10期生第4回 奇妙で信頼できない語り手

第4回のブログを担当します、中村美咲子です。

今回のゼミでは、ドイツの小説家、イェンゼンの『グラディーヴァ』について分析を行いました。

まず、『グラディーヴァ』のあらすじについて説明します。物語は、主人公のノルベルト・ハーノルトが若い娘の浮彫作品に惹きつけられて、「グラディーヴァ」という名前をつけるシーンからはじまります。その後大まかに第一の夢、イタリア旅行、第二の夢、ツォーエと結ばれるという流れに分けられます。

第一の夢では、グラディーヴァの妄想を繰り返すハーノルトが、古代ポンペイの夢を見ます。その中で、グラディーヴァを見つけ彼女の死を目の当たりにします。

夢を見たあと、主人公はイタリア旅行に出発します。そこでは、グラディーヴァによく似た女性ツォーエに出会いますが、ハーノルトはツォーエをグラディーヴァと同一人物だと思いこみながら関係を続けます。

第二の夢では、夢の中の「どこか太陽の下」でグラディーヴァと出会います。そこで彼女は、蜥蜴を捕まえようとしています。

夢からさめたハーノルトは、現実でグラディーヴァに会いにいきます。そこで彼女の肌に触れてしまい生きた人間であることに気づきます。さらには、ツォーエがハーノルトの近所に住んでいる幼いころの友人であることを知らされます。幼いころの恋心を思いだしたハーノルトがツォーエと結ばれて物語を終えます。

ゼミの前半では、オーストリアの神経科医で精神分析の創始者であるフロイトが行った「グラディーヴァ」の夢解釈についての発表を山崎さんがしてくれました。

フロイトは詩人が夢を通して主人公の心の状態を描こうとすることから、夢を研究する意義があると述べています。さらに、無意識と抑圧という言葉を用いて、幼年期の印象が無意識的なもので意識に到達できなかった結果妄想や空想が出現しているといいます。

そして、第一の夢は、ツォーエへの恋着がポンペイ没落とグラディーヴァ喪失へと作り替えられたものであるとしています。次に第二の夢については、夢を見る前に起こった複数の出来事を取り込んでおりハーノルトの無意識下で知っていることや気づいていることが夢として現われているのだそうです。

フロイトはツォーエについて、彼女はハーノルトの病的な状態を治療する存在として扱っています。その治療は、本質的に精神医学と根底を同じにしていることを指摘し、詩人も医者と同様に無意識の法則を知っているためにこのような小説がつくられたのだとしています。

わたしたちは、このフロイトによる批評について検討したのちに、この小説についての語りに奇妙な点を2つ見つけました。

1つは、ツォーエとグラディーヴァを同一人物であることを強調するように物語が進行していく点です。そしてもう1つは、ハーノルトの行動について評価をするような語りが行われていく点です。

なぜこのような語りになっているのかについて検討を行い、わたしたちは、この語り手はハーノルト自身なのではないかという結論に達しました。ただし、彼が後生になって行った自伝的な語りだと考えられます。この結論であれば、妄想の影響でツォーエとグラディーヴァを同一視していたハーノルト自身の語りであるから、二人を同一人物とする語りが行われているのだといえます。また、ハーノルトの行動を評価する語りについても、後生の彼が、若いころの自分の行動について教育的な語りを行っていると考えられます。

この結論を補う発見として、ハーノルトの心的描写が複数あるにも関わらず、ツォーエについてはたった1箇所のみしか心的描写が行われていないということがあげられます。これは、語り手がハーノルト自身であること、またすべてを知っていてそれを語りに反映させないことでトリックを見せないようにするためだったと考えると自然に思えます。

最後までお読みくださりありがとうございました。

10期生 第3回 虚構世界の秩序とそこで起こること

秋学期第3回のブログを担当します。中村美咲子です。

長い夏休みも終わりついに秋学期がはじまって1ヶ月ほど経過しました。今学期はベトナムからの留学生のフエンさんともゼミの活動が行えるので、ますますよいゼミ活動になっていけたらと思います。

今週取り上げたのは、ジョルジュ・アガンベンの『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』です。この本では、ホモ・サケルについてローマ古法に存在する殺害可能で犠牲化不可能な存在であるとしています。つまり法律上では、彼を殺しても裁くことができないのです。これまでのフーコーなどによる生政治は、近代に特有なものだとされていましたが、アガンベンはホモ・サケルが現代にも適用されることから、この「生政治」の在り方が古代ローマから続くものであると主張しています。

この『ホモ・サケル』について理解を深めたあと、われわれはスティーブン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』の分析を行いました。

この作品では世界的に普及したVRオアシスの設立者であるジェームス・ハリデーが死後、オアシス内に3つの鍵を残したといいます。その鍵を手に入れたものはオアシスの管理権限を得ることができるため多くのプレイヤーが鍵を求めて争いをおこなっています。そして、この映画は主人公のウェイドが鍵を探す冒険の物語だということができます。

現実の世界とオアシスの世界が存在していることから、『レディ・プレイヤー1』におけるオアシスがどのような世界なのかホモ・サケルの理論を踏まえて検討しました。最終的に、オアシスでの殺害行為は、アバターを消すことしかできずそれを咎める法が存在していないことから、オアシスはホモ・サケルが存在しない世界だと結論づけました。

さて、この『レディ・プレイヤー1』については第5回の議論でも取り上げることになりました。今週の議論では、作品の構造について検討する時間が長くなってしまい内容の分析の時間をあまり取れなかったため、第5回はもっとおもしろい議論ができるよう精進していきたいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

2025年度問題分析ゼミナール入室試験要項

本ゼミへの入室を希望する学生は、情報コミュニケーション学部の事務室の指示に従い、以下の書類を提出してください。

1. レポート: 以下の内容について論じること。

1) 志望理由 

2)ゼミで取り組みたいこと(対象・作品があれば,それも示すこと)。

書式:WordもしくはPDF、A4横書き、字数2,000字前後

2. エントリーシート: 以下のファイルをダウンロードし、必要事項を記入すること。