度々すいません上西です。
第5回のゼミでは編集について学びました。
テキストいわく、編集とは「選択と組み合わせの技術」であるそうです。
そしてその選択と組み合わせの技術によって、編集者は視聴者にさまざまな印象を与えることができます。
また映像の部分をつなげる際には「類似」「並行」「対照」「皮肉」などさまざまな原理を使うことができます。
代表的なのが、切り返しショットと呼ばれる対面する二人を交互に写す編集です。
切り返しショットでは「類似」と「対照」の原理が主に使われます。
例えば天使と悪魔が切り返しショットで交互に写されていたら、天使と悪魔の「対称性」が強調されると言った具合です。
また「類似」するショットをつなげることでメタファー的なつながりを作り出すこともできます。
例えばならずものの集団が、通りがかりの紳士を襲って殴り殺し、金品を強奪するシーンの間に、ハイエナがウサギを捕食しているショットが挟み込まれていた場合には、そのショットは、ならずものの彼らの行動の動物性のメタファーになっていると解釈できると言った具合です。
また全く似ていないショットをつなげることで、映画のテーマのコントラストに焦点を当てることもできます。
例えば女性の自由がテーマの映画であれば、女性が「男」らしく車で颯爽と荒野を駆け抜けるシーンの後に、男性が「女」らしく家でテレビのメロドラマを見ているシーンがくることで、映画のテーマである女性の自由が強調されると言った具合です。
このように、映像は編集の仕方によって、さまざまな印象を視聴者に与えることができるのです。
ゼミの後半では「地獄の黙示録」(ベトナム戦争が舞台)のラストシーンを編集の視点から分析しました。
ラストシーンでは主人公がカーツというラスボス的な人を斬り殺すシーンと、カーツを崇拝する人々が儀礼的に牛を斬り殺すシーンが重ね合わせられています。そのシークエンスがどのような意味を持っているのかを分析しました。
結論としては、カーツの死を西洋側による殺しによるものではなく、東洋側の殺しによるものとしての意味を与えたかったからこのような編集にしたという話になりました。これだけでは意味不明なので説明します。
まず西洋側による殺しですが、これはアメリカ軍の命令によって主人公が行う裁きです。カーツは元々アメリカ軍にいましたが、ベトナム人のダブルスパイ4人を殺し、ジャングルの奥地で現地人を統治し王国を作っていました。軍はカーツに軍に戻ってくるようにと再三通告しましたが、カーツが無視したため、軍は主人公にカーツの暗殺命令を出します。主人公はカーツを暗殺しにジャングルへと向かいました。
ジャングルの船旅を経て、主人公はついにカーツと対面します。このとき、カーツは主人公に「俺を殺すことはできるが、裁くことはできない」的なことを言って、主人公はそれに納得します。ここで主人公は裁きとしての西洋側の殺しを実行することをやめました。
しかしカーツ本人が自らの死を望んでいること、またジャングルや彼の王国、王国の民がカーツの死を望んでいると感じた主人公は、儀式としてカーツを殺すことに決め、実行します。この殺しが東洋側の殺しです。主人公は西洋側の動機からカーツを殺したのではなく、東洋側の動機からカーツを殺したのでした。そのことを視覚的に表すために、カーツが斬殺されるシーンと牛が斬殺されるシーンが重ね合わせられているのだと結論付けました。
このように、編集は映画を構成する大事な要素です。映画を見るときは、その映画がどのように編集されているかを意識して見ることで、わたしたちの映画鑑賞がより豊かなものになるのではないでしょうか。