第14回 7期生 発表会blog『このブログは読まれることを(そんなに)想定されていません』

お久しぶりです。どうやら長い夏休みが終わり、3年ゼミの後半が始まろうとしているようですね。(というかもう始まってますね)大好きな秋です。私は夏に敢えてマライアキャリーを歌ったり、冬に夏の終わりを歌ったりして季節を逆行するのが好きですが、この秋は素直な心で「オータムインニューヨーク」を観はじめました。映画から季節を感じるというのもいいものですね。

皆さんはどんな夏を過ごされたでしょうか。わたしはというと宿題の存在を心に留めつつ、半分罪悪感に苛まれながらも遊ぶ小学生の心境でした。もちろん、ここでの宿題にあたるのは「春学期レポート」です。9月の最終日曜日に、ゼミの卒業生の方にレポートの概要を発表する会が開かれるとのことで、なんとしてでもその日までに書き終えたいと、日毎予定ページ数を書いたカレンダーを睨む日々でした。今回のブログはその発表会の回記録です。

まずはお忙しい中発表を聞き、意見をたくさんくださった卒業生をはじめとする出席者の皆さん、ありがとうございました。私だったら平日にお仕事をしていたら、土日ぐらいは家でゆっくりしたいと思うと思うのですが、日曜日の、しかも短くない時間を、私たちゼミ生のレポートの構成について考えることに当ててくださるなんて、内藤ゼミにはなんて素晴らしい先輩方がいるんだ…!としみじみ感動しました。そして私もゆくゆくは(ゼミを無事走り終えられたら)後輩たちのために同じようにできればいいなと、若干の不安とともにそんな将来を思い描きました。

さて、本題に参ります。私はゼミでレポートを書くと決まった時、「物語作品は世界を変えうるのか」という壮大なテーマを思いつき、ぜひこのテーマを2年かけて考えたいと思いました。なぜそう思ったかというと、詳しいことは私のレポートを読んでほしいのですが(いつか公開されたら、、、されるんでしょうか?)私自身、物語に何度も心を救われた経験があり、その一方で物語が世の中の常識を押し付けてきているのも同時に感じていたんですね。物語の持つそうしたパワーを、これまでは感覚で感じるしかなかったのですが、このゼミで文学批評理論を学ぶうち、これらを使えば、私がこれまで気になっていたこの問いに対する答えを提示できるのではないかと考えたのです。レポートで、「物語は世の中を変えることができる」と提示できたら、世の中にもっと多様性を認める作品が増え、そしてそれがまた誰かの心を救ったり癒したりすることにつながります。大げさですが、それくらい壮大な気持ちで書かないとレポートなんて書けません。ちょうど、中島みゆきの荘厳な唄をかけながら部屋の掃除をするように。(なんだか自分がすごいことをしている気分に浸れるのでオススメです)それはともかく、このような意図、目的で書いた私のレポートの概要を皆さんの前で発表しました。

その後は皆さんからの鋭いご指摘やお褒めの言葉などをもらいました。たくさんもらったこの日のアドバイスはメモ用紙10枚分を軽く超えていました。特に山下さんからいただいたご意見からは、「世界を変えうるか」という元の主題が大きすぎるので「変えるきっかけを与えうるか」に変更すればしっくりくることがわかったり、日高さんからの意見からは、私は同性と異性の恋愛を分けて考えたくないのかもしれないという新たな気づきを得たりすることができました。もちろんこれは一例で、皆さんから色とりどりの意見をいただくことで、それまでは自分の頭の中でだけこね回していたアイデアや思想を、初めて人と共有することで、(しかも人生の先輩方に)自分にはない視点からの意見をもらい、私の意見に対して「こう感じたり考えたりする人がいるんだ」ということは新たな発見でしたし、それに従ってレポートも見直すことができました。他者からの視点を聞かなけば自分本位の人間になってしまって、いいレポートも書けないと思うので、このような機会を作ってくださった先生に感謝です。

他者からの視点に関連して、このブログの公開がだいぶ遅くなってしまった(すみません)のもそれが関係している気がします。春学期では、ブログを読む人として私は内藤先生と徳村さんだけを想定していて、なんだか身内にメールを送るような気持ちで気楽に書いていたのですが、レポート発表会などを経て、ブログを読んでくださっている人に直接会う機会があり、「こんなにちゃんとしている方々に読んでもらうなら変なことは書けない、、、」と妙なプレッシャーを感じてしまったのです。今こうやって文章を書けているのは、一旦誰が読んでいるかなどは忘れて、自分の好きに楽しんで書こうとマインドセットし直したからです。誰かが読んでいると思ったらその人に気を使い、本当の自分の気持ちが書けなくなってしまうことがあると思います。私が文章を好きなのは、話す時ほど相手に気を使わなくていいからという理由もあります。書いている時点では誰にも届かない文字だから、本音になれるんです。そしてそれを相手に届ける前に見返して修正ができる。それに対して喋りなら、すぐに相手に届いてしまうから、相手を傷つけないよう慎重になるし、相手本位になって本来の自分を少し歪めることもありますよね。自分の心の声に従って書けるのがブログの良さかなと思うので、私はこれからも読者におもねらず、正直な書き手でいることをお許しください。

脱線してしまいましたが、私の発表の後には徳村さんの発表があり、徳村さんの、誰の意見も否定しない中立的な人間性とかが現れていてとても面白い発表でした。CMという着眼点もならではでさすがですね。レポートが出来上がって読めるのを本当に楽しみにしています。徳村さんの文章ってなんか本当に面白いんですよね、読みやすいですし。しっかり起承転結というか、なんの文にしても一本筋が通っているから読後感もいいのかもしれないです。それに関連して、私の発表への徳村さんの意見を当日は聞けなかったので、後日長文で送ってくださいとお願いいたところ、本当に送っていただいた(!)文章も、構成がやっぱり綺麗でした。お忙しいところわざわざありがとうございましたとこちらでもお礼を言わせてください。

さて、書いてみましたが、普段の授業内容と違い、発表会のブログとはこんな感じで良かったのだろうかと不安です。もっと発表自体の内容を書いた方が良かったような気もします。

ゼミを楽しいものにするか、厄介なものにするかは自分の向き合い方次第だと思います。「秋学期のゼミも楽しむ!」という決意表明とともに今回のブログは締めようと思います。ですが少なくとも、夏より秋の方が涼しくて私は元気なので心配はありません。それよりも、食欲の秋も重なって最近お酒や美味しい食事をいただく機会が多く、順調に体重を増やしていくのではないかということの方が目下対処すべき問題かもしれません。ヘルシーで美味しいレシピを知っている方がいらっしゃいましたらご教授願いたいです。(運動せんかい!と思いましたか、私もそう思います)

村上菜々子

2017年度学期末論文・卒業論文発表会

2018年2月26日(月)駿河台キャンパスにて、内藤ゼミ3・4年生による学期末論文・卒業論文の発表会を行いました。

執筆者は4年ゼミ長、室です。最後はゼミ長らしく・・・という意図があるわけではなく、あみだくじで決まりました。

今年の論文発表会には2期生の先輩も2名来てくださり、各論文へコメントもいただきました。もう1年論文と向き合う3年生にとっても、卒業を間近に控えた4年生にとっても、充実した発表会になったと感じています。2018年 論文発表会_180329_0001

(発表会後の懇親会の様子。発表会から参加してくださった先輩方に加え、2名の先輩方が参加してくださいました)

 

論文発表会では、ゼミ生がそれぞれ自分の論文について、Power Pointを使って発表します。

・自分がなぜこの論文を書いたのか

・何を伝えたかったのか

・苦労した点

・今後の課題

などを説明し、その後、ゼミ生同士での議論に移ります。

ゼミ生同士はお互いの論文を事前に読むことになっており、自分が読んだ感想や質問、発表を聞いた上で感じたことなど、自由にコメントしていきます。

 

コメントについては、各発表者につき各学年1名の「コメント担当者」を事前に決めています。基本的にはコメント担当者からのコメント、その後コメントをしたい人が自由に発言するという流れです。コメント担当以外のゼミ生も積極的に発言し、とても活発な議論になりました。

 

ゼミ生は、研究のテーマも興味の対象も様々です。それぞれが自分にはない視点の論文に触れる機会となるため、年間で最も忙しいイベントのひとつですが学ぶものが多く、楽しい一日になります。

3年生の論文や、2年生による自己紹介も面白く、後輩たちは今後どのように興味が変化していくのか、どのような作品に興味を持つのかなど、楽しみに感じた点も多くありました。

また、発表で論文執筆のバックグラウンドを知ることで、その論文に対して新たな見方が生まれたりもします。「こんな論文を書くなんてすごいなあ」と思いながら読んでいても、発表を聞くとみんな悩みながら、努力して書き上げたものであることを知ったりします。

 

ひとまずゼミ生としての最後の活動だった論文発表会も終え、内藤ゼミ3期生五名、無事全員卒論を書き上げ、卒業しました。

卒業後、それぞれ別々の道に進み、住む場所なども離れていきますが、最後にこうしてお互いの論文に向き合い、一緒に過ごした2年間を振り返ることができてよかったです。

 

さて、以下3期ゼミ生からのコメントをご紹介します。

 

相田 恭兵(発表論文「『あなたの人生の物語』から読み取る 「語り手」の認識と物語構造の関係性」)

論文を執筆している時、そして論文が完成したとき、この作品のなかに自分の今まで生きてきた中で得たものすべてが込められている感覚を覚えました。その論文をここまで深く読んでもらい、疑問をまっすぐにぶつけてくれるゼミ生の皆や先生に感謝を。自分の持つ疑問や意見を素直にぶつけることのできるこのゼミに入れたことは、大学生活一番の良縁でした。ありがとうごいました!!

 

提中 萌夢(発表論文「「信じる」とは何か ―小説『怒り』を通して考える―」)

内藤先生はしばしば、卒業論文の執筆過程のことを登山に例えていましたが、本当に高く険しい山だったなと思います。途中で何度も登るのを辞めることが頭に過ぎりましたが、内藤先生の熱心なご指導と、一緒に苦しんでいる同期の姿を見たことで、なんとか気持ちを持ち直し、最後まで登ることが出来ました。私は、辛かったことも過ぎ去った後は良き思い出だと思える単純な人間なようで、あれだけ苦しんだにも関わらず、もうこの先の人生で論文を書くことも、こんなに何かに対して一生懸命考えることも無くなってしまうのかと思うと、少し寂しさを感じております。今まで気づきませんでしたが、案外Mっ気がある人間だったのかも…(笑)

ゼミでの活動を振り返ってみて、特に面白かったのが、ゼミで学んだ理論を生かして作品を分析したことでした。ゼミ生によって、同じ作品でも着眼点が異なり、自分だけでは気が付けなかったことに気づくことができ、とても楽しかったのを覚えています。最近では、映画や小説を読んだ際に、自分が気になったことだけでなくて、「もしこの作品をゼミで分析したら、〇〇さん(君)はここに注目するかも」なんて思うようになったり…(笑)もう皆で一つの作品について分析して議論することも無いのかなと思うと寂しいです。また皆で集まることが出来たら、気になった作品の議論をしたいなと思っています。

 

前田 旅人(発表論文「REFERENCE OF THE DEAD ―物語の表現形態とゾンビの自己言及性の関係についての考察―)

内藤ゼミはとにかく自由で、のびのび研究できて楽しかったです。ゾンビなんて他の先生なら下らないと一蹴されそうなテーマにだって全力でぶつかり合えたのはこのゼミならではの良さだと思います。本当にありがとうございました。

 

横野 由佳(発表論文「テルマとルイーズは何故崖から飛び降りたのか? ―映画『テルマ&ルイーズ』から読み解く新たなヒーロー像と承認の形―」)

論文発表会、お疲れ様でした!ゼミ生の皆がそれぞれ異なる着眼点を持っているので、発表を聞くのも楽しかったです。内藤ゼミでの活動を通して、自分の中にある違和感や悩みを論文という形で解消出来たので、これから心置きなく社会へ飛び出すことが出来そうです!いつも議論が脱線してしまうくらいに個性が強く面白いゼミ生に囲まれて楽しかったです!2年間ありがとうございました!

 

室 汐里(発表論文「「恨む」行為の可能性 ―『マギ』に描かれる「堕転」を読み解く―」)

卒論執筆中に関しては何度か蒸発しかけましたが、結局私も無事に卒論を書き上げることができました。

思えば、蒸発しようと思ったことはあったけれど、「他のゼミに入っていたら」と思ったことはなかったなあと思います。自分には内藤ゼミしかなかったんだと改めて感じています。

興味の対象もそれぞれ違いますが、決してお互いの興味の対象を否定したりせず、その面白さを分かち合うことができるのがこのゼミの良さのひとつだと思います。

「相手の好きなものを否定しない」というのは大切なことだと思うのですが、実はけっこう難しいことじゃないかなと思います。内藤ゼミの人達はどんな対象も受け入れてくれるので、私もこの2年間は否定されることもなく、のびのびと活動できました。本当に居心地がよく、考え方とか、色々なものがぐるっと変わって、私にとってはこれまで過ごした22年間の中で一番濃い2年間でした。

論集準備などでは必死過ぎて見落としていたことがたくさんありましたが、ゼミ生のやさしさに支えられて活動した2年間でした。本当に素敵な思い出です。

来年度以降の内藤ゼミがどうなっていくのか、とても楽しみにしています。4・5期生のみなさん、素敵な思い出をたくさん作ってください。「このゼミに入ってよかった」と思って卒業してもらえたら、内藤ゼミ卒業生として、幸せに思います。

6月23日 南後ゼミナールとの合同WS 映画『誰も知らない建築のはなし』を観て

こんにちは。
今回は、6月23日に行われたワークショップについて報告をさせて頂きたいと思います。

6月23日、石山友美監督の映画『誰も知らない建築のはなし』のワークショップを行いました。石山監督をお招きし、情報コミュニケーション学部の南後ゼミナールと合同で行いました。
ワークショップの内容は、内藤ゼミ・南後ゼミが、それぞれ『誰も知らない建築のはなし』を鑑賞し、映画または建築について分析し、発表を行い、それらについて議論を行うというものでした。発表は、内藤ゼミ、南後ゼミの順番で行われました。
以下、それぞれの発表内容を紹介します。

まずは、私たち内藤ゼミの発表です。
発表タイトルは、「挑発する物語 —『誰も知らない建築のはなし』の怪物性—」。
私たちは、ウラジミール・プロップ(1895-1970)の物語の31の機能の理論を用いて、この映画には、安藤忠雄と伊東豊雄のWヒーローの冒険譚である、という物語の王道の構造があるということを読み解きました。
しかし、安藤・伊東のWヒーローの冒険譚であるにも関わらず、この映画は、冒頭と最後で同じ課題が語られるという円環構造を成しており、加えて課題の解決法が語られない「開かれた終わり」であり、ハッピーエンドでは終わりません。
では、何故Wヒーローはハッピーエンドを迎えていないように描かれているのか?それは、大衆に寄り添った建築で、民衆からの支持を得た安藤・伊東というWヒーローがハッピーエンドを迎えていないように描かれることで、観客が大衆目線の建築家を素直に肯定する気持ちを逆なでし、むしろそうした建築家のあり方に疑問を抱かせる意図があるのではないかと私たちは考察しました。

こうした分析を踏まえ、私たちは今後の建築家像について考察を行いました。
文学においても建築同様に、インテリで著名な作者の役割が最重要視される巨匠主義が台頭した時代がありました。しかし、1960年代にロラン・バルトが「作者の死」を提唱して以降、文学研究では作者だけでなく読者も作品解釈の主体たりうるという理解が共有されるようになりました。実際にインテリ作家の時代は終わり、あらゆる人が作者になれる時代が到来しています。
かつてインテリの仕事であった建築ですが、現在、安藤や伊藤のような大衆に寄り添った建築が支持されており、このような建築世界の状況は、文学と同じ道筋をたどっているように思えます。つまり、バルトの言葉になぞらえるならば、「建築家の死」の時代が訪れ、建築家という存在はいずれ無くなるかもしれません。しかし、作者が死を遂げた文学は、現在も残り続けています。磯崎は、映画において、建築家が「エンジニアになるのか、テクノクラートになるのか、アーティストになるのか」と語りますが、今後、建築家という従来の確固とした概念が希薄化し、建築家とそうでない人々の間の溝が埋まっていくかもしれません。しかし、文学が辿って来た軌跡のように、建築家がいなくなった世界でも、建築は作られ、残り続けていくだろう、というのが私たちの考察です。

映画を読み解くにあたり、建築の知識がない私たちは、非常に頭を悩ませました。また、映画自体も、複数の登場人物がそれぞれ異なったことを語っており、混乱させられ、”分かりにくく”、読み解くことは非常に難解であると感じました。しかし、この”分かりにくさ”、”難解さ”が、この作品の怪物性であり、観客に「この難解な映画を読み解けるか」という挑発に満ちた物語であった、ということから、発表のタイトルを「挑発する物語 —『誰も知らない建築のはなし』の怪物性—」としました。
この難解な物語を、建築の知識のない私たち内藤ゼミが読み解くことで、建築が抱えている問題は、建築家以外の人間にも全く関係のない話ではなく、またかつて文学が抱えていた問題とも共通していることから、建築と文学の異なる領域であっても共通の課題として考えられることを示すことが出来たのではないかと思います。

 

ここまでですでに長くなってしまいましたが、続いて南後ゼミの発表です。
南後ゼミは3班に分かれて発表を行いました。

はじめの、1班の発表タイトルは、「境界を“読む”―『誰も知らない建築のはなし』」です。
建築界を構成している要素や、『誰も知らない建築のはなし』の英語タイトル『Inside Architecture』から、建築界の内(inside)と外(outside)に着目し、ハワード・S・ベッカーの『アート・ワールド』や新聞記事から、建築界の境界について考える発表でした。

続いて2班です。発表タイトルは「映像に映り込むもの:『だれもが知っている建築のはなし』」です。
映画のカメラワークや背景、身振り、カット割りなどを分析することで、登場する建築家たちが、P3会議のように会議を行っているように描かれているという考察を行っていました。また、リオデジャネイロ五輪の閉会式で流された東京のPR動画を用いて、アンケート調査を行い、「誰もが知っている建築」とは何か、という考察を行っていました。

最後は、3班の発表です。発表タイトルは「『ポストモダニズムの建築言語』とInstagramから考えるスーパードライホール」です。
映画にも登場したチャールズ・ジェンクスの著書『ポストモダニズムの建築言語』とInstagramの検索結果から、2班で誰もが知っている建築と考察されたスーパードライホール及びポストモダン建築の受容のされ方などについて分析を行っていました。

発表後は質疑応答の時間が設けられ、南後先生や石山監督からコメントを頂くことができました。また、映画について、直接石山監督から、映画制作時のお話や、編集の意図などをお話いただくことができ、とても貴重な体験をすることができました。
最後には、全体を通して議論が行われました。「建築家の死」について、誰もが建築家になれる時代に対してどう思うか、などについて議論が行われました。とても議論が白熱し、終了予定時刻を大幅に過ぎてしまっていたのですが、とても充実した時間を過ごすことが出来ました。

ワークショップ終了後は、懇親会を行い、交流を深めました。今回は南後ゼミの提案で、レンタルスペースで、ケータリングを利用して行われました。内藤ゼミで懇親会を行う際は、いつも飲食店を利用していたので、新鮮でした。懇親会では、今回の発表についてや、各々の研究内容、各ゼミの雰囲気などについてゼミ生同士で意見交換が出来ました。内藤ゼミでは、基本的にテクスト分析がメインとなるので、アンケート調査やフィールドワークなどを行う南後ゼミ生のお話は新鮮で、とても興味深かったです。他のゼミとの合同ワークショップは、内藤ゼミにとって初めての試みだったため、他のゼミの研究内容や研究方法などをお話する機会がなかった私たちにとっては、とても貴重な体験ができ、充実した時間を過ごすことが出来ました。
石山監督、南後ゼミの皆さん、ありがとうございました!

 

写真は、ワークショップ後に行われた懇親会の写真です。
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執筆担当:提中

論文発表会-2016年度-

2017年3月18日(土)駿河台キャンパスにて
内藤ゼミ3・4年生による学期末論文・卒業論文の合同発表会を行いました。

発表者はPower Pointを使用しながら、
・自分がなぜこの論文を書くに至ったのか
・自分が論文のなかで最も伝えたかったことは何か
・苦労した点、達成できた点
・今後の課題や展望
などを自分の言葉で説明します。その後、お互いの論文を事前に読んできたゼミ生が、発表を聞いたうえで自由にコメントをしていきます。
話題が尽きることはなく、充実した議論の場となりました。

ゼミ生の論文テーマは多種多様であり、論文のなかでは、小説、絵画、映画、アニメ、ゲームなど、形態や年代を問わず幅広い作品が分析されています。

偶然にも、同じ小説作品をまったく違う視点――ひとつは心理学的視点から、もうひとつはミステリの構造的視点から読み解いた二つの論文があり、1つの作品に対する多様な解釈の可能性が提示された点は、とても興味深いものでした。

また、今回の発表会の傾向として、ジェンダーに関心のある論文が(特に3年生に)多く見受けられた点が挙げられます。しかし、ジェンダーへの問題意識や、対象とした作品へのアプローチ方法はそれぞれ違っていて、男性あるいは社会が作り上げた女性の理想像、作品から読み取れる男女間の力関係、ホモソーシャルと男性中心社会の関係性など、その多様性はまさにジェンダー問題の複雑さを表しているように思いました。

どの論文・発表からも、対象とした作品へのこだわりや、社会現象への気づき、分析を通して各々が生み出した深い考察を、感じ取ることができました。内藤ゼミに入り、苦悩しながらも論文を書き上げて、論集にまとめて、この発表会で披露できたという経験は、直接的ではなくとも何らかのかたちで、私達の人生の道標となってくれるのではないでしょうか。

さて、真面目に文章を書くのはここまでです!
(まだ論文を書いてるような気分になりました、ははは…)
論文発表会めちゃめちゃ楽しかったです!!

何度も何度も、根気強く温かな指導をしてくださった内藤先生をはじめ、ご見学くださった本多さん、南房総ゼミについての発表&物怖じせずに発言してくれた2年生、熱量溢れる論文を執筆&準備に協力してくれた3年生、二年間を共に駆け抜けた4年生、、、
皆さん本当にありがとうございました!!!

内藤まりこゼミ2期生 清水智美

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課外授業:目黒シネマインタビュー

こんにちは!執筆担当の室です。
今回は、夏季休業中に行った課外授業についてのご報告です。

8月26日、目黒シネマを訪問し、支配人の宮久保さんにインタビューを行いました。

今回はインタビュー調査ということで、事前にゼミ生で質問事項を準備しました。
準備では、「人生班」「映画班」の二班に分かれ、それぞれ「宮久保さんご自身について」「目黒シネマについて」という観点から質問を考えました。

目黒シネマでは、上映作品に合わせてロビーで展示を行ったり、スタッフの皆さんでコスプレをするなど、独自の取り組みを多く行っています。
そういったユニークな取り組みに対する考え方や、その発想につながる宮久保さんご自身の考え方などを探りたいという思いから、質問を考えました。

大手のシネコンが多くなり、名画座は少なくなっていますが、目黒シネマは「シネコンとは違う映画館にする」という考えで、様々な取り組みを行っています。
また、目黒シネマの人気の裏には、地道な取り組みがあることもお話しいただきました。

宮久保さんによれば、今まで上映した映画のポスターをすべて保管してあるだけでなく、毎日映画に関する新聞記事を切り取り、保管しているそうです。
こうして、どの作品を上映しても、その作品に関連する展示ができるようにしているとのことでした。
一本一本の映画に対し寄り添っていくような目黒シネマの取り組みが、シネコンにはない魅力につながっているのだと感じました。

また、スタッフの意見を積極的に取り入れているということもお聞きしました。
宮久保さん一人で決めることはせず、アルバイトも含めたスタッフの意見も参考にしているそうです。
「頭は固くなるものだから」とおっしゃる宮久保さんの言葉は、これから論文を書いていく中で、心にとどめておきたいと思いました。

当日は映写室も案内していただき、予告編を実際にフィルム上映していただくという、貴重な体験もさせていただきました。
宮久保さんの朗らかな人柄にも触れることができ、とても楽しい時間になりました。

宮久保さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました!

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