10期生 第13回 労働者が世界を変える

みなさま、こんにちは!春学期第13回のブログを担当します、山崎日和です。

今回も春学期の授業内容です。秋学期に入っているのに… アップが遅くなり申し訳ありません。前後の授業内容を確認したい方は、さかのぼってご覧ください。

前座

今回の前座ではユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の常設ショー、「WATER WORLD」について紹介しました。

このショーは同名の映画が元になったアクションショーです。その魅力は何といってもアクションやスタント!ハリウッド仕込みの本格的なものがいつでも楽しめるんです。

USJではほぼ毎日、1日約4回公演が行われているので、もし遊びに行く機会があればぜひ見にいってみてください!

3限 「マルクス主義批評」「文化批評」

今回の3限は秋尾さんの担当で、『批評理論入門』から「マルクス主義批評」と「文化批評」について学びました。

「マルクス主義批評」

マルクス主義とは、ドイツの哲学者、カールマルクスによって提示された考え方です。マルクスは、社会の歴史を階級闘争の歴史だと考え、その闘争が起こる原因が生産関係であること、またそういった生産関係や経済といった下部構造が政治や法、思想などの上部構造を規定することを主張しています。階級闘争というのは、ブルジョワジーと賃金労働者の対立といった生産関係において搾取―被搾取の関係にある者同士の間に起こります。搾取されていた人々が搾取に気付くことで闘争が起こり、その結果社会が発展してきたのです。マルクスは、その究極として共産主義があるとしています。また、そうした生産関係の闘争から社会が変化することから、下部構造は上部構造を規定すると言うことができます。

マルクス主義批評はこのマルクス主義を作品分析に適用した批評理論です。具体的には下部構造から上部構造を読み取ったり、生産力と生産関係の矛盾を見出したりすることで分析を行います。

この理論を用いて『フランケンシュタイン』を見てみると、作品内で描かれる歴史的状況や怪物という存在などがマルクス主義的だと言うことができます。

今回の議論では、『批評理論入門』ではマルクス主義批評の内容は詳しく説明されておらず曖昧だったため、読んでいて違和感があるという意見がありました。

また、『フランケンシュタイン』に登場する「怪物」を市民や労働者階級だと考えると、「怪物」の行動を同情的であれ悪いこととして描くこの作品では、闘争や革命を悪と考えているのではないか、という意見も出ました。こうした描かれ方から、作者であるメアリ・シェリーは革命を良く思っていなかったのではないか、そしてそれはメアリ自身が上流階級、つまり搾取する側だったからなのではないか、と結論付けました。

マルクス主義については4限でも取り扱ったので、そちらも併せてご覧ください。

「文化批評」

文化批評とは、知識階級向けの「ハイ・カルチャー」だけでなく、一般大衆向けの「ロウ・カルチャー」も文化として捉え、それらの境界を取り払うことを目指した文化研究(カルチュラル・スタディーズ)の考え方を土台とした批評方法です。これは、マルクス主義批評の影響を受けたものでもあります。具体的には、文学テキストがいかにしてハイ・カルチャーとロウ・カルチャーの間を行き来してきたかという過程を検証する方法や、原作を映画やドラマ、漫画などの翻案と比較する方法、文学作品を通俗的な読み物として読む方法、時代の文化的背景において重要なモチーフやテーマを作品から取り出す方法など、様々な方法があります。

『批評理論入門』では『フランケンシュタイン』について文化批評を試みていますが、その内容は『フランケンシュタイン』の翻案を並べただけであり、それによって何が言えるかまで書かれていなかったため、批評としては不十分ではないかとゼミ生同士で意見が一致しました。

その後、この理論を用いるのにはどのような作品が良いかについて議論を交わし、『パラサイト』や『レディ・プレイヤー1』などが挙がりました。

私は、この理論は上手く分析に用いれば面白い結論を出せるのではないかと感じました。

4限 カール・マルクス『資本論』、『共産党宣言』

4限は中村さんの担当で、カール・マルクスの『資本論』と『共産党宣言』の一部を読みました。

『資本論』

ここでは、商品についての箇所を取り上げました。

マルクスは、商品とは外的対象として、人間の何らかの欲望を満たすものであり、使用価値と交換価値をもつものだと述べています。欲望を満たすものである、というのはわかりやすいですが、使用価値と交換価値とは何でしょうか?

使用価値とは、物自体を使う価値のことです。ここでは時計を例に出して考えます。時計は時間を確認するという属性を持っています。この属性が使用価値です。使用価値は使用されることでしか実現されません。

一方で交換価値とは、ある種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される比率のことです。そしてそれは絶えず変化します。これは物々交換や売買について考えるとわかりやすいです。小麦について考えてみると、1クオーターの小麦がある量の靴墨と交換できるとき、それは異なる使用価値が交換されていることになります。さらに、1クオーターの小麦をお金で買うこともできます。これがいくらかは時代や場所によって変化します。この比率が交換価値です。

この交換価値は交換されるもの同士で共通するものです。つまり、その2つのものは同じ価値を持っていることを意味します。なぜ同じ価値であるのか。マルクスはその理由を労働力が同じであるからだとしています。労働力が多ければ多いほど価値は上がります。しかしこれは生産力とは反比例します。同じ量を生産する時、生産力が大きいほど労働時間は短く、その分労働力が少なくなるからです。このように、商品の価値には労働、生産が大きく関わっているのです。

この文章を読んだ後の議論では、労働力の変化と価値の大きさが比例するのであれば、労働賃金が最低賃金で一定なのはおかしいのではないかという意見や、人件費を抑えるのは交換価値を上げないためだという意見が出ました。

『共産党宣言』

ここではブルジョワジーとプロレタリアートの階級闘争についての箇所を取り上げました。

マルクスは、これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史であるとし、抑圧者と被抑圧者の絶え間ない対立は革命か共倒れに終わってきたと述べています。

ブルジョワジーも元々は封建領主に支配されていた存在であり、自らの力でその関係を打ち壊した革命者でした。それまでの宗教的な支配を取り払い、利害関係に重点を置いた社会へと変革したのです。具体的には、生産用具を改良し通信を容易にすることで農村を都市に依存させ、生産力を高めると同時に政治もブルジョワジーに集中させました。これにより階級支配が行われました。

これに対抗したのがプロレタリアートです。かつては労働者だった彼らは、ブルジョワジーによる機械と監視によって奴隷化され没落しました。機械と監視によって、均一化させられたのです。彼らは自らの地位を取り戻すために、まずは個々の労働者が個々のブルジョワジーと戦い始めます。そこから次第に労働賃金の維持を求める同盟を結ぶようになります。プロレタリアートにとって、この同盟、団結が闘争の成果でした。それは、結びつくことによってそれぞれの小さな闘争が一つの国民的な闘争、階級闘争、ひいては政治闘争になるからです。このようにしてブルジョワジーとプロレタリアートの闘争は行われたのです。

この文章を読んだ後の議論では、本文の内容から派生して、労働者と雇用主の関係はある程度相互的な依存関係にあるのではないかということについて話し合いました。労働者がいなければ商品などの価値は生まれないため、雇用主は労働者をないがしろにはできないのではないでしょうか。しかし実際にはどうしても労働者の方が苦しい思いをするのが現状です。これを解決するにはどうすればよいのでしょうか。私たちの議論では、相互評価や第三者の介入によって解決していけるのではないかという結論になりました。

今回の授業ではマルクス主義について詳しく学びました。生産関係など、現実の自分の身の回りにも当てはめて考えることができたと思います。みなさんはどうお考えになりますか?ぜひこの記事をきっかけに考えてみてください!

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