みなさま、はじめまして!今回初めてブログを担当します、10期生の山崎日和と申します。初めてなのにすでに授業から3週間が経っております… 遅くなり申し訳ないです… 3週間前の記憶を掘り起こしながら書いていきたいと思います!
前座
今回の前座は留学生のダンドレアさんが担当でした。
紹介されたのは「Blood borne」というゲームです。このゲームはH.P.ロブクラフトの小説がベースとなったPlayStation用アクションRPGで、主人公である「ハンター」がアイテムを探しながら悪夢から逃げるという内容だそうです。
このゲームの良さの一つとして、グラフィックの綺麗さが挙げられていました。発表用のスライドで何枚かゲーム内の写真を見せていただいたのですが、本当に綺麗で、写真を見るだけでも世界観が伝わってきました!
私はそこまでゲームに詳しいわけではないのですが、いつかやってみたいと思いました!(残念ながらPlayStationを持っていないのですぐにはできないのですが…)
3限 「声」「イメジャリー」
今回の3限は中村さんの担当で、廣野由美子さんの『批評理論入門』から「声」と「イメジャリー」の2つのテーマについて学びました。
「声」
小説には2種類の形式があると示されました。それは「モノローグ」と「ポリフォニー」です。
モノローグとは、作者の単一の意識と視点によって統一されている状態を指します。
一方ポリフォニーとは、多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれ独自性を保ったまま互いに衝突する状態を指します。
これだけではいまいちどういう違いがあるのかわからず議論をしたのですが、
モノローグ=結論が1つにまとまるもの
ポリフォニー=結論が1つにまとまらないもの
なのではないかという結論に至りました。
このポリフォニーについては4限でより詳しく学んでいきます。
「イメジャリー」
イメジャリーとは、読者の想像力を刺激し、視覚的映像など(イメージ)を喚起する作用、またイメージの集合を指します。
本文ではイメジャリーの種類として「メタファー」、「象徴」、「アレゴリー」の3つが挙げられていました。
・メタファー:あることを示すために別のものを示し、それらの間にある共通性 を暗示する。
・象徴:特に類似性のないものを示して連想されるものを暗示する。
・アレゴリー:具体的なものを通してある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせる。
授業では象徴とアレゴリーの違いについて議論をしました。その結果、2つには明確な違いがあることがわかりました。
象徴は、言葉とそれが指す意味に類似性がないため、普遍的でなく、学習しないとわからないものだという特徴があります。たとえば「鳩」は平和の象徴ですが、鳩と平和には類似性はありませんし、知識がなければ鳩を見ても自然と平和を思いつくこともないので、普遍的でないといえます。
一方アレゴリーは、象徴よりも類似性があり、一定程度普遍性が高いという特徴があります。また、具体的なものに抽象的なものが重ねられたものでもあります。上記の説明にも書きましたが、アレゴリーは教訓的な意味を持つものであり、これを物語化したものが寓話にあたります。たとえばグリム童話やイソップ童話です。
つまり、この2つの違いは類似性の有無と普遍的であるかどうかが主なものであるわけです。
また、今回の内容に関連して、内藤先生から「メタファー(隠喩)」、「メトニミー(換喩)」、「シネフドキ(提喩)」の3つの比喩の違いについても解説がありました。
・メタファー(隠喩):あることを示すために別のものを示し、それらの間にある共通性を暗示する。例)白雪姫(実際に雪ではなく、雪のように白いことを表している)
・メトニミー(換喩):あることを示すためにそれと深い関わりのあるもので置き換える。例)赤ずきん(赤いずきんを被った女の子)
・シネフドキ(提喩):あることについて、その一部にあたる言葉で全体を、また全体を指す言葉で一部を表す。例)ペンタゴン(アメリカ国防省)(国防省の建物の形で国防省そのものが表されている)、「人はパンのみにて生くるにあらず」(人間は物質的に満たされるだけでなく、精神的にも満たされて生きることを求めるという意味。パンは物質の具体例)
ひとえに比喩といってもさまざまな種類があるんだと勉強になりました。
4限 ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』
4限は私の担当で、3限で取り扱った「ポリフォニー」を提唱したミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』を読みました。
このテクストはドストエフスキーの小説の特徴が語られたもので、その中でポリフォニーの概念が登場します。
ドストエフスキーはロシアの小説家で、19世紀のロシア・リアリズム文学の代表者と言われています。以前のドストエフスキー批評は作品に登場するイデオロギー的な問題ばかり扱い、構造上の特徴は見過ごされてきました。そこに一石を投じたのがバフチンです。
バフチンは、ドストエフスキーの本質的な特徴は真のポリフォニーにあるといいます。真のポリフォニーとは、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま作品に織り込まれていくことです。わかりやすく説明すると、ドストエフスキーの作品に登場する主人公たちはそれぞれが独立した考えを持っており、それは作者の考えに収束していかないということです。
ここまでを読んで、「作者が書いてるものだから、少なからず作者の考えが反映されているはずだ」と考える人もいるでしょう。これは「作者も意図せずに無意識のうちに書くことがある」ということを考えると解決できます。私たち人間は何かを書くときいつも自分の意志のままに書いているわけではありません。たとえば、なにかの感想文を書いているとき、書き終えてみると本来自分が書きたかったことからずれていた、なんてことはありませんか?私は筆が乗るとよくそのようなことがあります。また、二項対立的に一人を生み出したらもう一人も生み出される(正義と悪みたいな)ということもあります。こういったことを考えると作者の考えが反映されていないテクストが生まれることも納得できるのではないでしょうか。
次にポリフォニー的な小説の具体例について、私はあまり思いつかなかったので他の方にも例を尋ねたところ、内藤先生から芥川龍之介の『藪の中』が、中村さんからはやみねかおるさんの公式ファンブックの最後の書き下ろし小説がそれにあたるのではとおっしゃっていました。
私はどちらも読んでみたのですが、確かにポリフォニー的な作品だと感じたので、もしこれを読んでいて「ポリフォニー、なんだかよくわからないな。」と感じた人はぜひ読んでみることをおすすめします。
また、内藤先生からバフチンがポリフォニーを提唱した背景についても解説がありました。バフチンもドストエフスキーと同様にロシアの人です。この『ドストエフスキーの詩学』は1929年に発表されたもので、その当時のロシアはロシア革命によってソビエト連邦が成立したあとの時代になります。内藤先生によると、バフチンは文学で社会を変えようとしたそうです。レーニンのような一人の意見だけが強い力を持つ社会に対して異議を唱えるために、モノローグよりもポリフォニーを推し進めたということです。バフチンはまたカーニバルも提唱しています。カーニバルとは非日常であり、カオスでもあります。このカオスがないと日常が平凡でつまらないものになると主張しました。これも当時の社会状況の反映ですね。
このように、バフチンの理論には社会を変えようとした背景があります。現代は革命的な動きが少ない分、こういった価値観は新鮮でした。また、だからこそ最初はポリフォニーについてうまく理解できなかったのかもしれないとも感じました。
長くなってしまいましたが、今回のブログは以上となります!さて、このブログはきちんと授業内容が伝わるものになっているでしょうか… 無意識のうちに自分の書く意図のなかったことまで書いているような気がして、これこそまさにポリフォニーへの第一歩ですね!と、雑なまとめをして終わろうと思います笑
ではみなさま、また次回お会いしましょう!