9期生第14回 『映画の理論』第12章 演劇的なストーリー ~演劇と映画の狭間で~

寒い、寒すぎる。着る服困る。どうしよう

どうも、お久しぶりです。3回目の登場になります、宮澤です。

今回で、今学期の授業は終わり。4年春学期、最後のブログになります。(大トリだぁ)

いやそれにしても、皆さん。ほんっとうに、お久しぶりですね!

季節は冬に差し掛かり、服に困るほど寒くなってまいりました。

うん、おかしい、、、

春学期の最後の授業が終わったのは、夏休み前で。でも、今はめちゃくちゃ寒い、もう11月だし。

これ示すのは、いかなることか。(お察しください)

ということで。最後の授業の余韻をかみしめながら(思い出しながら?)、ブログを書いていきたいと思います。

今回のゼミで扱った理論は、ジークフリートの『映画の理論』第12章演劇的なストーリー。作品は、『ロミオとジュリエット』です

学習内容

今回は、映画における演劇的なストーリーについて学習しました。

まず、演劇的なストーリーとは何でしょうか?

演劇的なストーリーの特徴は、主に2つあります。

1つ目は、登場人物や人間関係に対し、強い関心を向けること。そのため、プロットの中心は人間的な出来事や経験になり、その他の物理的な現実は省略されて表現されます。

2つ目は、イデオロギー的な1つの軸を中心に、物語全体が構成されており、閉じたストーリーであること。プルーストは、「戯曲の筋に寄与することのない一切のイメージを無視し、筋の目標を理解させてくれるようなイメージだけ残す」と述べています。

本理論書の中で、演劇的なストーリーは「非映画的なストーリー形式」と言い換えられています。簡単に言うと、演劇的なストーリーは、映画ととても相性が悪いということです。

では、なぜ両者の相性は最悪なのか?

ずばり!演劇の特徴と、映画の特徴は真逆だからです。上記で学習したように、演劇は、イデオロギー的な閉じたストーリーを重視し、登場人物や人間関係以外の描写を軽視する傾向があります。そのため「ストーリー>映像」という構造を持ち、ストーリー・登場人物・人間関係に関係のない、物理的な描写や無機物の描写がされることはありません。

一方、映画は、「映像>ストーリー」という構造を持ち、舞台上で認められない一時的な印象や関係を表現する傾向があります。例えば、登場人物が悲しんでいる場面に、雨が降っている空の場面を差しはさむなど。

演劇的な観点から見れば、雨(無機物)と登場人物は何の関係もないため、雨の描写は必要ありません。しかし、映画的な観点からみると、雨(無機物)は、登場人物の悲しみを間接的に表現することができる素材であるため、あえて描写する必要があるということです。

このように、演劇と映画は相反する特徴があり、とても相性が悪いのです、、、泣

そんな、仲の悪ーい演劇と映画。ところがどっこい、映画に演劇的なストーリーを組み込んじゃおという試みがされたことがあります。例えば、1908年『ギーズ公の暗殺』がその代表です。

この時代には、映画という媒体は、他の媒体に比べて軽視される傾向がありました。映画は、芸術ではなく、大衆向けの単なる娯楽という認識しかされていなかったのです。そのため、映画作品の名誉回復を目指し、ブルジョアの好む演劇と同じ路線を踏襲しようとしたらしいです

そんなこんなで、演劇的なストーリーを映画に適合させるため、様々な方法が実践されました。しかし、いずれも両者の間にある矛盾を解消することはできなかったようです。

以上の学習から、演劇的なストーリーと映画的な説話が、相容れることは決してないという結論に至りました。しかし、両者には相容れない矛盾があることを理解することが、何よりも大事なのかもしれませんね

【作品分析】

以上の学習内容を踏まえて、『ロミオとジュリエット』はどのような作品だと言えるでしょうか。

私たちは、映画版の演劇を見たい観客に向けて作られた作品であると結論づけました。具体的には、演劇が大好きなブルジョア層に向けて作られた作品だと考えます。

本作の大半の場面は、ストーリーに沿って構成されています。そのため、原作に忠実に作られているということもあり「ストーリー>映像」という構造を持つ、演劇的なストーリーの映画と言えるでしょう。

しかし、所々に映画的な要素が散りばめられているのも、本作の特徴です。例えば、ロミオとジュリエットがダンスをする場面では、登場人物と一緒にカメラ(観客の視点)がぐるぐる回るような演出がされています。また、ジュリエットが牧師から薬をもらう場面では、ジュリエットと牧師の顔が交互に映される演出がされています。これらのカメラワークは、演劇にはない、映画的な要素だと言えます。

また、ロミオとジュリエットが城で出会う場面では、演劇的要素と映画的要素が混在していると考えられます。この場面において、ロミオとジュリエットの台詞は、原作に沿っており、演劇的です。しかし、背景の城や木々は、リアルな無機物を扱っており、映画的です。

このように『ロミオとジュリエット』は、演劇的ストーリーを主軸にしつつ、映画の技法を用いることで、物理的な現実を反映した映画的な側面もある作品であると考えられます。

以上の分析を踏まえ、私たちは以下の結論を導きました。

結論:「ストーリー>映像」という演劇的な要素を重視しつつ、映画的な要素があることから、『ロミオとジュリエット』は映画版の演劇を見たい観客に向けて作られた作品である。

4年春学期最後のブログはここまで!

次のブログがあるとしたら、3月の研究成果発表会になるかとおもいます

その頃はもう、入社間近。(まじか)

これが宮澤最後のブログかもしれませんが、いつか再びお会いできればと思います。

では、最後になるかもしれないので、引退するアイドルみたいに退場させてください

私のことは嫌いでも、ゼミのことは嫌いにならないでください!!!

また会う日まで。アディオス

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