9期生第6回「もしかしたら私もドストエフスキー小説の主人公かもしれない」

はじめまして。第6回ブログ担当のヤンです。

簡単に自己紹介させていただきます。

ヤン・スビンです。ヤンが苗字で、スビンが名前です。

名前から分かるかもしれませんが、出身は韓国です。日本に来て450日目、孤軍奮闘しています。(笑)

趣味は映画とドラマを見ること、本を読むこと、音楽を聴きながら散歩することなどです。推理小説やドラマが大好きです。

昔クラシック音楽をやった経験があるのでクラシック音楽が好きで、その中でもオペラが一番好きです。オペラお好きな方がいらっしゃるか分かりませんが、もしいらっしゃったらいつでも声をかけていただければと思います。

それでは第6回の授業内容の振り返りに入ります。

3限「声」「イメジャリー」

第9節 「声」

声が物語の中でどう表現されるのかについて廣野さんは主に2つに分けて説明しています。

モノローグ的

:作者の単一の意識と視点によって統一されている状態。自分の考えを自分の視点で話すことが該当する。

ポリフォニー的

:多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれ独自性を保ったまま互いに衝突する状態(第7節「性格描写」の「立体的な人物」を表す。)

ここで桃太郎の例を挙げると、

昔話の「桃太郎」:モノローグ的

芥川龍之介の「桃太郎」:ポリフォニー的

だとも言えます。

  • 昔話の桃太郎では善と悪が戦う二項対立が現れるので、「善」という正義が「悪」を勝つという作者の考え方と視点が入って、桃太郎という登場人物で統一される : モノローグ的
  • 逆に、芥川龍之介の「桃太郎」では鬼の立場を入れることで、多様な考えを示す複数の意識や声が、それぞれ独自性を保ったまま互いに衝突する状態を作っている:ポリフォニー的

第10節 「イメジャリー」

イメジャリーとは、ある要素によって、想像力が刺激され視覚的映像などが喚起される場合、そのようなイメージ(心象)を喚起する作用のこと、または、イメージの集合体です。

ここでフランケンシュタインにおけるイメジャリーを考えると、主に2つの例が挙げられます。

  • 月:物語の中で重要な出来事が起こるとき、しばしばその前後に「月」が描写される。これは強烈な視覚映像を生じさせると同時に、何か別のものを暗示する象徴になる。
  • 水:湖や海などが「死」を象徴する場として描かれる。そしてメタファーとしても、フランケンシュタインが自分の運命について語る時、川に喩えて自分の破滅について比喩的に示す。

ここでイメジャリーを主に5つの分類に分けられます。

  1. メタファー(隠喩):あることを示すために、別のものを示し、それらの間にある共通点を暗示すること。(ex)夏空に浮かんだ綿菓子=雲)
  1. メトニミー(換喩):ある事物を、その属性と密接な関係がある他の単語を借りて表現すること。(ex)黒帯-有段者、やかんが沸騰している-でも実際沸騰しているのはやかんの中の水)
  1. シネクドキ(提喩):物事の一部として全体を、または一言でそれに関連するすべてを表すこと。(ex)お花見-桜を見ること-多くの花の中で「桜」を思い浮かべる)
  1. 象徴:特に類似性のないものを示して、連想されるものを暗示すること。(ex)ハト-平和(別に関係ないじゃん))
  1. アレゴリー:具体的なものを通して、ある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせること。(ex)イソップ寓話-ある童話を通して我々に教訓を与える)

4限「ドストエフスキーの詩学」

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821年~1881年)は19世紀ロシアを代表する文豪で、著作としては『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』などがあります。彼の著作は「現代の予言書」と言われています。

このドストエフスキーさんを研究して今日扱うテクストを書いたのは、ロシア(ソ連)の文芸学者であるミハイル・ミハイロビッチ・バフチン(1895年~1975年)さんです。

バフチンはこのテクストの中で「詩学」を、狭義の詩に関する理論ではなく、言語芸術の創作において題材、ジャンル、プロット、文体等の選択を支配する、作者の創作姿勢の全体を意味ものだと言っています。

[真のポリフォニー]

批評家たちは、ドストエフスキーの登場人物と対峙し、登場人物のイデオロギーを評価しようとしました。ここで批評家たちがイデオロギー的な側面に注目した理由は、イデオロギー的なのがドストエフスキー作品の特徴であり、彼が作家にさえ反旗を翻す能力を持った自由な人間たちを創造したということ、つまり真のポリフォニーを意味します。ドストエフスキーの主要人物は、作者が登場人物に何かをさせる(客体)のではなく、登場人物が自ら思想を持って行動する(主体)ことでした。彼の小説で登場人物たちは自主性を持って主体的に動きながら物語を進行させ、その点で伝統的な小説とは違うと言えます。

バフチンはここで、他の批評家たちがドストエフスキーの小説の中で登場人物という個別のイデオロギーに注目しすぎて、ドストエフスキーの芸術的特徴に気づいていないと批判します。そして、彼を作家であり芸術家だと表現します。

*バフチンが考えた芸術性は、以前にはなかったスタイルである「自由な登場人物で物語を作っていく」という新しいスタイルを作り出したこと、芸術家として小説の新しいジャンルを開いた開拓者(pioneer)という意味で芸術性が高いと言ったのではないかという議論を授業中に交わしました。

[ポリフォニー小説の創造者ドストエフスキー]

ドストエフスキーの作品は文学史上どの図式にも当てはまらない独自性を持っており、彼を「ポリフォニー小説の創造者」だと言えます。

従来のヨーロッパの小説が

  • 主人公の性格造形は、作者の客観的なイメージに従う
  • 作者の声のメガフォン
  • ストーリーが既に存在し、そのストーリーに合わせて登場人物の性格や行動を作者が決める

という特徴を持っていると言うと、ドストエフスキーの小説では

  • 登場人物の声が極度の自立性を持つ
  • 作者の言葉と登場人物の言葉が肩を並べる
  • 登場人物がいてストーリーが完成される、つまり、登場人物>物語の筋書き

という特徴があります。

また、モノローグ小説の結末が決まっていることが多く、すでに予想が可能な場合が多いのに対し、ポリフォニー小説では人物によって物語が進み、どうなるか予想できないという特徴があります。

そういう意味で、ドストエフスキーが創造したポリフォニー小説の構造は特殊だと言えます。

以上、第6回の内容でした。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!