皆さんお久しぶりです!9期生の宮澤です。
先日、明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会に行ったんです。
我がゼミの阪口さんが、コンマスを務める発表会だったのですが、とても感動したので、この場を借りて、叫ばせてください。
面白かった!阪口さん、ほんとに凄かった!小林幸子さん、歌うまいですね!
以上、宮澤の心の叫びでした。どうでも良くてすみません。阪口さん、本当に本当にお疲れさまでした。
さて、本題に入りましょう。
今回のゼミで扱ったテーマは、「観客」です。理論は、J.オーモンの『映画講義入門』の第五章映画と観客。作品は、『オリンピアー民族の祭典』なり。
【学習内容】
今回は、映画の観客に関する研究を学びました。
①観客の精神と映画の関係
②観客の心理を使った映画の技法
の2つに分けて、おさらいしていきます。キーワードは「再現的イリュージョン」です。
まず前提として、観客の研究は、大きく分けて2つの分類ができます。
1つ目は、観客の外在性に注目した研究。統計学や経済学、社会学の方法から、観客集団を分析する研究です。2つ目は、観客の内在性に注目した研究。心理学を応用して、映画の観客の精神を分析する研究です。今回は、2つ目の研究について、勉強しました。
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①観客の精神と映画の関係
映画は見る人、つまり観客がいないと成立しません。そして、映画の受け取り方は、個々の観客によって異なります。例えば、映画の作り手が想定していた通りに、観客が解釈してくれるとは限りませんよね。そのため、観客なしに映画を語ることはできないでしょう(多分)
でも、そもそも、観客とは何なのでしょうか。簡単に言うと、観客とは、映画に対して「再現的イリュージョン」などの精神活動を行う存在です。
では、再現的イリュージョンとは何でしょうか。「再現的イリュージョン」とは、観客の心的過程で勝手になされる補正精神のことを指します。よう分からん、詳しく(白目)
突然ですが、皆さんゲシュタルト崩壊を経験したことがありますか?1つの文字をずっと見ていると、その文字が何だか分からなくなってくるという、例のあれです。
これは、同じ文字をずっと見てると、文字の一画ばかりが見えてきて、文字全体が認識できなくなってしまうことが原因です。つまり、私たち人間は、物事を要素で捉えているのではなく、全体で捉えているということが分かります。
逆に言うと、私たちは、総合的(全体的)に物事を見る力を持っているといえます。
実はこの能力、観客が映画を見る時にも発揮されています。
そもそも映画(映像)は、静止画の連続にすぎません。てことは、本来肉眼で映画を見たら、高速で静止画が変わっていく様子が見えるはずです。しかし私たちは、映画を静止画ではなく、自然な映像として見ます。
つまり、静止画の連続(要素)を、つながった映像(全体)として認識してると言えます。つまり私たちは、肉眼そのものが見せる以上のものを、精神を通じて見ているということです。
そしてこれこそが、「再現的イリュージョン」です!!!!!
つまり、「再現的イリュージョン」とは、観客の心的過程で勝手になされる補正精神のことを指します。このように、観客の精神を通じて補正が起こるため、人によって映画の認識が異なったりするわけですね(自信ない)
②観客の心理を使った映画の技法
①では、心理学の研究を応用することで、観客は精神活動を行い、映画を見ていることが分かりました。次に、観客の精神活動に効果的に影響を与える映画の技法について、紹介します。
映画は、様々な情動を誘導できるような方法を模索してきました。人の情動を誘導する方法は、特にプロパガンダ映画を通じて、研究が進んでいきます。そして現在では、観客の感情を盛り上げたり、登場人物に共感できるようにしたり、様々な場面で応用されるようになりました。
要は、人間の心的過程を理解し、触発するような技法を使うことで、観客の思考を操作できるということです。モランの『映画あるいは創造的人間』では、同一化という技法が紹介されていました。同一化とは、観客に、自分と全く異なる他者である登場人物を同一視させること技法です。
心理学を応用して、観客の「再現的イリュージョン」が明らかになったことで、作り手側が見せたいものを見せる技巧の研究に繫がったと言えるでしょう。
【作品分析】
以上の学習内容を踏まえて、『オリンピアー民族の祭典』はどのような作品だと言えるでしょうか。
『オリンピアー民族の祭典』は、ナチス政権下のドイツで行った、ベルリンオリンピックの記録映画です。この作品は、ただの記録映画にとどまらず、独自の編集技術で、スポーツの普遍的な身体美や躍動感が表現されている作品として評価されています。一方、ナチス政権下で撮影されたこともあり、プロパガンダ映画であるという評価もされている作品です。
ここからは、ゼミ内での分析になります。
肉体美を表す独自の技術について
・スローモーション→選手の競技の瞬間を、スローモーションにしている。観客が息を飲んで見守る瞬間の感覚を、スローモーションで表す技巧。観客の再現的イリュージョンを理解した上で、映像表現をした技法だと言える。
・競技以外の演出→得点が入る場面や観客が盛り上がっている映像を、所々で差しはさんでいる。ただの記録映画ならば、選手の競技のみを映像にすればよい。そのため、観客目線のオリンピックのハイライトが上手く描かれていると言える。
プロパガンダ性について
・ヒトラー→ヒトラーの映像が所々差しはさまれている。(自国の選手が得点を入れた時など)しかし、ヒトラーの映像に威厳があるようにはあまり見えない。むしろ、オリンピックを成功させようと必死な表情が多く映っている。よって、ヒトラーやナチスのプロパガンダのために作られているわけではないのではないか。むしろ、観客の再現的イリュージョンで、プロパガンダ映画になってしまったのではないか。
以上を踏まえ、『オリンピアー民族の祭典』は、技法を活用して身体美を表した作品だが、観客の再現的イリュージョンによってプロパガンダ映画として認識されてしまった映画と分析しました。元々、『オリンピア』は、観客の再現的イリュージョンを理解した技法で、スポーツの肉体美や躍動感を表現した記録映画だった。しかし、枢軸国が形成された戦争下の世界では、製作者の意図に関わらず、プロパガンダ映画として機能してしまった可能性があると分析しました。特に、自国のために戦争に行く人たちにとっては、自国の強さを再確認し、自分を鼓舞する映画になっていたかもしれませんね。
私は普段観客であることが多いので、改めてこの理論を勉強すると大変興味深かったです。これから映画を見る時は、映画にどのような再現的イリュージョンがあるのか、意図されているのかを見ていくのも、面白いかと思います。
ここまで見てくださった方、本当にありがとうございました!次回のブログでお会いできることを楽しみにしています!