサーには一流のコメディアンになるという夢があった。そんなある日、アーサーは同僚のランドルから受け取った拳銃を小児病棟の慰問中に落としてしまい、上司からクビを宣告される。さらにはその帰りの地下鉄で男三人に暴行を受けると反射的に銃殺してしまう…!

 今回のゼミでは作品『ジョーカー』を題材にこの「構図」を用いて分析を行いました。そして、構図のテーマの中でも「タイトとルースの対比構造」に注目し、議論を進めていきました。

 議論の流れで私たちは、社会から抑圧されてきたアーサーが、殺人を犯すことで権力からの解放を表す構図を探すことにしました。

 そして議論を進めていくと、あることに誰かが気付きました。

 それはゴミ袋の存在です。映画を通してアーサーの住む街には多くの黒いごみ袋が登場します。あらすじにもある通り彼の住む街は財政崩壊により治安が悪化しており、そこら中にゴミ袋が無造作に捨てられています。しかしながら、最後のアーサーがジョーカーとなって市民に崇められるフレームには一つもゴミ袋が登場しないのです!

 次に、私たちはゴミ袋をアーサーがジョーカーとなる前後で比較しました。

★タイトの時(ジョーカーになる前

 →ゴミ袋は中に詰まっているゴミ(人々)を抑え込む権力である。人々は中身の見えない黒い袋に縛られて生きている。つまり、権力によって人々は「市民」として生きることを強制されて生きている状態である。

★ルースの時(ジョーカーになった後)

 →ゴミ袋が消え、中身のゴミ(人々)は目に見える形になって顕在し、むき出しの性として権力に抵抗を始めた状態になったのである。

結論

 以上のことから、私たちのゼミでは『ジョーカー』を、ジョーカーというむき出しの性を体現する存在を通して、権力に抑え込まれ捨てられてしまった性を市民が取り戻す物語である。

という結論に至りました。

 最近急に寒くなりました。秋が好きなので楽しみにしていたはずなのに、気がついたらもうこんな気温です。どなたか夏さんに労働基準法を教えてあげてください。残業しすぎですよ。

 秋服、買ったのになぁ…

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