9期生 第6回『film analysis 映画分析入門』第1部 第2章 カメラワーク

こんにちは。白井翔大です。面白そうな映画やアニメがたくさんあることを再認識しています!もちろん授業を通じても、そうですし、鑑賞記録をつけていくアプリでもそのように感じています。
他の人の鑑賞記録を見ていて思うことのなのですが、この人は普段何をやっている人なのだろうと。というのも、記録の更新数が圧倒的だからです。作品への熱量が高いことはたしかなのですが、それにしてもどのような過ごし方をしていれば、これだけ多くの作品に触れることができるのか気になることがあります。

以下、授業内容になります!

キーワード:カメラワーク
観客は映画を「カメラという眼」を通して見ます。
→カメラがどこに置かれ、どのように動いているかは、映画の意味にとって極めて重要となります!

大論点:カメラワークは映画にどのような意味を与えるのか
それぞれのカメラワークが映画の内容を表す役割を持っています!

中論点1:ショットはどのような意味を持つのか
場面に応じて多様な意味を持ちます!
 小論点1:クローズアップショットは何を表しているのか
 ① 親密性②登場人物の心情について隠しています
 小論点2:ミディアムショットは何を表しているのか
 人物間の関係を表しています
 小論点3:ロングショットは何を表しているのか
 社会環境や自然環境を表しています

中論点2:アングルはどのような意味を持つのか
アングルの持つ意味は単一ではない!
 ハイアングルのショットはどのような印象を与えるのか
 ① 支配の印象②力や高潔さ、道徳などの喪失
 ローアングルショットはどのような印象を与えるのか
 ① 優越性や権威、何らかの価値②登場人物の感情を表します

中論点3:カメラの動きはどのような意味を持つのか
出来事や登場人物を強調したり、価値判断を行ったりします!
 小論点1:パンショットはどのような意味を持つか
 関係づけ(人間関係の樹立、社会集団の説明)のために使われます!
 小論点2:トラッキングショットはどのような意味を持つのか
 技術的進歩によって多様な意味を創り出すことが可能になりました

中論点4:レンズの使い分けにどのような意味があるのか
観念を伝える意味を持っています!

中論点5:焦点距離(ズーム)を変えることによってどのような意味があるのか
① ズームインにはある人や物へ焦点を絞っていく効果②ズームアウトには周囲の空間との対比の中で事物を消してゆく効果がある

応用
今回は、ヒッチコック『鳥』の分析でした。メラニー・ダニエルスが、ミッチ・ブレナー(メラニーが気になる男性)の家に愛の鳥を届けに行きます。するとメラニーがカモメに襲われるのですが、それ以降メラニーだけではなく周囲の人間までもが、鳥にひたすら襲われ続けるというパニックものになります。

今回扱った文献『film analysis 映画分析入門』によると、『鳥』は「強い男性によって社会秩序が維持される、男女の不平等を必要としていることを示唆する映画」です。
メラニー:独立心旺盛な「プレイガール」
→ヒッチコックの思う「女性の自然な役割」に逆らっている
→自然(鳥)が彼女に復讐

カメラワーク
たとえばメラニーが湾を一人で渡るシーンでは、
ミディアム・クローズショット:メラニーが状況を支配している
ロングショット:危うさ、不吉な予感
というように、二つショットが用いられています。

他にもショットがあって、
極端なハイアングル:誤った方向へ向かう人類を疫病で罰するという聖書のテーマが隠れていて、「神による配材」を喚起
といように用いられています。

ここからは、ゼミ内での解釈です。

バードウォッチングのカメラワーク(映画序盤)
バードウォッチングされるかのように、メラニーはミッチに覗かれます。
ミッチが覗く際は、クローズアップ
カメラはミッチをロングショットで撮りますが、鳥が飛ぶ姿も映します。その後ミッチが双眼鏡でメラニーを観察する際、メラニーをクローズアップします。
このクローズアップは、鳥とメラニーの親密性や、そのことによってメラニーが解放的な野生の鳥の仲間、すなわち、かごの鳥ではないことを表現しています。
ついでに言うと、このショットは男性(ミッチ)が女性(メラニー)を一方的に眼差しを向けるショットであり、男女の非対称性を読み取ることができます。

鳥に襲われてからのカメラワーク(映画終盤)
ミッチを中心のミディアムショット
→ミッチの母が家族の中心だった状態から、ミッチが中心になったことを表現
ローアングル
→ミッチが家族内での支配的な存在になったことを表現

鳥の役割は?鳥が襲う対象は?
家父長制や生権力から逸脱する存在を襲いやすいです。

野生/かご(鳥かごの鳥、つがいの鳥)
独り身は襲われやすいし、助け合うことができないので、生存できません。
実際に殺害されてしまった人は、独り身と考えられる人でした。

ではなぜ独り身が殺害されてしまったのでしょうか?
それは、家父長制(生権力)の視点に立つと、独り身は望ましいものではないからです。
その一方で、家族は襲われたとしても助け合い、生存し続けます。

用いた理論
① アブジェクション
メラニーの自立した女性を潜在的恐怖として、その恐怖を棄却。
対照的に支配する側からすると、かごの鳥は支配できているので安心感があります。

② 家父長制(生権力)
ミッチ中心で、その他の家族はミッチを支えます。つまり、ここでもメラニーの自立性は失われて、かごの中の鳥になってしまいます。
このように、『鳥』では近代以降の家族としての安定性を保つことが示されています。

カメラワークと二つの考え方(アブジェクション、家父長制)から『鳥』は次のようにまとめられます。
「メラニーは独立心旺盛で自由な雰囲気を漂わせていますが、鳥1に襲われたことで家族という『かご』に入り、その最下層に移ることを示唆する映画」です。ミッチによって、檻に戻されるメラニーが描かれています。
結果的にミッチと結ばれそうなメラニーですが、この映画がメラニー勝利の物語だったのか、あるいは想定外のことだったのかは、さらなる解釈次第となります!(記号論を用いて、移動の物語として読み取ることもできそうでした)以上が『鳥』の分析になります。

カメラワークも分析に用いることができそうです。ただ、このブログを書いていても思ったことなのですが、映画内の文脈に依存する場面が多々あり、カメラワークが意味を持つというよりは、意味の補強がしっくりくるような気がします。ありがとうございました。

  1. アブジェクションや家父長制、生権力の観点から望ましくない存在を襲いやすい生物、襲うのはメラニーの周囲の人間全員ですが、助かるのは家族 ↩︎

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